菩提樹の猫

無一物

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3章 バルナバーシュの決断

3 騙し合い

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◆◆◆◆◆


 歓楽街の奥にある古びた建物の二階で、ドプラヴセはダニエラの報告を受けていた。

「王立大学で古代王朝の研究をしていると言っていたが、ベニートという男は在籍してなかった」

「やっぱり嘘の経歴か。ますます怪しいな」

 いつも寝そべっているソファーから起き上がると、ボリボリと頭を掻いた。
 きのう久しぶりに髭と眉を整えたので、ドプラヴセの顔はいくらか顔がすっきりして見える。

「あの後ヤーヒムが跡を付けたけど、下町通りで撒かれたそうだ」

 自分も椅子に座るとダニエラは、例の杯に異様な食いつきを見せた太った男について話を続ける。

「ちっ……ヘマしやがって」

 イマイチ使えない下っ端の男の顔を思い出し、ドプラヴセは舌打ちした。
 
 今ごろあちらも血眼になってこちらの身元を洗っているだろうが、探られてもなに一つ痛い所はない。
 昨夜、ドプラヴセが化けていたアンブロッシュは実在の人物で、お屋敷通りから少し入った高級店の並ぶ店に実際に骨董品店を構えていた。
 去年脱税で捕まり国が店を差し押さえた店を、ドプラヴセが隠れ蓑として利用しているのだ。
 今も普通に従業員を雇って店の営業を行っている。
 あのベニートがいつ訪ねてきてくれても構わないのだが、結局彼は姿を現さなかった。
 
「もう警戒して姿を現さないかもな」

 フンと鼻を鳴らすダニエラの顔にも、悔しさが滲んで見える。

 
「だけど、昨日は傑作だったな。まさかあんな所でリーパの団長に会うなんて思わなかったぜ」

 バルナバーシュの友人であるヴィコレニット商会代表のハヴェルが、女装をしたダニエラに惚れているのには気付いていた。
 彼は若い頃バルナバーシュと女遊びに明け暮れてたようだが、そんな男が普段は男装で化粧っ気もない男勝りのダニエラに興味をひかれるとは……少し意外だった。

「あれから、バルは『あんな女やめとけ』ってお友達に必死に説得しただろうな」

 ダニエラが昨夜の出来事を思い出したかのように、クスクスと笑った。

「俺たちのことに気付くまで一瞬間があったよな。あの気付いた時の間抜けな顔!」

 ドプラヴセは思い出しただけでも笑いがこみ上げてくる。

「それだけ私の女装が完璧だったってことだろ?」

 得意そうに青い目をドプラヴセに向ける。

(コイツが女じゃなかったらな……)

 顔と性格も好みなので惜しいと思うことはあるが、だから惑わされることもなく、仕事仲間としては持ってこいなのかもしれない。
 

◆◆◆◆◆


「おい……お前知ってただろ?」

「なんのことだよ?」

 サロンから帰って来ると、バルナバーシュはルカーシュの部屋へと直行した。
 クローブ煙草を吸いながら武器の手入れに余念がない部屋の主は、自分のテリトリーというのもあるのだろうか、いつもよりは男っぽく見える。

「ヴェロニカの正体だよっ!」

 バルナバーシュが向かい側の空いた椅子に座ると、ルカーシュはやっとのことで作業の手をとめ視線を上げた。

「ハヴェルさん好みの美女だったろ?」

「クソっ!! あいつどこであんな女装を覚えたんだ!!」
 
 バルナバーシュはダニエラのことを子供の頃から知っている。
 ずっと男装だった女がいきなり女装をしても、違和感しか感じないはずなのに、昨夜のダニエラはえらく板についていた。

「『山猫』に摘発されて爵位を失う貴族がいるだろ? 当然その使用人たちも職を失うわけだ。そんな中から元貴婦人付の女中を雇って、ダニエラの服装や化粧を整え、礼儀作法を身に着けさせれば、金持ち商人の秘書なんて簡単に作り出せるんだよ。普段が男装だから正体も見破られにくい」

「あの女はやめておけと、説得するこっちの身にもなって見ろよ……」

 あのまま自分が説得せずとも、ダニエラから袖にされてハヴェルの恋は砕け散っていただろうけど、友人にはできるだけ傷付いてほしくなかった。
 年齢を重ねてからの失恋は傷も深くなる。
 だから立ち直るのにも時間がかかるのだ。
 十数年間も前に踏み出すことができなかったバルナバーシュだから、その痛みもわかるのだ。

「でもハヴェルさんまで騙せたってことは、それだけ完成度が高かったと言うわけだな」

 ルカーシュは満足した顔でニヤリと嗤った。

「今度からは俺にだけでも先に知らせろよ」

 例え相手がバルナバーシュであっても、国王直属の捜査機関なので余計な情報を漏らせないのは理解している。
 だが、それくらいは教えてくれたっていいはずだ。


「……じゃあ、それとは別にあんたには知らせておくよ」

 少し間を置いて、ルカーシュが改まった顔をしてバルナバーシュを見つめる。
 
「これはゾリからの個人的な忠告だけどな、ドプラヴセは『復活の灯火』が、灰色の髪と黄緑色の瞳の青年を探していることを知っている。近々俺はドプラヴセから呼び出しを受けて、レネについて訊かれるだろう」

「……面倒なことになってきたな……」

『山猫』が『復活の灯火』を追っかけはじめた時からいつかこうなるだろうと、危惧はしていたが、思ったよりも辿り着くのが早かったようだ。

「もしそうなったら、俺の所に直接あいつを連れて来い」
 
「あいつに話すのか?」

「——まだわからん」
 
 日記の内容が本物だったら、『復活の灯火』はドロステア、レロ、セキアの三王国を脅かす存在になる。

 ドプラヴセにどこまで話すか、バルナバーシュが判断を間違えれば『山猫』を敵に回し、レネは闇に消されてしまうかもしれない。

 バルナバーシュは大きな決断を迫られていた。
 

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