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6章 吟遊詩人を追跡せよ
5 男の正体
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◆◆◆◆◆
久しぶりに生まれ故郷へ帰って来た男は、昔からの顔馴染みである鍛冶屋へと足を運んだ。
今日は作業をしていないのか、鍛冶屋の主は珍しく店番をしていた。
「——お前……相変わらず年取らね~な」
ひょいと訪ねて来た男に、思わず主は破顔する。
上着と帽子を脱ぐと、来訪者はなにも言わずに主の隣の椅子に座り、紙巻き煙草を取り出し火を付けた。
「あっちで、ちゃんと上手くやってんのか?」
「あんまり息苦しいから抜け出してきたのさ」
ニヤリと嗤って主人を見る。
「で、本当はなにしに来たんだよ」
男の言うことなど、最初から冗談だと見ぬいている。
主の探るような視線を感じながら、男は人差し指と中指で煙草を挟んで、肉感的な唇に慣れた手つきで持っていく。
ふう……と、紫煙を燻らせ身体を弛緩させた。
「——剣を買いに来た……」
「……ルカのか?」
主の目が、腰に差した二本の剣に向く。
コジャーツカの戦士が使う、反りの強い片手剣だ。
二本とも、この鍛冶屋が打ったものだ。
「俺のじゃない」
思わせぶりに嗤う。
「——じゃあ誰のだ?」
主が訊き返すと同時に、店の扉が開いた。
◇◇◇◇◇
リーパ護衛団の副団長を務めるルカーシュは、団全体の中でも体格が劣っている方だ。
レネの師であることは周知の事実だが、二人が鍛練場で手合わせする姿を見た者はいない。
いつもそれはとつぜん始まる。
ある時は弟子の寝込みを襲い、またある時は任務が終わり気の緩んだ時を狙い、レネは半殺しの目に遭いボリスの元へ運ばれるのが常だ。
ルカーシュの腕がどれほどのものか知る者は、団の中でも数名しかいない。
実力社会のリーパの中でそれは良いことではなかった。
強くないと団員たちはその存在を認めない。
中には、ルカーシュのことを陰で『団長の愛人』と揶揄する者もいた。
なぜルカーシュが副団長の座に収まっているのか、よっぽどの古株でないと知らない。
そして、本人も団長のバルナバーシュも語ろうとしない。
しかし、二人が強い信頼関係で結ばれているのだけは確かだ。
「——あの……副団長、この前の件ですけどどうなりました?」
「ああ、あれならビエルカ商会から返事が届いています。机の上にあるので、後はよろしくお願いします」
護衛をするにあたって、必要な手続きや契約の書類などは、雇っている事務員二人に任せている。
「ちょっと長く留守にしますけど、あなたたちがいるんで安心です。団長が怠けないように見張っておいてくださいね」
うるさい男がいなくなったとたんに仕事を放棄して、鍛練場で団員たちを扱きまくっている姿が容易く想像できる。
「副団長じゃないんで、そんなこと恐ろしくてできませんよ」
恐れ多いと、事務員二人は首を左右にブンブンと振った。
「あなたたちにはそこまで怖くはないでしょう」
「そういう問題じゃないですって」
事務員たちの困った顔を見て、ルカーシュも困った顔をして笑う。
あの男は怒っていなくとも、恐ろしく見えるのだ。
非戦闘員である事務員からしたら、なおのこととっつきにくい男だろう。
そんな彼らにとって、細やかなことまで目が届き、物腰の柔らかい副団長のルカーシュは、なくてはならない存在だ。
しかし、毎日顔を合わせている二人の事務員に、ルカーシュの特徴をあげよと言ったら……たぶんなに一つあげられないだろう。
なんといっても、松葉色のサーコートを着て団長の後ろに控えている地味な姿が、ルカーシュの最大の特徴なのだ。
顔などいざ思い出そうとしたら、まるで催眠術にかかっているかのようにぼんやりとしか思い出せない。
それは、リーパ護衛団の副団長という姿が、ルカーシュにとって仮の姿でしかないからだ。
ルカーシュという名さえも、ドロステア風にバルナバーシュが付けた仮の名前に過ぎない。
リーパ護衛団で、彼のことを本当の名前で呼ぶのは、バルナバーシュと弟子のレネだけだ……。
◇◇◇◇◇
「ルカッ、いい加減にしろよっ!」
バンッっと扉が開かれたかと思うと、顔を煤で真っ黒に汚した細い男がいきなり怒鳴り込んできた。
「誰だよ、この小汚い小僧は……」
鍛冶屋の主人はいきなり現れた乱入者に目を瞠った。
「……レフ、済まないが、風呂を貸してくれないか?」
ルカは柳眉をしかめて乱入者を一瞥すると、鍛冶屋の主人にお願いした。
「別に構わないが、知り合いか?」
ますます怪訝な顔をしてレフと呼ばれた鍛冶屋の主人は、ルカに問うた。
それはそうだ。
数年ぶりに帰って来て、いきなり得体のしれない薄汚れた青年まで一緒だったら戸惑うだろう。
青年が、ルカと親子でも兄弟でもないのは一目瞭然だ。
レフにはきっと自分たちの関係を当てることは無理だと判断し、ルカは青年の正体を素直に明かした。
「——俺の弟子だ……」
「……弟子?」
店の奥から、レフは妻を呼び出し、ルカから弟子と紹介された薄汚れた青年を風呂に案内するように言いつけた。
妻は渋い顔をしながらも、青年を連れてまた奥へと消えて行った。
嵐のようにやってきた青年に鍛冶屋がため息を吐くと、その師匠の方へ向き直る。
「——まさか……あいつの剣を買いに来たのか?」
「ああ。ここまで辿り着きやがったからな」
途中ずいぶんと手助けはしたが、まあ合格ということにしてやろう。
ルカは楽し気に嗤った。
「おい、俺は自分が認めた奴にしか剣を売らないって知ってるだろ?」
レフは厳しい顔をしてルカを見つめる。
一度持つとその剣以外は使えないくらい、軽く、恐ろしいまでの切れ味を誇る剣を打つ男。
頑固者の鍛冶屋は、コジャーツカ人以外に剣を売らない。
コジャーツカ人だったとしても、剣士としての技量の足りない者を決して相手にしない。
「ああ、知ってるさ。でもお前はきっと認める。ついでに村の男たちにもあいつを紹介しようと思ってるから、みんなを集会所に集めてもらっていいか?」
若い連中は国境警備に駆り出されているが、冬のこの時期、その他の男たちは村に戻っているはずだ。
「お前……いったいなにを始めるつもりだ?」
「——さあな。面白い出し物をするから楽しみに待ってろよ」
久しぶりに生まれ故郷へ帰って来た男は、昔からの顔馴染みである鍛冶屋へと足を運んだ。
今日は作業をしていないのか、鍛冶屋の主は珍しく店番をしていた。
「——お前……相変わらず年取らね~な」
ひょいと訪ねて来た男に、思わず主は破顔する。
上着と帽子を脱ぐと、来訪者はなにも言わずに主の隣の椅子に座り、紙巻き煙草を取り出し火を付けた。
「あっちで、ちゃんと上手くやってんのか?」
「あんまり息苦しいから抜け出してきたのさ」
ニヤリと嗤って主人を見る。
「で、本当はなにしに来たんだよ」
男の言うことなど、最初から冗談だと見ぬいている。
主の探るような視線を感じながら、男は人差し指と中指で煙草を挟んで、肉感的な唇に慣れた手つきで持っていく。
ふう……と、紫煙を燻らせ身体を弛緩させた。
「——剣を買いに来た……」
「……ルカのか?」
主の目が、腰に差した二本の剣に向く。
コジャーツカの戦士が使う、反りの強い片手剣だ。
二本とも、この鍛冶屋が打ったものだ。
「俺のじゃない」
思わせぶりに嗤う。
「——じゃあ誰のだ?」
主が訊き返すと同時に、店の扉が開いた。
◇◇◇◇◇
リーパ護衛団の副団長を務めるルカーシュは、団全体の中でも体格が劣っている方だ。
レネの師であることは周知の事実だが、二人が鍛練場で手合わせする姿を見た者はいない。
いつもそれはとつぜん始まる。
ある時は弟子の寝込みを襲い、またある時は任務が終わり気の緩んだ時を狙い、レネは半殺しの目に遭いボリスの元へ運ばれるのが常だ。
ルカーシュの腕がどれほどのものか知る者は、団の中でも数名しかいない。
実力社会のリーパの中でそれは良いことではなかった。
強くないと団員たちはその存在を認めない。
中には、ルカーシュのことを陰で『団長の愛人』と揶揄する者もいた。
なぜルカーシュが副団長の座に収まっているのか、よっぽどの古株でないと知らない。
そして、本人も団長のバルナバーシュも語ろうとしない。
しかし、二人が強い信頼関係で結ばれているのだけは確かだ。
「——あの……副団長、この前の件ですけどどうなりました?」
「ああ、あれならビエルカ商会から返事が届いています。机の上にあるので、後はよろしくお願いします」
護衛をするにあたって、必要な手続きや契約の書類などは、雇っている事務員二人に任せている。
「ちょっと長く留守にしますけど、あなたたちがいるんで安心です。団長が怠けないように見張っておいてくださいね」
うるさい男がいなくなったとたんに仕事を放棄して、鍛練場で団員たちを扱きまくっている姿が容易く想像できる。
「副団長じゃないんで、そんなこと恐ろしくてできませんよ」
恐れ多いと、事務員二人は首を左右にブンブンと振った。
「あなたたちにはそこまで怖くはないでしょう」
「そういう問題じゃないですって」
事務員たちの困った顔を見て、ルカーシュも困った顔をして笑う。
あの男は怒っていなくとも、恐ろしく見えるのだ。
非戦闘員である事務員からしたら、なおのこととっつきにくい男だろう。
そんな彼らにとって、細やかなことまで目が届き、物腰の柔らかい副団長のルカーシュは、なくてはならない存在だ。
しかし、毎日顔を合わせている二人の事務員に、ルカーシュの特徴をあげよと言ったら……たぶんなに一つあげられないだろう。
なんといっても、松葉色のサーコートを着て団長の後ろに控えている地味な姿が、ルカーシュの最大の特徴なのだ。
顔などいざ思い出そうとしたら、まるで催眠術にかかっているかのようにぼんやりとしか思い出せない。
それは、リーパ護衛団の副団長という姿が、ルカーシュにとって仮の姿でしかないからだ。
ルカーシュという名さえも、ドロステア風にバルナバーシュが付けた仮の名前に過ぎない。
リーパ護衛団で、彼のことを本当の名前で呼ぶのは、バルナバーシュと弟子のレネだけだ……。
◇◇◇◇◇
「ルカッ、いい加減にしろよっ!」
バンッっと扉が開かれたかと思うと、顔を煤で真っ黒に汚した細い男がいきなり怒鳴り込んできた。
「誰だよ、この小汚い小僧は……」
鍛冶屋の主人はいきなり現れた乱入者に目を瞠った。
「……レフ、済まないが、風呂を貸してくれないか?」
ルカは柳眉をしかめて乱入者を一瞥すると、鍛冶屋の主人にお願いした。
「別に構わないが、知り合いか?」
ますます怪訝な顔をしてレフと呼ばれた鍛冶屋の主人は、ルカに問うた。
それはそうだ。
数年ぶりに帰って来て、いきなり得体のしれない薄汚れた青年まで一緒だったら戸惑うだろう。
青年が、ルカと親子でも兄弟でもないのは一目瞭然だ。
レフにはきっと自分たちの関係を当てることは無理だと判断し、ルカは青年の正体を素直に明かした。
「——俺の弟子だ……」
「……弟子?」
店の奥から、レフは妻を呼び出し、ルカから弟子と紹介された薄汚れた青年を風呂に案内するように言いつけた。
妻は渋い顔をしながらも、青年を連れてまた奥へと消えて行った。
嵐のようにやってきた青年に鍛冶屋がため息を吐くと、その師匠の方へ向き直る。
「——まさか……あいつの剣を買いに来たのか?」
「ああ。ここまで辿り着きやがったからな」
途中ずいぶんと手助けはしたが、まあ合格ということにしてやろう。
ルカは楽し気に嗤った。
「おい、俺は自分が認めた奴にしか剣を売らないって知ってるだろ?」
レフは厳しい顔をしてルカを見つめる。
一度持つとその剣以外は使えないくらい、軽く、恐ろしいまでの切れ味を誇る剣を打つ男。
頑固者の鍛冶屋は、コジャーツカ人以外に剣を売らない。
コジャーツカ人だったとしても、剣士としての技量の足りない者を決して相手にしない。
「ああ、知ってるさ。でもお前はきっと認める。ついでに村の男たちにもあいつを紹介しようと思ってるから、みんなを集会所に集めてもらっていいか?」
若い連中は国境警備に駆り出されているが、冬のこの時期、その他の男たちは村に戻っているはずだ。
「お前……いったいなにを始めるつもりだ?」
「——さあな。面白い出し物をするから楽しみに待ってろよ」
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