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12章 伯爵令息の夏休暇
17 魔の手
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◆◆◆◆◆
工房へ行ったその夜、レネはいつものように夕食を摂りに使用人たちの食堂へと向かった。
騎士であるデニスはそのまま食事の間もアンドレイの後ろで付きっきりの護衛をしている。
レネは用心のためアンドレイが寝ている間も、寝ずとまではいかなくも、同じ部屋で仮眠をとる程度だった。
デニスが早めに戻ってきてくれたお陰で、レネもデニスと交代で見張りができる。
しかしいつもはここまで警戒する必要はないにしても、デニス一人だけでアンドレイを守っていたのかと思うと頭が下がる。
レンガの剥き出しになった食堂の中へ入ると、いつものようにヘルミーナ付きの侍女たちがレネを見てコソコソと耳打ちしてなにかを囁きあっている。いちいち気にしていても仕方がないのでレネは知らぬふりをして、さっさと自分の皿に今晩の夕食ラタトゥイユを盛り、食欲がないのでパンを二切れ取って空いた席へと座った。
今日は、侍女と大男の庭師以外は食堂に人はいない。
テーブルの上に置かれたピッチャーからコップに水を注ぐ。
口の中をさっぱりさせるためなのか、ミントやらレモンやらがピッチャーの水の中に入っていたが、特別気にすることもなく、レネはさっさと食事にとりかかった。
今日のラタトゥイユはやたらと塩辛くて、レネは途中でゴクゴクとコップに注いだ水を飲んだ。
レモンの酸味となにやら薬臭い気がしたが、きっとミントと他にハーブが入っているのだろう。
(少しでよかった……)
食欲がなく、塩辛いラタトゥイユも少ししか皿に注いでなかったので、なんとか食べきることができた。
最後にもう一度ピッチャーから水を注いで飲み干す。
「レネさん、ちょっとこちらに来てもらっていいかしら? まだ奥様たちのお食事は終わってないからその間に手伝っていただきたいことがあるの」
侍女の一人がレネを手招きして、奥にある洗濯物置き場の方へと手招きする。
「なんですか?」
石造りのその部屋は、真っ白なシーツやタオルなどが所狭しと大きな机の上に広げてあり、侍女たちがいそいそと洗濯物を畳んでいた。
「もう少ししたら畳み終わるので、これを二階まで運ぶのを手伝って下さい。それまでそこで待っていて下さる」
「……はい」
石鹸の香りがふんわりと香る中、レネの意識もふわふわと浮遊してきた。
(ねむ……)
ここ数日寝不足なのが祟ったのだろうか?
(——あれ……?)
背を壁に凭れさせずるずると座り込んで、レネはとうとう床に倒れ込んでしまった。
『本当に近くで見るとお人形さんみたい』
『羨ましいくらい綺麗……』
『奥様もお喜びになるわ』
『オト、彼を部屋に運んで』
レネの意識は、ここでぱたりと途絶えた。
◆◆◆◆◆
シモンがいつもよりも遅い時間に食堂へ行くと、いつもぺちゃくちゃとお喋りをしているヘルミーナ付きの侍女たちがいない。それにこの時間によく顔を合わせていたアンドレイの従者も。
(まあ、たまには静かに食うのもいいか……)
ラタトゥイユを皿に盛って来ると、一人テーブルについてスプーンで掬い口に運ぶ。
「なんだこりゃ……しょっぺえ……」
ありえない味に、シモンは眉間に皺を寄せると、テーブルのピッチャーに入っている水を注いて急いで飲んだ。
ここのコックは使用人の賄いだからといって手を抜くような人間じゃない。
(どうしたんだ?)
なにか言いようのない違和感を覚え、食堂から出て侍女たちがいつもたむろしている洗濯室の方を覗いたが、その侍女たちがいない。
バックヤードから二階に繋がる階段の方で物音がしてそちらの方へと足を向けると、庭師のオトが階段を上っているのが見えた。
庭師が主たちの居住空間である二階に行くのはおかしい。
(肩になにを担いでるんだ?)
後を追ってオトに近付いて行くと、灰色の髪がサラサラと大男の背中で揺れていた。
(——あいつは坊ちゃまの従者!?)
「おいっ、オト。どうしてそいつが!?」
急いで階段を駆け上がり、廊下を曲がりオトへと追いつく。
「さっき侍女に洗濯室でこいつが意識を失ったから、部屋まで運んでくれと頼まれたんだ」
チラリと視線を先に向けると、ヘルミーナの部屋で扉を開けて待つ侍女たちの姿があった。
(あの女の部屋にこいつを!?)
「なぜ坊ちゃまの従者を奥様の部屋へ運ぶんだ? おかしいだろ!」
リンブルク伯爵夫妻の夫婦関係は冷えきっていて、今では家庭内別居状態になっていた。
だからといって伯爵夫人の部屋に若い男を運ぶなんて、もっての外だ。
「そんなこと言ったって、俺は侍女たちが言う通りにやっただけだ」
侍女たちはシモンがやって来てオトを問い詰めていることに気付くと、自分たちは無関係ですと言わんばかりにパタンと扉を閉めた。
(もう伯爵たちの食事も終わる頃だ、まずデニスに知らせないと!)
「ちょっとそこでそいつを抱えたまま待ってろ。動くなよっ!」
工房へ行ったその夜、レネはいつものように夕食を摂りに使用人たちの食堂へと向かった。
騎士であるデニスはそのまま食事の間もアンドレイの後ろで付きっきりの護衛をしている。
レネは用心のためアンドレイが寝ている間も、寝ずとまではいかなくも、同じ部屋で仮眠をとる程度だった。
デニスが早めに戻ってきてくれたお陰で、レネもデニスと交代で見張りができる。
しかしいつもはここまで警戒する必要はないにしても、デニス一人だけでアンドレイを守っていたのかと思うと頭が下がる。
レンガの剥き出しになった食堂の中へ入ると、いつものようにヘルミーナ付きの侍女たちがレネを見てコソコソと耳打ちしてなにかを囁きあっている。いちいち気にしていても仕方がないのでレネは知らぬふりをして、さっさと自分の皿に今晩の夕食ラタトゥイユを盛り、食欲がないのでパンを二切れ取って空いた席へと座った。
今日は、侍女と大男の庭師以外は食堂に人はいない。
テーブルの上に置かれたピッチャーからコップに水を注ぐ。
口の中をさっぱりさせるためなのか、ミントやらレモンやらがピッチャーの水の中に入っていたが、特別気にすることもなく、レネはさっさと食事にとりかかった。
今日のラタトゥイユはやたらと塩辛くて、レネは途中でゴクゴクとコップに注いだ水を飲んだ。
レモンの酸味となにやら薬臭い気がしたが、きっとミントと他にハーブが入っているのだろう。
(少しでよかった……)
食欲がなく、塩辛いラタトゥイユも少ししか皿に注いでなかったので、なんとか食べきることができた。
最後にもう一度ピッチャーから水を注いで飲み干す。
「レネさん、ちょっとこちらに来てもらっていいかしら? まだ奥様たちのお食事は終わってないからその間に手伝っていただきたいことがあるの」
侍女の一人がレネを手招きして、奥にある洗濯物置き場の方へと手招きする。
「なんですか?」
石造りのその部屋は、真っ白なシーツやタオルなどが所狭しと大きな机の上に広げてあり、侍女たちがいそいそと洗濯物を畳んでいた。
「もう少ししたら畳み終わるので、これを二階まで運ぶのを手伝って下さい。それまでそこで待っていて下さる」
「……はい」
石鹸の香りがふんわりと香る中、レネの意識もふわふわと浮遊してきた。
(ねむ……)
ここ数日寝不足なのが祟ったのだろうか?
(——あれ……?)
背を壁に凭れさせずるずると座り込んで、レネはとうとう床に倒れ込んでしまった。
『本当に近くで見るとお人形さんみたい』
『羨ましいくらい綺麗……』
『奥様もお喜びになるわ』
『オト、彼を部屋に運んで』
レネの意識は、ここでぱたりと途絶えた。
◆◆◆◆◆
シモンがいつもよりも遅い時間に食堂へ行くと、いつもぺちゃくちゃとお喋りをしているヘルミーナ付きの侍女たちがいない。それにこの時間によく顔を合わせていたアンドレイの従者も。
(まあ、たまには静かに食うのもいいか……)
ラタトゥイユを皿に盛って来ると、一人テーブルについてスプーンで掬い口に運ぶ。
「なんだこりゃ……しょっぺえ……」
ありえない味に、シモンは眉間に皺を寄せると、テーブルのピッチャーに入っている水を注いて急いで飲んだ。
ここのコックは使用人の賄いだからといって手を抜くような人間じゃない。
(どうしたんだ?)
なにか言いようのない違和感を覚え、食堂から出て侍女たちがいつもたむろしている洗濯室の方を覗いたが、その侍女たちがいない。
バックヤードから二階に繋がる階段の方で物音がしてそちらの方へと足を向けると、庭師のオトが階段を上っているのが見えた。
庭師が主たちの居住空間である二階に行くのはおかしい。
(肩になにを担いでるんだ?)
後を追ってオトに近付いて行くと、灰色の髪がサラサラと大男の背中で揺れていた。
(——あいつは坊ちゃまの従者!?)
「おいっ、オト。どうしてそいつが!?」
急いで階段を駆け上がり、廊下を曲がりオトへと追いつく。
「さっき侍女に洗濯室でこいつが意識を失ったから、部屋まで運んでくれと頼まれたんだ」
チラリと視線を先に向けると、ヘルミーナの部屋で扉を開けて待つ侍女たちの姿があった。
(あの女の部屋にこいつを!?)
「なぜ坊ちゃまの従者を奥様の部屋へ運ぶんだ? おかしいだろ!」
リンブルク伯爵夫妻の夫婦関係は冷えきっていて、今では家庭内別居状態になっていた。
だからといって伯爵夫人の部屋に若い男を運ぶなんて、もっての外だ。
「そんなこと言ったって、俺は侍女たちが言う通りにやっただけだ」
侍女たちはシモンがやって来てオトを問い詰めていることに気付くと、自分たちは無関係ですと言わんばかりにパタンと扉を閉めた。
(もう伯爵たちの食事も終わる頃だ、まずデニスに知らせないと!)
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