菩提樹の猫

無一物

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9章 ネコと和解せよ

9 近付く距離

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 途中で急な雨にも降られ時間を費やしてしまい、今晩はマバットという町で泊まることになった。
 この町もご多分に漏れず、全体がオレンジ色の屋根と白い壁の家で統一されている。
 レネは首を刎ねていたので返り血を浴びていたが、雨のおかげで少しはマシになった。
 だが、春とはいえ雨に濡れたままでは身体が冷えてしまい、心なしかレネの顔色が悪く、唇も色を無くしていた。

「どっか風呂がある宿を探さないとな……このままじゃ凍えちまう」

 ここまで一緒にいてわかったことだが、レネは強がりな所があって自分から弱音を吐くタイプではない。
 レオポルトに囚われている時も、あんなに熱を出して苦しそうにしていたのに、自分の意志では一滴も水を口にしようとはしなかった。
 だから自分が気付いたら、さっさと行動した方が円滑に物事が進む。
 共同風呂だと、返り血を落とすのに気が引けるので、少し値は張るが個室に風呂がついている部屋をとった。

「なあ待ってる間にも凍えそうだから一緒に入っていいか?」

 じっとしていると、流石にバルトロメイも震えが来る。

「うん。こんな時にどっちが先とかないしな。服も洗わないと……」

 二人は急いで風呂場に行って、濡れて重くなった服を脱ぐと浴槽の蛇口を捻り、争うようにシャワーの下へと走る。
 天井の上へあるタンクに沸かしたお湯がためてあり、浴槽とシャワーそれぞれにお湯が供給される仕組みだ。
 このように水道施設が整っている宿は稀で、大釜で沸かしたお湯を湯船に運ぶのが一般的だ。
 特に地方に行けば行くほど、この傾向は顕著だ。

「ああああ~~生き返る~~~」

 バルトロメイは思わず叫ぶ。

「手足がジンジンする……」

 レネも息を吐いて強張った肩の力を抜いている。
 男二人ではどうしてもシャワーの当たる範囲からはみ出てしまう。
 しかし使える湯の量は決まっているので、二人同時に浴びた方が効率がいい。

「それじゃだめだろ」

 そう言うとバルトロメイは後ろからレネを抱きすくめた。

「なっ!?——なにすんだよっ!」

 思わぬ行動に、レネの身体が硬直する。

「別に他意はないから。こっちの方がお湯も当たるし、お互いの体温で温かいだろ?」

 もちろん他意はある。
 少し強引だが、レネもこちらの方が温かいのだろう。黙ってされるがままだ。
 華奢な作りのレネはバルトロメイの腕の中にすっぽりと収まってしまう。

(うわぁ……やべぇ……)

 とっさに身体が動いたことだったので、バルトロメイもあまり深く考えていなかった。
 裸だと背後から抱きしめた時の位置関係がどうもいけない。
 これではちょうどレネの尻の谷間に股間が当たってしまう。そうならないよう、少し腰を引いてレネの肩に体重をかけて密着した。
 腕の中に裸のレネがいる。そしてすぐ側にその美しい顔が……。

(あああああ……)

 目をそらし、心を落ち着ける。
 身体を温めている最中に、バルトロメイは心のクールダウンに努めた。
 心と身体でまったく正反対のことをしなくてはならない。

(そうだ、まったく関係のない話でもしよう……)

「——なあ……お前、剣は誰に習ったんだ? オレは実際に戦ったことはないけど、あれはコジャーツカ族の剣だよな?」

「よくわかったな。副団長がオレの剣の師匠なんだ」

 父親の後ろにひっそりと佇んでいた、得体のしれない人物がレネの師匠とは意外だ。

「じゃあ……あの人はコジャーツカ人なのか?」

(——そんな勇猛果敢な人物には見えねえなぁ……)

 だがそこは、弟子のレネにも共通しているのかもしれない。
 自分で言うのもなんだが、あの父親が後ろに置いている人物だ。ただ者ではないだろう。

「うん。この前、オレも副団長の生まれ故郷に行って来て、あの剣を手に入れたばっかりなんだ」

 バルトロメイは、レネの持っていたサーベルに似た反りの強い剣を思い出す。

「あーだから首刎ねてたわけね……でもスゲーな。俺の片手剣の認識が塗り替えられたわ……」

 試し斬りではないが、実戦で色々試して見たくなる気持ちは同じ剣士としてよくわかる。

「オレも最初、副団長が戦ってるとこ見てびっくりしたんだ。あんな片手剣の戦い方があるんだって」

「今回、お前の得物見るのも初めてだったけど、俺てっきり団長から剣を習ってるのかと思ってた」

「オレは両手剣に向いてなかったんだよ……」

 そう言いながら、レネは子供のころのできごとをぽつり、ぽつりと話していく。

 養子になる前から、憧れの『バル』に剣を習うことを夢見ていたこと。
『お前は片手剣の方が向いている』と告げられ、ショックで家出したこと。
 その時のできごとが、ずっと団長との間でわだかまりとなっていたこと。
 そしてレオポルトとの決闘で、『バル』が自分を助けに来てくれたこと。

(——だから決闘の時、レネはあんなにも……)

 何度も転びながら、バルナバーシュの元へと行った光景を思い出す。

「ずっと苦しんでたんだな……仲の良い親子だとばかり思ってた」

「…………」

 バルトロメイは思わず、横にあった頭を抱き寄せ頬に口付けしていた。
 その行為にはなんの下心もない。
 ひたむきに生きているレネが、ただ愛おしかった。
 レネにもそれが通じているのか、されるがままになっている。

(こいつは親父に認めてもらうために、こんな細っこい身体でずっと頑張ってきたんだ……)

 なにも知らずに、レネが努力して築き上げた居場所を土足で踏み荒らした自分が憎い。
 しかし意外にも、レネが謝罪の言葉を口にする。

「ごめん……オレの浅はかな行動のせいで、血の繋がった親子同士で戦わせることになって……」

 レネが右手でそっと、真横にあるバルトロメイの頬を撫でてきた。

「ああ、そんなこと気にすんなよ。俺も気にしないたちだし、たぶんあの親父もそうだ。そんな所は似てるんだよ。それよりもお湯が溜まった。あっちに浸かろう」

 男二人にはさすがに少し狭いが、向かい合わせでなんとか湯に浸かる。
 バルトロメイとしてはレネを後ろから抱く形で入ってもよかったのだが、流石にそれはできなかった。

「——でもどうして代闘士を申し出たんだ?」

 レネが改めてバルトロメイと向き合い、話題を続けた。

「そりゃあ、レオポルトの護衛してたからな」

 理由などない。
 ただ仕事の一環だ。

「お前、真面目なんだな……見直したよ」

 レネから褒められるとは少し意外だが、『見直した』とはなんだ? 普段はまるで、真面目に見えないような言い方だ。
 そしてあの時の複雑な心境を思い出し、バルトロメイは思わず苦笑いする。

「レオポルトがまさかお前を……あんな風に攫って来るなんて思ってもなかった。本当はレオポルトの護衛なんてやりたくなかったけど、仕事だからな……」

 請けた仕事は最後までやり通さないと、この世界では食っていけなくなる。

「あの時は……お前から裏切られたような気になってたけど、今だとよくわかるよ。真面目に護衛の仕事をしてたんだな。お前も聞いてると思うけど、テプレ・ヤロでレオポルトと一緒に誘拐されそうになって、思わずあいつも助けちまった……」

 レネは最初にレオポルトと会ったできごとを語る。
 愛人を装い別の人物の護衛で来ていて、そこをレオポルトに見つかり執着されていた。

 護衛でもないのに、よくあんな男を助ける気になったものだ。
 ちらりと聞いたが、バルチーク伯爵の親友であるリンブルク伯爵が、レオポルト救出に絡んでいたとか。

「お前、その……無事だったの?」

(あいつがレネをオカズにしてたくらいだからな……なにかネタになるようなことがあったはずだ)

「え? 無事だったからこうやって生きてるじゃん」

 レネにはぜんぜん伝わってないようだ。

「いや……そういう意味じゃなくてレオポルトに無理矢理抱かれなかったのって意味で」

(こんな薄い反応だということは無事だったんだろうな……)

「ああ……そっち? あいつなんで男相手に勃つんだ? 抱きしめられてへそにブツが当たった時は衝撃を受けたぞ。まあ上だけ脱いだだけで運良く中断したけど」

「なんともなくてよかったな……」 

 バルトロメイはほっとしたものの『なんで男相手に勃つんだ?』という言葉が痛く胸に刺さる。

(——どうせオレはレオポルトと同類さ……)

「でも、お前もとっさにレオポルトを助けちまったって……護衛の性《さが》だよな……」

 バルトロメイは話題を元に戻す。
 結局、レネも自分も同じことをしていた。

「馬鹿みたいだよな……」

 お互い苦笑いする。

「——団長が、お前をリーパに入団させた意味がわかったよ」

 レネは右手で浴槽の縁に頬杖をつき視線を横にそらしながらそう告げた。

(俺のこと……認めてくれたのか? ん? でもちょっと照れてる?)

 バルトロメイは、少しずつレネとの距離が近付いていくのを感じた。

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