菩提樹の猫

無一物

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13章 ヴィートの決断

15 複雑な師弟関係

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 言われて気付くが、いぜん副団長から一瞬で伸された時に、この男と同じようにコジャーツカの剣を二本持って戦っていた。

「いらんこと言うなよ。こいつ馬鹿だから気付いてなかったのに……」

 男は顔を顰めてボリスを睨んだ。

 いざ思い出そうとしても、不思議なことに副団長の顔をぼんやりとしか思い出せない。
 ただ先ほど初めて男を見た時に、この髪の毛と瞳の組み合わせを以前どこかで見たことあるなとは感じた。

(——でも、副団長は三十半ばのお堅そうな地味な男だった……)

 目の前にいるのは、どう見てもまだ二十代のどこか危険な香りのする美青年じゃないか?

「レネ……本当なのか?」

 もしこの男が副団長本人だったら、レネの剣の師匠ということになる。
 だったらこの戦いは鍛練の一環だったとしても不思議ではない。
 途中からなんとなく普通の戦いではないことにヴィートも気付いていた。

「なんでオレに訊くんだよ。本人に訊けよ」

「……え……」

 レネに馬乗りしたまま、きつい眼差しで男に睨まれ、ヴィートは身体を竦ませる。
 団長のバルナバーシュとは違うが、この男も底冷えのするような迫力がある。
 どちらかといったら……こちらの方がヴィートは苦手かもしれない。
 
「……ふ、副団長なんですか?」

 ヴィートはまだ確信が持てないでいた。

「お前、ここまで見ておいて確信持てないのかよ? こんな剣二本持って戦ってる奴なんてこの国じゃなかなかお目にかかれないぞ?」

 ボリスの制止もあってか、一度レネの頬をペシッと剣の腹で叩いてようやく二本の剣を鞘に戻す。

「あんたが昼間と雰囲気違い過ぎるからいけないんだよ」

 しかし、師弟関係にしてはレネの口調が崩れているような気がする。
 普段よりも二人の年齢が近く感じられるので、この言葉遣いでも不自然さは感じないが。

(でも……師匠にそんな言葉遣いでいいのか?)

 カレルとゲルトの方が上下関係はきっちりしていた。
 執務室でバルナバーシュの後ろに立っている時は、タメ口など許さなそうな雰囲気なのに意外だ。

「まあ普通はヴィートみたいにの貴方を見たらびっくりするでしょう」

 あまりにも違い過ぎてヴィートは未だに事実を受け入れられない。
 それも、今のボリスの言葉によると——

「——は? こっちが素……? ぐぁっ!?」

 いきなり激痛が走り自分の肩を見ると、風車かざぐるまの形をした刃物が刺さっている。

「なにやってんですか! さっき言ったばかりでしょ、これ以上怪我を増やすなって……」

 ボリスが駆け寄り、血の流れるヴィートの腕や足の傷を治療する。

「おい……嘘だろ……普通こんなの避けるだろ? お前は……冗談も通じないのか……」

 まるで信じられないという顔でルカーシュがヴィートを見る。
 しかし、大抵の人間はあれを避けることはできないだろう。
 
 この男は冗談で、大怪我する可能性のある飛び道具を投げて来るのか?

「貴方の常識はほんのわずかな人間にしか通用しませんって……」

 ボリスが呆れたようにものを言う。
 素顔の副団長にも慣れた様子だ。

「オレも子供の頃は避けきれなかったから、ルカの言葉を真に受けるなよ」

(——俺は子供と同じかよ……)

 レネは慰めているつもりだろうが、まったく慰めになっていない。
 ヴィートは自分の実力のなさと改めて直面することになり、落胆を隠せないでいた。

 それにしても子供相手にあんな危険なものを投げつけるとは——
 ヴィートは呆れかえる。

 
「ほら、もう帰りますよ。ここ藪蚊が多いから嫌なんですよね……」

 ボリスが顔の周りを飛ぶ蚊を追い払いながら、師弟を促す。
 一見ものわかりがよさそうで常識的に見えるボリスだが、意外と我の強いところがある。まだ一年足らずの短い付き合いの中でヴィートも気付いてきた。
 大怪我に繋がる可能性があるので、師弟の鍛練に付き添って待機していたのだろうが、蚊がいるからという理由で帰りを促している。
 
「あっ、蚊だ」

 副団長はそう言うと、身体の上に乗ったまま容赦なくレネのおでこをぴしゃりと叩いた。

「……痛ってえな、本気で叩くなよ! おいっ、人のシャツでっ!」

 弟子からの抗議も受け付けず、手に付いた蚊の残骸をレネのシャツで拭きとる。

「お前、人がせっかく殺してやったのに、なんだその言いようは」

 と、続けてペシッと師匠は弟子の頭を叩いて立ち上がる。
 先ほどまで本気の殺し合いをしていたかに見えたのだが、こうやってじゃれてるとまるで兄弟みたいだ。


 やっと太陽が隠れ、辺りが薄暗くなってきた時には、副団長の姿はいつの間にか消えていた。
 ヴィートは残されたレネとボリスと三人で、来た道を帰り出す。

「なんか意外過ぎてびっくり……」

 二人がこんな師弟関係だったなんて想像もしていなかった。
 もっとガチガチの堅い関係かと思っていたが、上下関係もあまり気にしていなさそうだ。
 
「ヴィート、お前が思っているほど生易しいものじゃないよ。今回はお前の登場で空気が変わっただけだ」

 釘をさすようにボリスが付けたす。
 まるでヴィートの頭の中が見えているかのような発言だ。

「そうだぞ、もう二度とオレを庇ったりするなよ。あの男、次は本気で斬りかかってくるからな」

(言うことはそれだけかよ?)

 期待していた言葉はなく、面白くないのでヴィートは頬を膨らませる。

 常にレネには自分を見ていてほしい。
 だからレネを守った自分のことを一言褒めてほしかった。
 少しでもレネの役に立ちたいのだ。
 

「——お前……なんでこんな所に来たんだよ」

 暗闇の中で表情は窺えないが、レネが眉間に皺を寄せているのが容易に想像がつく。
 執務室に呼ばれて以来、まともに会話するのはこれが初めてだ。

「……だってさ、私邸にいたってどうせ他の団員たちに揶揄われるだけだと思ってさ。散歩してただけだよ。レネはいつもここで副団長と鍛練してたの?」

 鍛練場で師弟が一緒にいる姿などまだ一度も目にしたことがなかったから不思議に思っていたのだ。

「まあ、外でやる時は大抵ここだけど、前に言ったように夜中に奇襲されることもよくある」

「……あーー」

 あの時は何気に聞いていたが、今は想像しただけでも恐ろしい。
 夜中にあんなのに襲われたら、トラウマになって熟睡できなくなるんじゃないだろうか?

「困るんだよね……副団長は人使いが荒いから、夜中に呼び出されて治療させられることなんてしょっちゅうだよ……」

「ボリスも大変だよな? オレさ……だいたいそんな時は一発でノックアウトにされるからある意味熟睡できるんだけどさ」

 しれっと凄い会話が交わされている。

(癒し手の治療が必要なほど激しい鍛練なのか……)

「そんな時は副団長の部屋で寝酒を一杯ご馳走になってから帰るから、レネは気にしなくていいよ」

 よくあんな男のところで酒が飲めるなとヴィートは思わずにはおられない。
 やはりボリスはどこか感覚がおかしい。

「ヴィート……副団長のことだけど、実はああだって誰にも言うなよ。誰もあんな巫山戯た奴だって知らないからな」

 レネがいつになく真剣な声で言う。

「……もしかして団長も知らないのか?」

 自分の右腕が実はあんな男だったと知ったら、団長はびっくりするだろう。
 他人事ながら急に不安になってきた。

「いやいや、団長本人がはるばる隣国から連れて来たんだから、それはない。一番知ってるから安心しろ。じゃないとますレネの師匠になんかしないだろ」

 即座にボリスが否定する。

「……そっか。なんか安心した」

 バルナバーシュのことは目の敵にしか思っていないのだが、あんな人物をいつも後ろに控えさせておくのも大変だろうと同情する。

「レネ凄いな。俺はあんな男が師匠だったら無理だわ……」

「オレだって最初、あいつが今日から師匠だって団長から言われた日に家出したからな……」

「お前……意外と激しい性格してんだな……」

 聞き分けの良い子だと思っていたのに意外だ。

「……それくらいショックだったんだよ……心の整理を付けるのに九年かかった」

「はっ? 九年!?」

「この前の冬の話だ」

「——は? 最近じゃねえか」

 ヴィートは驚きの声を上げることしかできない。

「オレは自分で師匠を選んでないからな。色々葛藤があったんだよ。でも今じゃオレの師匠は副団長しかいなかったって思えるようになったけどな」

「俺はわかんねえな……ガキの頃から頼れる大人なんていなかったからな……」

 また胸の奥が切なく痛む。
 ゲルトとカレルの師弟を見ていた時と同じ痛みだ。

(——俺は……師匠がいるカレルやレネが羨ましいのか?)



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