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3章 バルナバーシュの決断
2 女流作家のサロンで
しおりを挟む◆◆◆◆◆
バルナバーシュは、ハヴェルの頼みで、元恋人の開くサロンに足を運ぶ羽目になってしまった。
ルカーシュからなにか企でいる表情で『楽しんできて下さいね』と送り出されたが、あんな顔をしている時は碌なことが起きないので、嫌な予感しかしなかった。
「バルナバーシュ卿、やっと来てくれたのね。ハヴェルさん、私の願いを聞いてくれてありがとう」
極上の笑みを浮かべながら、バビツカー夫人はバルナバーシュとハヴェルを迎える。
「私はこんなにおばさんになったのに相変わらずのいい男で悔しいわ」
そう言いながらも、自分より一つ二つ年が上だったはずの元恋人は、少なくとも十は若く見える。
昔のような弾ける若さはなくなったが、落ち着いた大人の女になりじゅうぶん魅力的だ。
「久しぶりだな。元気そうで安心したよ」
頬にキスをしながらも、既婚者の女性に相応しい挨拶でとどめておく。
周りの客たちも、自分たちの昔の関係を知る者たちがチラチラと視線を寄越しているので、変な憶測を持たれてはいけない。
「あら、ヤルミル卿がお見えになったわ、お二人とも楽しんでちょうだいね。また後で」
バビツカー夫人も馬鹿な女ではない。
バルナバーシュの態度を正確に読み取り、当たり障りのない返事をして次の客を出迎えに行った。
「まだ未練たらたらだよな。会う度にお前のこと訊いてくるんだぜ」
ハヴェルが悪い顔をしてニヤリと笑い、バルナバーシュの背中を小突く。
「いらんこと言うな」
この話は蒸し返してほしくない。
相手は既婚者だし、自分にだって恋人がいるのだ。
「それよりも、お前が言っていた貿易商はここに居るのか?」
わざわざ自分がこんな場所に足を延ばしたのも、ハヴェルの惚れた相手を見極めるためだ。
そのヴェロニカという秘書を同伴している貿易商を探し出さないといけない。
「さっきバビツカー夫人に訊けばよかったな」
そう言いながら飲み物を受け取り、会場になっている屋敷の広間へと入って行く。
もう既にたくさんの人が集っており、招待客はそれぞれ好きな場所に座って他の客と歓談していた。
バルナバーシュは武人ということもあって、こういう場が得意ではない。
大戦から帰って来た頃はしょっちゅうこの手の会に呼び出され、慣れない時間を過ごしていたが、それが今の顧客にも繋がっており決して無駄ではなかった。
(女遊びという目的があった時は、苦にも感じなかったのにな……)
決して褒められたことではないが不思議なものだ。
「こんばんはハヴェルさん」
広間ともう一つ、客のために解放してある遊戯室に入ると、そこのボックス席に座っていた男が声をかけてきた。
「これはこれは、アンブロッシュさん、それにヴェロニカさん。またお会いしましたね」
さすが商売人と拍手したくなる笑顔で、ハヴェルは二人に挨拶する。
「こちらは、友人のバルナバーシュ、以前話したと思うが貿易会社を営むアンブロッシュさんとその秘書のヴェロニカさんだ」
紹介された男は、決して美男ではないのだがキリっと清潔感のある男前で、年は四十手前といったところか。ブルネットに青い目をした美女を従えている。
一般市民が一生働いても稼げない金額を女遊びに費やした男が、中途半端な美女で満足するはずはない。
思っていた通り、ヴェロニカは少し気が強そうだが、たいそう美しい女だった——が……。
(なんだこりゃ……!?)
バルナバーシュは混乱する。
「まさか、こんな所でお会いするなんて!? バルナバーシュ卿お久しぶりです」
大袈裟に驚いた顔をして、アンブロッシュがバルナバーシュに手を差し出す。
「どういうことです?」
ハヴェルが目をぱちくりさせながら骨董商に訊いた。
(俺が訊きてぇくらいだよ!!)
友人の驚く顔を見て、バルナバーシュは心の中で叫ぶ。
「実はな、アンブロッシュさんはうちのお得意様なんだよ」
バルナバーシュは仕方なく差し出された手をとり握手するが、アンブロッシュの手を痛いくらいにギュッと握り返す。
「そうなんです。商品を運ぶ際はいつもお世話になってます」
結構痛いはずだが、それを全く顔にださずアンブロッシュは爽やかな笑顔で返す。
「——嘘だろ? 凄い偶然じゃないか。私はこの男とはガキの頃からの友人でして、要するに腐れ縁なんですけどね。紹介しようと思っていたのに、既に面識があったんですね」
なにも知らないハヴェルはこの繋がりを利用しようと話題に食いつくき、ちゃっかりとヴェロニカと向かいの席に腰掛けた。
(はあ……面倒くせぇことになってきたぞ……)
柄にもなくワインを飲みながら、バルナバーシュは溜息を吐いた。
「へえ……じゃあ、その杯は古代王朝ゆかりの品なんですね」
先ほどからアンブロッシュが最近仕入れたという杯の話題で、バルナバーシュの座るボックス席は盛り上がっていた。
いつも間にか骨董品集めが趣味のベニートという太った中年男が、話の輪に加わってきている。
「どうもそうらしいんですよ。純金でできていて、五つの神を表しているといわれる五芒星が付いているんです」
「おおっ!! それはスタロヴェーキ王朝の裏家紋じゃないですか」
「裏家紋までご存じとは、ベニートさんもお詳しいですね」
「いえいえ、ただの聞きかじりですよ」
ヴェロニカが口元を扇で隠しながら褒める。
ベニートは美女に褒められ、満更でもないという顔をしながらも謙遜する。
「金の杯か……陶器だったら私の専門分野なんですけどね……」
少しでもヴェロニカに褒めてもらいたいのだろう、悔しそうに言い訳じみたことを言う親友の姿が、傍から見ていて非常に哀れだ。
恋する乙女は美しいのに、恋するおっさんはどうしてこんなに惨めに見えるのだろうか……。
間違いなくこの恋が敵わないと知っているだけに、バルナバーシュは友に対して憐憫の情が湧いてくる。
一人物思いに耽っていたら話が進んでおり、ベニートがアンブロッシュの持っているその金の杯とやらを見に行く打ち合わせをしていた。
スタロヴェーキ王朝という名前を聞いただけで怪しい匂いがぷんぷんするのに、この二人が絡んでるなら間違いなく碌なことではないはずだ。
「まさか、アンブロッシュさんがお前のとこの顧客だったなんてな……」
「俺もまさかこんなところで会うとは思わなかった……」
アンブロッシュたちと別れると人気のない廊下に出て、休憩用の椅子に座りながら、二人は顔を見合わせる。
「で、ヴェロニカさんはどうだ? 利発な女性だろ?」
まるで自分のことでも自慢をするかのようにハヴェルが言うので、バルナバーシュは余計に胸が痛む。
「悪いことは言わない。あの女はやめておけ」
心を鬼にして、親友に忠告する。
「……えっ!? どうしてだ?」
ハヴェルはただ驚くばかりで、琥珀色の目を見開いている。
バルナバーシュとて、親友にこんな顔をさせたいわけじゃないのだ。
本当は恋が成就するために手助けしてやりたいのだが、なんせ今回は相手が悪い。
「あのアンブロッシュという男は怪しい奴で、今はこうやって表の世界に出て来てるが、すぐに姿を眩ます。ヴェロニカも同じだ。あまり近付かない方がいい」
「詐欺師なのか?」
信じられないという顔をしてハヴェルがバルナバーシュの目を見つめる。
(そりゃあ、そうだよな……)
「……まあ、似たようなもんだな。お前が大事な友だから、俺は忠告するんだ」
「………」
「他にいい女なんて沢山いるぞ。ほら、気を取り直して飲み直すぞ!」
沈み込んでしまった親友の腕を引いて、バルナバーシュはまた広間へと戻ってい行った。
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