菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

番外編 編物男子の密かなる趣味2

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◆◆◆◆◆


「はい、できた!」
 
 臙脂色をしたシルクの下着を渡される。
 この前、レネに穿かせたものに似ているが、少し改良されて、ウエスト部分の両サイドの紐の先には孔雀石の小さなビーズが付けられていた。
 日頃から沢山の色を使った編物を編んでいるせいか、ゲルトはこういった色使いがとても上手だ。
 
 普段ルカは、大きな舞台に立つ時以外、派手な格好はしない。
 黒を基調とした地味な服装だ。
 別に女のように着飾りたいわけではない。

 ただ爛れる心の内を表したい時がある。ゲルトの作るこの下着はそんな気持ちにピッタリと寄り添う。
 まるで『あなたはそのままでいいのよ』と言われているかのようだ。
 それに、最初ゲルトが言っていた通り、夜の相手をする男たちにすこぶる評判がいい。
 気がつけばいつの間にか、手放せない存在になっていた。


「湖に上がった死体が元リンブルク伯爵夫人だって知れたら大騒ぎになってただろうな」
 
 リンブルク伯爵から離婚を言い渡され実家に帰ったら、今度は父親のヴルビツキー男爵が偽物で男爵家自体がお取り潰しになってしまい、屋敷を追い出されたヘルミーナは、悲嘆に暮れて自ら湖に身を投じた。

「貴族でもない女の自殺死体なんて誰も気に留めないわよ」
 
「そうだよな。あの女も結局それだけの悪さはしてきたしな……同情の余地はないな」

 オープスとヘルミーナの企みのせいで、レネは死にかけた。
 護衛の仕事はいつも死と隣り合わせだ。どこかで覚悟はしているが、あと一歩遅ければレネはルカが最も嫌う方法で殺されていた。助かったのは機転をきかせたデニスとアンドレイのお陰だ。

 その主犯格の死を知り、本来なら清々するはずだが、どこか感傷的になっている自分がいる。
 これも東国の大戦の爪痕が引き起こした事件だからだろうか……。

「偽男爵も無事に捕まえたし、しばらくアタシも編物に専念できるわね」
 
 机の上に散らばった布切れや糸くずを集めてゴミ箱に捨てながら、ゲルトはため息を吐く。
 
「どうだか……夏の間はジェゼロにわんさか貴族たちが来てるからな。ドプラヴセが仕事を持ってくるかもしれねーぞ」
 
 ルカは勝手にそこらにある椅子を引っ張ってきて座ると、懐から煙草を取り出し慣れた仕草で火を付ける。

 実はゲルトも『山猫』のメンバーだ。
 今回も、ルカは吟遊詩人として男爵の家に入り込み、ゲルトは男爵夫人の御用聞きとして、何度も屋敷を訪れた。
 リンブルク伯爵から倉庫に証拠となる肖像画の存在を知らされた時、こっそり中身を確かめ、伯爵が男爵から呼び出された前日の夜中に、ゲルトと二人で玄関ホールにその肖像画を飾った。

 
 ルカは屋敷に滞在中、男爵の寝室で毎晩あの子守唄を唄っていた。
 男爵が眠りについた後、そっと仮面を外し、肖像画の人物とはまったくの別人であることを確かめていた。
 
 ゲルトは地元なので身元がバレる可能性を恐れ、裏方役に回り、ルカが積極的に動く役割だった。

 気の知れた相手なのでゲルトとは仕事がしやすい。
 編物をしている時は誰もが想像もつかないだろうが、ゲルトは元々バルナバーシュの傭兵仲間だ。
 当然ルカも、オゼロにいる時から知っている。

 アネタがこの編物工房に預けられたのも、アネタが編物で生計を立てるのが夢だったのもあるが、ゲルトが最も信頼できる人物の一人だからである。
 
 バルナバーシュにとってレネとアネタは、血の繋がりはないにしても大切な子供たちだ。アネタをいい加減な所に預けるわけがない。
 もし不測の事態が起きたとしても、側にゲルトがいるのなら安心だ。ちょっとやそっとではやられるような男ではない。
 とは言いながらも、バルナバーシュは近くを通りかかれば必ずアネタの顔を覗いているので、もしかしたら奉公先で離れ離れに暮らす家族よりも頻繁に顔を合わせているかもしれない。
 ルカもジェゼロに来たならば、必ず甘い菓子の差し入れを持って寄るので、アネタには内心ウザがられている可能性だってある。まあ、毎回幸せそうにケーキに齧り付く姿を見ていると、今のところそれはないようだが。
 
「そう言えば……濃墨こずみがメストに来るって知ってたか? 春ごろバル宛てに手紙が届いてた」
 
「えっ!? メストに?」
 
 濃墨という、古馴染みの名前を聞き、ゲルトが目を瞠る。

「リーパに寄るって書いてあった」
 
「懐かしいわね……アタシあれ以来、会ってないわ」
 
 ゲルトは目を細めて昔を懐かしむ。
 
「俺だってそうだよ……」
 
「濃墨が来たらアタシも会いに行こうかしら。なんだか同窓会みたいで楽しそうじゃない? 馬鹿弟子も一度シメないといけないって思ってたところだから丁度いいわ」
 
「一度に集まることなんて滅多にないもんな……弟子だけじゃなく、他の奴らもついでに鍛えてやってくれ」
 
 それぞれに仕事を持ち、今はこうやって個別に会う以外は顔を合わすことはない。
 濃墨とゲルトはバルナバーシュの戦友だ。これほどの腕の持ち主はなかなかいない。
 リーパの団員たちにとってもきっといい刺激になるだろう。

「なんかワクワクしてきちゃったわ♡」
 
「単純な奴が羨ましい……」
 
 煙草の灰を灰皿に落としながら、ルカはぼやいた。

「あら、まるで自分が複雑な生き物みたいな言い方じゃない」
 
「俺はあいにく脳みそまで筋肉じゃないからな……」
 
「まあ、失礼ねっ」
 
 口ではそう言っておきながら、この髭の男はルカのことを心配している。昔からそういう奴だ。

 濃墨がやって来るのは嬉しい反面、『東国の大戦』というキーワードに付随して、忘れようとしていた嫌な記憶までもルカの中から引きずりだす。

(——クソ……)
 
 ルカはゲルトの飲みかけのグラスを奪って、一気に酒を呷った。

 
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