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13章 ヴィートの決断
16 弟子は可愛いか?
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◆◆◆◆◆
「——気付いてたか……」
「視線を感じたからな。ずっと見てたんだろ?」
ドゥーホ川の川沿いの道を西側へと歩いていたら、後ろから黒い影がついて来る。
ルカだ。
濃墨は先ほど、弟子と手合わせをするルカの様子を少し離れた場所から気配を消してじっと見ていた。
バルナバーシュの養子とルカがどういう師弟関係を結んでいるのか興味があったからだ。
レネは現在二刀流になるための鍛練を積んでいる最中で、まだ実戦では使えない状態だ。
だが後一、二年もすれば、師匠の様に二刀流の剣士として戦えるようになるだろう。
「弟子は可愛いか?」
「自分とは違うからな。思うようにいかないことばっかりだ……あいつ馬鹿だし……」
乱れた髪を結び直しながらルカは自分の弟子について語る。
この男は昔から愛情表現の仕方が少し人とは違うので誤解されやすいが、根はいい奴だ。
「まさかお前が弟子を持つなんて思わんかったぞ」
なにごとも一人で行動する男だと思っていた。
バルナバーシュがドロステアに連れ帰り、リーパの副団長の座に就いたと手紙で知らされただけでも度肝を抜かれたというのに。
堅苦しい仕事に耐えきれず、そのうち自分の所へ逃げ出して来るのではないかと思っていたが、今日までちゃんと仕事を続けている。
人は変わるものだ。
きっとバルナバーシュの影響も強いだろう。
「俺もその予定はまったくなかった。本当はバルが直接仕込む予定だったけど、あいつ両手剣がまったくダメでさ……そうなったら他に俺以外いないだろ? 子供の頃はぴーぴー泣いてばっかりで手を焼いた」
大切な養子の師匠にルカが選ばれたのは片手剣の使い手ということもあるが、濃墨はもう一つ理由があると思う。
「……バルは他の男には触らせたくなかったんだろうな」
バルナバーシュはルカに絶大の信頼を置いている。
「あ~~それ言ってやるなよ。今でも年頃の娘でも持ったみたいにパパは常に目を光らせてるんだぜ」
ルカはケケッと下品に笑う。
「でもレネは良い剣士じゃないか」
剣技もさることながら、心に迷いがない。
ここで殺さなければ自分が殺されるという、弱肉強食の世界をちゃんと知ったうえで剣を抜いている。
「あの外見だからな、人一倍強くないと苦労する」
「……お前も苦労人だからな……」
ここにもバルナバーシュがルカにレネを託した理由があるのだろう。
「それにしてもな……ヴィートのやつ……レネに手を出したかと思えば、弱っちいクセにさっきみたいに全力で身を挺して守ろうとするんだよな。駄犬なのか忠犬なのかわかんねーわ」
濃墨も先ほど見ていたが、考える前に身体が動いてレネを庇ったようだった。
あの行動は、損得で考えてできる類のものではない。
「惚れてんだろうな……」
ヴィートの気持ちが痛いほどよくわかる。
「性欲を惚れたと勘違いしてるんだろう」
ルカは首を捻ってこっちを見る。
この男は相変わらずのようだ。
外見もだが、中身も変わっていない。
濃墨は思わず苦笑いしながら頭を掻いた。
詰まらなそうな顔して暮らしていたら旅に誘おうと思っていた。
だがルカは、ここに自分の居場所をちゃんと作っている。
濃墨は、二人っきりで話そうとずっと機会を窺っていたが、いざ二人になっても「一緒に来ないか」と言う言葉を、最後まで口に出すことはなかった。
◆◆◆◆◆
今朝も団長の傭兵仲間も参加した鍛練がはじまり、ヴィートは昨日と同じように濃墨の所へと駆け寄った。
お互い剣を抜き、本気で向き合ったのだが、また一発でやられてしまった。
「夕方、昨日いた河原の空き地に来い。構え方を教えてやる」
濃墨はヴィートにそう言い残すと、次の相手へと向かって行った。
ヴィートは朝の鍛練を終え、食堂で一緒に食事をしているアルビーンに愚痴を漏らす。
「はーーーーっ……ぜんぜん相手にしてもらえねえ……」
二日連続で、一発でやられてしまった。
「は? お前気付いてるか? 濃墨さんって、お前の時しか刀抜いてないって」
「……え!?」
いつもやられた後は地面に転がっているので、次の相手を視界の端で見るだけで、そんな細かい所まで気にしていなかった。
記憶にあるのは、昨日と今日も、他の団員の方が形になっているということだけだ。
(——みんな真剣でやってなかったのか……?)
「でも、峰打ちだし……」
「いやいや、お前、他の奴たはそこら辺にある木刀で軽くあしらわれるだけでぜんぜん相手されてないんだぞ?」
人のことなどどうでもいい。
他の団員たちが軽くあしらわれているからと言って、ヴィートの不甲斐なさが減るわけでもない。
「他の奴らと比べたからって、俺と濃墨さんとの差が縮まったわけじゃねえし。関係ねえよ」
「お前……そういう所、尊敬するわ。向上心があるよな」
アルビーンがソーセージをつつきながらヴィートを褒める。
「だってお前、悔しくないかよ? 俺はもっと強くなりたいんだ。このままじゃ絶対ゼラやバルトロメイに追いつけない……」
「……お前……目標はそこかよ……」
アルビーンが呆れた顔をしている。
「——いいや、団長より強くなりたい」
本当の目標はそこだ。
「は……?」
「レネがこの世で一番尊敬してるのは団長だ。だから俺は団長より強くなりたい」
そうでないと、きっとレネは振り向いてもくれない。
「あ~あ……恋する若者は……」
アルビーンにとってヴィートは、あまりにも非現実的なことを言っているように聞こえるのだろう、口に乾いた笑いを浮かべている。
「馬鹿言うな、恋とかそんな薄っぺらい言葉で片付けるな」
ヴィートはレネに対する気持ちを、なんと表していいかわからない。
言葉では心の中に渦巻く気持ちを掴みとるができない。
心の中に手を突っ込んで、この想いを掴み出し彼に見せることができたら、どんなに楽だろうか?
恋とか愛とか、男女の恋愛にあるようなそんなものではない。
すべてを言葉に変換することは無理だが、敢えて言うならば——
自分が生きているこの世界に、目に見える生きた神が存在しているのだ。
それもすぐ側に。
でも彼は全知全能の神ではない。
それを補うために自分がこの世に存在する。
自分だけの唯一の神として、彼が支配してくれたらどんなに幸せだろうか……。
「——お前……意外と詩人だね……」
アルビーンがぽかん……と口を開けてこっちを見ている。
いつの間にか、脳内で考えていたことを口に出していたようだ。
「素晴らしいポエムだ」
「なかなか才能があるじゃないか」
周りの団員から、パチパチパチと拍手される。
ヴィートは急にいたたまれなくなり、俯いて顔を真っ赤にした。
(うわ……恥ずかし過ぎて死にそう……)
どうも自分はレネのことになると詩人になるらしい。
レネへの熱い想いですっかり忘れていたが、濃墨から夕方に河原の空き地に来いと言われていたことを思い出す。
なぜ昨日、空き地にいたことを知られていたのかは疑問だが、一対一で誰かに剣を教えてもらうのは初めてだったので、ヴィートは期待に胸を高鳴らせた。
夕方になり、昨日酷い目に遭った河川敷沿いの空き地に足を運ぶと、既に濃墨は先に到着していた。
「——来たか」
出会って数日経ってから気付いたことだが、お喋りなゲルトと比べ濃墨は物静かな性格だ。
それがとても大人の男の魅力に感じ好ましく思えた。
「これを持ってみろ」
渡された木の棒を見てヴィートは驚く。
「……これは刀の形?」
少し反りのある剣は、ヴィートが今持っているサーベルと似ているが、これは柄の部分が長くなっている。
「そうだ。似たような形はないからな。メストの職人に俺の刀に似せて急ごしらえで作ってもらった」
どうしてそんな急いで作ったのだろうか?
もしかしたらリーパに滞在している間、鍛練で使うためなのかもしれない。
アルビーンによると、皆が練習で使っている木刀を適当に使っていたと聞いた。
「こうやって持つんだ」
後ろから濃墨が手を添えて、木刀の持ち方をヴィートに教える。
「剣先は相手の喉に向けろ。足は、右足を半歩前に、左右の間は拳一つぶん開け。左足の踵は浮かせてつま先に体重を乗せろ。そして視線は相手の目に置いたまま、身体全体を見ろ……そう重心は臍の下に保て」
「はい」
一対一で人からこんなに丁寧に習ったことは初めての経験だったので、ヴィートは嬉しくてなんだか身体の奥が温かくなってきた。
「今からお手本を見せるから、俺を真似て刀を振り下ろしてみろ」
「はい」
ヴィートは濃墨から一通り刀の構えを習い素振りの練習をし、完全に日が暮れて辺りが真っ暗になった所で、二人だけの稽古は終わりとなった。
こんなに充実した気持ちになったのは初めてだ。
自分の中に足りなかったものが、少し満たされたような感覚だ。
レネと一緒にいる時は幸せなのだが、このままではいけないという気持ちが日に日に強くなっていく。
あの日以来、毎晩のようにレネの痴態を想像しながら自らを慰める日々が続いている。
いつか自分は、レネに対する衝動を抑えきれなくなり行動を起こしてしまうのではないかという不安が渦巻いていた。
レネの役に立てる強い男になりたいと思いながら、まったく反対の欲望を抱いている。
支配されたいと願いながらも、そんなレネを征服したいという矛盾した気持ちがヴィートを悩ませている。
「お前、レネに惚れてるのか?」
帰り道、二人肩を並べて歩いていると濃墨がヴィートに話しかけてきた。
それも、今まさに頭の中で考えていたレネのことだ。
「……どうしてそれを?」
ヴィートは目を見開いて暗闇でほとんど見えない濃墨の顔を振り返る。
「お前は見ていてわかりやすい。昨日、レネを身を投げ出して庇っただろ? 護衛の仕事中じゃないんだ、自分より強い相手の前に、とっさに身を投げ出すなんて、肉親か惚れた相手以外にはなかなかできるもんじゃない」
墨を溶かしたような暗闇でどんな表情をしているのかわからないが、親鳥を見る雛の様な眼差しで濃墨を見つめる。
(この人は些細なところまで俺のことを見ていたんだ……)
「俺……レネより弱いし、でもどうやったら強くなれるのかもわかんなくて……濃墨さんからこうやって稽古してもらえると凄く嬉しいです」
ヴィートは思ったままを素直に口に出す。
本来はそんな性質ではないのだが、なぜか濃墨の前では感情を吐露することができた。
「その木刀はお前にやる。明日の朝からはそれを持って鍛練場に来い」
「……え!? これ俺がもらっていいんですか? ……ありがとうございます!」
まさかわざわざ準備させたという木刀を、自分が貰えるとは思ってもいなかったので、ヴィートの心は打ち震えた。
それからというもの、夕方になると空き地で濃墨がヴィートに稽古をつける日々が続いた。
こんなに剣の稽古を丁寧に指導してもらうのは初めての経験で、充実した毎日が続いていた。
「——気付いてたか……」
「視線を感じたからな。ずっと見てたんだろ?」
ドゥーホ川の川沿いの道を西側へと歩いていたら、後ろから黒い影がついて来る。
ルカだ。
濃墨は先ほど、弟子と手合わせをするルカの様子を少し離れた場所から気配を消してじっと見ていた。
バルナバーシュの養子とルカがどういう師弟関係を結んでいるのか興味があったからだ。
レネは現在二刀流になるための鍛練を積んでいる最中で、まだ実戦では使えない状態だ。
だが後一、二年もすれば、師匠の様に二刀流の剣士として戦えるようになるだろう。
「弟子は可愛いか?」
「自分とは違うからな。思うようにいかないことばっかりだ……あいつ馬鹿だし……」
乱れた髪を結び直しながらルカは自分の弟子について語る。
この男は昔から愛情表現の仕方が少し人とは違うので誤解されやすいが、根はいい奴だ。
「まさかお前が弟子を持つなんて思わんかったぞ」
なにごとも一人で行動する男だと思っていた。
バルナバーシュがドロステアに連れ帰り、リーパの副団長の座に就いたと手紙で知らされただけでも度肝を抜かれたというのに。
堅苦しい仕事に耐えきれず、そのうち自分の所へ逃げ出して来るのではないかと思っていたが、今日までちゃんと仕事を続けている。
人は変わるものだ。
きっとバルナバーシュの影響も強いだろう。
「俺もその予定はまったくなかった。本当はバルが直接仕込む予定だったけど、あいつ両手剣がまったくダメでさ……そうなったら他に俺以外いないだろ? 子供の頃はぴーぴー泣いてばっかりで手を焼いた」
大切な養子の師匠にルカが選ばれたのは片手剣の使い手ということもあるが、濃墨はもう一つ理由があると思う。
「……バルは他の男には触らせたくなかったんだろうな」
バルナバーシュはルカに絶大の信頼を置いている。
「あ~~それ言ってやるなよ。今でも年頃の娘でも持ったみたいにパパは常に目を光らせてるんだぜ」
ルカはケケッと下品に笑う。
「でもレネは良い剣士じゃないか」
剣技もさることながら、心に迷いがない。
ここで殺さなければ自分が殺されるという、弱肉強食の世界をちゃんと知ったうえで剣を抜いている。
「あの外見だからな、人一倍強くないと苦労する」
「……お前も苦労人だからな……」
ここにもバルナバーシュがルカにレネを託した理由があるのだろう。
「それにしてもな……ヴィートのやつ……レネに手を出したかと思えば、弱っちいクセにさっきみたいに全力で身を挺して守ろうとするんだよな。駄犬なのか忠犬なのかわかんねーわ」
濃墨も先ほど見ていたが、考える前に身体が動いてレネを庇ったようだった。
あの行動は、損得で考えてできる類のものではない。
「惚れてんだろうな……」
ヴィートの気持ちが痛いほどよくわかる。
「性欲を惚れたと勘違いしてるんだろう」
ルカは首を捻ってこっちを見る。
この男は相変わらずのようだ。
外見もだが、中身も変わっていない。
濃墨は思わず苦笑いしながら頭を掻いた。
詰まらなそうな顔して暮らしていたら旅に誘おうと思っていた。
だがルカは、ここに自分の居場所をちゃんと作っている。
濃墨は、二人っきりで話そうとずっと機会を窺っていたが、いざ二人になっても「一緒に来ないか」と言う言葉を、最後まで口に出すことはなかった。
◆◆◆◆◆
今朝も団長の傭兵仲間も参加した鍛練がはじまり、ヴィートは昨日と同じように濃墨の所へと駆け寄った。
お互い剣を抜き、本気で向き合ったのだが、また一発でやられてしまった。
「夕方、昨日いた河原の空き地に来い。構え方を教えてやる」
濃墨はヴィートにそう言い残すと、次の相手へと向かって行った。
ヴィートは朝の鍛練を終え、食堂で一緒に食事をしているアルビーンに愚痴を漏らす。
「はーーーーっ……ぜんぜん相手にしてもらえねえ……」
二日連続で、一発でやられてしまった。
「は? お前気付いてるか? 濃墨さんって、お前の時しか刀抜いてないって」
「……え!?」
いつもやられた後は地面に転がっているので、次の相手を視界の端で見るだけで、そんな細かい所まで気にしていなかった。
記憶にあるのは、昨日と今日も、他の団員の方が形になっているということだけだ。
(——みんな真剣でやってなかったのか……?)
「でも、峰打ちだし……」
「いやいや、お前、他の奴たはそこら辺にある木刀で軽くあしらわれるだけでぜんぜん相手されてないんだぞ?」
人のことなどどうでもいい。
他の団員たちが軽くあしらわれているからと言って、ヴィートの不甲斐なさが減るわけでもない。
「他の奴らと比べたからって、俺と濃墨さんとの差が縮まったわけじゃねえし。関係ねえよ」
「お前……そういう所、尊敬するわ。向上心があるよな」
アルビーンがソーセージをつつきながらヴィートを褒める。
「だってお前、悔しくないかよ? 俺はもっと強くなりたいんだ。このままじゃ絶対ゼラやバルトロメイに追いつけない……」
「……お前……目標はそこかよ……」
アルビーンが呆れた顔をしている。
「——いいや、団長より強くなりたい」
本当の目標はそこだ。
「は……?」
「レネがこの世で一番尊敬してるのは団長だ。だから俺は団長より強くなりたい」
そうでないと、きっとレネは振り向いてもくれない。
「あ~あ……恋する若者は……」
アルビーンにとってヴィートは、あまりにも非現実的なことを言っているように聞こえるのだろう、口に乾いた笑いを浮かべている。
「馬鹿言うな、恋とかそんな薄っぺらい言葉で片付けるな」
ヴィートはレネに対する気持ちを、なんと表していいかわからない。
言葉では心の中に渦巻く気持ちを掴みとるができない。
心の中に手を突っ込んで、この想いを掴み出し彼に見せることができたら、どんなに楽だろうか?
恋とか愛とか、男女の恋愛にあるようなそんなものではない。
すべてを言葉に変換することは無理だが、敢えて言うならば——
自分が生きているこの世界に、目に見える生きた神が存在しているのだ。
それもすぐ側に。
でも彼は全知全能の神ではない。
それを補うために自分がこの世に存在する。
自分だけの唯一の神として、彼が支配してくれたらどんなに幸せだろうか……。
「——お前……意外と詩人だね……」
アルビーンがぽかん……と口を開けてこっちを見ている。
いつの間にか、脳内で考えていたことを口に出していたようだ。
「素晴らしいポエムだ」
「なかなか才能があるじゃないか」
周りの団員から、パチパチパチと拍手される。
ヴィートは急にいたたまれなくなり、俯いて顔を真っ赤にした。
(うわ……恥ずかし過ぎて死にそう……)
どうも自分はレネのことになると詩人になるらしい。
レネへの熱い想いですっかり忘れていたが、濃墨から夕方に河原の空き地に来いと言われていたことを思い出す。
なぜ昨日、空き地にいたことを知られていたのかは疑問だが、一対一で誰かに剣を教えてもらうのは初めてだったので、ヴィートは期待に胸を高鳴らせた。
夕方になり、昨日酷い目に遭った河川敷沿いの空き地に足を運ぶと、既に濃墨は先に到着していた。
「——来たか」
出会って数日経ってから気付いたことだが、お喋りなゲルトと比べ濃墨は物静かな性格だ。
それがとても大人の男の魅力に感じ好ましく思えた。
「これを持ってみろ」
渡された木の棒を見てヴィートは驚く。
「……これは刀の形?」
少し反りのある剣は、ヴィートが今持っているサーベルと似ているが、これは柄の部分が長くなっている。
「そうだ。似たような形はないからな。メストの職人に俺の刀に似せて急ごしらえで作ってもらった」
どうしてそんな急いで作ったのだろうか?
もしかしたらリーパに滞在している間、鍛練で使うためなのかもしれない。
アルビーンによると、皆が練習で使っている木刀を適当に使っていたと聞いた。
「こうやって持つんだ」
後ろから濃墨が手を添えて、木刀の持ち方をヴィートに教える。
「剣先は相手の喉に向けろ。足は、右足を半歩前に、左右の間は拳一つぶん開け。左足の踵は浮かせてつま先に体重を乗せろ。そして視線は相手の目に置いたまま、身体全体を見ろ……そう重心は臍の下に保て」
「はい」
一対一で人からこんなに丁寧に習ったことは初めての経験だったので、ヴィートは嬉しくてなんだか身体の奥が温かくなってきた。
「今からお手本を見せるから、俺を真似て刀を振り下ろしてみろ」
「はい」
ヴィートは濃墨から一通り刀の構えを習い素振りの練習をし、完全に日が暮れて辺りが真っ暗になった所で、二人だけの稽古は終わりとなった。
こんなに充実した気持ちになったのは初めてだ。
自分の中に足りなかったものが、少し満たされたような感覚だ。
レネと一緒にいる時は幸せなのだが、このままではいけないという気持ちが日に日に強くなっていく。
あの日以来、毎晩のようにレネの痴態を想像しながら自らを慰める日々が続いている。
いつか自分は、レネに対する衝動を抑えきれなくなり行動を起こしてしまうのではないかという不安が渦巻いていた。
レネの役に立てる強い男になりたいと思いながら、まったく反対の欲望を抱いている。
支配されたいと願いながらも、そんなレネを征服したいという矛盾した気持ちがヴィートを悩ませている。
「お前、レネに惚れてるのか?」
帰り道、二人肩を並べて歩いていると濃墨がヴィートに話しかけてきた。
それも、今まさに頭の中で考えていたレネのことだ。
「……どうしてそれを?」
ヴィートは目を見開いて暗闇でほとんど見えない濃墨の顔を振り返る。
「お前は見ていてわかりやすい。昨日、レネを身を投げ出して庇っただろ? 護衛の仕事中じゃないんだ、自分より強い相手の前に、とっさに身を投げ出すなんて、肉親か惚れた相手以外にはなかなかできるもんじゃない」
墨を溶かしたような暗闇でどんな表情をしているのかわからないが、親鳥を見る雛の様な眼差しで濃墨を見つめる。
(この人は些細なところまで俺のことを見ていたんだ……)
「俺……レネより弱いし、でもどうやったら強くなれるのかもわかんなくて……濃墨さんからこうやって稽古してもらえると凄く嬉しいです」
ヴィートは思ったままを素直に口に出す。
本来はそんな性質ではないのだが、なぜか濃墨の前では感情を吐露することができた。
「その木刀はお前にやる。明日の朝からはそれを持って鍛練場に来い」
「……え!? これ俺がもらっていいんですか? ……ありがとうございます!」
まさかわざわざ準備させたという木刀を、自分が貰えるとは思ってもいなかったので、ヴィートの心は打ち震えた。
それからというもの、夕方になると空き地で濃墨がヴィートに稽古をつける日々が続いた。
こんなに剣の稽古を丁寧に指導してもらうのは初めての経験で、充実した毎日が続いていた。
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