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1章 君に剣を捧ぐ
1 不幸な娘
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「バーラ、あの家に一人でいるのも辛いだろう? 女一人で暮らすのも何かと物騒だ。どうだ、うちで一緒に暮らさないか? ちょうどベドジェシカの部屋も空いているし、長男の嫁のヨハナも息子ばかりで、ずっと娘を欲しがっとった。遠慮することなんて一つもない」
「……大伯父さま……」
突然の父の死に、娘のバーラはただはらはらと涙を流すばかりだ。
きっとまだ父の死を正面から受け入れることができていない。
先日シモンの甥であるトマーシュが、長年勤務する鷹騎士団の任務中に殉職した。
物資を輸送中に何者かの奇襲を受け、トマーシュ率いる小隊が全滅するという忌まわしい事件が起こった。
葬儀は盛大に鷹騎士団の本部のあるメストで行われた。
トマーシュは、死産で母親を亡くしたバーラを男手一つで育てて来たが、四十五歳の若さで一人娘を残してこの世を去ってしまった。
七十六になる自分よりも先に逝くとは……死の危険と隣り合わせの騎士団に所属していたとはいえ、やるせない思いがシモンの胸に渦巻く。
出世を拒み、長年現場仕事に拘ったトマーシュは、部下たちに慕われていたようだ。
今回の葬儀で、小隊長のトマーシュより偉くなった元部下たちが、元上官の死を悼み男泣きする姿は、長年騎士団に身を置いてきたシモンの心を震わせた。
シモンがそんな甥の力になれることといえば、一人娘のバーラの手助けをすることくらいだろう。
泣き腫らす菫色の瞳が、三年前に亡くなった愛娘のベドジェシュカを思い出させる。
騎士団にいた頃は鬼上官として部下たちに恐れられたシモンだが、女子供の涙にはめっぽう弱い。
『騎士とは、か弱き者を守るためにあるべきだ』と、常々息子たちや部下たちに教えて来た。
バーラはもう成人して二十二になるが、シモンにしてみればまだまだ小娘だ。
そんな娘を一人放っておけるはずがない。
バーラが死亡弔慰金をきちんと受け取れるようにする手続きは、現役騎士の長男に任せ、シモンはバーラを連れてさっさと定期船でドゥーホ川を下り、テプレ・ヤロの近くにある自分の屋敷へと戻った。
「まあ、まあ……急にお父様が亡くなり大変だったでしょう」
シモンの予想通り、長男の嫁のヨハナはバーラの姿を見た途端、ハンカチで涙を拭きながら突然の不幸に見舞われた若い娘に同情する。
息子三人も全て騎士団に所属しているため、滅多に家に帰って来ないし、ベドジェシュカが亡くなってからは気軽にお茶をする相手もいなくなり、爺さんとたまに帰って来る堅物の夫相手に、毎日つまらなそうにしていた。
「ヨハナ、ベドジェシュカの部屋が空いているからあそこを使えばいい。ある物も全て好きに使いなさい」
シモンはずっと考えていたことを提案する。
「お義父さん、名案ですわ! ジェシーの娘時代の物がそのまま残してあって……でも周りに女の子がいないから、勿体ないとずっと思ってたんです!」
ヨハナはまるで娘時代に戻ったかのように、キラキラと目を輝かせている。
今年四十七歳になるヨハナは、三年前に亡くなったシモンの娘、ベドジェシュカの幼い頃からの友人で、娘時代からよく家へ遊びに来ていた。そして、ベドジェシュカの兄であるシモンの長男と恋に落ち、この家に嫁いできた経緯がある。
「足りない物があったら明日にでもテプレ・ヤロに二人で出かけて来るといい」
野郎どもばかりで、この屋敷には全く華がないとシモンも辟易していた所だ。
これで昔のように、屋敷も明るくなるだろう。
「バーラちゃん、お義父さんのお許しも出たし、さっそく明日テプレ・ヤロへ買い出しに行きましょう!」
「で、でも……私……いきなり押しかけて来たのに、そこまでご迷惑をおかけするわけにはいけません」
目を白黒させながら、バーラがヨハナへ遠慮気味に答える。
「気にしないの。お義父さんがいいって仰ったからいいのよ」
ヨハナはバーラの両手を握って力説する。
「ヨハナの言う通りだ。つまらんことなど気にせず、二人で行ってきなさい」
「は、はい。こんな私にまで気を使って頂いてありがとうございます」
恐縮してバーラはシモンたちに頭を下げた。
同じ階級の娘たちに比べたら身なりも質素だが、現場仕事を続ける父親をずっと陰から支えてきたのだろう。
丸一日の船旅の間でもその気立ての良さが窺えた。
だからこそ、シモンはこの娘の顔に笑顔を取り戻したかった。
ヨハナが実の娘のように接していた甲斐もあってか、少しずつバーラに笑顔が戻ってきている。
これから一人で管理していくのも大変なので、バーラはホリスキーにある家を売りに出し、シモンとヨハナの強い勧めもあり正式にこちらへ移り住むことを決めた。
売りに出す家の値段は、ホリスキーの近くで国境警備をするシモンの次男が休みの日に、詳しい人間に家を見てもらい、バーラも納得のいく値段を付けた。
新年を迎えて暫くたった頃、運よくあの家の買い手が現れた。
それもこちらの提示している値段で構わないと言う。
バーラはメストで葬儀が終わったままシモンの屋敷に来ているので、まだホリスキーの家に荷物が残っている。一度家に帰って荷物を整理する必要があったし、売買するには持ち主であるバーラ本人が書類にサインしなければならない。
若い娘の旅は危険だ。
メストまでなら船でシモンがついて行くこともできるが、最近足腰が弱って来て船旅以外は体力に自信がなかった。
だからといって、息子たちも騎士団でそれぞれの持ち場があるのでこれ以上身動きが取れない。
シモンの頭の中に、ある名案が閃いた。
新年早々、大喧嘩をした孫の顔を思い浮かべる。
「バーラ、私と一緒にメストまで船で移動して、それから先はとっておきの護衛を付けよう」
「……大伯父さま……」
突然の父の死に、娘のバーラはただはらはらと涙を流すばかりだ。
きっとまだ父の死を正面から受け入れることができていない。
先日シモンの甥であるトマーシュが、長年勤務する鷹騎士団の任務中に殉職した。
物資を輸送中に何者かの奇襲を受け、トマーシュ率いる小隊が全滅するという忌まわしい事件が起こった。
葬儀は盛大に鷹騎士団の本部のあるメストで行われた。
トマーシュは、死産で母親を亡くしたバーラを男手一つで育てて来たが、四十五歳の若さで一人娘を残してこの世を去ってしまった。
七十六になる自分よりも先に逝くとは……死の危険と隣り合わせの騎士団に所属していたとはいえ、やるせない思いがシモンの胸に渦巻く。
出世を拒み、長年現場仕事に拘ったトマーシュは、部下たちに慕われていたようだ。
今回の葬儀で、小隊長のトマーシュより偉くなった元部下たちが、元上官の死を悼み男泣きする姿は、長年騎士団に身を置いてきたシモンの心を震わせた。
シモンがそんな甥の力になれることといえば、一人娘のバーラの手助けをすることくらいだろう。
泣き腫らす菫色の瞳が、三年前に亡くなった愛娘のベドジェシュカを思い出させる。
騎士団にいた頃は鬼上官として部下たちに恐れられたシモンだが、女子供の涙にはめっぽう弱い。
『騎士とは、か弱き者を守るためにあるべきだ』と、常々息子たちや部下たちに教えて来た。
バーラはもう成人して二十二になるが、シモンにしてみればまだまだ小娘だ。
そんな娘を一人放っておけるはずがない。
バーラが死亡弔慰金をきちんと受け取れるようにする手続きは、現役騎士の長男に任せ、シモンはバーラを連れてさっさと定期船でドゥーホ川を下り、テプレ・ヤロの近くにある自分の屋敷へと戻った。
「まあ、まあ……急にお父様が亡くなり大変だったでしょう」
シモンの予想通り、長男の嫁のヨハナはバーラの姿を見た途端、ハンカチで涙を拭きながら突然の不幸に見舞われた若い娘に同情する。
息子三人も全て騎士団に所属しているため、滅多に家に帰って来ないし、ベドジェシュカが亡くなってからは気軽にお茶をする相手もいなくなり、爺さんとたまに帰って来る堅物の夫相手に、毎日つまらなそうにしていた。
「ヨハナ、ベドジェシュカの部屋が空いているからあそこを使えばいい。ある物も全て好きに使いなさい」
シモンはずっと考えていたことを提案する。
「お義父さん、名案ですわ! ジェシーの娘時代の物がそのまま残してあって……でも周りに女の子がいないから、勿体ないとずっと思ってたんです!」
ヨハナはまるで娘時代に戻ったかのように、キラキラと目を輝かせている。
今年四十七歳になるヨハナは、三年前に亡くなったシモンの娘、ベドジェシュカの幼い頃からの友人で、娘時代からよく家へ遊びに来ていた。そして、ベドジェシュカの兄であるシモンの長男と恋に落ち、この家に嫁いできた経緯がある。
「足りない物があったら明日にでもテプレ・ヤロに二人で出かけて来るといい」
野郎どもばかりで、この屋敷には全く華がないとシモンも辟易していた所だ。
これで昔のように、屋敷も明るくなるだろう。
「バーラちゃん、お義父さんのお許しも出たし、さっそく明日テプレ・ヤロへ買い出しに行きましょう!」
「で、でも……私……いきなり押しかけて来たのに、そこまでご迷惑をおかけするわけにはいけません」
目を白黒させながら、バーラがヨハナへ遠慮気味に答える。
「気にしないの。お義父さんがいいって仰ったからいいのよ」
ヨハナはバーラの両手を握って力説する。
「ヨハナの言う通りだ。つまらんことなど気にせず、二人で行ってきなさい」
「は、はい。こんな私にまで気を使って頂いてありがとうございます」
恐縮してバーラはシモンたちに頭を下げた。
同じ階級の娘たちに比べたら身なりも質素だが、現場仕事を続ける父親をずっと陰から支えてきたのだろう。
丸一日の船旅の間でもその気立ての良さが窺えた。
だからこそ、シモンはこの娘の顔に笑顔を取り戻したかった。
ヨハナが実の娘のように接していた甲斐もあってか、少しずつバーラに笑顔が戻ってきている。
これから一人で管理していくのも大変なので、バーラはホリスキーにある家を売りに出し、シモンとヨハナの強い勧めもあり正式にこちらへ移り住むことを決めた。
売りに出す家の値段は、ホリスキーの近くで国境警備をするシモンの次男が休みの日に、詳しい人間に家を見てもらい、バーラも納得のいく値段を付けた。
新年を迎えて暫くたった頃、運よくあの家の買い手が現れた。
それもこちらの提示している値段で構わないと言う。
バーラはメストで葬儀が終わったままシモンの屋敷に来ているので、まだホリスキーの家に荷物が残っている。一度家に帰って荷物を整理する必要があったし、売買するには持ち主であるバーラ本人が書類にサインしなければならない。
若い娘の旅は危険だ。
メストまでなら船でシモンがついて行くこともできるが、最近足腰が弱って来て船旅以外は体力に自信がなかった。
だからといって、息子たちも騎士団でそれぞれの持ち場があるのでこれ以上身動きが取れない。
シモンの頭の中に、ある名案が閃いた。
新年早々、大喧嘩をした孫の顔を思い浮かべる。
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