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1章 君に剣を捧ぐ
23 覚悟
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全てを奪われてしまった。
バルトロメイは、足元に横たわる美しい猛獣に目を向ける。
騎士の家系に生まれ、子供の頃から当たり前のように自分は騎士になるのだと思っていた。
祖父から叩き込まれた、『か弱き者を護る』という精神の元、剣の道に進み、テプレ・ヤロに駐屯する竜騎士団へ入団した。
だが実際の騎士団は想像していたものと違い、まだ少年のバルトロメイは先輩騎士の欲望の的になった。
そんなあり方に幻滅しながらも、剣の腕を磨いて十七という若さで叙任を受け、その後すぐに北東にあるウロとの国境の警備に就いた。
ある日、誤ってドロステア側の国境に入って来たウロ人の幼い兄弟を、上官から『殺せ』と命じられる。
どこから見てもただ迷い込んできただけの幼い子供を殺すことなどできない。
上官に抗議したが、『そういう規定だ』として意見は受け入れられず、バルトロメイは上官命令に背いたとして懲罰を受け、子供たちは他の騎士のてによって殺されてしまった。
祖父はこんな人間になるために、自分を騎士として育てたのだろうか?
『か弱き者を護る』という騎士道精神とは正反対の行いに、バルトロメイは失望して、そのまま竜騎士団を退団した。
レネと出逢い、実の父親の傭兵団に入団し、まさに『か弱き者を護る』護衛の仕事にやりがいを感じてきた時に、実家に帰ったのがいけなかった。
いや、どこかで叶わぬ恋から逃げ出したかったのかもしれない。
自分の存在が邪魔になるなどは体のいい言い訳で、本当はレネに劣情を抱いているという本性を見抜かれ、軽蔑されるのが怖かったのだ。
祖父は、バルトロメイがリーパ護衛団を辞め、騎士としての奉公先を探すと告げた時、とても嬉しそうな顔をしていた。
一緒にそれを聞いていたバーラも、シモンと手を取り合って喜んでいた。
しかしレネとの決闘でバルトロメイが負けたことにより、全てがひっくり返ってしまい、さぞかし祖父は失望しているだろう。きっとバーラも悲しんでいるに違いない。
『逃げやがって……負け犬が。お前は全部中途半端なんだよ』
レネから言われた言葉が、今もバルトロメイの胸に刺さったままだ。
本当にそうだ。
『覚悟がないくせに』と言ってレネのことを辱めておいて、逃げ出した自分は最低の人間だ。
だがレネはそんな自分を、全てを懸けて奪いに来てくれた。
そして……所有の証をこの身体に刻み付けた。
(レネ……)
バルトロメイの心は、今までに感じたこともない充実感に満たされていた。
「おい、生きてるか?」
バルコニーへと繋がる部屋の窓が開き、誰かがレネの部屋の中へと入って来る。
「なにぼさっとしてんだよ。ケツから血ィ流して。ボリスお前の仕事だぞ」
恐ろしくやる気のないボリスを従えた副団長が、バルトロメイを一瞥する。
「……ああっ、信じられない……レネがこんなこと……」
ボリスが顔を真っ青にしてワナワナと震えている。
一目見てなにがあったかわかる惨状を見て、この現実を受け入れたくないようだ。
「なんだよテメエ、逆がよかったのか?」
副団長が普段とは別人のような言葉を吐き、後ろにいるボリスを振り返る。
「……まっ……まさか」
「じゃあ、いいじゃねえか。男として一人前になったんだぞ。おいレネ、ケツ出したまま寝てるんじゃねえ、犯すぞ」
ルカーシュがパシンと尻を叩くが、レネは気を失ったまま起きない。
(これが前にレネが言っていた副団長の本性か……なかなか強烈だ……)
なにも知らなかったとはいえ、あのとき間違いが起こらなくてよかった。
心の底から安堵する。
「今のお前は、まだここが体力の限界かな」
隣でバルトロメイが尻から血を流しているというのに、師匠はどこか満足げに弟子を見つめている。
変わった男にしか見えないが、これがレネに対する愛情表現なのだろう。
「おい、どうした。怪我人を見たらいても立ってもいられなくなる奴が、なに突っ立ってんだよ治療してやれよ」
「……嫌です。レネがこの男からなにをされ、どんな気持ちで決闘に挑んだかと考えるだけでも……私は……」
レネの身体にまだ色濃く残る凌辱の痕を見てしまったボリスは動こうとせず、バルトロメイの治療を拒否した。
自分の悪行を他人が口にすると、途端やるせないものに聞こえてくる。
レネは過去にも敵から犯されそうになったことはあるにしても、仲間からこんな仕打ちを受けたのはこれが初めての経験だろう。
襲った時も、無防備でまともに抵抗もできていなかった。
相当なショックを受けてプライドがズタズタになっていたと思う。
「でもレネは自分で雪辱を果たしたぞ。それに決闘を挑んで勝つくらいピンピンしてたし未遂だったんだろ?」
青に茶の滲んだ不思議な色彩がバルトロメイに向けられる。
「ええ……まあ……」
挿入まではいかなかったが、あれは微妙な判定だ。
「なんだ歯切れが悪いな……まあいい。おいボリス、バルトロメイの治療をしろ。どんな理由があったにせよ、犯された奴を放っておくなんて、俺には無理だ」
「……嫌です」
それでもボリスは首を縦に振らない。
バルトロメイはレネ至上主義者を完全に敵に回してしまったようだ。
「ボリス、これは命令だ。——バルトロメイの治療をしろ」
背筋の寒くなるのような低い声で、ルカーシュは自分よりも大きな男に命ずる。
「……わかりました」
それでも嫌々ながらバルトロメイに近付き、首の後ろに付いた噛み痕を治療しようと山吹色の手を近付ける。
「待て……そこはレネが付けた証だ。治療しないでくれ」
この印は一生消えない傷として、身体に刻み込んでおきたかった。
「なんだと……」
ボリスの手を拒むと、緑色の光を纏った瞳が悔し気に、バルトロメイを睨む。
そこには、明らかに羨望の色があった。
(一つに絞らないからそうなるんだよ)
レネに中では、ボリスは姉の恋人という位置づけでしかない。
一瞬生まれる優越感。
だが、治療してもらう身としてこれ以上ボリスの怒りを買ったらいけないと、感情を抑えた。
屈辱的な治療が終わり、ボリスがレネの身体を清めて着替えさせている間に、ルカーシュへと向き直る。
「——副団長、今後の身の振り方について、団長とお二人にご相談したいのですが」
「そうだな……夕食後に、この奥の廊下の突き当りにある、団長の部屋を訪ねて来い」
団長の私室に呼ばれるのは初めてなので、少し緊張する。
「ありがとうございます。色々とご迷惑をお掛けしてすいませんでした」
立ち上がってバルトロメイは深く頭を下げた。
「——本当に、お前らはお騒がせな奴らだ」
呆れた顔をしながらも、この男はどこかレネとバルトロメイの関係を面白がっている節がある。
ボリスからレネの部屋を追い出されると、バルトロメイは自分の部屋へと戻る。
幸いにも一階の主な住人たちは任務のためにメストを離れているので、誰とも顔を合わせることなく自室に辿り着くと、さっき寝転んでいた半分の大きさしかないベッドに座った。
これから自分はどうあるべきか?
漆喰塗りの白い天井を見つめながら、二人の関係の最善を模索した。
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