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1章 君に剣を捧ぐ
10 感情を殺す
しおりを挟む◆◆◆◆◆
雪崩でできた雪山を越えて、バルトロメイはバーラを連れて、陽のあるうちになんとかホリスキーまで着くことができた。
よっぽどショックだったのか、彼女は終始泣きっぱなしだった。
こんな状態で、ずっと空き家になっていたバーラの家に行って、一から暖房に必要な薪などを準備するのも億劫だったので、今日は宿屋に部屋をとった。
「バーラ、よく頑張った。寒かっただろ? 先にお湯へ浸かって身体を温めるといいよ」
部屋に入ると、まだ涙の跡を頬に残したままのバーラを抱きしめるが、緊張の糸が一気に解けたのか再び泣きだしてしまった。
「俺はちょっと外の様子を見て来る」
「……お願い、もうしばらくこうしていて」
母と同じ色をした瞳が、バルトロメイを見上げて来る。
恐怖を味わい、目の前のことに対処するのが精いっぱいのバーラは、もしかしたらもう一人の護衛の存在など頭から抜け落ちてしまっているのかもしれない。
でもそれは仕方のないことだ。
女の身で慣れない旅をするだけでも大変なのだから。
「わかった」
そうして涙が止まるまで、しばらくバーラを腕の中に留めた。
バルトロメイは、宿の場所も知らないレネがやって来るのを町の入口で待っていた。
夜光石の産地であるホリスキーは、街道沿いに等間隔で街灯が建てられており、夜になっても明々としている。
本当は迎えに行きたいのだが、いくら安全な宿にいるとしても護衛対象から遠く離れるわけにはいかない。
雪崩の影響で途中から歩きになったという一団が町に入って来たが、それより先に着いているはずのレネは、まだやって来ない。
バルトロメイは町に入って来た旅人たちに尋ねた。
「怪我人がいたって!?」
男の口から出て来た不吉な言葉に、バルトロメイは顔を曇らせる。
「ああ。前の橇に乗っていた奴らだと思うけど、手を貸したかったが、また盗賊が出ないとも限らんからな」
「若い男でしたか?」
「さあ……外套でよく見えんかったからわからんねぇ……」
気の毒そうな顔をするが、怪我人を見捨てて来たという罪悪感からか、男は多くを語らない。
「前の馬橇の前にいくつか死体も転がってたよな」
こちらの様子を窺っていた男も会話に加わって来る。
「陽も暮れたし、一気に気温が下がって来たからな……」
周りにいた男たちも話に加わって来るが、心乱される内容ばかりだ。
「兄ちゃん、誰か知り合いでも待ってるのか?」
「途中ではぐれた連れがまだ着かなくて」
二十代半ばのガタイのいい男がその会話を聞いて、バルトロメイに近付いてきた。
「……あんたもそうなのか? 俺の親父もまだ帰って来ないんだ」
「途中で馬橇が山賊に襲われて、連れとはぐれたままなんだ……」
もしかしたら、この男の父親も同じ馬橇に乗っていたのかもしれないので、バルトロメイは詳細を話す。
「山賊!?」
「たぶん、わざと雪崩を起こして馬橇が立ち往生したところを後ろから襲われた」
「じゃあ……親父もあんたの連れも……」
絶望的な顔をして男は俯く。
「俺はバルトロメイ。ある人物の護衛をしている。はぐれた連れも護衛だ。連れがそう簡単に山賊にやられるとは思わない」
「でも、もうこんなに冷えて来た。生きていたとしても……外で一晩越すのは無理だ。俺はマトヴェイ、この町に住んでる」
バルトロメイの言葉を聞いてもマトヴェイは暗い顔のままだ。
地元の人間なので、山間部の冬の寒さを知っているからだろう。
竜騎士団時代には北東にあるウロとの国境警備をしていたバルトロメイも、冬の寒さの恐ろしさは充分承知していた。
「おい、兄ちゃんたち……向こうから誰か歩いて来るぞっ!!」
反射的にバルトロメイは走り出していた。
夜光石の街灯に照らされて人影が二つ。一人がもう一人の肩を支えてゆっくりとこちらの方へと歩いて来ていた。
支えられている男の太腿にはあの赤いネッカチーフが巻かれている。
あれは、バーラが古着屋で試着をしている間に、レネが買っていたものだ。
なんで女物のネッカチーフをレネが買っているのだと店では不思議に思っていた。
だが、それを頭に被って走り出した時に、レネはそこまで想定して行動していたのかと、同じ護衛として経験の差を見せつけられたような気がした。
それと同時に、『なぜ事前に相談してくれなかったんだ』という憤りを感じていた。
「レネっ!!」
「親父ッ……!? 足に怪我してるのか?……おいっ!?」
マトヴェイが、レネに支えられた初老の男に駆け寄っていく。
初老の男は既に意識が朦朧としているようだ。
「止血しかしてないからすぐに医者に見せろ」
レネはそう言ってマトヴェイに怪我人を引き渡す。
「どなたか知りませんが、助けていただいてありがとうございます」
ガタイの良い息子はすぐさま父親を抱える。
「レネ、お前怪我は?」
外套のフードを被ったままなので表情はよくわからないが、覗く口元がガタガタと震えて歯の音が合っていなかった。
長時間外にいたため、身体が冷えているのだろう。
「大丈夫だけど……バル? どうしてここに?」
(バル……だと?)
出逢ってから、レネに『バル』と呼ばれたことなど一度もない。
寒冷地の駐屯地にいたバルトロメイは、その言葉でレネが今どういう状態にあるのか瞬時に見抜いた。
(——これはちゃんと処置しないといけない)
「おいっ……なにするんだ急にっ!?」
「急いで宿に帰るぞ」
いきなり横抱きにされ、レネは困惑する。
「えーと……バルトロメイ、その人に直接お礼がしたい、どこに泊ってるかだけでも教えてくれっ!」
急いで宿に引き返そうとするバルトロメイに、こちらも父親を医者へ診せるために急いでいるマトヴェイが声をかける。
「牡鹿亭だ」
「わかった、改めて礼に行くからっ」
手短に言葉を交わし、二人はそれぞれの待ち人を抱えその場を別れた。
「レネさんっ!? まさか怪我してるのっ?」
いきなりレネを抱えて来たバルトロメイに、既に風呂から上がっていたバーラは大層驚く。
「——見た限り大きな怪我はないと思うが、低体温症を起こしている。バーラここのお湯の具合はどうだった?」
浴槽に突っ込んで温めた方が手っ取り早いかもしれない。
「あんまり温かいお湯は出なかったわ……」
「そうか……それじゃあ無理だな」
余計に体温を下げることになりかねない。
「……なんだよ……さっきから……おい……自分でできるって……」
二つあるベッドの一つに下ろすと、バルトロメイは急いでレネの服を脱がせにかかる。
しかしレネは、怪我もしていないのにここまで抱えて連れて来られ、今度は服を脱がされる意味を飲み込めていない。
「動くんじゃねえっ! お前はじっとしてろ。バーラ、厨房へ行って蜂蜜入りのホットミルクを貰って来てくれ」
低体温症の人間はあまり動かさない方がいい。
手足を動かすと心臓に負担がいってしまう場合がある。
「わ、わかったわ」
異性がいるにも構わずレネの服をどんどん脱がせていくので、バーラは顔を赤くして逃げる様に部屋から出て行った。
「汗が冷えたんだな」
全部服を脱がせると、タオルで汗を拭きとっていく。
その間もレネは目視できるほどガタガタと身体を震わせている。
震えがあるならまだ大丈夫。
バルトロメイは騎士団にいる頃も、低体温症になった同僚をたくさん見てきた。
会話が成り立たなくなってきたら要注意だ。
症状が酷くなるにつれ幻覚を見て錯乱し、同僚たちは次第に冷たくなり死んでいった。
レネは、自分を養父のバルナバーシュと見間違っていたので、バルトロメイはすぐにその症状に気付くことができた。
「あの後どういう状況だったんだ?」
「……ん?……山賊がオレを追って来て……あらかた倒したと思ってたら……向こうであのおじさんが襲われてたんだ……」
受け答えはできるが、普段より緩慢になっている。
「それで?」
話を聞きながらも作業の手を止めない。
汗を拭いたレネの身体を今度は冷えないように保温する必要があった。
自分の荷物はマトヴェイの父親を支えて歩くのに邪魔で、置いて来たのだろう。
仕方ないのでバルトロメイは自分の着替えをレネに着せていく。
サイズが少し大きいが仕方ない。
「……そっちも倒して、おじさんの手当てをして……ここまで二人で歩いてきた…………」
そう言うと、その顔がすぐに俯く。
「おい、眠いのか?」
体温が戻る前に眠ると、余計に冷えてしまうので、絶対寝せてはいけない。
「うん……ちょっとは……それより……寒い……」
着替えて暖かい部屋にいるのに、レネの顔になかなか血の気が戻ってこない。
「バーラがホットミルクを持ってくるからもう少し待ってろよ」
待つ間にも、少しでも体温が戻って来るように、レネの身体をすっぽりと抱き込んで一緒に毛布に包まる。
(クソ……こいつはどうしていつも一人で無茶をするんだ……)
バルトロメイは自分よりも冷たい身体を抱きしめながら、心の中で例えようのない感情が暴れまわるのを、目を閉じてじっと耐えた。
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