菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

22 やっぱり俺が……

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◆◆◆◆◆


「やっぱり俺が行った方がいいんじゃないか?」

 デニスはレネにあんなことがあり、無人島でアンドレイを護りながら一人で対処できるのか不安だった。
 それに同行者はベルナルトとパトリクだ。 
 ダルシー伯爵家とペルリーナ侯爵家の嫡男である二人は、デニスもよく知っている。
 二人には自分と同じお付の騎士がいて、ベルナルトの騎士クルトはまともな人物だが、パトリクの騎士アイロスは主人同様に性格に難がある。

 大丈夫だと言い張ってこっちを見つめるレネを見て、デニスはため息を吐いた。
 すっと通ってはいるが主張しずぎない鼻に、長い睫毛に縁取られた、ぱっちりとした黄緑色の印象的な瞳。
 綺麗な線を描く灰色の眉は意思が強そうで、中性的な顔の中で唯一男っぽさを感じるパーツかもしれない。だがそれを打ち消すように、淡いピンク色の唇がまるでなにも知らない無垢な少女のようだ。
 それに紺色の従者の服は、禁欲的なのだがピッタリとしていて、レネの華奢なのにどこか危うげな丸みを帯びる身体の線を暴き出している。

 レネはプロの護衛で、腕は立つのはデニスだって十分理解している。

(でもあの四人の中に、こいつとアンドレイの二人を放り込んで大丈夫なのか?)

 夜会の後、ベルナルトからオストロフ島での探検旅行の詳細が手紙で送られて来た。
 野営と聞いていたのだが、どうやら島には小さな小屋があるらしくそこで寝泊まりするらしい。
 食料は持ち込まず現地調達して、一泊二日過ごす予定だと書いてあった。
 
 ダルシー伯爵の別荘はヴルビツキー男爵の別荘の隣にあり、敷地が湖に面しているのでそこから直接船を出すことができる。
 オストロフ島まで舟を出し、次の日の夕方に迎えの舟が来る予定だという。
 
 人の目がないなか二日間、無人島でなにも起こらないはずがない。
 ダルシー伯爵家とリンブルク伯爵家は領地が隣同士で、特別仲が悪いわけでもないが、ベルナルトは昔からアンドレイを目の敵にしている。アンドレイは気付いていないが、いつも対抗心を燃やしていた。
 今回もアンドレイに恥を掻かせてやろうとなにか画策しているかもしれない。
 
 それだけならまだいいが、ヴルビツキー男爵が絡んでくると、恥を掻かせるなどという生易しいものでは済まなくなる。
 無人島行きはヘルミーナを通してヴルビツキー男爵にも情報が伝わっているはずだ。
 デニスはやはり、自分がアンドレイに同行した方がいいのではないかという思いが強くなる。

 三人で荷造りをしながら、デニスは何度目かのため息を吐いた。

「やっぱり俺が行く——っ!?」

 そう言いかけた時、いきなりナイフが足めがけて飛んできて、咄嗟に避けたものの、デニスは怪我をしている右足を庇ったためバランスを崩して床に尻もちをつく。

「レネっ!? いきなりなにするんだよっ!」

 突然の凶行にアンドレイが叫び声を上げるが、レネは一向に構うことなく、デニスへと近付いて行く。

「そんなんで護衛ができるかよ……あんたまだ抜糸も済んでないんでしょ? 今の状態じゃそこらの賊にでもすぐに殺されます。アンドレイどころか自分の命も守れない人に護衛なんかできない。だから今回はオレが行く」

「…………」

 強い言葉で言い切るレネの表情は厳しく、戦いを知る戦士以外の何者でもない。

 実は負傷した後に医者の診察を受け、三日間の療養を言い渡されてアンドレイたちと別れた後、デニスは発熱して丸一日寝込んでいた。
 医者の制止を振り切って、一日早く療養を切り上げたが、痛み止めが手放せず万全とはほど遠い状況だった。

「デニスさんがするべきことはアンドレイの側にいることではなく、アンドレイの命を守ることでしょう? 近くにいるとできないことがたくさんある。もしなにかあった時に、外からサポートして下さい。非常事態が起きて舟が必要な時はこちらから合図を出します。舟はこの前行ったプレテニ工房の親方に言えばいつでも貸してくれます。リンブルク伯爵やラデクさんとも、オレがやり取りするより、デニスさんの方が慣れているでしょう?」
 
 レネの言うことは、至極正論だ。

「オレは金で雇われた捨て駒だ。だけどデニスさんはアンドレイに剣を捧げた騎士です。取り換えはきかないんですよ? 心配しないで下さい、命に代えてもアンドレイは守り抜きますから」

 レネの腰に差した反りの強い剣に視線を移す。
 夕食の時にラデクから聞いたが、レネのこの剣はコジャーツカ族の物で、剣の師匠である副団長がコジャーツカ族出身なのだそうだ。

 デニスが見たのは敵から奪った両手剣で戦っている場面だけだ。

(レネのことはなにも知らない……)

 だが一つ言えることは、命に代えてもアンドレイを守り抜くという言葉に嘘はないということだ。
 そして、今の自分よりは間違いなく強い。

「……わかった。アンドレイを頼む」

「はい。アンドレイを守り抜きます」

 去年の初秋にポリスタブへ向かう最後の夜に、月明かりの下、強い意思のこもった瞳で睨み返してきたレネの表情と重なった。


(そんな顔で、自分を捨て駒なんて言わないでくれ……)

 自分はアンドレイだけじゃなく、本当はレネも危険な目に遭わせたくないのだ。

 

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