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8章 全てを捨てて救出せよ
16 封印していた感情
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◆◆◆◆◆
「——バルーーッッ!」
バルナバーシュは、飛び込んでくる身体を、今度こそ二度と離さないようがっしりと抱きとめる。
胸元がどんどん温かく湿ってくる。
姉弟二人を助け出した夜のことを思い出した。
灰色の髪の毛に鼻先を埋めると、もう子供特有の乳臭さはないが——レネの匂いがした。
思わず口が綻ぶ。
ただでさえ細いのに、養い子の身体はここ数日でずいぶんと頼りないものになっている。
あと少し、遅かったなら、本当に危なかったかもしれない。
はっと思い出すと、親友の方に目を向ける。
「ハヴェル、レネに水を……」
親友は、目を真っ赤にしながらハンカチで鼻を噛んでいる真っ最中だった。
その滑稽な姿に思わず笑ってしまった。
「クソっ……自分だけかっこよくキメやがって……」
そう言い捨てると、ハヴェルは水差しとコップを親友に差し出した。
「ほら……まず水を飲め。ずっと飲んでなかったんだろ? 出してばかりだと干からびるぞ……」
シャツの胸元はレネの涙でびしょびしょになっている。
バルナバーシュは一度身体を離して、水を湛えたコップを渡すと、鼻を真っ赤にしたレネが、不思議そうにこちらを見上げている。
「——どうして……それを?」
レネは、バルナバーシュが水を口にしていなかったことを知っているのが不思議なようだ。
「筆まめな奴が、何度も手紙を書いて寄越しやがったから——」
バルナバーシュの言葉など最後まで聞かずに、本能が欲するままにレネは水を貪るように飲み始めた。
生きる渇望そのものを表す行為に、バルナバーシュとハヴェルは胸を撫で下ろす。
「よかった……」
ハヴェルのつぶやきを聞いて、思わずバルナバーシュも同意する。
「ああ……」
遂にはコップに水を注ぐのも待ちきれず、ハヴェルから水差しごと奪って直接口を付けて飲んでいる。
ここまでレネを追い詰めたのは、レオポルトではなく自分だ……。
親友からそっと差し出されたマントを受け取り、薄着のレネを包んでもう一度抱きしめた。
首に腕を回し、まるで子供のようにレネがギュッと抱き付いてくる。
「——ぜんぶ俺のせいだ……心にもないことを言って済まなかった。——だからもう……自分で命を絶とうなんて思わないでくれ。……俺にはお前が必要なんだ……」
バルナバーシュは言っている側から、鼻の奥がツンとしてくるのを感じた。
失うことなんて、想像したくもない……。
「バル……」
そう……九年ぶりに聴く養い子のその呼び方は、妙にくすぐったくて、胸の辺りがキュンキュンと締め付けられる。
ルカーシュに預けた時から封印していた感情がバルナバーシュの中からあふれ出してくる。
レネの傷は全部残さないように癒し手に治療させているが、一番レネの身体を傷付けているのは間違いなく自分だ。
本当は傷付けたくなどない。
できることなら、優しく見守っていきたかった。
だが、『レネを強くすると約束した』という想いが、どうしても甘えを許さなかった。
(——どうか、少しの間だけ……愛でさせてくれないか……)
バルナバーシュは、もう一人の自分に許しを請う。
まだまともに歩くことのできないレネに、ハヴェルが自分の馬車に乗れと促すが、レネは一向にバルナバーシュから離れようとしない。
飴ばかり与えるおっさんに、鞭しか持たない親父が勝った瞬間だ。
もちろん、バルナバーシュも最初からそのつもりだった。
レネを抱えたまま愛馬の『チェルナ』に跨り、メストの街中へと入る。
通行人の視線を痛いほど感じるが、バルナバーシュにはそれさえも心地よかった。
首にしがみつくように抱き付いているレネの顔は周りには見えないからいいだろう。
しばらくはこの優越感に浸らせてくれ。
その様子を見せつけられ、後ろからは浮かない顔でボリスがついて来ている。
(ざまぁ見やがれ……行きがけのお返しだ……)
年を取って来ると、つまらないことでも執念深くなってくるものだ。
ボリスの悔しそうな顔を見るだけで胸のすく思いがした。
なんて自分は狭量な男だろうか……。
だがそんな自分さえも笑って許せるほど今は気分がいい。
本部の裏門へ着くと、団員たちが次々と出てきて出迎える。
「団長っ!」
「団長」
「団長!」
「——私はもう団長ではないっ!」
レネを抱いたまま器用にチェルナから降りると、蟻のように集まって来る団員たちを目線だけで散らし、道を開けさせる。
団の中でもレネは、強い部類に入るという自負を持っているだろう。
こんな容姿をしているせいか、逆に中身は人一倍男っぽい。
そんなレネが、バルナバーシュの腕に抱かれて帰って来た。
普段なら絶対あり得ない。
(——察しろ……)
バルトロメイが訪ねて来た時に、心無い言葉をレネにかけた団員たちもいたと聞く。
(俺が一番酷いことを言ったが……)
でもこれで、わかっただろう。
バルナバーシュがすべてを捨てて、取り戻しに行ったものがなんだったのか?
狼の家紋に包まれ自分の腕に抱かれているこの存在が誰か、目に焼き付けろ。
たかが、自分そっくりの男が現れたくらいで惑わされるな。
ブルク家の家紋を纏うのは、自分以外で隠居した父を除いて、レネしかいないのだ。
バルナバーシュはどうしてもこの犬の集団に、この姿を見せつけておかないといけなかった。
団員たちに泣き顔を見られたくないレネは、黙って胸にしがみついたままだ。
弱っている姿を晒されてきっと悔しいだろうが、団員たちの目にこの姿を焼きつかせておかないとバルナバーシュの気が収まらない。
(いや……本当にわからせておきたい相手は——レネだ……)
ここまでしないと、レネには伝わらないと思ったのだ。
人は言葉という道具を持っているのに、本当の気持ちを言葉に正しく変換しても——薄っぺらい嘘にしか聞こえない時がある。
だから人は行動するのだ。
これはバルナバーシュの雄犬としてのエゴであり、マーキング行為であった。
「——バルーーッッ!」
バルナバーシュは、飛び込んでくる身体を、今度こそ二度と離さないようがっしりと抱きとめる。
胸元がどんどん温かく湿ってくる。
姉弟二人を助け出した夜のことを思い出した。
灰色の髪の毛に鼻先を埋めると、もう子供特有の乳臭さはないが——レネの匂いがした。
思わず口が綻ぶ。
ただでさえ細いのに、養い子の身体はここ数日でずいぶんと頼りないものになっている。
あと少し、遅かったなら、本当に危なかったかもしれない。
はっと思い出すと、親友の方に目を向ける。
「ハヴェル、レネに水を……」
親友は、目を真っ赤にしながらハンカチで鼻を噛んでいる真っ最中だった。
その滑稽な姿に思わず笑ってしまった。
「クソっ……自分だけかっこよくキメやがって……」
そう言い捨てると、ハヴェルは水差しとコップを親友に差し出した。
「ほら……まず水を飲め。ずっと飲んでなかったんだろ? 出してばかりだと干からびるぞ……」
シャツの胸元はレネの涙でびしょびしょになっている。
バルナバーシュは一度身体を離して、水を湛えたコップを渡すと、鼻を真っ赤にしたレネが、不思議そうにこちらを見上げている。
「——どうして……それを?」
レネは、バルナバーシュが水を口にしていなかったことを知っているのが不思議なようだ。
「筆まめな奴が、何度も手紙を書いて寄越しやがったから——」
バルナバーシュの言葉など最後まで聞かずに、本能が欲するままにレネは水を貪るように飲み始めた。
生きる渇望そのものを表す行為に、バルナバーシュとハヴェルは胸を撫で下ろす。
「よかった……」
ハヴェルのつぶやきを聞いて、思わずバルナバーシュも同意する。
「ああ……」
遂にはコップに水を注ぐのも待ちきれず、ハヴェルから水差しごと奪って直接口を付けて飲んでいる。
ここまでレネを追い詰めたのは、レオポルトではなく自分だ……。
親友からそっと差し出されたマントを受け取り、薄着のレネを包んでもう一度抱きしめた。
首に腕を回し、まるで子供のようにレネがギュッと抱き付いてくる。
「——ぜんぶ俺のせいだ……心にもないことを言って済まなかった。——だからもう……自分で命を絶とうなんて思わないでくれ。……俺にはお前が必要なんだ……」
バルナバーシュは言っている側から、鼻の奥がツンとしてくるのを感じた。
失うことなんて、想像したくもない……。
「バル……」
そう……九年ぶりに聴く養い子のその呼び方は、妙にくすぐったくて、胸の辺りがキュンキュンと締め付けられる。
ルカーシュに預けた時から封印していた感情がバルナバーシュの中からあふれ出してくる。
レネの傷は全部残さないように癒し手に治療させているが、一番レネの身体を傷付けているのは間違いなく自分だ。
本当は傷付けたくなどない。
できることなら、優しく見守っていきたかった。
だが、『レネを強くすると約束した』という想いが、どうしても甘えを許さなかった。
(——どうか、少しの間だけ……愛でさせてくれないか……)
バルナバーシュは、もう一人の自分に許しを請う。
まだまともに歩くことのできないレネに、ハヴェルが自分の馬車に乗れと促すが、レネは一向にバルナバーシュから離れようとしない。
飴ばかり与えるおっさんに、鞭しか持たない親父が勝った瞬間だ。
もちろん、バルナバーシュも最初からそのつもりだった。
レネを抱えたまま愛馬の『チェルナ』に跨り、メストの街中へと入る。
通行人の視線を痛いほど感じるが、バルナバーシュにはそれさえも心地よかった。
首にしがみつくように抱き付いているレネの顔は周りには見えないからいいだろう。
しばらくはこの優越感に浸らせてくれ。
その様子を見せつけられ、後ろからは浮かない顔でボリスがついて来ている。
(ざまぁ見やがれ……行きがけのお返しだ……)
年を取って来ると、つまらないことでも執念深くなってくるものだ。
ボリスの悔しそうな顔を見るだけで胸のすく思いがした。
なんて自分は狭量な男だろうか……。
だがそんな自分さえも笑って許せるほど今は気分がいい。
本部の裏門へ着くと、団員たちが次々と出てきて出迎える。
「団長っ!」
「団長」
「団長!」
「——私はもう団長ではないっ!」
レネを抱いたまま器用にチェルナから降りると、蟻のように集まって来る団員たちを目線だけで散らし、道を開けさせる。
団の中でもレネは、強い部類に入るという自負を持っているだろう。
こんな容姿をしているせいか、逆に中身は人一倍男っぽい。
そんなレネが、バルナバーシュの腕に抱かれて帰って来た。
普段なら絶対あり得ない。
(——察しろ……)
バルトロメイが訪ねて来た時に、心無い言葉をレネにかけた団員たちもいたと聞く。
(俺が一番酷いことを言ったが……)
でもこれで、わかっただろう。
バルナバーシュがすべてを捨てて、取り戻しに行ったものがなんだったのか?
狼の家紋に包まれ自分の腕に抱かれているこの存在が誰か、目に焼き付けろ。
たかが、自分そっくりの男が現れたくらいで惑わされるな。
ブルク家の家紋を纏うのは、自分以外で隠居した父を除いて、レネしかいないのだ。
バルナバーシュはどうしてもこの犬の集団に、この姿を見せつけておかないといけなかった。
団員たちに泣き顔を見られたくないレネは、黙って胸にしがみついたままだ。
弱っている姿を晒されてきっと悔しいだろうが、団員たちの目にこの姿を焼きつかせておかないとバルナバーシュの気が収まらない。
(いや……本当にわからせておきたい相手は——レネだ……)
ここまでしないと、レネには伝わらないと思ったのだ。
人は言葉という道具を持っているのに、本当の気持ちを言葉に正しく変換しても——薄っぺらい嘘にしか聞こえない時がある。
だから人は行動するのだ。
これはバルナバーシュの雄犬としてのエゴであり、マーキング行為であった。
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