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1章 君に剣を捧ぐ
14 温泉
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レネは解体の作業を終え、マトヴェイの母親たちが作ったご馳走を平らげ、マトヴェイと二人、町の外れにある温泉へと向かっていた。
すると、向こうから寄り添って歩いて来る男女の二人組がやって来るのが見えた。
(あれは……もしや……)
「よお! バーラたちも温泉か?」
「ええ、お風呂を焚く薪まで準備できなくって。あなたたちも?」
それぞれの風呂道具や着替えの入ったバスケットを、バルトロメイが両手に持っていた。
バルトロメイはこういった細かなところまで気が付く優しい男だ。
「ああ、大工のイリネイと待ち合わせてるんだ。それよりもお二人さん、『あの二人は結婚するのか?
?』って町中で噂になってるらしいぜ」
「え……!? なに言ってんのよっ! バルは大伯父さまが付けた護衛よ」
バーラは顔を真っ赤にして反論するが、嬉しさを隠しきれていない。
それにいつの間にかに、『バル』呼びになっている。
「でもはとこどうしなんだろ? お似合いじゃねえか?」
「もうっ、変なこと言わないでよっ!」
今度は照れ隠しにぷんぷんと怒り出してしまった。
不覚にもその姿が可愛くて、レネも頬を染める。
(オレだって可愛いと思うんだもん。こんな子に惚れられたバルトロメイもくらりとしないのかな?)
だが前に言っていた好きな子とはどうなったのだろうか?
ふと、気になってバルトロメイの方に目を向けると、バチンと音がするほどに視線がかち合ってしまった。
(なに……?)
ヘイゼル色の瞳に射抜かれて、ゾクゾクとした感覚が背中に走る。
それは以前、バルトロメイと手合わせをして興奮のあまり腰を抜かした時と同じ感覚だ。
「あれっ、バーラちゃんたちも一緒かよ」
「あっ、イリネイが来た。冷えないうちに行こうぜ行こうぜ」
待ち人が現れたことで、交錯していた二人の視線は外れた。
温泉は町の共同浴場で、テプレ・ヤロのように男湯と女湯で別れていた。
バーラとは入り口で別れる。
あそこと違うのは、下着のままではなく、みんな全裸だということだ。
「……こりゃたまげた……」
隣で身体を洗うイリネイがレネの裸を見て目を点にする。
宿の共同浴場などで知らない男から股間を凝視されることがよくある。
「オレにちんこぶら下がってんのがおかしいのかよ!」
そんなレネの言葉を聞いてマトヴェイがゲラゲラ笑う。
「本当にレネは見た目とギャップがあって面白れえな」
身体を洗い終わり、三人は石造りの湯船に浸かる。
夜光石の産地だけあって、浴室も贅沢に石が使われており、湯船の中にも埋め込まれてお湯が発光して見えた。
則ち、湯に浸かればその身体までも光に照らされる。
「……この顔にベビーピンクのちんちんだぜ? 反則だろ」
隣に座るイリネイが、夜光石に照らされたレネの身体を、いや……重力から解放されてプカプカとたゆたうレネの分身を、真剣な顔で覗き込んでいる。
「気にしてること言うんじゃねえよっ! 言っとくけど、童貞じゃねえからなっ!」
レネはこの手の話題で団員たちから散々揶揄われてきているので、耐性は付いている。
「ぎゃはははっ! 誰もそんなこと聞いてねえって。でもぜんぜん使ってるようには見えねえな」
「言ったなっ! でもあんたのよりオレのがデカいぞ!」
「なんだとっ……俺のは膨張率で勝負なんだよ!」
「……そんな低レベルな争いはやめろ……腹がよじれて笑い死にする……」
イリネイとレネの底辺の争いに、マトヴェイはひくひくと痙攣しながら止まらぬ笑いと戦っていた。
自分で制御を失った笑いほど苦しいものはない。
「助けてくれ」と周りに訴えても、笑いながら言ったって説得力がないので誰も真剣に取り合ってくれないのだ。
笑いを止めるのは、孤独な戦いだ。
「お前のことが気に入ったぜ! 中身は俺たちと変わらねえんだな」
イリネイはすっかり打ち解けたレネと肩を組んで上機嫌に語る。
「護衛だって聞いた時は吃驚したけど、こいつ矢鱈と刃物の扱いは上手いし、腕も立つみたいだし、俺たちよりか男らしいのかもな」
初対面で『人形みたい』と言ってレネを怒らせたマトヴェイも、今ではすっかり認識を改めたようだ。
「野郎ばっかりの中で育ったからな。当たり前だろ」
レネは口ではそう言いながらも、この男たちから認められなんだか嬉しかった。
「フン……その分こいつの周りは苦労するけどな」
「あっ……色男」
イリネイが声がした後ろを振り向く。
すっかり存在を忘れていたバルトロメイが、身体を洗い終わって湯の中に入って来た。
「なんだよ、苦労って」
せっかく褒められていい気分になっていたのに、水を差すようなことを言ってくる。
「お前が昨日みたいな無茶ばっかりするから、周りは大変なんだよ」
「またその話かよ……」
ここで話を蒸し返さなくてもいいのに。
せっかく忘れようとしていたことを思い出し、うんざりした気分になる
「そういやバルトロメイは、親父を支えて来た後、レネを抱えて帰ってたよな」
「抱える? オレ……一人で歩けなかったのか?」
マトヴェイは昨夜の光景を思い出しているようだが、レネはぼんやりとしか記憶に残っていない。
「低体温症になって、町に着いてからのことをこいつは覚えてなかったんだ」
「……そんな症状が出るほど酷かったのか……?」
事の深刻さに、マトヴェイの顔が曇る。
「ガタガタ震えて体温が戻らないから一晩じゅう俺が湯たんぽ代わりになってた」
「は? オレそんなの覚えてねえしっ!」
そんなの初耳だ。
部屋にはバーラもいたはずだ。
「だろうな。さいしょ俺を親父と思って『バル』って呼んでたしな」
「うそッ!?」
(超恥ずかしい!)
恥ずかし過ぎて、お湯の中に目の下まで潜ってしまう。
「なんだ、今更恥ずかしがってんのか? 人に小便の世話までさせといて」
「はっ!?」
(もうやめろ……恥ずかし過ぎて死にたい……)
「安心しろ、トイレに連れて行ってパンツ下ろして、ちゃんとできるか見守ってただけだから」
「そういう問題じゃねえっ!!」
なぜわざわざ第三者の前で言うのだ。
「記憶が曖昧になるほど危なかったってことだ」
バルトロメイは真顔で告げる。
「レネ……そこまで無理して親父を助けてくれてありがとうな」
感極まったマトヴェイから抱き締められ、頬にキスをされる。
「おいっ、髭がチクチクするって」
子供みたいな扱いに、恥ずかしくなり文句を言う。
対面に座ったバルトロメイが終始不機嫌な顔をしているのは、昨日レネが掛けた苦労を思い出しているからだろう。
「でも、バーラちゃん元気になってよかったな」
「ああ。いきなり親父さんが亡くなって天涯孤独になった時は、悲壮感が漂ってたもんな」
同じ町に住んでいた二人は、バーラの不幸な境遇をよく知っていた。
「親父さんの隊の合同葬儀を鷹騎士団でやるからって、メストに行ったのは聞いてたけど、今までどこにいたんだ?」
マトヴェイはバーラのはとこであるバルトロメイに尋ねる。
「俺も、詳しくは知らないけど、葬式に参列したうちの祖父さんが、身寄りのないバーラをそのまま自分の家に連れ帰ってたんだ。そして俺は正月たまたま実家へ帰った時に、初めてバーラに会った。で、うちの祖父さんが家を売る手続きで一度ここに戻らなきゃならないバーラに、護衛として俺を指名して付けたんだ」
「あんたの祖父さんは、あわよくば二人をくっ付けようとしてんじゃないか?」
マトヴェイもレネと同じことを思ったようだ。
「そんなの知らねえよ……」
投げやりな態度でバルトロメイは答える。
「こいつ元竜騎士なんだぜ。お前の祖父ちゃん、孫が知らぬ間に傭兵になってたから怒ってたよな」
シモンが傭兵を騎士より下に見ている態度を隠さないので、ムッとしたのを思い出す。
「それが元で、元旦から大喧嘩したしな」
面白くなさそうにバルトロメイが呟く。
(なるほど……)
だから実家に帰ったはずなのに、すぐにメストに戻って来たのか。
「じゃああれか。あんたの祖父さんは、早く所帯を持たせて落ち着かせようと思ってるんだろうな」
マトヴェイの言葉を聞いて、レネは固まる。
(祖父さんは……バルトロメイを辞めさせようとしてるのか……)
「でもさ、あんたがバーラちゃんを嫁にもらうと全て丸く収まるよな。未婚のまま祖父さんの家に居続けてもバーラちゃんは肩身の狭い思いをするんじゃねえか? 傍から見ててもあんたたち、お似合いだぞ」
イリネイがバルトロメイの肩を小突く。
「……俺はなにも聞いてねえよ……バーラには同情する。でもそれとこれは別の話だ。それにずっと実家にバーラが居たとしても、肩身の狭い思いなんてうちの家族がさせるわけがない」
(へえ……あの祖父さんそんな優しい所もあるんだ)
そう言えば先ほど、シモンがバーラを連れ帰ったと言っていた。
テサク家の人たちは、困っている人を放っておけない性質なのだろう。
「いい家族なんだな」
マトヴェイも同じことを思ったらしい。
「俺だって母が未婚で産んだ私生子だったが、祖父さんも、伯父や伯母も、他のいとこたちと分け隔てなく接してくれた」
「……そうなのか」
蓋を開けてみたら複雑な家庭事情に、言い出しっぺのイリネイもすっかり勢いを削がれてしまう。
「はいはい、外野は黙っとこうぜ。こればっかりは二人の問題だしな」
マトヴェイが話を断ち切ったことによって、話題はどうしようもない下ネタへと移った。
男同士が集まると、しょうもない話題で盛り上がるのは仕方がないこどだ。
ひとしきり罪のない下ネタでゲラゲラ笑った後、レネたちは温泉から上がり、湯冷めしないようにきっちりと防寒して脱衣所を出た。
「はぁー気持ちよかった!」
身体の芯からほこほこと温まり、頬にあたるひんやりとした冷気が逆に心地よい。
「やっぱ冬場の温泉は最高だよな」
「飲みに行くよりこっちにして正解だったな。まあ俺は一杯ひっかけて帰るから。じゃあな」
イリネイはグラスを傾ける仕草をして去って行った。
「なあ、そっちは後どれくらい掛かりそうな感じ?」
レネは温泉の入り口で、バーラを待つバルトロメイに尋ねてみる。
「バーラか?」
「いやいや、家の手続きとかだよ」
「ああ、そっちか。明日買い手が部屋を見に来るらしいが、上手く商談が成立したら、役所に書類を出して終わりだ。早ければ三日くらいでいけるんじゃないか?」
「待たせちゃってごめん」
濡髪が冷えないように紫と赤の柄のネッカチーフを頭に巻いたバーラが女湯の方から出て来た。
レネとマトヴェイに気付くと、その上から毛皮の付いたケープのフードを被る。
住み慣れた町に戻って来て、男装を解き、すっかり女の子らしい服装に戻っていた。
「いや、ぜんぜん。今出て来たところだし。湯冷めしないうちに帰ろうか」
「ええ。家に帰ったらホットワインを作るわ。じゃあレネさんたちも気を付けて、お休みなさい」
そして当たり前のようにバーラの荷物を受け取って、二人は寄り添うように帰って行った。
「……なんか、ほんとに新婚さんみたいだね……」
その様子に圧倒されて、レネは茫然とその姿を眺めていた。
せっかくマトヴェイやイリネイと仲良くなって忘れていたのに、置いてけぼりをくらったような寂しい気持ちが蘇って来る。
「元はそんな積極的な娘じゃないのにな。でも俺は気付いたぜ、バーラがそうなった理由」
そう言ってマトヴェイがニヤリと笑う。
「え、なんで?」
なにがどうしたのか、レネには全く見当がつかない。
「バーラはレネに嫉妬してんだよ」
「——は?」
はにを急に言い出すのだ、この男は。
「でもそれおかしくないか? オレ男だし、嫉妬とかする必要なくね?」
男と言う時点で、その理論は破綻していないか?
「お前は嫌がるかもしれないが、お前はそこら辺の女じゃ太刀打ちできないほどの美青年だ。そんなのが好きな男の前をうろついてたら、いい気持ちはしないだろ」
「……オレが悪いって言うのか?」
バーラに対してなにも悪いことはしていないはずだ。
それどころか、バーラを護るために囮になったり、二人の邪魔をしないようにこうして別行動までとっているというのに。
「いや、お前はぜんぜん悪くない。お前はとばっちりを食ってるだけだ。バルトロメイがどっちつかずな態度を取るから性質が悪いんだよ……おい、そんな落ち込んだ顔するなよ」
そう言うと困った様にマトヴェイは頭を掻いた。
すると、向こうから寄り添って歩いて来る男女の二人組がやって来るのが見えた。
(あれは……もしや……)
「よお! バーラたちも温泉か?」
「ええ、お風呂を焚く薪まで準備できなくって。あなたたちも?」
それぞれの風呂道具や着替えの入ったバスケットを、バルトロメイが両手に持っていた。
バルトロメイはこういった細かなところまで気が付く優しい男だ。
「ああ、大工のイリネイと待ち合わせてるんだ。それよりもお二人さん、『あの二人は結婚するのか?
?』って町中で噂になってるらしいぜ」
「え……!? なに言ってんのよっ! バルは大伯父さまが付けた護衛よ」
バーラは顔を真っ赤にして反論するが、嬉しさを隠しきれていない。
それにいつの間にかに、『バル』呼びになっている。
「でもはとこどうしなんだろ? お似合いじゃねえか?」
「もうっ、変なこと言わないでよっ!」
今度は照れ隠しにぷんぷんと怒り出してしまった。
不覚にもその姿が可愛くて、レネも頬を染める。
(オレだって可愛いと思うんだもん。こんな子に惚れられたバルトロメイもくらりとしないのかな?)
だが前に言っていた好きな子とはどうなったのだろうか?
ふと、気になってバルトロメイの方に目を向けると、バチンと音がするほどに視線がかち合ってしまった。
(なに……?)
ヘイゼル色の瞳に射抜かれて、ゾクゾクとした感覚が背中に走る。
それは以前、バルトロメイと手合わせをして興奮のあまり腰を抜かした時と同じ感覚だ。
「あれっ、バーラちゃんたちも一緒かよ」
「あっ、イリネイが来た。冷えないうちに行こうぜ行こうぜ」
待ち人が現れたことで、交錯していた二人の視線は外れた。
温泉は町の共同浴場で、テプレ・ヤロのように男湯と女湯で別れていた。
バーラとは入り口で別れる。
あそこと違うのは、下着のままではなく、みんな全裸だということだ。
「……こりゃたまげた……」
隣で身体を洗うイリネイがレネの裸を見て目を点にする。
宿の共同浴場などで知らない男から股間を凝視されることがよくある。
「オレにちんこぶら下がってんのがおかしいのかよ!」
そんなレネの言葉を聞いてマトヴェイがゲラゲラ笑う。
「本当にレネは見た目とギャップがあって面白れえな」
身体を洗い終わり、三人は石造りの湯船に浸かる。
夜光石の産地だけあって、浴室も贅沢に石が使われており、湯船の中にも埋め込まれてお湯が発光して見えた。
則ち、湯に浸かればその身体までも光に照らされる。
「……この顔にベビーピンクのちんちんだぜ? 反則だろ」
隣に座るイリネイが、夜光石に照らされたレネの身体を、いや……重力から解放されてプカプカとたゆたうレネの分身を、真剣な顔で覗き込んでいる。
「気にしてること言うんじゃねえよっ! 言っとくけど、童貞じゃねえからなっ!」
レネはこの手の話題で団員たちから散々揶揄われてきているので、耐性は付いている。
「ぎゃはははっ! 誰もそんなこと聞いてねえって。でもぜんぜん使ってるようには見えねえな」
「言ったなっ! でもあんたのよりオレのがデカいぞ!」
「なんだとっ……俺のは膨張率で勝負なんだよ!」
「……そんな低レベルな争いはやめろ……腹がよじれて笑い死にする……」
イリネイとレネの底辺の争いに、マトヴェイはひくひくと痙攣しながら止まらぬ笑いと戦っていた。
自分で制御を失った笑いほど苦しいものはない。
「助けてくれ」と周りに訴えても、笑いながら言ったって説得力がないので誰も真剣に取り合ってくれないのだ。
笑いを止めるのは、孤独な戦いだ。
「お前のことが気に入ったぜ! 中身は俺たちと変わらねえんだな」
イリネイはすっかり打ち解けたレネと肩を組んで上機嫌に語る。
「護衛だって聞いた時は吃驚したけど、こいつ矢鱈と刃物の扱いは上手いし、腕も立つみたいだし、俺たちよりか男らしいのかもな」
初対面で『人形みたい』と言ってレネを怒らせたマトヴェイも、今ではすっかり認識を改めたようだ。
「野郎ばっかりの中で育ったからな。当たり前だろ」
レネは口ではそう言いながらも、この男たちから認められなんだか嬉しかった。
「フン……その分こいつの周りは苦労するけどな」
「あっ……色男」
イリネイが声がした後ろを振り向く。
すっかり存在を忘れていたバルトロメイが、身体を洗い終わって湯の中に入って来た。
「なんだよ、苦労って」
せっかく褒められていい気分になっていたのに、水を差すようなことを言ってくる。
「お前が昨日みたいな無茶ばっかりするから、周りは大変なんだよ」
「またその話かよ……」
ここで話を蒸し返さなくてもいいのに。
せっかく忘れようとしていたことを思い出し、うんざりした気分になる
「そういやバルトロメイは、親父を支えて来た後、レネを抱えて帰ってたよな」
「抱える? オレ……一人で歩けなかったのか?」
マトヴェイは昨夜の光景を思い出しているようだが、レネはぼんやりとしか記憶に残っていない。
「低体温症になって、町に着いてからのことをこいつは覚えてなかったんだ」
「……そんな症状が出るほど酷かったのか……?」
事の深刻さに、マトヴェイの顔が曇る。
「ガタガタ震えて体温が戻らないから一晩じゅう俺が湯たんぽ代わりになってた」
「は? オレそんなの覚えてねえしっ!」
そんなの初耳だ。
部屋にはバーラもいたはずだ。
「だろうな。さいしょ俺を親父と思って『バル』って呼んでたしな」
「うそッ!?」
(超恥ずかしい!)
恥ずかし過ぎて、お湯の中に目の下まで潜ってしまう。
「なんだ、今更恥ずかしがってんのか? 人に小便の世話までさせといて」
「はっ!?」
(もうやめろ……恥ずかし過ぎて死にたい……)
「安心しろ、トイレに連れて行ってパンツ下ろして、ちゃんとできるか見守ってただけだから」
「そういう問題じゃねえっ!!」
なぜわざわざ第三者の前で言うのだ。
「記憶が曖昧になるほど危なかったってことだ」
バルトロメイは真顔で告げる。
「レネ……そこまで無理して親父を助けてくれてありがとうな」
感極まったマトヴェイから抱き締められ、頬にキスをされる。
「おいっ、髭がチクチクするって」
子供みたいな扱いに、恥ずかしくなり文句を言う。
対面に座ったバルトロメイが終始不機嫌な顔をしているのは、昨日レネが掛けた苦労を思い出しているからだろう。
「でも、バーラちゃん元気になってよかったな」
「ああ。いきなり親父さんが亡くなって天涯孤独になった時は、悲壮感が漂ってたもんな」
同じ町に住んでいた二人は、バーラの不幸な境遇をよく知っていた。
「親父さんの隊の合同葬儀を鷹騎士団でやるからって、メストに行ったのは聞いてたけど、今までどこにいたんだ?」
マトヴェイはバーラのはとこであるバルトロメイに尋ねる。
「俺も、詳しくは知らないけど、葬式に参列したうちの祖父さんが、身寄りのないバーラをそのまま自分の家に連れ帰ってたんだ。そして俺は正月たまたま実家へ帰った時に、初めてバーラに会った。で、うちの祖父さんが家を売る手続きで一度ここに戻らなきゃならないバーラに、護衛として俺を指名して付けたんだ」
「あんたの祖父さんは、あわよくば二人をくっ付けようとしてんじゃないか?」
マトヴェイもレネと同じことを思ったようだ。
「そんなの知らねえよ……」
投げやりな態度でバルトロメイは答える。
「こいつ元竜騎士なんだぜ。お前の祖父ちゃん、孫が知らぬ間に傭兵になってたから怒ってたよな」
シモンが傭兵を騎士より下に見ている態度を隠さないので、ムッとしたのを思い出す。
「それが元で、元旦から大喧嘩したしな」
面白くなさそうにバルトロメイが呟く。
(なるほど……)
だから実家に帰ったはずなのに、すぐにメストに戻って来たのか。
「じゃああれか。あんたの祖父さんは、早く所帯を持たせて落ち着かせようと思ってるんだろうな」
マトヴェイの言葉を聞いて、レネは固まる。
(祖父さんは……バルトロメイを辞めさせようとしてるのか……)
「でもさ、あんたがバーラちゃんを嫁にもらうと全て丸く収まるよな。未婚のまま祖父さんの家に居続けてもバーラちゃんは肩身の狭い思いをするんじゃねえか? 傍から見ててもあんたたち、お似合いだぞ」
イリネイがバルトロメイの肩を小突く。
「……俺はなにも聞いてねえよ……バーラには同情する。でもそれとこれは別の話だ。それにずっと実家にバーラが居たとしても、肩身の狭い思いなんてうちの家族がさせるわけがない」
(へえ……あの祖父さんそんな優しい所もあるんだ)
そう言えば先ほど、シモンがバーラを連れ帰ったと言っていた。
テサク家の人たちは、困っている人を放っておけない性質なのだろう。
「いい家族なんだな」
マトヴェイも同じことを思ったらしい。
「俺だって母が未婚で産んだ私生子だったが、祖父さんも、伯父や伯母も、他のいとこたちと分け隔てなく接してくれた」
「……そうなのか」
蓋を開けてみたら複雑な家庭事情に、言い出しっぺのイリネイもすっかり勢いを削がれてしまう。
「はいはい、外野は黙っとこうぜ。こればっかりは二人の問題だしな」
マトヴェイが話を断ち切ったことによって、話題はどうしようもない下ネタへと移った。
男同士が集まると、しょうもない話題で盛り上がるのは仕方がないこどだ。
ひとしきり罪のない下ネタでゲラゲラ笑った後、レネたちは温泉から上がり、湯冷めしないようにきっちりと防寒して脱衣所を出た。
「はぁー気持ちよかった!」
身体の芯からほこほこと温まり、頬にあたるひんやりとした冷気が逆に心地よい。
「やっぱ冬場の温泉は最高だよな」
「飲みに行くよりこっちにして正解だったな。まあ俺は一杯ひっかけて帰るから。じゃあな」
イリネイはグラスを傾ける仕草をして去って行った。
「なあ、そっちは後どれくらい掛かりそうな感じ?」
レネは温泉の入り口で、バーラを待つバルトロメイに尋ねてみる。
「バーラか?」
「いやいや、家の手続きとかだよ」
「ああ、そっちか。明日買い手が部屋を見に来るらしいが、上手く商談が成立したら、役所に書類を出して終わりだ。早ければ三日くらいでいけるんじゃないか?」
「待たせちゃってごめん」
濡髪が冷えないように紫と赤の柄のネッカチーフを頭に巻いたバーラが女湯の方から出て来た。
レネとマトヴェイに気付くと、その上から毛皮の付いたケープのフードを被る。
住み慣れた町に戻って来て、男装を解き、すっかり女の子らしい服装に戻っていた。
「いや、ぜんぜん。今出て来たところだし。湯冷めしないうちに帰ろうか」
「ええ。家に帰ったらホットワインを作るわ。じゃあレネさんたちも気を付けて、お休みなさい」
そして当たり前のようにバーラの荷物を受け取って、二人は寄り添うように帰って行った。
「……なんか、ほんとに新婚さんみたいだね……」
その様子に圧倒されて、レネは茫然とその姿を眺めていた。
せっかくマトヴェイやイリネイと仲良くなって忘れていたのに、置いてけぼりをくらったような寂しい気持ちが蘇って来る。
「元はそんな積極的な娘じゃないのにな。でも俺は気付いたぜ、バーラがそうなった理由」
そう言ってマトヴェイがニヤリと笑う。
「え、なんで?」
なにがどうしたのか、レネには全く見当がつかない。
「バーラはレネに嫉妬してんだよ」
「——は?」
はにを急に言い出すのだ、この男は。
「でもそれおかしくないか? オレ男だし、嫉妬とかする必要なくね?」
男と言う時点で、その理論は破綻していないか?
「お前は嫌がるかもしれないが、お前はそこら辺の女じゃ太刀打ちできないほどの美青年だ。そんなのが好きな男の前をうろついてたら、いい気持ちはしないだろ」
「……オレが悪いって言うのか?」
バーラに対してなにも悪いことはしていないはずだ。
それどころか、バーラを護るために囮になったり、二人の邪魔をしないようにこうして別行動までとっているというのに。
「いや、お前はぜんぜん悪くない。お前はとばっちりを食ってるだけだ。バルトロメイがどっちつかずな態度を取るから性質が悪いんだよ……おい、そんな落ち込んだ顔するなよ」
そう言うと困った様にマトヴェイは頭を掻いた。
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