菩提樹の猫

無一物

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13章 ヴィートの決断

番外編 家政婦は見た~二階の住人たちの素顔

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 ヤナがこの屋敷で働くようになったのは、夫がリーパ護衛団を怪我で退職し、第二の人生を模索している最中に団長のバルナバーシュから声をかけられたことがきっかけだ。

 現在は団長私邸の一階に夫婦で住み込んで、主に私邸の二階で暮らす三人の衣食住を支えている。

 とは言っても、昼食は本部の食堂で済ませるので、朝晩二回しか用意しなくてよい。
 養子のレネは夕飯も他の団員たちと済ませることがほとんどなので、バルナバーシュから「今晩は三人分用意してくれ」と言われない限り、夕食も二人分でよい。

 掃除にいたっては、副団長のルカーシュから「自室の掃除は自分でやります」と言われているので、バルナバーシュとレネの部屋を掃除するだけだ。

 どうやらルカーシュは、他人から部屋に入られること自体が嫌なようで、毎日の洗濯物も籠に入れて廊下へ出してある。
 だが、洗濯物に下着が出されていたことは一度もない。
 見るからに生真面目で神経質そうなので、下着を他人に洗われることが嫌なのかもしれない。

 若いころ貴族の屋敷で下女として働いていたヤナにとって、この屋敷は楽園のような職場だった。
 だがここ数日、滞在客が二名加わったことにより、ヤナと夫ツチラトの仕事量はいつもの二倍になった。

 食事は人数が増えようとついでなのでいいのだが、洗濯は量が増えるだけで大変だ。
 洗い終えるといつもゼラの部屋の側にある裏口から外に出て、死角になって干した洗濯物が見えづらい敷地の一番北側に干している。

 洗濯室のすぐ外に干せたら楽なのだが、あそこは厩舎から見えるので洗濯物を干すにはむいていない。
 裏口に向かって、洗濯物の入った籠を両腕抱えてえっちらおっちら進んでいると、頭上から声がかかる。

「おかあさん、今日は大量じゃん」
 
 洗濯ものが山盛りで見えないが、この低い声はヤンだ。
 ヤンは熊のような厳つい大男だが、とっても温厚で優しい性格だ。

「昨日が雨だったからね、溜まってたのよ」
 
「貸してよ、裏口まで運んでやるよ」
 
「ありがとう、助かるわ。今日非番なら、後でお茶の時間に顔出しなさいよ。あんたの好きなハニーケーキあるわよ」
 
「わっ! マジ!? 行く行く」

 一階に住む団員たちは、基本自分のことは自分で行うので直接世話をすることはないのだが、同じ屋根の下の住人だ。
 洗濯室で一緒になって世間話をしたり、時には元気のなさそうな団員を部屋に呼んでお茶をご馳走したりもする。
 だからいつの間にか、一階の団員たちにツチラト夫妻は「おとうさん」「おかあさん」と呼ばれていた。
 
 
 滞在客が帰り(なんとその一人の濃墨さんはヴィートを弟子にと連れて行った)、団長私邸には平穏な日々が戻って来た。

 ヤナは朝から朝食の準備をして、カートに乗せて食堂まで食事を運ぶ。
 メニューはだいたい決まっていて、パンと目玉焼きとベーコン。
 そして東国出身のルカーシュの要望でヨーグルトと果物を必ず付ける。
 ドロステアはもともとヨーグルトを食べる習慣はなかったのだが、大戦が終わり東国からヨーグルトを食べる食習慣が入って来た。
 ヨーグルトは美容にもいいのでヤナ自身も気に入っており、今では自ら仕込むようになった。

「おはようございます」
 
 食堂に入ると三人とも既に席に着いていた。

「おはよう」
「……おはようございます」
「……おはよー……」
 
 長年見てきたので、彼らの調子は顔を見るだけでわかる。
 
 バルナバーシュはなんだか機嫌が良さそうだ。
 
 だが向かいに座るレネはこのところ元気がない。最近食事の量も減っている。
 この子は昔から精神的に不安定になると、すぐ食が細くなる。
 もしかしたら、ヴィートがいなくなったのも関係あるのかもしれない。
 
 しばらくヤナたちの部屋で一緒に暮らしていたヴィートの妹ミルシェは、兄がいなくなって大丈夫だろうか?
 すっかり情が移ってしまい、幼い女の子のことが気にかかる。

 (今度、ミルシェが働く八百屋に差し入れでも持って行って元気づけてあげないとね……)
 
 そして目を移すと、バルナバーシュの隣に座るルカーシュも、なんだか今朝は冴えない顔をしている。
 いつもきっちりとした印象があるルカーシュだが、実は朝が苦手なことをヤナは知っていた。
 それにしても今日は輪をかけて疲れて見える。

 ヤナはそんなことを考えながら給仕を済ませると、食事の邪魔をしないようにいつものようにさっさと食堂を出て行った。

 
 朝食が終わり、ツチラトがそれぞれの部屋から洗濯物を集めて来たのだが一枚足りない。
 
「あんた、シーツが一枚足りないよ」

「団長の部屋のシーツがなかったんだよ」
 
 ツチラトが困った顔をしてこっちを見る。

「——また誰か怪我したのかしら……」
 
 こういうことは偶にある。
 早朝にボリスが二階に呼ばれていたので、もしかしたら誰か怪我をしてシーツを汚してしまったのかもしれない。

 ヤナは二階の住人が日ごろ自室でどう過ごしているのか知らないが、レネの部屋が嵐の後のようにグシャグシャに散らかっている時は、高確率でボリスが二階に呼ばれ、血だらけになったシーツが使い物にならなくなる。

 普通の使用人だったら卒倒しそうだが、ここは傭兵団の団長の家で、夫のツチラトも元団員だ。ヤナも多少の流血沙汰くらいでは驚いたりはしない。

 洗濯を終えると、次は二階の部屋の掃除だ。

 ツチラトと二人でまずは手前にあるレネの部屋から掃除にかかる。
 以前、机の上に隠し忘れたのだろう猥本を発見して、二人で『あの子も男の子なのねぇ』笑いあったことがある。

 レネの部屋は、仕事で留守が多いせいかあまり物が置いていない。
 それになにか飾ってあったとしても、大抵割れるか壊れるかして廃棄処分にされる。

「風呂も使ってないし、今日は掃き掃除だけでよさそうだな」
 
「そうね」
 
 まずは綺麗に洗濯したシーツをセットして、洗濯した服をクローゼットの中にしまう。

 ヤナは、下着入れを見るたびに、気になる物がある。

 綺麗に形よく畳まれたパンツの奥へ隠すように、臙脂色のレースの紐パンが置いてあるのだ。
 初めて見た時、女物かと思わず手に取ってみたが、どうも男物らしい。
 後ろの尻の部分は食い込んで大変なことになりそうだ。

(あの子がこんな物……)

 まるで男娼が穿くような下着をレネが持っているのが不思議でならないが、いつも同じ位置にあり使われた形跡はない。

(勝負パンツかしら?)
 
 だが、勝負する相手は女性ではなさそうだ。
 
 戦争も内戦もない平和な世の中になり、男たちが戦力として駆り出され死ぬこともなくなったドロステアは、男余りになっている。
 同性愛が禁忌ではないこの国で、同性に走る男たちも珍しくない。
 しかしレネはあんな外見をしているが、別に男が好きなわけではない。

 だからよけいに、ヤナはレネがなぜあの紐パンを持っているのか気になってい仕方なかった。
 本人に訊くわけにもいかないので、紐パンを見るたびに悶々とした思いに駆られているのだ。

 
 レネの部屋の掃除を終え、次は一番奥にあるバルナバーシュの部屋へと向かった。
 長い廊下を歩きながら、ルカーシュの部屋がある右側の壁を見つめる。

 ヤナはルカーシュの部屋にまだ一度も足を踏み入れたことはない。
 しかし少し前に風呂のお湯が出ないという理由でツチラトがルカーシュの部屋に呼ばれた。

 帰って来た夫に、『どうだった?』と感想を訊いたら、『劇団の楽屋みたいで服と武器が沢山あった。それにあいつ、部屋で煙草吸ってんな』と驚いた様子で話していたのを覚えている。

 想像していたルカーシュのイメージと随分違った。
 あのお堅い副団長が喫煙者だったとは驚きだ。
 きっと、団長に振り回されてストレスが溜まり、煙草に手を出したのだろうと推測する。
 
 この仕事は頭を空っぽにしていてもできるので、仕事中ヤナの頭の中はいつも違うことばかり考えている。

 
 あっという間にバルナバーシュの部屋に着くと、先ほどと同じようにシーツを替えて洗濯物をしまい、ツチラトは窓を開けて掃き掃除をはじめた。
 
 この部屋がレネと違うのは、バルナバーシュは毎日自室の風呂を使用するので、風呂掃除をしなければならないことだ。
 タオルを補充したついでに、ヤナは風呂掃除をはじめる。
 
 浴槽を磨いて、風呂の床を掃除していると……ここにあるべきではない物が落ちていた。
 
 床に落ちていた長い髪を摘まむと、太陽の光にかざす。
 薄茶色のそれは、陽の光に当たりまるで金糸のようにキラキラと輝いた。

(——なぜこんな所にあの人の髪の毛が?)
 
 風呂のお湯も出るようになったし、わざわざ人の部屋で風呂に入る意味がわからない。

(まさか……)

 朝から今までの出来事がまるでパズルのピースのように嵌っていった。


「お前、さっきから一人でニヤニヤして気持ち悪いぞ?」
 
 掃除が終わった帰り道、ツチラトが心配そうな顔をしてヤナを覗き込む。

 ヤナは気分が高揚して、漏れる不気味な笑いを止めることができない。
 風呂掃除の後、寝室のサイドテーブルの小皿に煙草の吸殻を発見した時は思わず小躍りしそうになった。
 
 今までそんなこと、まったく疑ったことがなかった。
 前々から噂はあったが、部屋を見ればなにもないことが一目瞭然だったからだ。

 それが……この短期間になにがあったのだろうか?

 もしかしたら、昔の傭兵仲間だという来客たちとも関係あるのかもしれない。
 夜更けにボリスが呼ばれたのも——
 
(あの見かけのまんま、団長は夜の方も激しいのかしら?)
 
 ヤナは想像しただけで、頭が沸騰しそうになった。
 
 もしこれが周囲に知られたらあまりにも影響が大き過ぎる。

(……これは誰にも言ってはいけないわ……)
 
 隣で怪訝そうな顔をしている夫にも。
 ヤナはこの秘密を墓場まで持って行く決意をする。


 やはりこの屋敷は——ヤナにとって、楽園のような職場だった。



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 ここまで読んで頂きありがとうございました。
【菩提樹の猫】第一部はここで終了になります。

 ここでいったん連載をお休みして、サイドストーリ『副団長にはどうやら秘密が沢山あるようです』を連載します。
 詳しくは近況ボードにも書いていますが、どうしてもこの順番で連載しないとネタバレが起きてしまうのです。

 連載開始時期はまた近況ボードでお知らせします。
 第二部はレネの秘密が解き明かされていき、この物語に欠乏していると思われるBL要素も増えていきます(当社比。
 完結済みの連載『秘密結社盗賊団』も第二部に大きく関わってくるので是非この機会に読んで頂けると嬉しいです。
 
 無一物


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