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3章 バルナバーシュの決断
11 ついつい魔が差して
しおりを挟む◆◆◆◆◆
聖杯を餌にして連中をおびき寄せていたが、やはりあれからベニートという男は、骨董品店を訪ねて来ることはなかった。
それ以来ドプラヴセの活動も行き詰っていた。
こうなったら視点を変えて、『復活の灯火』が探している青年の方に目を移した方がいい。
これについては、手元に大きな手掛かりが転がっていた。
最初はルカを通して訊きだした方がいいかと思っていたが、上手い具合に話をはぐらかされそうだし、例えこちらの知りたいことがあったとしても、絶対口を割らないのが目に見えている。
だったら気にくわないが、あの男の元へ直接訊きに行くしかない。
レネと最初に顔を合わせた時は、ルカの弟子としか知らされていなかった。
しかし後で気になって調べてみたら、レネはバルナバーシュの養子だということが判明し、流石のドプラヴセも驚きを隠せなかった。
ルカの弟子だったら、そのまま『山猫』に引きずり込んでやろうと思ったが、あの男が噛んでいるのなら事情が変わってくる。
バルナバーシュが自らの養子にし、弟子などとりそうにもないルカが剣を教える。この二つだけでも凄いことなのに、それに加え……極上の美青年ときた。
これだけ条件が揃っているのに、わけありでないわけがない。
このまま行けば、レネはリーパ護衛団の次期団長だ。
リーパは一応傭兵団という扱いになっている。
だが実際、その戦力は騎士団の中隊くらいはある。
それにもし、今でも英雄視されているバルナバーシュが声をかけたら、大隊くらいの戦力を集める力はあるのでないか。
そして先代であるオレクは軍馬を育てる牧場を経営している。
現在この二つの組織は、王国のために欠かせない役割を担っている。
だが、自力で人・馬を調達できる組織に、謀反を起こされたら国としても脅威でしかない。
ルカとダニエラはそれぞれ、バルナバーシュとオレクの右腕だ。
その二人を王直属の『山猫』で活動させているのは、人質の役割も果たしている。
王国の内部に深く関わらせることにより、抜け出せない足枷を付け、おかしな動きをしないように監視しているのだ。
リーパ護衛団は一歩間違えれば危険な組織なりかねない。
そんな組織の次の長に、得体の知れない人物を就けさせるわけにはいかないだろう。
今回の件がなかったにせよ、ドプラヴセはレネの素性をバルナバーシュに一度確かめておく必要があった。
訪問する予定をルカを通して知らせてあったので、夜でもすんなりと裏門から入ることができた。
厩舎を越えて歩いて行き、生垣の奥から初めて訪れる団長の私邸を見上げる。
重厚な煉瓦造りの建物の中に、バルナバーシュだけではなく、ルカやレネも暮らしているのかと想像してみるが、いまいちピンと来ない。
(ここの二階に、美青年二人と一緒に暮らしてる独り身のおっさんなんて、ただの変態じゃねえかよ……)
ドプラヴセもまたバルナバーシュの親友と同じ感想を抱いていた。
いま見上げているのは、厩舎に面した壁だ。
ちょうど真上の窓から部屋の灯りが漏れており、あそこは誰の部屋なのだろうかと好奇心が頭を擡げるが、今は大切な用事で来ているので、ちゃんと言われた通りに私邸の玄関から入る。
中に居た赤毛の団員に要件を伝えると、二階の突き当りが団長の部屋だと伝えられ、ホールから階段を上った。
二階に辿り着くと、正面に真っすぐ伸びる廊下と、左右に伸びる廊下があり、その左側の廊下に面した扉がガチャリと開く。
ちょうどさっき灯りがついていた部屋だ。
「——ヤナ……?」
その姿を目にしたドプラヴセは、ここになにをしに来たのかも忘れ、顔を覗かせた人物を押し戻す形で、自分も一緒にその部屋へと身を滑り込ませた。
「なっ……!?」
混乱する相手を他所に、ドプラヴセは逃げ道を塞ぐように扉を背にすると、内側から鍵を掛けた。
「——よお……猫ちゃん、久しぶりだな。どうした、そんな隙だらけで。家の中だからって油断してたか?」
◆◆◆◆◆
熱をだして、バルトロメイによってハヴェルの家へと運ばれて、本人と少し話したところまでは覚えているが、気が付いたらいつの間にか自分の部屋にいた。
後でボリスから聞いた話によると、ルカーシュが迎えに行ってハヴェルの家の馬車に乗り、一緒に帰って来たらしい。そしてボリスが馬車から部屋に運んでくれたようだ。
子供の頃はよくこうして風邪を拗らせることがあったが、大人になってから何日も寝込むなんて初めてかもしれない。
風邪の症状は治まってきたが、熱ですっかり体力を奪われまだ仕事に復帰するまでには至っていない。
いつもは『気合が入ってないからだ!』などと言って、説教を垂れる養父が、今回はなにも言わずに『ゆっくり休め』などと優しい言葉をかけて来たのが、レネには逆に恐ろしい。
昨日まではボリスが付きっ切りで看病してくれていたが、今日は泊まりの仕事でいないので、ヤナが食事を運んだりと世話をしてくれていた。
ずっと食欲がなかったのだが、甘酸っぱいものが食べたくなり、ヤナの作ったリンゴのコンポートが厨房にあるはずなので、自分で取りに行こうと部屋の扉に手を掛けたら外に人の気配がする。
(もしかしてヤナかな? だったら丁度いいや)
「——ヤナ……?」
まだ本調子ではないレネは、それが誰のものとまで判別せぬまま、不用意に扉を開けた。
「なっ……!?」
突然部屋に滑り込んできた侵入者は、逃げ道を塞ぐように扉を背にすると、内側から鍵を掛けた。
「——よお……猫ちゃん、久しぶりだな。どうした、そんな隙だらけで。家の中だからって油断してたか?」
一見冴えない風貌をしているが、沼のような底の見えない灰色の目を見ると、この男が只者ではないことがわかる。
「……ドプラヴセ……どうして……ここに?」
後ずさりしながら、レネは目の前に立つ男へ問いかける。
急に自分が下着だけ身に着けた無防備な格好をしているのが不安になり、せめてガウンでも羽織っておけばよかったと後悔する。
「パパにお前のことを詳しく訊きに来たんだよ」
ドプラヴセはレネの方へと距離を縮めながら、意味のわからないこと言っている。
「……オレのこと……?」
(どうして……?)
「なんでお前はバルナバーシュの養子になった? この身体で誑し込んだのか?」
襟ぐりの広い肌着の左肩を落とされあっという間に胸を露わにされても、言葉に気をとられてされるがままになっている。
「は?」
気が付けば、外気に晒された胸の飾りをなぞるように指でくりくりと弄られていたので、レネはその手を渾身の力でバチンと叩いた。
「……いてえじゃねえか……おイタはいけねえな」
「……ぐっ……」
反撃したつもりが、あっという間に絨毯の上に引き倒され、身体の自由を奪われる。
一見強そうには見えないが、この男、剣の腕は確かだ。
それにレネは数日間寝こみ、やっと部屋の外に歩いて行けるようになったばかりで体調も万全ではない。
「どうした、手ごたえがねえぞ? 具合でも悪いのか?」
ドプラヴセはレネの上に馬乗りになり、手首を一纏めにされ上半身を捻った形で床に縫い付けられる。
たったこれだけのことなのになにも抵抗できない自分に歯噛みする。
「——クソが……」
身体を捻ったまま上を見上げ、逆光で翳った男の顔を睨み返した。
「いい顔するじゃねえか。……俺はな、狙ってた得物を逃がしてからずっと欲求不満なんだよ。ちょっと付き合えよ」
口元に酷薄な笑みを浮かべると、体力が落ちちょっと動いただけでも激しく上下する胸に、ドプラヴセがむしゃぶりつく。
「……やめろっ……!!」
その生温かい感触に、レネは耐え切れず、大声をだしてがむしゃらに暴れ出す。
「おいおい、大声だすと襲われてるのが皆にバレるぞ? リーパの跡取りがこんな簡単に男に組み敷かれてるとこなんて見られたら、大問題じゃねえか?」
すっかり忘れていたが、この男は人の弱みに付け込むのが得意だ。
以前もレネはいいように弄ばれて、精神をすり減らした過去がある。
「…………」
「分かればいいんだよ。俺も時間がねえからな、ちょっと質問に答えて、可愛い鳴き声を聞かせてくれるだけでいいんだよ」
顎をとられ……くちゃり耳の中に舌を入れられる。
空いている片手は再び左の胸の飾りへと移動し、摘まみ上げられ指の腹で潰される。
「……ぅっ……くっ……」
悍ましい感覚に、身体中の肌が粟立つ。
暫くレネが耐える姿を楽しむと、ドプラヴセは耳元で囁いた。
ボソボソと声を上げられるだけでも、レネの身体はその刺激に耐えられずビクビクと震える。
「なあ……元々お前とバルナバーシュはどういう繋がりが——」
言葉の途中で、ドプラヴセの背後にある鍵を掛けていたはずの扉が急に開いた。
「あ……」
レネはただ目を見開き、固まった。
「——ドプラヴセ。貴方、こんな所でなにをしているんです?」
突然現れたルカーシュが、一瞬の動作で剣を抜きドプラヴセの首筋に刃を当てる。
相変わらずこの男は、音もたてず動くので、相手に気付かれずにこうして背後をとることができる。
レネはその隙に立ち上がり、ドプラヴセから身体を離した。
「なんだよルカちゃん、上司に向かっておっかないな……うぉっ!?」
首筋に当てた刃を食い込ませたわけでも、脅しの言葉を吐いたわけでもないのだが、ドプラヴセの冗談めかした言葉が、瞬時になりを潜める。
ルカを取り巻く空気の色が変わった。
壮絶な殺気に、ドプラヴセは降参するように両手を上げ、隣で見ていただけのレネまでもが、腰を抜かし再びズルズルと床に座り込んだ。
こんなに殺意を露わにしたルカを見るのはこれが初めてだ。
青に茶の滲んだ瞳がまるで鉱石の様に冷たい輝きを増す。
(なに……これ……)
ルカは人を斬る時に、決して心を動かさない。
いつもは、相手に悲鳴を上げさせることもなく、あまりにも簡単にバサバサと人を斬っていくので、まるで芝居の太刀回りでも見ているかのように現実感がない。
だが今は、ドプラヴセの首筋に当てられたギラギラと光る刀身のように禍々しい空気を纏い……どこか人間離れした雰囲気さえある。
弟子でありながらも……初めて見る師の姿に、レネは恐怖を感じていた。
「貴方は、こっちです」
首根っこを引っ張りレネの部屋からドプラヴセを退出させる時、一瞬ルカーシュがレネに目をやり、早くその情けないさまをなんとかしろとばかりに顎をしゃくる。
ルカーシュがドプラヴセを連れて出て行った後も暫く茫然と床に座り込んでいたが、レネは気を取り直すと、乱れたままになっている服装を直してのろのろと立ち上がった。
(やばい……)
バルトロメイとの決闘の時に初めて二本の剣を使うことをルカーシュから許され、勝利を手にして、レネは自分が成長できたと思っていた。
自分がなりたい本当の目標は、養父であるバルナバーシュであって、師であるルカーシュは通過点でしかないと考えていた。
それなのに、通過点であるはずの背中が一気に目の前から離れ、見えなくなってしまう。
今まで自分は、師のなにを見ていたのだろうか。
高慢な鼻をへし折られたような気分になり、レネは自己嫌悪に陥った。
そして、師の心をそこまで動かしたドプラヴセに嫉妬する。
まだ未熟なレネは自分のことに精一杯で、ルカーシュが弟子を守るために……ここまで神経質になっていたという事実に、気付く余裕さえない。
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