菩提樹の猫

無一物

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閑話

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◆◆◆◆◆


「どういうことなの?」

「以前ロランドさんと同じ所にいらっしゃいましたし、あの方も護衛さんなんじゃないですか?」

 下男に頼んで、腕に自信があるという男を雇い、あの美青年を脅してロランドに近付くのを止めさせようと思ったのに、返り討ちにあってしまい完全に宛てが外れた。

「じゃあ……もしかしたら二人は共犯でわたしを騙している可能性もあるのね……」

 こういう時の女の勘は神憑っている。
 
「外でだけ恋人の振りをしているのよ。だってあの人、ロランドに腰に手を回されていたのにぜんぜん嬉しそうじゃなかったもの……きっと仕事仲間だから協力してるのよ」

 ヴィオラは言葉にすると余計に実感が湧いてきた。

(ついにアレを使う時が来たわ)

 メストにはクリーチ男爵の経営する錠前屋があるのだが、ヴィオラはこっそりとその店の職人に頼んでロランドが留守にしている間に、合鍵を作らせていた。

 明日から門限にうるさい父は領地へ帰るので、屋敷はヴィオラ一人だ。
 いつもは夕食前に帰宅しないといけなかったが、明日からは夜遅くなっても執事のダリミルさえ上手く丸め込んだら誰も文句は言わない。

 それに関しては、ヴィオラは隠し玉を持っている。

 ダリミルは台所女中のダナに手を出した。
 彼の部屋から衣服を乱したダナが出て来るところを、ヴィオラは偶然目撃した。もしそれを父に知らせると脅せば、ダルミルはなんでも言うことを聞くだろう。

 明日になったらロランドの家にこっそり忍び込んで、二人が家の中でどんな風に過ごしているのかこの目で確かめよう。


 翌日。
 二人が仕事から帰って来る前に、ヴィオラは用意していた合鍵でロランドの家へと忍び込んだ。
 もちろん今回は侍女のソニャは連れずに一人だ。
 

 想像していた通り、ロランドの部屋は男の一人暮らしとは思えないくらい綺麗だった。
 居間には彼の瞳と同じ薄い翡翠色をしたソファと、ひじ掛け付きの猫足のチェアがあり、日頃はここで過ごしているようだ。テーブルの上には大理石とクリスタルでできたチェスのセットが、ゲームの途中で放置したままになっている。

 こんな高価なチェスのセットを護衛団に所属する男が持っているもなのだろうか?
 ふと疑問に思ったが、ヴィオラは庶民のお財布事情など細かなことはわからない。
 だからロランドの部屋に庶民の手に届かない物が置いてあったとしても、「趣味がいいわね」くらいの感覚で物色していった。

 ソファに綺麗に並んでいるクッションを見て、ヴィオラは首を傾げる。
 もし二人が恋人同士ではなかったのなら、あの青年は寝室ではなく、このソファーで寝起きしているはずではないか?
 しかし、このソファーには人が寝起きした形跡がない。
 そう思うと同時に無意識に足が奥の部屋へと向かって行った。
 
 重厚な扉を開けると……そこはヴィオラが知っているあの優し気に微笑むロランドとは違う、危険な男の香りがした。
 朝起きたまま乱れたシーツが乗っているベッドは、二人で寝るにも十分余裕がある大きさで、二つある枕が乱れている。

「ああっ……」

 ヴィオラは無意識のうちに落胆の声を上げていた。
 間違いなく、あの二人は同じベッドで眠っている。

 あの綺麗な青年が、ロランドとここで——
 ヴィオラがどんなに望んでも叶わぬ願いを、あの青年はロランドと……。

 主がいぬ間にベッドに身体を投げ出すと、手前にあった枕を抱え込んだ。
 もうこの枕がどちらの使用したものでもよかった。
 できることなら、ヴィオラはあの青年に成り代わりたい。

 だがそれさえも叶わぬのなら……せめてこの空間を今のうちに味わっておきたかった。
 ローズマリーの精油と蜂蜜のような香りが鼻腔いっぱいに広がり、ヴィオラを甘く蕩けさせる。

 思うようにいかない恋が、ヴィオラの心を苦く……そして甘く疼かせる。


◆◆◆◆◆


 レネは今日もロランドと一緒に仕事をこなし、もう見慣れてきた黄色い壁の建物の扉を開け、ロランドの部屋がある二階まで階段を上る。
 今日は本部に戻る必要はなかったので、夕食は以前ゲルトに連れられて行ったカフェで済ませてきた。
 一応、ロランドの部屋にも小さなキッチンは付いているのだが、飲み物を淹れる以外はまったく使われた形跡がない。まあ、ロランドが料理している姿なんて似合わな過ぎて見たくもないが……
 
「ちょっと待て……」

 ロランドは玄関の扉を開ける前に、クンクンとまるで犬の様に鼻を鳴らして匂いを嗅いでる。
 レネも真似て鼻を鳴らしてみるが、ほんのり甘い花の香りがした。

「——おい、気を付けろ、もしかしたらヴィオラ嬢が忍び込んでいるかもしれない。中に入ったら黙って言う通りにしろよ」

「……へっ!?」

 いきなりそんなことを言われても困る。
 ヴィオラ嬢が忍び込んでいるなら、見つけ出して外へ出て行ってもらう方が先なのに、なぜ自分が喋ってはいけないのだろうか?
 レネは頭の中に疑問符が湧くが、ロランドがさっさと中に入って行ったので、レネも急いで後をついて行く。
 扉を開けて居間に入ると、先ほど玄関先で嗅いだ甘い花の香りが一層強くなる。

(これ……香水の匂い?)
 

「レネ……今日こそはお前を抱いていいかな?」

「は?」

 いきなりロランドの言葉に目が点になる。
 驚いて呆けている間に、ロランドはレネを壁に押し付けると誰にも聞こえない小さな声で囁く。

『カーテンの後ろでヴィオラ嬢が見てる』

(——は? だからって、とんでもない台詞を吐く理由にはならないだろ?)

 ロランドは手首を掴んで壁に押し付けていた手を、それぞれの指の間に自分の指を入れ握り直す。

『——少し我慢してろよ……』

 言葉の意味を考える暇も与えず、ロランドが空いている方の手でレネの顎を掴むと、柔らかなものが唇に押し付けられた。

「んっ……」

(えっ……キス?)

 気付いた時はもう遅く、ロランドは軽く何度も唇を啄んだ。
 レネは唇を固く閉ざして自由な左手で相手の胸を押し返すが、同じ護衛の仕事をしているロランドの身体はびくともしない。

 レネの頑なな態度に、この手のことに慣れた男は溜息と共に苦言を漏らす。

「レネ……何度も言ってるだろ? キスする時は鼻で息するんだよ。ほら、お前だけもう息が上がってる」

 以前にも違う人物に似たようなことを言われた記憶があるが、それはとても嫌な思い出の一つだった気がする。

「……でもっ……」

 こんなことするなんて聞いてない。
 同じベッドで寝ている時もなにもなかったから安心しきっていたのに。
 それも、近くでヴィオラから見られているというオマケ付きだ。
 恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。

「もっと身体の力を抜いて。その可愛い唇を開いて」

 翡翠色の瞳にじっと見つめられ、余計にレネの身体は硬直する。
 しかし最初に部屋に入る前に『中に入ったら黙って言う通りにしろよ』とロランドから釘を刺されたことを思い出した。

 ロランドはヴィオラの前で恋人同士の行為を見せつけて、諦めさせようと思っている。
 貴族の令嬢にとって結婚がどれだけ人生を左右するかロランドから聞かされた。
 それにこのままだと男爵からリーパに苦言が行き、ロランド個人ではなく団全体の信用問題にも繋がる可能性がある。

 恋人同士でないことがバレてしまうと大変だ。
 とうとうレネは観念して、スッと身体から力を抜いた。

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