菩提樹の猫

無一物

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8章 全てを捨てて救出せよ

番外編 飼い犬は主人の帰還に何を思う

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 ただの鬼畜だと思っていた男にヴィートは完敗した。

 今でもあの光景は目に焼き付いている。
 裏門から一頭の黒い馬が入って来た時のことを……。

 騎士の格好をしたバルナバーシュの腕の中にいたのは、行方不明になっていたレネだった。
 逞しい胸に縋り付くように顔を埋め、表情は見えない。

 なぜ抱かれるように相乗りしてるんだ?

 バルナバーシュが片手でしっかりとレネを抱きとめている。
 意識はあるが自分では身体を支えることができない状態なのかもしれない。
 だからといって、ふつうはあんな体勢で男二人が馬に乗るなど無理だ。
 リーパの中でも一番大きなあの黒馬と、バルナバーシュの乗馬の技術がそれを容易にさせているのだろう。

(まさか……レオポルトがレネを……)

 よからぬ推測が頭を過り、ヴィートはギリギリと歯を噛みしめる。
 だが、もしレネの身になにか起きていたら、バルナバーシュは団員たちにその姿を晒したりするだろうか?
 そんなことは絶対しないだろう。
 だからきっとレネはそういう意味では大丈夫だったのだ。

 それになによりもヴィートの心をザワつかせたのは、レネを包む狼の家紋だった。
 揃いのサーコートの団員たちの前で、あのマントにレネを包み、あの男はわざと見せつけているのだ。

「これは俺のもの」だと。

 そしてその行為に甘んじているレネ。
 ヴィートは信じられないものでも見るように、その場に立ち尽くすしかなかった。


 そうしてバルナバーシュは、レネを抱いたまま私邸の方へと姿を消した。

「なあ……あれ……一応義理でも親子だよな?」

 隣で見ていた、同期のエミルがヴィートに訊いてくる。

「それ以外なんだよ? 言ってみろよ?」

 言ってみろと言いながらも、ヴィートの絶対それを言わせない雰囲気に、エミルが押し黙る。

「…………」

「なあ……おかしいと思わないか? なんで団長は騎士の格好なんだ? 団長を辞めた理由も猫さんを取り戻すためだろ?」

 これまた同期のアルビーンが、ヴィートに忘れていたことを思い出させる。
 そうだった……レネを取り戻すために、あの男はリーパの団長さえも辞任したのだった。

「もしかして、猫さんを拉致した貴族相手に決闘して取り返して来たんじゃないのか?」

「——だから、正装してるのに手袋がなかったのか……」

 アルビーンとエミルの指摘に、今度はヴィートが押し黙る。

(決闘!?)

 だが夕食時に、現場にいたボリスから聞いた事実は、ヴィートたちにそれ以上の衝撃を与えた。

「は? 決闘の相手が実の息子!?」

 ボリスの周りには話を聴こうとワラワラと団員たちが集まってきた。

「ああ。そりゃあ団長が勝ったけど、彼も相当のものだったよ。血は争えない」

 流石にボリスは、事情を知らない団員たちの前ではレオポルトの名前は出さなかった。

「レネのためにそこまで……」

「団長が助けに行ってなければ……レネはあのまま死んでたかもしれない……」

 ボリスが暗い顔をしてぼそりとつぶやいた。

「どういうことだよっ!」

 今の言葉は聞き捨てならない。

「レネは拉致された時に怪我を負ってたんだが、どうもそれから水も食べ物も受け入れてなかったようなんだ。ロランドが言ってたんだが、以前もあの貴族から妙な薬を飲まされて大変な目にあったらしい。だから怪我を癒やしても、衰弱して歩けない状態だったんだ」

(——なんだよ妙な薬って……)

 気になるが、重要なのはそこではない。

「だから団長がレネを……」

 ヴィートが見返すと、ボリスはなにか含んだような視線を送って笑った。

「あれはね……レネが離れなかったんだよ。決闘が終わると、まともに歩けないのに、何度も転びながら団長の所に向かって行ったんだ。『バルッーーー』って叫びながらね。立会人のハヴェルさんが馬車で来てたのに乗らずに、団長に抱き付いたまま馬で帰ってきた……」

 それを聞いていた古株の団員たちが、鼻を啜り泣き始めた。

(ん? 泣き所はどこだ?)

 ヴィートには、男たちが涙を流す意味がわからない。

「バルってなんだ?」

(なにかの呪文か?)

「団長の名前はバルナバーシュ。『バル』は団長の愛称さ」

「…………」

 ヴィートは押し黙る。
 レネは団長のことを愛称で呼ぶような親しい親子関係にはとても見えない。

(俺が知らないだけで、あの二人はそんなに仲が良かったのか? あんな鬼畜相手に……)

「うわぁーー想像つかねぇ。二人のそんな姿なんて……」

 エミルも思わず漏らす。

「レネは、団長が通ってた日用雑貨屋の息子で団長に懐いてたんだ。あれは……十年前の夜、任務が終わって本部に帰ってた所に、店が荒らされてるのに団長が気付いて、私たちを連れて中に入ったら、レネの両親はもう強盗たちに殺された後だったのさ。子供がいるはずだと団長が言うから部屋の中を探していたら、納戸にレネたち姉弟が身を寄せ合って隠れていたんだよ。——私は今もあの光景が忘れられない……」

「——もう十年経つのか……姉ちゃんと離れた時はずっと泣き止まなくて手を焼いた覚えがあるなぁ……」

 後ろから、懐かしそうにおっさんの団員も話に乗ってくる。

「ルカーシュが師匠になった時から、団長とは今みたいな関係になっちまったよな……」

「あの時、なんかあったんだろうなとは思ってたが、今日の二人を見て安心したよ……」

 そしておっさんたちは昔話に花を咲かせる。
 あの姿を見せつけられて、おっさんたちとはまったく違う感想を抱いた自分の目は腐っているのだろうか。
 ヴィートは自問自答する。

(——団長の腕にまるで恋人みたいに抱かれてたじゃないか……)

 周りを見回すと、ヴィート以外にも腐った目の持ち主は何人もいるようだ。
 そんな人間は、皆一様に「解せぬ」という顔をしている。


「おーーーボリスここにいたのか」

 カレルが食堂へと来ると、ボリスの耳元で囁く。

『なんか団長が探してたぞ。猫ちゃんを風呂に入れてるとき足に怪我してるとこ見つけたから治療を頼みたいってよ』

 ヴィートは聞き耳を立てて、カレルがなんと言ったのかを盗み聞きした。

『ああ、見逃しがあったようだな。今行くよ』

(は? 風呂に入れた?)

 なにかの聞き間違いだろうか……。
 敷地の奥にある屋敷の二階でなにが行われているのだ?
 あの男が、野郎を風呂に入れて、甲斐甲斐しく世話を焼いている様子など想像もしたくもない。

 しかし相手はレネだ……。
 あんな顔と身体をしたレネを、あの鬼畜みたいな男が身体の隅々まで洗っている様子を想像して、ヴィートは顔から火を吹いた。

(いくら義理の親子といってもダメだろ……)

 ヴィジュアル的にアウトだ。親子になんて見えない。
 ヴィートの中でバルナバーシュの人間像がバラバラと崩れていく。

 つい昨日、新しい受け入れ先で暮らしているミルシェから、『お仕事がお休みになったからって、お屋敷のおじちゃんが会いに来てくれたの』と話すのを聞いて、館にいる使用人のことかと思っていたのだが——
『お仕事がお休みになった』お屋敷のおじちゃんとは……使用人ではなく、もしかして……団長を辞任した——

(まさか……まさか……)

 ヴィートは左右に頭をふるふると振って自分の考えを否定する。
 あんな鬼のような男が、子供好きなはずがない。
 それに、レネにはあんなに辛く当たっていたし、レネだって傍で見ていたら養子だと気付かないくらい、よそよそしい態度をとっていた。

 情報が多すぎて混乱している。

 なにより衝撃的なのは、バルナバーシュが団長を辞任して、実の息子と決闘して、養子のレネを取り戻して来たことだ。

 先ほど、団長から抱き付いて離れなかったのはレネだと聞いた。
 あのとんでもなく目立つ格好で、リーパの敷地内だけならまだしも、メストで一番交通量の多い目抜き通りを二人で相乗りして帰ってきた。

 それもただの相乗りではない、騎士が姫君を馬に乗せるように横抱きにしてだ。
 あんな非現実的な乗り方なんて本の挿絵だけの世界だと思っていた。
 男女ならまだしも、背の高い男同士でだ。

(曲芸師かよ……)

 バルナバーシュの胸に顔を埋めていたので、レネの顔は見えてなかったとしても、バルナバーシュは顔を晒しているし、それも深紅のド派手な家紋入りのマントにレネを包んで『こいつは俺のものだ』と、なんの関係もない目抜き通りの通行人に謎のアピールをして帰って来たのだ。

(もう、感動とか通り越してただの馬鹿だろ?)

 やはりヴィートは、話を聞いて泣いていたベテラン団員たちの気持ちが理解できない。
 それから、バルナバーシュはどういうなりゆきで、自らレネを風呂に入れるという力技に持っていったのだろうか?

『——あいつに本当になにもされてないか、俺が確かめてやる』

 どっかの猥本みたいなせりふが頭の中に湧いてきて、ヴィートは頭の中が沸騰しそうになった。

(いやいやいや……流石にそれはない……もうそれ、犯罪だろ?)

 頭の中で即座に打ち消して、自分の妄想を否定する。

 冷静になれ。
 自分はなにを翻弄されているのだ。

 レネに酷く当たった男に、敵意を剥き出しにして怒りを覚えていた。
 しかし実は、その二人は誰も間に入れ込めないような絆で結ばれていたという事実を、目の前で見せつけられた。

 一人で怒ってた自分が馬鹿みたいだ……。
 こっちはずっと心配していたというのに。

(急に二人でイチャイチャしやがって……)

 親子に対する表現としては不適切かもしれないが、この表現が正解だと思う。

「勝手にしてろよ、お騒がせ親子めっ!」

 ヴィートは、無意識のうちに声へ出して叫んでいた。

「おいっなんだよ急に叫びだして……っておいっ!? お前、鼻血出てるぞ?」

 隣にいたエミルが、おどろいた様子でヴィートを見つめている。

「あっ……ホントだ……」

 正面にいたアルビーンもこちらを覗き込んでくる。

「なにやってんだよ……お前、さっさとハンカチで拭けよ」

「……え?」

 自分の身に起きていることを把握できないでいるヴィートに、エミルが呆れた顔をしている。

 ポケットからハンカチを取り出して鼻血を拭きながも、心ここにあらずの状態で、ぼんやりとヴィートは思った。
『砂を吐く』とはこんな気持を指すのかと。
 ヴィートはどうでもいい言葉を身を持って体感したのであった。
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