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3章 バルナバーシュの決断
7 浮気性の愛人
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「イジー……なんで急に引っ越ししなきゃいけないんだ?」
ミロシュは移動中の馬車の中で不満を漏らす。
ヘブルコ伯爵はメストに大きな屋敷を持っており、金にも困っていない。
ミロシュ自身も高級住宅街にある別邸へ住んでおり、なに不自由ない愛人生活を送っていた。
それなのになぜその家を離れ、大通りを南に下った家へ移らなければいけないのだろうか?
「ミロシュ様、新しい住処はお屋敷通りから少し東へ入った場所にあります。閑静な住宅街で、芸術家や文化人が多く住んでいる地区です」
伯爵がミロシュの身の回りの世話をするようにと三十代後半の付き人の男を一人供に付けただけだ。
イジーは色々と気が利く男で不満はないのだが、伯爵はあんなにミロシュのことを『大切だ』と言っていたのに、扱いが雑ではないか? と思わずにはいられない。
「旦那様は、もう私のことなどどうでもいいのだろう……」
「なにをおっしゃいますか、リーパの護衛を四人も付けて破格の待遇ですよ? 今回はリーパの中でも精鋭の護衛たちを雇っていると聞きました。どれだけ旦那様がミロシュ様のことを心配なさっているか……」
「……そうなのか?」
そっちの世界に疎いミロシュには、どれだけ今回の移動に金がかかっているかなどわからない。
そう言われると、大掛かりなことをしてもらっているような気になってきた。
確か新居に着いても、今夜は夜通しで見張りが付くことになるとイジーも言っていた。
やはり伯爵は自分のことを本気で心配してくれているのだ。
そう言えばまだ護衛の男たちの顔さえもまともに見ていない。
ミロシュたちは馬車の中で温々と座っているだけだが、護衛たちは馬に乗って冬の寒空を移動しているので、防寒のため殆ど顔は見えない。
急にどんな男たちが自分を護っているのか興味が湧いてきた。
護衛だからさぞかし屈強な男たちに違いない。
金のためとはいえ、年寄り相手にげんなりしていた所だ。
新居に着いても暫く見張りを続けると聞いている。
伯爵の目もないし、好みの若い男がいたら誘惑してみるのもいいかもしれない。
今までも、そうやって家を出入りする男たちに声をかけ関係を持とうとしたことはあるが、あと一歩という所で伯爵から見つかり失敗してきた(勿論すべて相手が襲ってきたと嘘をついている)。
(——これはチャンスかもしれない……)
ミロシュは取り出した手鏡に映った自分の顔を見つめる。
灰色の髪に緑がかったヘーゼルの瞳、整った顔立ちは二十三になっても決して男臭さを感じさせない。
ミロシュは自分の容姿に自信を持っていた。
女にはあまり人気はないが、そういう趣味を持った男にはやたらとモテた。
伯爵とも知人の紹介で知り合い、すっかり気に入られこうして愛人としての関係を続けている。
別に男に抱かれるのが特別好きなわけではない。
ただミロシュは自分の好みの男たちにチヤホヤされたいのだ。
同性を抱く趣味がなくとも、ミロシュの手にかかれば大抵の男が優しくしてくれる。
「ここか……」
馬車が停まり、新しい住まいに着いたが、思っていたほど悪くはない。
イジーが言っていたように、並木通りになった閑静な住宅街で、周囲にはお洒落なカフェや画材店、楽器店がひっそりと民家に紛れて店を構えていた。
(いいかも……)
新しい新居となるピンク色の建物は、以前はヴィコレニット商会の代表が住んでいた家で、趣味の良い家具で統一されていた。
屋敷というほど大きくはないが、ミロシュが住むには少し広ようにも思われる。
「お待ちしておりました、ミロシュ様」
既に、家の中には新しい使用人が手配されており、出迎えを受けた。
イジーの言うように、自分は伯爵から愛人としては破格の待遇を受けているのを実感する。
世話をするのはイジーだけと思い、悲観していた自分が馬鹿みたいだ。
案内された部屋にある天蓋付きのベッドで寛いでいたがすぐに飽きてしまい、ミロシュはまだ紹介されていない護衛たちのことが気になってきた。
(どういう男たちなんだろう?)
「ミロシュ様っ!? どこへ行かれるんです? お疲れになったでしょうから、夕食はお部屋にお持ちしますよ」
急に立ち上がり部屋を出て行こうとする主人に、心配したイジーが声をかける。
「別にどこも行かないって」
ミロシュは廊下で見張りをしている護衛の顔を見てみようと入り口の扉を開ける。
「——あれ? 出かけるんですか? 食事は部屋でって聞いてますけど?」
廊下の壁にに凭れ掛かっていた男が顔だけこちらを向ける。
「っ!?」
心臓が止まるかと思った。
長身に、ミロシュとは色味の違うヘーゼルの瞳を持った青年は、予想外の美男だった。
全ての造作が男らしく整っていて、野性味のある眼光は鋭いのだが、笑みを浮かべた口元はへらっとしていて親しみやすそうだ。
「いや、ちょっとどんな人が護衛してるのかなって思ってさ」
上目遣いに青年の顔を覗き込む。
「あーそういうことですか。護衛を担当するバルトロメイですよろしくお願いします」
「私はミロシュ、短い間だけどよろしく。今夜は徹夜で見張りなんでしょ。大変だね」
普段は自分から自己紹介などしないのだが、こんないい男が相手のなると話が変わってくる。
「まあ仕事なんで。それに四人いるんで短い時間で交代しますし」
一応敬語をなのだが、喋り方は軽い。
年も近そうだし親近感を覚える。
「へえ、移動の時はぜんぜん顔が見えなかったから、どんな人たちかと思って。次の人といつ交代なの?」
「今、他の奴らは早めの飯に行ってるんで、それが終わり次第ですかねー」
(これは一気に楽しくなってきたぞ)
こんないい男が護衛にいるとは思ってもいなかったので、目の前がバラ色に染まる。
◆◆◆◆◆
護衛現場の近から少し離れた大衆食堂で、バルトロメイとカレルは遅めの夕食を摂っていた。
この店は先に休憩をとっていたアルビーンが安くて美味しかったからと教えてくれたものだが、たぶんここを探し当てたのは、彼と一緒に休憩へ行っていたゼラだろうと予測する。
あの男は休みの日には色々な店を食べ歩いていると言っていた。
「旨いな、ここの飯」
特性のタレに漬け込んで焼いた羊肉の串焼きが乗ったピラフを、カレルががつがつと搔き込む。
「ゼラの行きつけの店なんじゃないか?」
バルトロメイは蒸したクスクスの上にスパイスの効いた羊のトマト煮をかけたものを食べているが、これも肉が柔らかくなるまで煮込んであり旨かった。
「メニューもポースト料理が多いし、客と店員も南国人が多いもんな」
ゼラと同じような黒い肌や褐色の肌を持つ者たちが店の中には溢れていた。
団員たちはゼラの料理を食べつけているせいか、スパイスの効いた南国料理に嵌る者が多い。
現にバルトロメイもその一人で、ここは魚料理もあるし……今度レネを誘ったら喜ぶだろうと、頭の中で妄想する。
「ロランドも南国料理好きなんだよな……家も近いし、今度誘ってみるかな。でももう知ってるかもな~~」
串焼きを頬張りながら、カレルがバルトロメイの苦手な人物の名前を口にする。
「ここから近いのか?」
そういえば、前の飲み会の時も、こっち方面に家があるみたいなことを言っていた。
「ん? 護衛現場と同じ通りで、もう少し手前の大通りとの交差点の近く」
「は……?」
あの通りは閑静な住宅街で、昔からある高級住宅街よりは堅苦しくなく、芸術家や貴族の子弟などが好んで住んでいる通りだ。とてもじゃないが一般市民の住むような所ではない。
「あいつは指名が多いからリーパの中でも高給取りだし、金持ちのパトロンが沢山いるからな」
(……なるほど……そういうことか……)
あの優男は、上手いことやりながら贅沢な暮らしをしているようだ。
「ヒモになってりゃいくらでも楽な暮らしができるだろうに、なんでわざわざ護衛なんかやってるんだ?」
「まあ、あいつにも色々事情があるんじゃねえのか」
このように、カレルはあまり細かいことを気にする性格じゃないので、あんな男ともうまく付き合えるのだろう。
「そういや今回の護衛対象とちょっと顔合わせたんだけどさ、グイグイ来る人だから気を付けろよ」
食後に頼んだミントティーを飲みながら、言っておかねばと思ったことを思い出し、カレルへと伝える。
バルトロメイは先ほど護衛対象のミロシュと少し話す機会があったが、一発で厄介な相手だと見抜いた。
「は? お前と違って野郎には興味がねえから大丈夫だって」
「そんなの知ってる。こっちにそんなつもりがなくても伯爵に疑われたら厄介だからな。できるだけ護衛対象には近付かない方がいい」
今回の護衛の注意事項として、伯爵は団員が自分の愛人に手をださないかとしきりに心配しているとあった。
しかしバルトロメイから見たら、原因の多くは愛人である護衛対象の方にもあるように思えた。
「今回狙われるのも、もしかしたら護衛対象の方にも一因があるかもしんねえのか……」
カレルが眉を寄せながらバルトロメイを見た。
「その可能性もあるな」
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