菩提樹の猫

無一物

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閑話

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 昼食が終わると腹ごなしと言いながら、ダニエラがレネとゼラを誘い鍛練場で身体を動かした。
 ゼラ相手にレネとダニエラで挑む様子を、オレクが野次を飛ばしながら楽しそうに見ていた。
 
「だいぶ倅に仕込まれてるようだな。前より動きが良くなった」

 ゼラに向かってそう言うとオレクは満足な笑みを浮かべる。

 そしてオレクはレネの方へと目を向けた。

「お前、実戦でまだ一本しか使えないのか?」

「まだ実戦では二本持たせて貰えない」

 レネは口を尖らせてそっぽを向く。

「色々難しいこともあるよな。お前も自分の剣を持って間もないだろ? あいつはお前の師になってからどう教えるか試行錯誤してるしな」

 オレクは片方だけ頬を上げて苦笑する。
 
(——そんな話初めて聞いた)

「剣を替えてから、コジャーツカ人かよく聞かれるようになっただろ?」

「うん」

 特に大戦を経験している男たちが、この剣を見た時の反応は著しい。

「あいつが、ずっとお前にサーベルを持たせてたのも理由わけがある。お前に自分の色を付けるのをずっと悩んでたんだよ。この国じゃああいつは異国人だし、副団長に就任するのにも横やりが入って大変だったんだ。そんな自分が、跡継ぎになるであろう団長の養子に、異国の剣法であるコジャーツカの剣を教えていいのか……コジャーツカの剣を持たせてしまったら、お前も異国人に見られるかもしれないと慎重になってたんだ」

「——そんなこと……」

 ルカーシュがそこまで考えて行動していたなんて思いもよらなかった。
 ただ気まぐれでチェレボニー村まで連れて行かれたのかと思っていた。
 
「自分に当て嵌めてみろ、あいつがお前の師匠になった時はまだ二十六だぞ。お前五年後に弟子を取るなんて考えられるか? それもゆくゆくはリーパ護衛団の団長になるかもしれない人物のだ。相当なプレッシャーだろ?」

「…………」

 ルカーシュはそんな素振りなど今まで一度も見せたことがなかったので、考えたこともなかった。
 ただ鬼のように強くて怖い師匠だと思っていた。
 複雑な感情があるので決して口には出さないが、剣士として尊敬はしている。

「昔はよく一緒に酒飲みながら愚痴ってたな」

 ダニエラも懐かしそうに話す。

「オレ、二十一にもなってこんなんじゃ駄目なのかな……?」

 急に不安になってレネはオレクを見上げた。
 このままでは師匠の足元にも及ばないのではないか? という不安がこみ上げてくる。
 するとオレクは、老人特有の大きな声でガハハハッと笑う。

「お前は知らないだろうが、うちの馬鹿息子は、陶磁器屋の倅と連れ立って毎日女遊びに明け暮れてたんだぞ」

 若い頃のバルナバーシュの話はベテラン団員たちから聞いたことがある。
 オレクの言う陶磁器屋の倅とは、間違いなくハヴェルのことだ。

「でもそれ、若い頃だろ?」

 誰にだってそんな時代くらいあってもいいだろ。

「三十が若いと言えるか? 成人してから三十までだぞ?」

「へっ……三十までっ!?」

(あれ……想像していた以上に酷いぞ……)

 理想にしていた養父像がバラバラと崩れていく。

「大戦に傭兵として参戦するまで、あいつはどうしようもない放蕩息子だったんだよ。外で子供までこさえてたしな。探し出せばきっと他にも落とし胤が見つかるはずだぞ」

(バルトロメイ以外にも子供がいるかもって……?)

 バルトロメイが生まれても会わせてもらえなかったのは、バルナバーシュの方にも相当問題があったように思える。

 ルカーシュは二十六で弟子を受け入れていたのに、バルナバーシュは三十まで遊び惚けていたなんて、なんだかレネの想像とだいぶかけ離れている。

「だから、焦ることはない。お前はそのまま剣の道に進めばいい」

「は、はい」

 レネは曖昧に返事をする。
 参考になるような、ならないような……。


 鍛練場から戻って来た後、レネは再びゼラと厨房に篭って夕食の支度を手伝っていた。
 スープに入れる野菜を切ったり、前菜になるハムやサラミを切って綺麗に皿に盛りつけた。

「あの棚の右上にある黄色い瓶を開けて、その器に移してチーズの隣に並べろ」

 ゼラが秋に使用人夫妻と一緒に仕込んでいた瓶詰の中から、カラフルな黄色のピクルスを取り出し、スライスしたチーズの隣に並べる。グズベリーやカリフラワー、さやいんげんに未成熟のメロンなど変わった組み合わせだ。マスタードとスパイスの風味豊かな香りに、思わず口に溢れた唾を飲み込む。

「一口だけなら味見を許そう」

 ゼラは背中を向けてスープをかき混ぜているはずなのに、まるでレネの様子が見えているかのようだ。
 レネは自分の心が見透かされたようで少し恥ずかしいが、味見の許可が出てにんまりと笑顔がこぼれる。

「やったっ!!」

 色々野菜や果物の中から、どれにしようかと悩んだ末、無難そうなカリフラワーを摘まみ上げる。
 恐る恐る口に入れると、他のピクルスよりも甘みのあるビネガーにピリッとしたマスタードと他のスパイスの絶妙な風味が鼻に抜け、ポリポリとしたカリフラワーの食感が癖になる味だ。

「なにこれ!? 初めて食べる味だけど美味いっ!!」

「チーズにも合うし、祖国では鶏肉の付け合わせにしてよく食べる」

 できる男は背中で語る。
 レネと喋りながらも、決して振り返らず作業の手を止めたりしない。

「へぇ、ポーストの料理なんだ」

 厨房には、日頃とは違うエキゾチックで刺激的な香りに溢れている。
 レネは家の厨房にいながら、まるでここがまだ見たこともない砂漠の国になったかのような錯覚に陥った。

 日頃から美味い酒を求め旅に出かけているオレクの舌が、まったくもって保守的ではないということを、ゼラは朝昼の食事を提供する時にちゃんと把握していて、夕食はエキゾチックな料理の数々が食卓に並べられた。
 だがどの料理も逸脱しすぎないように、どこかドロステア風にアレンジされていてとっつきにくさがない。


「おい、本気でうちの牧場のコックにならないか?」

 メインの白鳥のローストを頬張りながら、オレクが呟いた。
 スパイスに漬け込んだ白鳥の肉をパリッとローストさせ、トマトのピクルスに生玉葱と唐辛子を加えたソースをかけて食べる。
 ローズマリーが利いているのでドロステア人にも馴染みのある味になっていた。
 刺激的な味に、先程からオレクとダニエラはビールが止まらない。

「天は二物も三物も与えすぎだろ……」

 ダニエラが羨望の眼差しでゼラを見つめている。

(強くて、料理ができて、美男か……)

 レネも、ダニエラの言う三物が容易に思い浮かぶ。

「オレもゼラみたいになりたかったな……」

「なんだ? 気が合うな。私も今度生まれ変われるなら、あんな風な男に生まれたいな」

 向かいの席に座るダニエラがぼそりと呟く。
 
 ダニエラは日頃、男の成りをしてサバサバとしているが、その身で剣を持つということは、剣を持つ男たちと対等に戦うことを意味する。
 リーパの中でも、きっとダニエラに勝てるのは十人もいないくらいだろう。それくらいこの男装の麗人は強い。
 だが、男にはない苦労をしているはずだ。
 普段ならこの場所にも入ってこれない。
 
「あんたも、色々苦労してんだね」

「お前も苦労してるだろ?」

 レネも男っぽくはない外見のせいで軽くみられることもあるが、なんだか自分がここで頷くのもおこがましい気がした。

 白鳥のローストを黙々と食べていたゼラが突然、「やっとあの時のリベンジができたな」なんて言うものだから、すっかり忘れていたことを思いだした。

「何だそりゃ?」と訊いて来るオレクたちに、今ではもう笑い話となった『白鳥事件』の内容を話し、みんなでゲラゲラと笑った。
 でも今でもあの時の、ゼラが作ってくれた甘い粥の味は忘れない。

 こうして笑いながら食べている内に、四人では食べきれないかと思っていた料理も見事に無くなった。
 レネも新年早々ゼラの料理を堪能することができ、大満足していた。

(オレクたちが来てくれてよかった)

 今朝あんなに落ち込んでいたことなんてすっかり忘れてしまっていた。

「おいレネ、お前ぜんぜん飲んでないじゃないか。今日くらい羽目を外してもいいだろ。俺が許すから飲めっ!」

「あ~~~ちょっと待ってよ、そこにある空いた皿を片付けてからにするから」

 オレクがグラスに持参したワインを注ごうとするのを必死に止めた。
 このまま酔っ払ってしまったらゼラ一人で片付けをしないといけなくなる。

 空き皿を集めてカートに乗せ厨房へと運ぶと、ゼラが、洗い桶の中に大鍋で予め沸かしておいた熱湯を注ぎ水でぬるめて石鹸水を作っていた。
 大まかな汚れを最初にふき取って、食器類を桶の中へと入れていく。

 ここの食堂で使われている食器類はすべて、メスティー・ポルツェランという王家御用の高級陶器なので、慎重に扱わなければいけない。
 と言っても、ハヴェルの所の食器なのでバルナバーシュは親友割引という特権を使って格安で仕入れている。
 ルカーシュの闇討ちで、二階の部屋に置いている水差しやカップが頻繁に割れているが、バルナバーシュが苦い顔をしないのもそのせいだろう。
 物は大切に扱うに越したことはないのだが。

「食器は俺が洗うから、お前はあっちで二人の相手をしてこい」

 厨房で働いていたというゼラは、後片付けも手際がいい。

「そうだね、オレが洗うと何枚か割りそうだし……」

 慣れない自分がやるよりもいいだろうと判断し、ゼラに後片付けをお願いして、娯楽室へと場所を移して飲み続ける二人の所へと戻って行った。

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