111 / 279
7章 サーベルを持った猫
4 捜索
しおりを挟む
◆◆◆◆◆
「レネは?」
「それが、まだ来てないんです」
使用人の夫妻も怪訝な顔をする。
食事の時間になっても、下の食堂にレネが姿を現さない。こんなことは初めてだ。
きっと、ルカーシュを新しい師匠にすると言ったのが原因だ。
それについては、告げた本人であるバルナバーシュも心を痛めていたのだ。
「ちょっと部屋を見て来る」
バルナバーシュは階段を上って、レネの部屋へと向かった。
たぶん部屋でいじけているのだろう。
さっきは時間がなく話せていなかったので、レネにはちゃんと説明しないといけない。
「レネっ」
部屋に入って名前を呼ぶが、部屋の主はいない。
そして、いつも出かける時に使っている鞄が無くなっていた。
いくつかの物も消えている。
それも前の家から持ってきたものばかりが……。
「——まさか、あいつっ!?」
目の前が真っ白になった。
「こりゃあ家出だな……よっぽど俺が師匠になることが嫌だったんだな……」
いつの間にやってきていたのか、入り口に立っていたルカーシュがつぶやく。
「違う、俺の言葉が足りなかったんだ……。もう暗くなってる、あんな子供が外をウロウロしていたら危ない。あいつは以前にも誘拐されそうになっていたんだ……」
ただでさえ子供の一人歩きは危険なのに、レネは人目を引く容姿をしていた。
よからぬ輩が手を出すかもしれない。
「手分けして探そう。行きそうな所の心当たりは?」
こんな時もルカーシュは冷静だ。
「……もしかしたら、ハヴェルの所に行ったのかもしれない」
自分が長く家を空ける時にはいつもハヴェルの家に預けていた。
マメな使用人たちがレネの部屋まで用意して、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
他に身寄りのないレネが行く場所といえば、あそこしかない。
「じゃあ、あんたは下町通りを通って行ってくれ。俺は宿屋通りからそっちへ向かうから、ハヴェルさんの家で合流しよう」
養い子の突然の家出に、動揺するバルナバーシュをよそに、ルカーシュはテキパキと物事を決めていく。
昔からこの男は感情表現が人とは違うので誤解されがちだが、皮膚の下にはちゃんと熱い血が流れている。
だからルカーシュに、大切な養い子を託すことに決めたのだが……。
レネはそんなバルナバーシュの心中など知る由もない。
やはりあの時、ちゃんと説明するべきだったのだ。
だが……いまさら悔やんでももう遅い。
バルナバーシュは、行く人々にレネの特徴を伝え尋ね歩いた。
下町通りをハヴェルの家方面へと進んだが、けっきょく……なんの情報も掴めなかった。
きっともう、ハヴェルの家へ着いているはずだ。
祈る気持ちで、親友の家への扉を叩いた。
「えっ……来てないぞ!? いつからいないんだよ?」
ハヴェルは食事を終わらせて寛いでいたが、深刻な顔をして訪ねて来た親友を見て、顔を強張らせる。
「最後に見たのは、日が暮れる前だ」
「どこに行ったんだあいつ……黙ってると女の子みたいだもんな……人攫いに目を付けられてないといいが……」
ハヴェルのなにげない言葉に嫌なことを思い出させる。
(もしかして……レネを狙う者の仕業か?)
親しくなったきっかけも、誘拐されようとしていた所を助けたことからだ。
そこに畳みかけるように、悪い知らせが届く。
深刻な顔をしたルカーシュが使用人から部屋に案内されてきた。
ルカーシュはいつの間か髪を解いて、いかにも歓楽街にいそうな崩れた風体になっている。
「おい、この鞄はあいつのか?」
踏まれたのだろうか、靴跡の付いたボロボロの鞄をバルナバーシュへ渡す。
「これは……」
レネがハヴェルの家へ行く時にいつも持っていた鞄を目の前に出され、二人は言葉を失った。
「どこに落ちてたんだ?」
鞄を持ってきたルカーシュに尋ねる。
「歓楽街の曲がり角」
「あいつ……なんでそんな所を通ってるんだ……あそこは危ないから通るなって言ってたのに」
(暗くなっているのに、どうして危険な歓楽街なんかに行ったんだ)
「あんた、本気で言ってるのか?」
咎める口調でルカーシュが言う。
「は? なんのことだ?」
バルナバーシュはルカーシュが言っている言葉の意味がわからなかった。
「下町通りからだと、あいつの元の家が見えるだろ。夜にそんな所を一人で歩きたいと思うか? それよりもにぎやかな所を歩きたいに決まってるだろう」
事件の夜、ルカーシュも現場に居合わせていた。
「……!?」
ルカーシュの指摘に、バルナバーシュは愕然とした。
どうして自分はそんなことも気付かなかったのだろうか……。
自分がレネの一番の理解者だと思っていたに……大きなショックを受ける。
「これがレネの鞄だということは、なにか事件に巻き込まれた可能性が高いな」
「なんてことだ……うちの使用人も何人か使って訊き込みにあたらせよう」
バルナバーシュが良心の呵責に苛まれている間にも、他の二人は話を進めていく。
「バル、早く動いた方がいい。もし人攫いだったらすぐにメストから連れ出すだろう」
なかなか口を開こうとしないバルナバーシュをルカーシュが急かす。
ドロステアでは人身売買は禁止だ。
裏で買い求める者がいたとしても、地元の子供を買ったりしたらすぐに足が付いてしまうので手を出さない。
売る方もそれを心得ていて、攫ってきたらすぐに異国へと売り捌いてしまう場合が多い。
「ハヴェル、色々とすまない」
「礼は見つかってからにしてくれ」
今日の親友は、尤もなことを言う。
「ああ、そうだな」
認めたくはないが……自分はレネのことになると、どうも冷静になれないようだ。
しばらく手分けして歓楽街で訊き込みをしていると、ルカーシュがバルナバーシュの元へと走って来た。
「居場所がわかったぞ」
「どこにいるんだ?」
気が気ではなかった、ことによっては手遅れの場合もある。
ルカーシュは、宿屋通りから奥に入った、メストの中でも特に治安の良くないとされる場所を指さす。
「この奥にある建物だ。灰色の髪の子供が建物に連れて行かれるのを居酒屋の主人が裏口から見ていた。いつも子供の泣き声が聞こえるらしく、人攫いがあそこに子供を集めているんじゃないかと言っていた」
人攫いなら、商品となる子供をむやみに傷付けたりはしないはずだ。
バルナバーシュは心の中でそう願う。
「ハヴェル、外からころあいを見て『赤い奴等』を呼んでもらっていいか。他に子供が出てくるかもしれない」
『赤い奴等』とは、王都の治安維持部隊のことだが、赤い制帽からそう呼ばれている。
いい加減な仕事ぶりから市民たちからの評判はあまり良くない。
「ああ、わかった。大丈夫だと思うけど気を付けろよ」
「レネの心配でもしてろ」
「そうだな。お前たちには愚問だったな」
ハヴェルは口だけで笑うと、奥の建物へと入って行くバルナバーシュとルカーシュを見送った。
「レネは?」
「それが、まだ来てないんです」
使用人の夫妻も怪訝な顔をする。
食事の時間になっても、下の食堂にレネが姿を現さない。こんなことは初めてだ。
きっと、ルカーシュを新しい師匠にすると言ったのが原因だ。
それについては、告げた本人であるバルナバーシュも心を痛めていたのだ。
「ちょっと部屋を見て来る」
バルナバーシュは階段を上って、レネの部屋へと向かった。
たぶん部屋でいじけているのだろう。
さっきは時間がなく話せていなかったので、レネにはちゃんと説明しないといけない。
「レネっ」
部屋に入って名前を呼ぶが、部屋の主はいない。
そして、いつも出かける時に使っている鞄が無くなっていた。
いくつかの物も消えている。
それも前の家から持ってきたものばかりが……。
「——まさか、あいつっ!?」
目の前が真っ白になった。
「こりゃあ家出だな……よっぽど俺が師匠になることが嫌だったんだな……」
いつの間にやってきていたのか、入り口に立っていたルカーシュがつぶやく。
「違う、俺の言葉が足りなかったんだ……。もう暗くなってる、あんな子供が外をウロウロしていたら危ない。あいつは以前にも誘拐されそうになっていたんだ……」
ただでさえ子供の一人歩きは危険なのに、レネは人目を引く容姿をしていた。
よからぬ輩が手を出すかもしれない。
「手分けして探そう。行きそうな所の心当たりは?」
こんな時もルカーシュは冷静だ。
「……もしかしたら、ハヴェルの所に行ったのかもしれない」
自分が長く家を空ける時にはいつもハヴェルの家に預けていた。
マメな使用人たちがレネの部屋まで用意して、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
他に身寄りのないレネが行く場所といえば、あそこしかない。
「じゃあ、あんたは下町通りを通って行ってくれ。俺は宿屋通りからそっちへ向かうから、ハヴェルさんの家で合流しよう」
養い子の突然の家出に、動揺するバルナバーシュをよそに、ルカーシュはテキパキと物事を決めていく。
昔からこの男は感情表現が人とは違うので誤解されがちだが、皮膚の下にはちゃんと熱い血が流れている。
だからルカーシュに、大切な養い子を託すことに決めたのだが……。
レネはそんなバルナバーシュの心中など知る由もない。
やはりあの時、ちゃんと説明するべきだったのだ。
だが……いまさら悔やんでももう遅い。
バルナバーシュは、行く人々にレネの特徴を伝え尋ね歩いた。
下町通りをハヴェルの家方面へと進んだが、けっきょく……なんの情報も掴めなかった。
きっともう、ハヴェルの家へ着いているはずだ。
祈る気持ちで、親友の家への扉を叩いた。
「えっ……来てないぞ!? いつからいないんだよ?」
ハヴェルは食事を終わらせて寛いでいたが、深刻な顔をして訪ねて来た親友を見て、顔を強張らせる。
「最後に見たのは、日が暮れる前だ」
「どこに行ったんだあいつ……黙ってると女の子みたいだもんな……人攫いに目を付けられてないといいが……」
ハヴェルのなにげない言葉に嫌なことを思い出させる。
(もしかして……レネを狙う者の仕業か?)
親しくなったきっかけも、誘拐されようとしていた所を助けたことからだ。
そこに畳みかけるように、悪い知らせが届く。
深刻な顔をしたルカーシュが使用人から部屋に案内されてきた。
ルカーシュはいつの間か髪を解いて、いかにも歓楽街にいそうな崩れた風体になっている。
「おい、この鞄はあいつのか?」
踏まれたのだろうか、靴跡の付いたボロボロの鞄をバルナバーシュへ渡す。
「これは……」
レネがハヴェルの家へ行く時にいつも持っていた鞄を目の前に出され、二人は言葉を失った。
「どこに落ちてたんだ?」
鞄を持ってきたルカーシュに尋ねる。
「歓楽街の曲がり角」
「あいつ……なんでそんな所を通ってるんだ……あそこは危ないから通るなって言ってたのに」
(暗くなっているのに、どうして危険な歓楽街なんかに行ったんだ)
「あんた、本気で言ってるのか?」
咎める口調でルカーシュが言う。
「は? なんのことだ?」
バルナバーシュはルカーシュが言っている言葉の意味がわからなかった。
「下町通りからだと、あいつの元の家が見えるだろ。夜にそんな所を一人で歩きたいと思うか? それよりもにぎやかな所を歩きたいに決まってるだろう」
事件の夜、ルカーシュも現場に居合わせていた。
「……!?」
ルカーシュの指摘に、バルナバーシュは愕然とした。
どうして自分はそんなことも気付かなかったのだろうか……。
自分がレネの一番の理解者だと思っていたに……大きなショックを受ける。
「これがレネの鞄だということは、なにか事件に巻き込まれた可能性が高いな」
「なんてことだ……うちの使用人も何人か使って訊き込みにあたらせよう」
バルナバーシュが良心の呵責に苛まれている間にも、他の二人は話を進めていく。
「バル、早く動いた方がいい。もし人攫いだったらすぐにメストから連れ出すだろう」
なかなか口を開こうとしないバルナバーシュをルカーシュが急かす。
ドロステアでは人身売買は禁止だ。
裏で買い求める者がいたとしても、地元の子供を買ったりしたらすぐに足が付いてしまうので手を出さない。
売る方もそれを心得ていて、攫ってきたらすぐに異国へと売り捌いてしまう場合が多い。
「ハヴェル、色々とすまない」
「礼は見つかってからにしてくれ」
今日の親友は、尤もなことを言う。
「ああ、そうだな」
認めたくはないが……自分はレネのことになると、どうも冷静になれないようだ。
しばらく手分けして歓楽街で訊き込みをしていると、ルカーシュがバルナバーシュの元へと走って来た。
「居場所がわかったぞ」
「どこにいるんだ?」
気が気ではなかった、ことによっては手遅れの場合もある。
ルカーシュは、宿屋通りから奥に入った、メストの中でも特に治安の良くないとされる場所を指さす。
「この奥にある建物だ。灰色の髪の子供が建物に連れて行かれるのを居酒屋の主人が裏口から見ていた。いつも子供の泣き声が聞こえるらしく、人攫いがあそこに子供を集めているんじゃないかと言っていた」
人攫いなら、商品となる子供をむやみに傷付けたりはしないはずだ。
バルナバーシュは心の中でそう願う。
「ハヴェル、外からころあいを見て『赤い奴等』を呼んでもらっていいか。他に子供が出てくるかもしれない」
『赤い奴等』とは、王都の治安維持部隊のことだが、赤い制帽からそう呼ばれている。
いい加減な仕事ぶりから市民たちからの評判はあまり良くない。
「ああ、わかった。大丈夫だと思うけど気を付けろよ」
「レネの心配でもしてろ」
「そうだな。お前たちには愚問だったな」
ハヴェルは口だけで笑うと、奥の建物へと入って行くバルナバーシュとルカーシュを見送った。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
66
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる