菩提樹の猫

無一物

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第2部 

歴史から忘れ去られた古い歌

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 強盗事件のあった翌日、バルナバーシュはルカーシュと二人で日用雑貨店へやって来た。
 商店の建ち並ぶ通りはいつものように買い物客で賑やかだったが、そこだけが切り取られたかのように非日常の光景になっていた。
 
「ここの子供たちを預かっているものだが」
 
 破られたままの店の入口で警備する鷹騎士団の騎士に声をかける。
 
「リーパの団長殿」
 
 騎士たちの中に、東国の大戦終結の立役者となったバルナバーシュの顔を知らない者はいない。
 突然現れた英雄に、騎士は背筋を伸ばして敬礼する。

「中に入って、子供たちが必要な着替えや道具を運び出したい」
 
「調べはだいたい終わっています。どうぞお入りください」
 
 そう言って入口を塞いでいた騎士が道を開けると、強盗に入られたのに全く荒らされた形跡のない店の中を通り抜け、二人は昨夜も来た住居部分へと階段を上がって行った。


「アネタの着替えはお前が選べよ。俺は女物なんてわからん」
 
 まだ少年時代に、母親と妹が家から出て行ってからというもの、バルナバーシュは女と一緒に暮らしたことがなかった。
 数えきれないほど女たちとベッドを共にしたが、日ごろ彼女たちがどういう暮らしをしているかなど、想像もつかない。

「いくら子供っていっても、女物のパンツまで俺に見繕わせるのか?」
 
 ルカーシュが眉を顰めた。
 強盗から救い出した子供たちを、とつぜん私邸の二階で預かると言いだしたバルナバーシュに対し腹を立てている。
 同じく二階に暮らすこの男からすると、とばっちりでしかない。
 今朝もショックで食事を受け付けないレネに、うんざりした顔で舌打ちしていた。

「お前は妹がいるからまだ免疫があるだろ」
 
 ルカーシュには腹違いの妹がいる。
 バルナバーシュと違い一緒に育ったので、意外とこの男は女の扱い方を心得ている。

「まあ、あんたよりも女の生態については詳しいだろうよ」
 
 チッと舌打ちしながらもクローゼットの中を物色してワンピースを真剣に選んでいるルカーシュの姿に、バルナバーシュは思わず笑う。
 ルカーシュがまだ母国にいる時に、妹や義母が喜ぶであろう女物の小物を探して買い求めていた姿と重なる。
 
「人が手伝ってやってんのに、笑うんじゃねえよクソが」
 
 この男、二人の時はすこぶる口が悪い。
 慣れない異国の暮らしでストレスが溜まるのだろうと、自分の方が十歳も年上だが目を瞑っている。

「アネタは編み物が趣味だ。編み物道具も探せよ」
 
「うっせえな」
 
 これ以上口出しすると、文句だけではなく違う物が飛んできそうなので、バルナバーシュはレネの荷物を纏める作業に集中する。

 昨日レネとアネタの両親が殺された部屋で冗談を言い合うなど、自分たちの感覚は少し狂っていると思う。
 しかしまだ戦場から離れて二年にも満たないバルナバーシュとルカーシュは、こういう時だからこそ冗談を口にしてしまうのだ。
 戦場では常に自分の背後に死の影が迫って来ていて、無理にでも笑っていないとそれに飲み込まれてしまいそうだった。
 自分が死ぬというよりも、大切な者を喪う恐ろしさを二人供いやというほど味わった。
 だから不謹慎だとわかっていても、未だにその癖は抜けない。
 
 子供部屋のチェストの中を漁っていると、そこには似つかわしくない古びた革表紙の日記帳がでてきた。
 それも厳重に鍵まで掛かっている。

(なぜこんな所に?)
 
 同じ引き出しに入っているのは、貝殻やセミの抜け殻、騎士の人形、それに木でできた玩具のナイフ。
 男の子の宝物ばかりだ。
 そんな中へ一緒に入っているということは、レネに関わりのあるものなのだろうか?

 バルナバーシュは気になり、騎士の人形と共にそれを持ち出し袋の中へと入れた。



「これ、開けられるか?」
 
 バルナバーシュは暗闇を怖がるレネとアネタをやっとのことで寝かしつけ、私邸の応接間で酒を飲みながら、今日持ち出してきた日記帳を向かいへ座るルカーシュに見せた。
 
「なんだよそれ……日記帳か?」
 
 日記帳を手に取り鍵穴を覗き込むと、ルカーシュは懐からなにやら細い金属の棒で開錠作業にとりかかる。

「ほら」
 
 貴族の屋敷の扉を開けて忍び込む男が、日記帳の鍵を開けられないはずがない。
 あっという間に開錠作業は終了した。

「流石だな」
 
 日記帳を受け取り、ページをパラパラと開く。
 バルナバーシュは中に書かれた文字を見て、眉間に皺を寄せる。

「——ぜんぶ古代語だ……」
 
 少年時代に家庭教師から古代語の授業を受けてはいたが、バルナバーシュは馬の名前を付けるくらいの簡単な単語しか覚えていない。

「ザーヴエル歴2814年9の月の18日……レネ・セヴトラ・ドゥダヴァテル・スタロヴェーキ……この世に誕生する……」
 
 最初に書かれている言葉を読み上げていく。

「……おい……あのガキたちの親は頭おかしかったのか?」
 
 酒を飲んでいたルカーシュが動きを止め、眉を顰める。

「至って普通の両親だったと思うが……」
 
 ルカーシュが怪訝な顔をするのも当然だろう。
 ザーヴエル歴は、古代王朝時代に使われていた紀年法で、古代王朝の初代王が神々との契約を結んだ年を元年とする。
 バルナバーシュの記憶が正しければ、もうその紀年法が使われなくなって二千年近く経つはずだ。
 それに加え……ファーストネームの後に続くとんでもない言葉の羅列に、バルナバーシュも思考停止する。

「……スタロヴェーキ……」
 
 言葉の重さに溜息をこぼさずにはいられない。

「ガキたちの両親の頭がイカれてなければ、昨日の男たちは強盗じゃないな」
 
 青茶の瞳がバルナバーシュを睨む。
 顔には「これは間違いなく厄介ごとに巻き込まれた」と書いてある。

「……今思うと、男たちは子供たちを探していた」

 ただの強盗なら、店の中も荒らされていたはずだし、いちいち隠れている子供なんて探したりはしない。

「銀髪に黄緑色の瞳で……レネときたか……ったく厄介な名前を付けやがって……」

 コジャーツカ人は、古代語の厳めしい名前よりも、アッパド語で付けられたファーストネームの方が気になるらしい。
 それにしてもレネの髪の色は灰色だ。銀髪はもっと白い髪の毛を指す。ツィホニー語ではそう表現するのだろうか?

「なんだよ銀髪って、レネとアネタの髪は灰色だろ?」
 
 バルナバーシュは首を傾げる。

「古代王朝国から派生するレロ、セキア、ドロステアの三国で銀を灰色と貶め金髪碧眼を一番よしとしたのも、なんだか闇が深いな……」
 
「どういうことだ?」

「文字に残すことは禁止されても、吟遊詩人だけに唄い継がれた物語がある」

 ルカーシュは、この部屋へ置きっぱなしになっているバンドゥーラよりも小型の弦楽器コブサを手に取り、古代語の歌を唄い始める。
 韻を踏んだどこか物悲しい旋律に、バルナバーシュは心を奪われた。

「初めて聴く歌だな」
 
 もう何年も一緒にいるというのに、ルカーシュが自分の前でこんな歌を唄ったことはない。
 なぜ今ごろになってこんな歌を聴かせるのかとバルナバーシュは首を傾げる。
 
「『レナトス叙事詩』古代王朝最後の王の物語で、今唄ったのは長い歌のほんのさわりの部分だ」

 神話や英雄を語る叙事詩は、勇ましいものが多い印象なのに、この曲はなぜこんなにも儚いのだろうか。
 初めて聴いた時はまだ、そんな感想を持っただけだった。


 バルナバーシュは、古代語の辞書を片手に何日もかけて日記の内容を読み進めていく。
 レネの両親は故郷を捨てこの国に移り住んで、途中である組織に見つかり、怯えるように暮らしていたことが書かれていた。
 間違いなく、レネの両親を殺したのは、その組織の人間だ。
 
 なぜレネたちの両親は、故郷を捨てこっそりと異国の地で暮らしていたのか?
 日記の最後の方で、その答えを知る。


 全ては、予言の成就を阻止するため。




 バルナバーシュはさわりだけ聴いたあの歌の全容を知りたくなり、ルカーシュにレナトス叙事詩の大まかな内容を尋ねた。

 美しい容姿を持ち神々の寵愛を一身に受けていたレナトス王は、火・水・地・雷・癒の全ての魔法を使うことができたといわれている。
 東の帝国からの侵略を受けるが、強大な力を持つレナトス王一人で、十万の軍勢を一瞬のうちに滅ぼしてしまった。
 
 だが、国の危機を救った若く美しい王は、とつぜん謎の死を迎える。
 王の死を悲しんだ神々は民を見捨て、とっとと天に帰ってしまう。
 しかし慈悲深い癒しの神だけがこの地に残った。
 こうしてこの地から癒し以外の魔法が消えた。

 最後に予言めいた短い言葉を残し、物語は幕を閉じる。

 
 【レナトス叙事詩———第二十二歌】

 
┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁┈┈┈┈┈┈┈┈
 
 契約の島の太陽が消え、闇が全てを飲み込むとき
 
 銀髪に若草色の瞳を持つ、神々に愛されし血を引き継ぐ者が

 再び王冠を被り、聖杯を満たせば
 
 五枝の灯火が復活し、神々との契約が再び結ばれん

┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁┈┈┈┈┈┈┈┈



 
 日記の内容との符合に、バルナバーシュは戦慄する。
 古代王朝の話は今でも沢山語られるのに、最期の王については触れられることはなかった。
 まさか最期の王にそんな物語が存在するなんて、バルナバーシュは今まで知らなかった。


「……じゃあレネは……本当に……?」
 
「さあな……両親の頭がただイカれてただけだと祈るよ」

「お前は東国出身なのに、どうしてこの歌を?」
 
 西国三国でもそう知られていない古代の王の歌を、ルカーシュはどこで覚えたのだろうか。
 バルナバーシュは疑問に思う。

「バンドゥーラと歌は独学で覚えてきたけど、この叙事詩だけは師匠がいる」

「……そう言えば……ゲルトから吟遊詩人に弟子入りしてるって聞いた記憶が……」

 ドロステアに連れて帰るための準備を整え、ルカをオゼロの王都へ迎えに行った時のことを思い出す。
 ゲルトから居場所を聞き出し行ってみたものの、とんでもない最中を覗いてしまった苦い記憶も一緒に蘇ってきた。

「おい、違うこと思い出してるだろ」

 どうやら顔に出ていたらしい、目の前でルカーシュが眉間に皺を寄せている。

「いや別に……」

「あんたな……明るい場所で初めてあのガキを見た俺の気持ちがわかるか? 銀髪に若草色の瞳……歌と一緒だけどまさかなって思ってたよ。でもあの日記を読んだらもう間違いようがない。俺は歌を教えてくれた盲目の吟遊詩人に『この歌は光だ。お前がこの歌を必要な者の所へ運べ』と言われて歌を仕込まれたんだぜ? まだあの時は自分がドロステアへやって来るなんて微塵も思ってもいなかったのに……——お膳立てがありすぎて笑えるだろ?」

 そう言いながらも、ルカーシュの顔はぜんぜん笑っていない。


「光を運ぶ者か……」


 バルナバーシュは思わずルカという名の意味を声に出していた。

 十数年前、自分がルカーシュをこの国へ強引に連れて来なければ、この歌のことやレナトス王についても、なにも知らないままだっただろう。
 見えない力に導かれているようで、バルナバーシュにしては珍しくゾワゾワと鳥肌が立っていた。


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