菩提樹の猫

無一物

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8章 全てを捨てて救出せよ

12 深紅のマントを纏った騎士

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◆◆◆◆◆


「わあっ! カッコイイ!」

 街中を歩いていた少年が、深紅のマントを纏った騎士を見上げる。
 黒馬に跨る姿は、まるで物語の中の騎士そのもので、少年が思わず叫び出すのも仕方ないくらい絵になっていた。

 騎士の乗った馬はドレイシー夫人の屋敷の前で停まり、出てきた使用人に用件を告げると、騎士は中へと通される。


「誰だ、こんな朝早くから私に用事とは…」

 レオポルトは急な来客に、バルトロメイと一緒にエントランスへと足を運ぶ。

「……あっ……!?」

 騎士の姿を目の当たりにして、レオポルトは思わず言葉を失った。
 バルトロメイにそっくりの男は、睨みつけただけで人を殺せそうな、危険な香りを漂わせている。
 白い狼の紋章が入ったそのマントは、今まで殺してきた男たちの血で染めたかのように深い紅で、それがまたこの男に恐ろしく似合っていた。

 その人物が誰か教えられなくともわかった。

(この男が……レネの養父か……)

 自分はとんでもない男の元から、レネを攫ってきてしまった。
 まさか本人が自分を訪ねて来るなど、想像もしていなかった。
 そして次の言葉を聞いて、レオポルトは愕然とする。

「我が名はバルナバーシュ・ラディム・ヴルク。我が息子レネを取り戻すため貴殿にを申し込む!」

 そう叫び、騎士はレオポルトの顔に白い手袋を投げつけると、白と黒の幾何学模様が描かれた大理石の床に、それはパサリと落ちた。
 シン……と静まり返った玄関に、朝の冷たい空気が流れる。

「……貴様……次第によってはリーパの名まで汚れることになるぞ」

 レオポルトはようやく言葉を発し、バルナバーシュを見上げた。
 すると、レネの養父は「今さらそんなことを聞くのか?」という余裕の表情でレオポルトを見下ろす。

「——私はもうリーパの団長ではない。一騎士として貴殿に決闘を申し込みに来たのだ」

「まさか……このために辞めたのか?」

(この男はレネのためにすべてを捨てて来たのか?)

「自分の大切なものも守れぬ、護衛団の団長など笑止千万」

「ッ…………」

 なにもかも捨ててここに来たバルナバーシュの覚悟に、レオポルトは思わずたじろぐ。
 だが心の片隅で、ここまで犠牲にして助けに来る者がいるレネを羨ましく思った。


「さあ、どうする?」

 二人の力の差は一目瞭然だ。
 圧倒的にレオポルトの方が不利だった。
 狼のような目に迫られ、ギリリとレオポルトは唇を噛みしめたが、ゆっくりと身を屈めて床に落ちた手袋を拾い上げた。

「この勝負——」

(ここまでされたら受けないわけにはいかないだろう……)

「——待った!」

 急にレオポルトの後ろから声がかかかった。

「代闘士として、私、バルトロメイ・テサクがその勝負、受けて立つ!」

「ほう、面白い」

 バルナバーシュは笑い、同じヘーゼルの瞳同士がぶつかり合った。

「——お前っ!? なにを言い出すんだ……主人でもない私なんかのために戦ってどうする! それに……お前たちは血の繋がった親子だろっ!」

 突然の申し出に、レオポルトはおどろいた。

「護衛対象を護り抜くのが俺の仕事さ」

 苦い顔で、バルトロメイが自分に言い聞かせるようにそう告げる。

「——護衛の鑑だな」

 バルナバーシュが口元に笑みを浮かべた。

「では、今日の正午スポイット橋の下で。立会人と、レネを連れて来てもらおう。私が勝ったならレネは連れて帰る」

 そう言うと、バルナバーシュは颯爽と深紅のマントを翻し去って行った。

 ドロステアでは決闘を行う時、不正がないか必ず両者一人ずつ立会人を立てる決まりがある。
 決闘は必ずしも本人が戦う必要はなく、今回のように代闘士が戦うことはよくあることだが、血の繋がった親子での決闘など前代未聞だ。


◆◆◆◆◆


 ドレイシー夫人の屋敷から一区画挟んだ所にハヴェルの屋敷はあった。
 バルナバーシュは決闘の申し込みをした足で、この屋敷へと立ち寄っていた。

「おおっ!? 少しおっさんだが、お伽噺に出て来る騎士様みたいにきまってるじゃないか」

 滅多に見ることができない親友の騎士姿に、ハヴェルは感嘆する。

「惚れ直したか?」

 バルナバーシュは、まるで姫君を相手にするかのように右手を胸に当て優雅にお辞儀して見せる。

「ああ。俺が女だったら間違いなくお前と結婚してたんだがな」

 世の中上手くいかない。

「本当にこの役を引き受けてくれるのか?」

 親友には、朝一番で立会人になってくれるようお願いする手紙を送っていた。
 しかし、バルナバーシュの中では親友をこの騒動に巻き込んでしまうことに、まだ迷いがあった。

「今さらなにを言ってる。誘拐を阻止した恩人を拉致監禁するなんて、いくら伯爵家の息子だろうとも許されたもんじゃないだろ。お前がなにもかも捨てて、正攻法で挑んでいるのに、俺がこの役を引き受けないなんてあるか?」

 ハヴェルも事件を知った昨日からずっと、レネの安否に気を揉んでいた。

「だがお前……バルチーク伯爵家は取引先だろ?」

 もしハヴェルがバルナバーシュ側に立ったことで、仕事に支障が出たならばと思うと、申し訳ない思いでいっぱいになる。

「バル……もしこの役を他の奴に頼んでいたら、俺はそいつに嫉妬するね。お前とレネの力になれることなんて、今の俺にはこれくらいしかないからな」

「友よ、これ程お前が頼もしく思えたことはないぞ」

 バルナバーシュは思わずハヴェルを抱き寄せた。

「今度こそあいつを助けに行ってやれよ。お貴族様相手なんてお前だったら目を瞑っていても勝てるだろ?」

 これでもう問題は解決だとばかりに語る親友の顔を見て、バルナバーシュは顔を曇らせる。

「それがな……代わりに実の息子の方が俺の相手になった」

「は!?」

「あいつ、レオポルトの護衛だったんだ」

 ハヴェルはまるで自分のことのように頭を抱えて屈み込んでしまった。

 運命とは残酷なものだ……。
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