菩提樹の猫

無一物

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13章 ヴィートの決断

8 どうしてここに!?

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◆◆◆◆◆


 本部に帰って、執務室で屈辱的な報告を終わらせた後、ヴィートと別れ廊下に出ると、思いがけない人物と出会いレネは足を止める。

「濃墨さん、どうしてここに!?」

 ゾクリとする切れ味のよい刃物みたいな人物が階段を上りこちらに向かって来ていた。
 一度人を殺したことのある者なら、男が発する独特の磁場に引き寄せられずにはいられない。
 そんな独特の魅力が濃墨にはあった。

「制服を着てここに居るってことは、お前の師匠はルカだったのか」

 濃墨と初めて会ったスロジットの峠では、暑いのでレネもヴィートもリーパの制服でもあるサーコートを脱いでいた。

「……どうしてそれを?」

(ルカの知り合い!? じゃあここに来たのも……)

「俺は団長の昔の傭兵仲間さ」

「団長と!? だから副団長を……」

 レネは詳しくは知らないが、バルナバーシュが現地でルカーシュと出会い、ドロステアに連れ帰って来たと聞いた。

「ああ。大戦中に知り合ってな。大戦がおさまってから一度も会ってなかったから久しぶりに仲間たちの顔を見たくなって、こっちに立ち寄ったんだ」

 バルと愛称で呼ぶくらいなので深い仲なのは間違いないだろう。

(……だから強かったのか)

「オレ初めて刀で戦っている人を見ました」

「千歳にいくとうじゃうじゃいるぞ。まあ東国に行ったらそのコジャーツカの剣も珍しくないしな」

 確かにそうだ。

「きゃあーーー濃墨っ! 本物だわっ、元気にしてた?」

 階段の下から騒々しい音が響いてくる。
 いい年したおっさんから発せられる異様な言葉使いに驚いた団員たちが、遠巻きに人だかりを作っていた。

(なんでゲルトが!?)

 レネは濃墨とゲルトを交互に見比べる。

 そうだった、ゲルトもバルナバーシュの傭兵仲間だった。
 普段は工房で編物をしている姿しか見てないので、レネはそのことを忘れていた。

「お前……年取っても相変わらずだな……」

 半分呆れながらも、懐かしさに目を細めるように、濃墨は突然現れたゲルトを眺めた。

「バルたちとはもう会ったの?」

「いや、今から行く所だ」

 だから、執務室から出てきたレネとすれ違ったのだ。
 
「アタシあなたがこっちに来るってルカちゃんから聞いたから、仕事を片付けてわざわざ時間作って出て来たのよっ! いいタイミングだったわぁ。あーそれと、この子バルの養子よ」

 そう言うと、ゲルトはレネの肩を掴んで自分と濃墨の前へと強引に割り込んで来る。

「ど……どうも。養子のレネです」

 いきなりそんな紹介をされても、なんと答えていいのかわからないので、レネは馬鹿みたいな台詞を吐いてしまった。

「……養子!? ルカの弟子だといま知ったばかりだが?」

「あら……そっちはもう知ってたのね。でもびっくりでしょ?」

「——色々と積もる話があるようだな……」

「今夜はみんなでぱぁ~~っと飲み明かしましょっ!」

 ゲルトは濃墨の手を取り、レネが出てきたばかりの執務室の扉を開けた。
 すっかり忘れていたが、ヴィートはまだ執務室でお説教中だ。


『黙れっ、誰もそこまで聞いてねえだろうがっ! よくも俺の息子に手ぇ出しやがったな!!』
 

 ゲルトが扉を開けた瞬間、廊下中にバルナバーシュのけたたましい声が響き渡る。
 階段の下で様子を窺っていた団員たちも、団長の怒声に硬直した。

(なんてこと言いやがる……)

 馬鹿親父の台詞にレネは目の前が真っ白になる。

 こんなことになるならもう二、三発ヴィートを殴っておけばよかったとレネは心から後悔した。そもそも、あいつが言わなくていいことまでペラペラ喋るから問題になったのだ。
 
 掟十ヶ条の四条違反はよくあることだ。
 バルトロメイもこの前金鉱山で、レネを殴ったことを自ら自己申告して罰金を払った。
 団員同士の揉めごとはある。
 だが、八条違反なんて前代未聞だ。

『団員同士での不純性行為の禁止——』

 それも相手は、自分が拾ってきたヴィートだ。
 
「はぁ……」

 ため息を吐きながら階段を下りていると、先ほど遠巻きに見ていた団員たちを押しのけて、赤毛の男がレネの腕を掴んで休憩室の中に連れ込んだ。

「——おいっカレル!? なんだよ急に」

「なあ、なんで師匠がここに来てんだよっ、お前あっちでなにか聞いてなかったか?」

 いつになく顔が必死だ。先ほどの団長の怒声について訊かれるかと思ったので少しホッとする。

 お調子者のカレルも、実は恐れるものが一つあった。
 それは、槍の師匠であるゲルトだ。

「あっちじゃ特になにも話す暇なかったからな……」

 カレルはジェゼロの下町で生まれ、手のつけられない評判の悪ガキだったが、ある日編物工房に悪戯で忍び込んだところをゲルトに捕まり、コテンパンにやられた。
 それからというものゲルトはカレルの性根を入れ替えさせ、片親だったカレルの母親が亡くなると編物工房に住み込みで働かせながら槍を教え込んだ。

 工房で一緒だったアネタとは幼馴染で、当然レネも幼い頃からカレルとは面識がある。
 ボリスとアネタの仲を知る数少ないうちの一人で、二人の強い味方でもあった。

 団員たちは誰も知らないが、少年の頃からゲルトに仕込まれたカレルは、実は一通り編物ができたりする。
 だがこのことは『恥ずかしいから』とレネはカレルから口止めされていた。

 ゲルトに頭が上がらないカレルは、急な師匠の来訪で焦っているようだ。

「さっきちょっとゲルトと話したけど、濃墨さんって団長の傭兵仲間が訪ねて来てるから、それに合わせて来たみたいなこと言ってたよ」

「はぁ……そういうことか。焦ったーー相談なしに槍を買ったのがバレたかと思ったぜ……」

 ゲルトはカレルがリーパで働くようになってもなにかと口を出したがる。きっとゲルトの頭の中ではまだ悪ガキのままなのだろう。

「なんだよ……ゲルトに相談もなしにあの槍買ったのかよ。バレるのも時間の問題じゃん」

 そんなの絶対すぐにバレる。
 ここまで出てきて、弟子を鍛えないわけがない。

 まあ、カレルが自分の師匠を恐れる理由はよくわかる。
 レネだってルカーシュは恐ろしい。それも同じ屋根の下に暮らしているので、常に監視されているようなものだ。
 離れた場所で暮らすカレルも、たまには師匠の存在に怯えればいい。


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