菩提樹の猫

無一物

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1章 君に剣を捧ぐ

6 情報屋

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 以前、ドプラヴセに連れてい行かれた記憶を頼りに、下町の方へと進んでいく。
 
(確か……ここだったはず)

 レネは古い民家の前に立ち止まり、もう一度確認して中に入って行く。

「こんにちは、アランさんいますか?」
 
 台所の方から美味しそうな匂いが漂ってくる。

「誰だい?」
 
 ラウラが声に気付き、レネのいる居間へ顔を出す。
 
「覚えていますか? 以前、ドプラヴセとここに来たレネです」
 
 少し警戒していた老女の顔がレネの顔を見た途端に弛む。

「ああ……覚えてるよ、ルカの弟子なんだってね」
 
「ルカもここに来るんですか?」
 
 まさか老女の口からルカの名前が出て来るとは思わなかった。

「最近はぱったりだけどね、ちょっと前まではしょっちゅう顔出してたよ。……ああそうだった、息子に会いに来たんだったね。もうそろそろ帰って来る頃だけど、あんた夕飯は食ったのかい?」
 
「……いいえ」
 
 さっさと用事を済ませて、帰りに屋台でなにか買って簡単に済ませようと思っていた。

「息子ももうすぐ帰って来るし、せっかくだから食ってきな」
 
「ありがとうございます」
 
 腹の虫が鳴きだしそうだったので、その申し出は有難い。
 
「ほら、帰って来たみたいだ。夕飯にするからさっさと座りな」
 
 玄関の方から人の入って来た音がする。

「珍しい客だな」
 
 台所の入口に立つレネの顔を見るなり、赤毛の男の方から声をかける。
 アランもちゃんとレネのことを覚えてくれていたようだ。

「お久しぶりです。あの……これルカが、アランさんにって」
 
 ポケットから預かって来た手紙を取り出すとアランに渡す。
 席に着くと、さっそくアランは手紙を読み始める。

 ラウラがシチューの入った鍋をドンとテーブルの上に置くと、手持ち無沙汰だったレネも、テーブルの隅に置いてあった皿を並べたり、ポットに入ったお茶を注いだりと手伝った。

「気が利くじゃないかい」
 
 正月に散々ゼラの手伝いをしたので、食事の準備もスムーズにできるようになったレネを見てラウラはニヤリと笑い、鍋からシチューを皿に注いでいく。
 ドロステアでは定番の牛肉とパプリカのシチューに、これまた定番の茹でパンのスライスを同じ皿に添えていく。

「ほら、冷えないうちにさっさと食べるよ」
 
 アランも手紙を読み終わり、食事が始まった。

「いただきま~~す!」
 
 今日一日ずっと外に座りっぱなしだったので、身体中が寒さで強張っていた。

「うまい……」
 
 熱々のシチューはそんな身体の中を内側から温めていく。
 付け合わせに出された、ビーツとカリフラワーの赤紫色の綺麗なピクルスも味のアクセントになって食べだしたら止まらない。

「遠慮しないでどんどんお代わりしなよ」
 
 ラウラの料理は素朴だが、身体に優しい味がする。
 
「はーい」
 
 腹が減っていたので、レネは遠慮なくお代わりした。
 食後にはさっぱりとしたリンゴのコンポートを摘まみながら、ジンジャーティーを飲む。
 リーパ本部の食堂ではほとんど甘いものなどでてこないので、デザートなんて久しぶりだ。

「お前、団長さんの養子なんだってな」
 
 そう言えば、ドプラヴセとアランには、レネがバルナバーシュの養子だということは告げていない。
 
「そうですけど……ルカから聞いたんですか?」
 
 共通の知り合いといえばルカーシュくらいだ。

「いや団長さん本人からな」
 
「えっ!? 団長もここにくるんですか?」
 
 レネは驚きのあまりフォークに刺していたコンポートを落しそうになる。

「いや、俺がメストに行くのさ。情報を定期的に買ってくれる上客だからな。あっちに行った時は必ず顔を合わせる」
 
「へえ……そうなんだ……」
 
 バルナバーシュとアランにそんな繋がりがあるなんて知らなかったので意外だ。
 ここにしょっちゅうルカがやって来ているのも、きっと『山猫』の仕事関係に違いない。
 気になることは沢山あるが、きっとアランは余計な情報をレネに話してはくれないだろう。
 
「俺に用事があるのは、手紙だけじゃないんだろ?」
 
 お茶を飲みながら、アランがレネに訊いて来る。

「ああ、そうだった。ホリスキー周辺で賊が出るって話なんですが、詳しい情報を教えて下さい」
 
 アランから言われなければもう一つの目的を忘れる所だった。

「秋にレロで監獄の受刑者数名が脱獄して、どうもこっちに逃げて来ているみたいだ。そいつらは脱獄者だけあって殺しも厭わない。今年に入って六人殺され女も攫われた。お前も知っている通り、ここから先は登り道が続く。馬橇も二頭引きから三頭引きになるくらいだ。だから賊たちにとっては格好の狩場だろうよ」
 
 アランは深刻な顔をしてレネを見つめた。

「騎士団はなにしてんだよ。取り締まるのが仕事だろ……」
 
 レネは思わず呟く。
 確か、プートゥには鷹騎士団の屯所があったはずだ。

「お前の護衛している娘の父親がプートゥの小隊の隊長だった。隊が全滅してまだ代わりの隊が派遣されてない。だから奴らも好き放題やっている」
 
「えっ!? バーラさんの亡くなったお父さんが……ってか、なんでアランさんがそんなことを知ってるんですか?」
 
「さっきの手紙に書いてあったんだよ」
 
 ルカからの手紙をペラペラと振って見せる。
 
「なんだ……そういうことか」
 
 だが、なぜそんなことをアランに手紙で知らせる必要があったのだろうか?
 レネにはそこら辺の事情が全くわからない。

「じゃあ……バーラさんのお父さんが襲われたのも、脱獄犯の仕業?」
 
「いや違う。あの犯人はもっと別の奴らだ。ドプラヴセがそいつらをずっと追っている」
 
 久しぶりに聞いた、いけ好かない男の名前にレネは眉を顰める。

「やっぱり『山猫』が関わっているんですか?」
 
(だからルカがわざわざ手紙を? でもなぜアランさんに?)

「詳しくは話せない」
 
 赤茶の目がレネを見つめる。
 闇の仕事に手を染める人間独特の、感情を映し出さない死んだ魚のような目をしている。
 ドプラヴセよりもとっつきやすいが、やはりこの男もどこか油断ならない。

「若い女は特に気を付けろ。この先に進むなら男装させた方が無難だ。古着屋を紹介するから朝一番で男物の服を買いに行け」
 
 そう忠告すると、アランはレネにその古着屋の場所を教えた。



「——だから、朝一番で着替えを買いに行った方がいいって」
 
「……マジか」
 
 宿に帰ると、レネはバーラたちの部屋に行きアランから言われた通りに説明した。

「でも、私男装したことなんてないし」
 
 いきなり男の格好をしろと言われて困惑するのは当然だ。

「スカートは目立つからいけないって。だからせめてズボンを穿いて、帽子の中に髪の毛を隠した方が良いって言ってた」
 
 レネたちの仕事は、まずバーラを無事にホリスキーまで送り届けることだ。
 そのためには、バーラにも協力してもらわなければいけない。

「若い女性の旅人なんてそう滅多にいないし、屋根しかない馬橇じゃあ賊たちにも丸見えだしな……」
 
 バルトロメイもアランの忠告に正当性を見出している。
 あと一押しだ。

「だってさ、前に会ったダニエラだって、オレクとしょっちゅう一緒に旅してるけど、男装だろ?」
 
 ダニエラは中身も男みたいなものだし、自ら好んであんな格好をしているのだが、安全上の理由もあると思う。
 
「ダニエラさんか……」
 
 バルトロメイも新年早々、私邸に滞在するオレクたちと出くわしたばかりだ。
 二人とは、バスカ・ベスニス以来の再会だった。

「そんな方がいらっしゃるの?」
 
 バーラも少し興味を示し始めた。

「うん。バーラさんも背も高い方だし、カッコイイと思うんだけどな。それにズボンってすっごく動きやすいよ」
 
「確かに。遠めに女性だとわからなければいいだけだから。今より少し動きやすい格好に着替えるだけだと思えばいいよ」
 
「そうそう」

「そんな本格的なものでなければ……」
 
 レネとバルトロメイでなんとかバーラをその気にさせた。

「じゃあ、朝いちで紹介してもらった古着屋さんに行こう。そこは旅人が利用する店だから、朝早くから開いてるんだって」
 
「だったら、明日は予定より少し早めにここを出よう」
 
「そうね……」

 鉄は熱いうちに打て。
 気持ちが変わらぬうちにさっさと予定を立てる。

「お前、風呂は?」
 
「ん? さっき行ったとこで入って来た」

「なんだそれ?」
 
「世話好きの婆ちゃんがいるんだよ」

 先ほど『宿屋の共同風呂よりこっちがいいだろ?』とラウラに風呂を勧められ、アランも『ルカなんて勝手に入り浸ってるからな、遠慮はするな』と言うのでレネも遠慮なく風呂を借りた。
 この親子は一見つっけんどんな印象を受けるが、意外と懐が深い。
 ルカーシュが入り浸るのもわかる気がする。

「じゃあオレ部屋に行くから、明日の朝ね。おやすみ」
 
 バルトロメイは呆気に取られた顔をしたが、それ以上は詮索してこなかったので、レネはそのままバーラの部屋を後にした。
 

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