250 / 473
12章 伯爵令息の夏休暇
41 準備は整った
しおりを挟む
◆◆◆◆◆
「上手くいってよかったよ。まさかアンドレイがあんな気の利いた贈り物を選んでいるなんてね」
この前の午餐会でアンドレイとマリアナが微笑ましく会話している様子を思い出し、父親であるアルベルトは頬を緩めた。
「お似合いのお二人でした」
ラデクもニッコリと微笑んでいる。
クーデンホーフ侯爵と話し合った結果、これから起こるであろうゴタゴタを考慮して、正式な婚約は来年の夏に行おうという手筈になった。
ヘルミーナとは正式に離婚する手続きを進めていた。
本当はアンドレイを殺そうとした罪にも問いたいのだが、この事件を表沙汰にするとリンブルクだけではなく、ヘルミーナと共謀したベルナルトのいるダルシー伯爵家までもが恥をかくことになる。
だから表向きは、妻の不貞ということにした。
これからのことを考えれば、まあある意味ヘルミーナにとって地獄の様な日々が待ち受けているだろう。
息子のタデアーシュはアルベルトが引き取り、そのままリンブルクの次男として今まで通りに育てるつもりだ。
ショックを受けてふさぎ込んでいるが、自分の生きる場所はここしかないいと気付くはずだ。
(アンドレイだって今まで頑張って来たんだ、タデアーシュもきっと大丈夫だ……)
今はそう願うしかない。
これでヴルビツキーを追い詰めることができる。
きっかけは去年の夏にクーデンホーフ侯爵との雑談からだ。
『ヴルビツキー男爵家にいた下男をいまウチで雇っているんだが、その下男がヴルビツキー男爵について吃驚する内容の話をしたんだよ。男爵の従者が高齢で寝たきりになり、その下男が世話をしていたようなんだが——死ぬ前にすべて誰かに打ち明けておきたい……と男爵についての信じられない秘密を下男に明かしたと言うんだよ』
そう言って侯爵から聞かされた内容は、アルベルトに衝撃を与えた。
『もしこれが本当なら、君はヴルビツキーから手を引いた方がいいかもしれない。君の家の複雑な状況は私も知っている。上手く使えば君にとってもチャンスになるじゃないかと思ってね』
それからクーデンホーフ侯爵と何度か話し合い、ある機関に調査を依頼することになった。
アルベルトは遅い時間になったので、書斎から寝室に向かおうとしていた。
「——何者っ!?」
寝室の窓が開いており、カーテンが風に揺られてひらひらと舞っていた。
「今晩はリンブルク伯爵」
夜光石の明かりに照らされ、侵入者の姿が明らかになる。
フードの付いたローブを身に纏い、顔にはヴルビツキー男爵のような仮面を被っていた。
「曲者めっ!」
ラデクがアルベルトを背に隠して、声のした方にナイフを投げたが、侵襲者の男は器用に避ける。
(手練のようだが、いったい誰の差し金だ!?)
同時に複数の顔が浮かぶほど、アルベルトのことをよく思ってない人間が多くいる。
「こんな格好で申しわけありませんが、素顔を晒すわけにはいきませんのでお許しください。今夜は伯爵にお知らせすることがあり、こちらに参りました」
剣を抜いて威嚇するラデクに臆することなく、仮面の男は淡々と喋り続ける。
「ラデク待て。君は何者だ?」
どうも相手は刺客ではなさそうだ。
「これでおわかりになりますか?」
男の手に握られた記章を見つめ、アルベルトは驚きのあまり固まった。
『山猫!?』
人前には滅多に姿を現さないドロステア山猫に例えられる、王直属の調査機関。
アンドレイは文章でのやり取りは何度かしていたが、組織の人間と会うのは初めてだった。
「調査が無事に終わりましたのでそのお知らせです。伯爵にも少しお手伝いしてほしいことがありまして」
仮面に覆われていない口がニコリと笑う。花びらのような唇は肉厚的で、男にしては艶やかだ。
その唇とは裏腹に、男は事務的に次々と明らかになった事実と今後の段取りを話す。
「では、あの話は本当だったんだね」
男から話を聞き終わると、アルベルトはなんともいえない罪悪感に苛まれる。
「お坊ちゃまはそんなおつもりではなかったのでしょうが、皮肉にも決定的な証拠となってしまいました」
自分がこれから行うことは本当に間違っていないのだろうか?
アルベルトの中にまだ迷いがある。
しかし、このままではアンドレイは間違いなく命を狙われ続ける。これだけは疑いようのない事実だ。
ここまでやられっぱなしで黙っておくわけにはいかない。
災いの種は徹底的に潰すしかない。
苦渋の決断だったが、自分の選択ミスが招いた結果だ。
(——ヘルミーナと結婚しなければ……)
これについては、今まで何度も後悔の念に駆られた。
しかしヘルミーナとの結婚で、タデアーシュという可愛い息子が生まれたのも事実だ。
アンドレイとタデアーシュは、アルベルトにとってはどちらも愛おしい我が子に変わりない。
「あの子にはこの事実を伏せておくよ。——君の提案通り実行しよう」
責任は自身で負わなければいけない。
「承知しました」
そう言い残すと、男は最初に入って来た窓からサッと姿を消した。
「……!? ここ二階ですよ?」
ラデクがすぐに仮面の男が出て行った窓から外を覗き、目を瞬かせている。
突然やって来て、風のように消えていった。
もうすぐ、すべてが終わる。
やっとアンドレイが命の危険から解放されるという安堵感と、人を陥れる憂鬱が交ぜになる。
まるで年代物の美酒のように、言葉では言い表せない複雑な気持ちだ。
「上手くいってよかったよ。まさかアンドレイがあんな気の利いた贈り物を選んでいるなんてね」
この前の午餐会でアンドレイとマリアナが微笑ましく会話している様子を思い出し、父親であるアルベルトは頬を緩めた。
「お似合いのお二人でした」
ラデクもニッコリと微笑んでいる。
クーデンホーフ侯爵と話し合った結果、これから起こるであろうゴタゴタを考慮して、正式な婚約は来年の夏に行おうという手筈になった。
ヘルミーナとは正式に離婚する手続きを進めていた。
本当はアンドレイを殺そうとした罪にも問いたいのだが、この事件を表沙汰にするとリンブルクだけではなく、ヘルミーナと共謀したベルナルトのいるダルシー伯爵家までもが恥をかくことになる。
だから表向きは、妻の不貞ということにした。
これからのことを考えれば、まあある意味ヘルミーナにとって地獄の様な日々が待ち受けているだろう。
息子のタデアーシュはアルベルトが引き取り、そのままリンブルクの次男として今まで通りに育てるつもりだ。
ショックを受けてふさぎ込んでいるが、自分の生きる場所はここしかないいと気付くはずだ。
(アンドレイだって今まで頑張って来たんだ、タデアーシュもきっと大丈夫だ……)
今はそう願うしかない。
これでヴルビツキーを追い詰めることができる。
きっかけは去年の夏にクーデンホーフ侯爵との雑談からだ。
『ヴルビツキー男爵家にいた下男をいまウチで雇っているんだが、その下男がヴルビツキー男爵について吃驚する内容の話をしたんだよ。男爵の従者が高齢で寝たきりになり、その下男が世話をしていたようなんだが——死ぬ前にすべて誰かに打ち明けておきたい……と男爵についての信じられない秘密を下男に明かしたと言うんだよ』
そう言って侯爵から聞かされた内容は、アルベルトに衝撃を与えた。
『もしこれが本当なら、君はヴルビツキーから手を引いた方がいいかもしれない。君の家の複雑な状況は私も知っている。上手く使えば君にとってもチャンスになるじゃないかと思ってね』
それからクーデンホーフ侯爵と何度か話し合い、ある機関に調査を依頼することになった。
アルベルトは遅い時間になったので、書斎から寝室に向かおうとしていた。
「——何者っ!?」
寝室の窓が開いており、カーテンが風に揺られてひらひらと舞っていた。
「今晩はリンブルク伯爵」
夜光石の明かりに照らされ、侵入者の姿が明らかになる。
フードの付いたローブを身に纏い、顔にはヴルビツキー男爵のような仮面を被っていた。
「曲者めっ!」
ラデクがアルベルトを背に隠して、声のした方にナイフを投げたが、侵襲者の男は器用に避ける。
(手練のようだが、いったい誰の差し金だ!?)
同時に複数の顔が浮かぶほど、アルベルトのことをよく思ってない人間が多くいる。
「こんな格好で申しわけありませんが、素顔を晒すわけにはいきませんのでお許しください。今夜は伯爵にお知らせすることがあり、こちらに参りました」
剣を抜いて威嚇するラデクに臆することなく、仮面の男は淡々と喋り続ける。
「ラデク待て。君は何者だ?」
どうも相手は刺客ではなさそうだ。
「これでおわかりになりますか?」
男の手に握られた記章を見つめ、アルベルトは驚きのあまり固まった。
『山猫!?』
人前には滅多に姿を現さないドロステア山猫に例えられる、王直属の調査機関。
アンドレイは文章でのやり取りは何度かしていたが、組織の人間と会うのは初めてだった。
「調査が無事に終わりましたのでそのお知らせです。伯爵にも少しお手伝いしてほしいことがありまして」
仮面に覆われていない口がニコリと笑う。花びらのような唇は肉厚的で、男にしては艶やかだ。
その唇とは裏腹に、男は事務的に次々と明らかになった事実と今後の段取りを話す。
「では、あの話は本当だったんだね」
男から話を聞き終わると、アルベルトはなんともいえない罪悪感に苛まれる。
「お坊ちゃまはそんなおつもりではなかったのでしょうが、皮肉にも決定的な証拠となってしまいました」
自分がこれから行うことは本当に間違っていないのだろうか?
アルベルトの中にまだ迷いがある。
しかし、このままではアンドレイは間違いなく命を狙われ続ける。これだけは疑いようのない事実だ。
ここまでやられっぱなしで黙っておくわけにはいかない。
災いの種は徹底的に潰すしかない。
苦渋の決断だったが、自分の選択ミスが招いた結果だ。
(——ヘルミーナと結婚しなければ……)
これについては、今まで何度も後悔の念に駆られた。
しかしヘルミーナとの結婚で、タデアーシュという可愛い息子が生まれたのも事実だ。
アンドレイとタデアーシュは、アルベルトにとってはどちらも愛おしい我が子に変わりない。
「あの子にはこの事実を伏せておくよ。——君の提案通り実行しよう」
責任は自身で負わなければいけない。
「承知しました」
そう言い残すと、男は最初に入って来た窓からサッと姿を消した。
「……!? ここ二階ですよ?」
ラデクがすぐに仮面の男が出て行った窓から外を覗き、目を瞬かせている。
突然やって来て、風のように消えていった。
もうすぐ、すべてが終わる。
やっとアンドレイが命の危険から解放されるという安堵感と、人を陥れる憂鬱が交ぜになる。
まるで年代物の美酒のように、言葉では言い表せない複雑な気持ちだ。
58
お気に入りに追加
176
あなたにおすすめの小説
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
【運命】に捨てられ捨てたΩ
諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる