菩提樹の猫

無一物

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6章 吟遊詩人を追跡せよ

1 追跡者

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◆◆◆◆◆

 王都メストから街道を南に下った宿場町の酒場は異様な熱気に包まれていた。
 薄暗い中、一人の男がバンドゥーラを爪弾いて、独特の色気のある声を響かせる。決して美声ではないのだが、少し掠れた声は聴く者の心を揺さぶる。

 男は曲の合間に、小さな丸いテーブルに置いたグラスを傾けながら、ゆっくりと煙草の煙を燻らせた。
 クローブ煙草の甘い香りが辺りに漂う。
 小休憩のあと、再びバンドゥーラを膝に乗せると、客たちの喧騒が嘘のように静かになった。

 黒いハットから覗くきつい眼差しで、挑発するように客たちを見渡すと、肉感的な唇が恋唄を紡ぎ始めた。
 娼婦に想いを寄せる男の歌なのに、唄うその姿はその娼婦のようで、不思議な違和感が客を惑わせる。
 男の吟遊詩人バードの歌声のはずが……性の線引きを滲ませ曖昧にしていく。
 どちらにも持っていきようのない熱が身体の中に燻った。
 いったいこの欲望をどうしてくれるのかと、客たちは熱い目で吟遊詩人バードを見つめるしかない。

 演奏が終わると拍手喝采が起こり、男の前に置かれたバンドゥーラのケースの中に次々と金が投げ入れられる。
 男はまた一服して残りの酒を飲み終わると、金を懐に入れ優雅に一礼し、バンドゥーラを背負い店を出て行く。
 客の何人かは、次の店でまた歌うのではないかと、男の後を追いかけていく者もいた。
 冬の季節は、夜の酒場で吟遊詩人の歌を聴くくらいしか娯楽がないのだ。
 後を追う者の中に、一人の青年の姿があった。目立たないようにすっぽりと外套のフードを被ってバードを尾行する。

 バードは前もって部屋をとっていた安宿の扉を開けると、中へと消えて行った。
 青年はその姿を見届け、しばらくすると自分も中へと入っていく。
 旅人の少ない冬場は、どの宿もたいてい部屋を空かせている。
 青年は受付で金を払うと渡された鍵を持って階段を上がって行った。
 部屋に入り外套を脱ぎ捨てて寝台に寝転ぶと、灰色の髪がパサリとシーツの上に広がる。

「はぁ……どこまで行くつもりだよ……」

 団長の命令で、レネはメストからずっとあの吟遊詩人を尾行していた。
 途中で見逃し街道沿いを辿り、比較的大きなこの街の酒場を片っ端から探し歩いて、やっとここまで追いついたのだ。

 次の町で道は二手に分かれる。道なりに行くと街道は聖地シエトに行くが、東へ曲がると、この前散々な目に遭ったテプレ・ヤロを経由して、隣国オゼロへと繋がる。

 四十年前、オゼロの東は東国の大戦の舞台になっていた場所の一つだ。
 その後も東へ南へと場所を移し十数年前まで戦いは続いた。
 今でもオゼロとヒルスキーの国境沿いでは睨み合いが続いている。
 ヨナターンの父親のシャーウールは、そんな戦地で戦っていたのだろう。
 そしてバルナバーシュも十数年前、一傭兵として東国の大戦に参加していた。

 レネはある予感がしていた。
 吟遊詩人の男はオゼロへと向かっているのではないか?
 レネは国境越えなど想定もしていないので、検問で必要な旅券など持ってきていない。
 もし、このまま東へ向かうことになったなら、オゼロに不法入国するしか手はない。

(——そうなると厄介だな……)

 ドロステアとオゼロは大戦の時も手を取り合った同盟国なので、厳しい検問も行われていないが、旅券を見せ通行税を払わなければいけない。
 レネは男が東へ向かわないようにと祈るしかなかった。


 朝早く起きたつもりだが、受付の親仁に訊けば、夜も明けぬうちにバードは宿を出て行ったらしい。

「ちくしょう……」

 出し抜かれたレネは思わず悪態をつく。
 南か東どちらに進んで行ったのかわからなかったが、自分の勘に従い、あまり行きたくない東の方向へと足を向けた。

 しばらく行った先に広がる光景を目にして、レネは自分が間違っていなかったことを確信する。
 寒空の中薄っすらと積もる雪の上には、真っ赤な血の跡とともに死体が転がっていた。

 死体は全部で九つ。ここら辺を縄張りにする賊と思われた。
 どれも急所を一撃でやられている。
 あの男が通った跡は、ずっとこうだ。
 見ているだけでも背筋が寒くなる。一度に九人の男たちを相手にここまで綺麗に殺せるものなのだろうか?

(——今のオレには無理だ……)

 フードを深く被り直し、レネはテプレ・ヤロへと続く道を急いだ。


 日があるうちに目的地へ到着すると、レネは夜になるまで飲泉所のベンチに座り時間をつぶす。
 温泉が湧いている周辺は冬場でも暖かかった。
 餌をもらおうと集まって来る鳩を、レネは忌々しげに睨む。

 彼らにはなんの罪もないのだが、あれからレネは鳩が苦手になった。
 野宿の時はいい食材として重宝する鳥なのだが、餌をまいておびき寄せるなんて……考えるだけでもおぞましい。

(——今度からはベドジフにやってもらおう……)

 理由を聞かれても、とても答えられないが。


 吟遊詩人にとってはテプレ・ヤロは、格好の稼ぎ場だ。立ち寄って仕事をしないはずがない。
 日が沈むとさっそく訊き込みを開始する。

「二十代後半くらいの男の吟遊詩人? 今の時期はここにたくさん集まってるからな……わかんね~わ。それよりも、兄ちゃん滅茶苦茶きれいなツラしてんな。テプレ・ヤロここにいるってことはそういうことなんだろ?」

 外套ごしにレネの顔を確かめると、男はグイっとレネの腕を掴む。

「なんだよそういうことって、気持ち悪りーなっ!」

「いでっ」

 男の腕を捻り上げ、地面へと投げ飛ばした。
 ほんの少し前までこの街で、散々な目に遭ったのだ。投げ飛ばしたくもなる。
 レネはまさか自分が、こんなに早くここへ戻って来るとは思ってもいなかった。

「クソっ! どこ行ったんだよまったく」

 こうなったら中心街の裏にある飲み屋街を隅から隅までまわって探し出すしかない。


 十件目の飲み屋で、ようやくバードを見つけることができたが、あろうことか見知らぬ男と上の部屋へと消えて行った。
 怪しげな飲み屋の二階の部屋が、どういう目的で使用されるのかはレネでもわかる。

(——おいっ!? いい加減にしてくれよ……)

 この街に辿り着くまでは、女と消えたことがあったが、まさか男とも寝るなんて。
 いや……これまでも、そんな予感はしていた。
 しかしレネは、自分がさんざんな目に遭ってきたこともあり、自ら進んで男と寝る吟遊詩人にショックを受けた。
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