菩提樹の猫

無一物

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閑話

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◆◆◆◆◆


「なんだよ気持ち悪い……オレこれからずっとあんたとこんなことしてなきゃいけないのかよ?」

 玄関の扉が閉まると同時に、レネはロランドの身体から飛び退った。

 恋人同士を演じる為に、ここまにたどり着くまでロランドに腰を抱かれて帰って来た。
 通行人のチラチラと刺さる視線が痛かったが、団長から『やれ』と命令されたらやるしかない。

「仕方ないだろ、こっちだって好きでやってるわけじゃない」

 ロランドも不本意なのだろう、若干イライラしている。

 レネは勝手知ったるロランドの居間で、以前も寝床にしていたソファに陣取る。
 食事は本部で済ませているので、この家には寝に帰って来るだけなのだが、本部からは距離があるのでいちいち通うのが面倒だ。
 メストでの仕事は本部住みでない場合、報告がある日以外は直行直帰できるのでまだマシだ。
 ロランドの家にいる間はそこを考慮され、近場の仕事へ当たることになっている。
 その大半はロランドと一緒なので、四六時中顔を突き合わせることになるであろうと考えるだけで憂鬱だ。

 団員たちから『狐』と呼ばれるこの男の性格は一見優男に見えるが、まったくもって優しくない。
 見た目通りのルカーシュの方がまだ付き合いやすいかもしれない。
 だが犬ばかりの集団で少し浮いている所は、『猫』と呼ばれる自分と少し似ており、シンパシーを感じる部分もある。

「ねえ、寝る時に使う毛布貸してよ」

 まだ寝るには早いが、本部で入浴と食事を済ませてやることがないので、ソファにあるクッションを枕代わり端に寄せ、レネはさっそく寝床づくりに取りかかった。

「お前なに言ってんだ。お前の寝床はあっちだよ」

 ロランドは寝室の方を指さす。

「——は?……じゃあ、あんたがこっちで寝んの?」

「は? なんで俺がそんなとこで寝なきゃいけないんだよ」

 レネが寝室で寝るのに、ロランドが居間のソファで寝ないということはどういうことだろうか。
 なんだかとても嫌な予感がする。

「ま……まさか……同じベッドで寝るとか言うんじゃないろうな……」

 恐る恐る訊き返す。

「それ以外なにがある」

「…………」

 ロランドに真顔で言い切られ、レネは答えに窮する。

(どうして、そこまで……)
 
「顔にどうしてそこまでって書いてあるぞ。お前クリーチ男爵の町は別名錠前の町って言われているって知ってるか?」

 ロランドはさっさと自分だけ部屋着に着替えると、一人掛けの椅子に座って優雅に足を組む。

「——いいや」

 それどころかクリーチの町とクリーチ男爵が今一致したくらいだ。

(クリーチの町ってテプレ・ヤロの近くだったよな……いや、オレが知りたいのはそれよりも……)

「それがあんたと一緒のベッドに寝るのになんの関係があるんだよ?」

「言っただろ、クリーチは錠前の町って。そこの領主の娘だぞ? 俺が留守の間にこの部屋の合鍵が勝手に作られるのも時間の問題だ」

 恐ろしいことではあるが、それと一緒のベッドに寝る関連性が見えてこない。

「だからってなんだよ?」

「馬鹿が……勝手に部屋に入られた時、ソファにお前が寝ている形跡が見つかったら、恋人の振りをしているだけだってすぐに見破られるってことだよ」

 察しの悪いレネにイラつきながら、ロランドは三つ編みに編んでいた髪を解いて結び直す。

「えっ……そこまで考えなきゃいけないの?」

「——女の勘を馬鹿にすると痛い目に遭うぞ。ほら、明日も早いから早めに寝るぞ」

「…………」

 本人の意思などまったく無視して、レネはロランドから引き摺られるように寝室へと連れて行かれた。

 家出して居間に通された時も思ったのだが、初めて足を踏み入れる寝室を見回して、ロランドのプライベートな空間に足を踏み入れることに酷く気後れする。
 カレルやボリスの部屋に遊びへ行くのとは明らかに違った。

 居間と同様、決して派手ではないのだが上品な雰囲気で、ロランドの趣味の良さがうかがえる。
 しかし……居間とは違い、少しだけ雰囲気が爛れていた。

 いわばこの部屋は狩りの獲物を捌く場所だ。
 本来は同じ雄として、こんな場所には足を踏み入れたくない。
 それも同じベッドで寝るなんて、まな板の上へ乗せられるような落ち着かない気分になってしまう。

「ほら、脱いだ服はここに入れとけ」

 籠を渡され、レネは渋々と着ていた服を脱いでいくが、やはり抵抗がある。

「どっち?」
「お前が奥」

 相手がいる場合は手前がロランドの定位置なのだろう。
 護衛としての特性上、危険が迫っても相手を守りやすいよう自分が入り口に近い手前なのか、それとも獲物に逃げられないように奥に追い詰めているのか——

(あ~駄目だ……余計なことばっか考える……)

 レネはいつも寝る時のようにパンツ一枚はやめて、肌着も着たまま奥にゴソゴソと這って行いく。
 二つ綺麗に並べられた羽根枕を一つバフッと乱暴に胸に抱き、ゴロリとロランドに背中を向けて横になった。
 だがすぐさま相手に背後を見せることに耐えきれず、ゴロンと寝返りを打った。
 これは背後を取られたくない剣士のさがだ。
 
 自分の部屋とは違うリネンウォーターの香りがしても、仕事上外泊が多いレネは慣れているはずなのだが、ここの香りはなぜだか落ち着かない。
 まるで植物の精油の中に雄のフェロモンでも混じっているかのようだ。
 自分が雌だったらうっとりなるところなのかもしれないが、レネは違う雄の縄張りにうっかり入ってしまったかのようで、本能的に攻撃されやしないかとソワソワしてしまう。

「灯りを消すぞ」

「——うん……」

 ロランドがサイドテーブルに置いていた夜光石の灯りに覆いを被せると、部屋の中に真っ暗な闇が訪れる。
 目が慣れて来ると、寝室の窓から街灯と月の光で暗闇の中に薄っすらと部屋の中が浮かび上がって来る。


「俺の妹が生きていたら、ヴィオラ嬢と同じ年なんだ。まあ、お前とも一緒だけどな。お前ももうすぐ二十一か……早いな……」

 上半身裸で仰向けになり、頭の後ろで両手を差し込んで、ロランドがぼそりと呟く。
 妹の話は、以前ここに泊めてもらった時に酒を飲んで少しほろ酔いになった本人から聞かされた。こんな冷たい男が、妹を可愛がっていたなんて想像もできなかったが、妹を襲った不幸がロランドを冷たい男にしてしまったのかもしれないと思った。

「ヴィオラ嬢は妹さんに似てるの?」

 あまり出過ぎた質問をすると怒られるかもしれないと思いながらも、レネは気になったので訊いてみた。

「いや、別に……——妹は……どちらかと言うとお前に似てたよ……」

「……え?……」

 ロランドとは入団した年が同じで、今年で四年目になる。今までそんなこと一言も言わなかったくせに……なんと返事をしていいか困るではないか。

「まあそれはいいとして、貴族の娘にとって結婚は大切なんだ。婚期を逃したら相手を選べなくなる。ヴィオラ嬢にはこんなつまらん男なんて追っかけてないで、良い相手を探さないといけない。だからきっぱり諦めさせる為にもお前の協力が必要なんだ」

 似てないと言いながらも、やっぱりヴィオラのことが気になるのだろう。

「でも、オレなんかじゃなくて、前にここへ来てた女の人に協力してもらえばいいのに」

「いや、彼女たちを危険に曝すわけにはいかない……」

(……たち?)

 レネは一度ここで鉢合わせしたことある女の顔を思い浮かべていたのだが、この家に通ってきているのは一人だけじゃないと知り、眉を顰める。

「前に会った人だけじゃないのかよ……それに危険ってなんだよ」

「ヴィオラ嬢を甘く見てはいけないってことだ。お前も一人で行動する時は気を付けろよ」

「……わかったよ。ちゃんとヴィオラ嬢には失恋してもらわないとな」
 

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