菩提樹の猫

無一物

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4章 癒し手を救出せよ

22 困惑

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◆◆◆◆◆


 まさか自分が癒しの力を使えるなんて知らなかった。
 あの後、バルトロメイの腕の小さな切り傷に何度手を翳してみても、癒しの力は発動しなった。

 リーパ本部に到着すると、まだ手枷がそのままなので、自分の部屋に待機しておくように言われた。
 今回の件についてレネは困惑したままで、心をどこに持っていっていいのかわからないでいたので、少し整理する必要がある。

 ボリスに聞いも、こんなことは初めてなのでわからないという。
 でももしレネが癒し手だったのならば、力が伝わって来る経路《メタラジア》が無理をして焼き切れているはずなので、もしかしたら、癒しの神《ゾタヴェニ》が気まぐれで力を貸してくれたのかもしれないと言っていた。

 よく覚えていないのだが、力を使う前にキラキラとした光り輝く空間で誰かと話したような気がする。
 あまりにも現実離れしていた体験だったので、あの時みたものは誰にも話していない。

 もしあれが癒しの神だったのならば、ボリスの話も辻褄が合う。

(ボリスは、癒しの神が直接手を貸して助けたいほど、大切な存在なんだ……)

 命に係わる大怪我を治すのは、癒し手の中でも一握りしかいないと聞いたことがあるが、ボリスは、その一握りの貴重な存在だ。

 イグナーツの力も凄いと聞いたが、大抵の怪我はボリスに治してもらっていたので、その恩恵にあずかったことがない。
 もう一人のイェロニームは、感情の起伏が他の二人より激しくて力にむらがあった。
 だから団員隊はイェロニームが当番の時は、機嫌を損ねぬよう気を遣っている。

 レネが癒し手ではなかったとしても、神殿に今回の出来事が知られると厄介なので、ボリスからは誰にも口外しないようにと言われている。
 当然、他の二人の癒し手もこの事実を知らない。

 神殿に見つかったら、最悪シエトに連れられて癒し手の修行をさせられるかもしれない。
 そうなったら人を傷つける剣を持つことも許されないし、他にも制約の多い暮らしを強要される。
 レネという人格そのものを否定されるような気がして、ブンブンと頭を左右に振った。


(——あそこにいたのが、あの三人でよかった……)
 

「うあっ!!!」
 
 急に背後に人が立っていたので、レネは椅子からひっくり返りそうになる。

「——おい、ボケっとしてんじゃねえよ」
 
 レネの部屋にノックもなしに入って来るのは、一人しかいない。
 
(あれ?)

 まだ昼過ぎなのに、ルカーシュはサーコートを脱いで素顔になっている。
 どこかに出かける用事でもあるのだろうか?

「こっちもバタバタしてんのに、問題起こして騒がせるんじゃねえよ。ほら、手ぇ出せ!」
 
 言われて、レネはルカーシュがなにをしに部屋へ来たのか気付く。
 
「あっ、コレ?」
 
 頑丈な手枷の付いた両手首を差しだした。
 このせいで、上半身に服を着ることができず、今でも防寒のために毛布を頭から被ったままだった。

「奴隷用の手枷なんか嵌められやがって……」
 
 見た途端、ルカーシュの顔が曇る。
 この男はきっとバルトロメイたちから、なにがあったのか聞いているだろう。
 
 今までは、癒し手の力について頭がいっぱいいっぱいになっていたが、ルカーシュの言葉を聞いた途端、その前に自分の身に受けたことを思い出し、レネの身体に悪寒が走る。

 沢山の男たちに見られながら、背後から迫って来る男の手で自分は屈辱を味あわされた。
 それどころか……ボリスや、小屋の外から様子を窺っていたバルトロメイたちにも見られていたかもしれないなんて……耐えられない。
 
「……なにを思い出してるのか知らんが、嫌な思い出はとっとと忘れちまえ」
 
 明らかに様子がおかしくなった弟子に、師は手枷の開錠を行いながら、淡々と告げた。

「…………」

 
 あっという間に鍵は開き、手首が鉄の輪から解放される。
 手首には瘡蓋になりかけた傷が残っていた。
 他の場所は寝てるうちにボリスが治療してくれていたが、ここだけは手が届かなかったようだ。
 こんな傷では快感を凌駕することなどできず、男たちの前で喘いでしまった。
 今思い出しただけでも、そんな自分が許せない。

「……わっ!?」
 
 ルカーシュにいきなり後ろから羽交い絞めにされ、レネは身体を硬くする。
 レネは機敏な方だが、師の前では無力だ。
 
「……離せっ!」
 
「ほら、強がるな。背後取られるだけでビビってるじゃねえか……忘れられないなら吐きだしてしまえ。尋問したのはどんな奴らだったんだ?」

 ベルガモットの香りを含ませた長い髪が、レネの素肌にサラリと落ちて来ただけでも、ザッと肌が粟立つ。
 
「——ヒルスキー人だった……」

「はっ、笑えるな。むかし俺を拷問したのもヒルスキー人だ」
 
 ククッと皮肉気な笑い声が聴こえた。

「えっ!?」
 
 それは、ルカーシュの背中に傷を付けた相手のことなのだろうか?
 十数年前までオゼロとヒルスキーは国境を巡って争いを起こしていたので、その可能性は高い。

「知ってるか? 同じスルンセ教でも、あいつらの宗派は男色が禁止なんだぜ?」
 
 言われてみれば……レネに手を出すことをまとめ役の男が咎めていたような気がする。

「……最悪だっ……変態野郎どもがっ!!」
 
 それなのに……あんな屈辱を受けたことに、再び怒りがこみ上げてきた。
 もう少しバルトロメイたちが来るのが遅かったなら、もしかしたら犯されていたかもしれない。

「まあ覚えておけ。精神的ダメージがデカいから、性的虐待は拷問の手口でよく使う。指を切られたりしなかっただけでもよかったじゃねえか」

「……まあ……ね……」
 
 指の一本でも落されていたら……癒しの力でも元に戻せないし、今のように剣を扱うことはできない。
 
「そのツラだから五体満足で戻ってこれたんだ。お前がヤンみたいにむさい男だったら、すぐにボリスが癒し手だとバレて、お前は殺され、ボリスは今頃連れ去られていたかもしれない。お前がいい囮になったから、時間稼ぎになったんだろ。得したじゃねえか」

 確かにルカーシュの言う通りだ。
 それは理解している。

「納得いってない顔だな。そう簡単に忘れられないか……」 

 フッといきなり耳の後ろに息を吹きかけられる。
 
「おいっ……やめろっ!!」
 
 ソゾンから受けた辱めを思い出し、レネはルカーシュの腕の中で暴れる。

 ルカーシュがそういう風に接したことはこれまで一度もない。
 今だって、耳に息を吹きかけただけだ。
 だが、それだけで取り乱してしまうほど、レネは男たちの感触を消し去ることができないでいた。

「いちいちこんなんで動じてちゃあ、護衛なんてやってらんねえぞ? 忘れられないなら、塗り替えろ」
 
 ようやく身体を解放され、レネは一気に脱力する。

「……どうやって……」
 
 屈辱の色を、今度は何で塗り直せと言うのだ。

「そのくらい自分で考えろ。俺は忙しいんだ」
 
 そう言って自分の言いたいことだけさっさと伝えると、ルカーシュは部屋を出て行った。
 やはりどこかに出かけるようだ。


「なんだってんだよ……」

 消化不良のままレネは一人残され、ぼやいてみるが、ルカーシュはいつもこんな感じで、簡単に欲しい答えをくれるような人間ではない。

 チェストから適当にヘンリーネックのシャツを引っ張り出し頭から被ると、上半身裸の状態からやっと解放され、安堵の吐息が漏れた。
 洗濯したてのシャツの香りは、精神をも落ち着ける。

 まだ頭の中が問題でゴチャゴチャしていたが、すぐには答えをだせそうにないものばかりだ。

「とりあえず寝よ……」

 本当は、風呂に入っておきたかったが、色々あって疲れていたのでこれ以上動きたくなかった。
 夕食まではまだ時間があるので暫く休もうと、ブランケットをバスケットの中から取り出し、長椅子の上にごろんと転がった。



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