菩提樹の猫

無一物

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5章 団長の親友と愛人契約せよ

9 アルベルト

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◆◆◆◆◆


「アルベルト様、わざわざあんな集まりに足を運ばれるのですか?」

 見事な肉体を持った銀髪の男が、湯に浸かる主人へ尋ねる。

「仕方ないだろ親友から見張り役を頼まれてるのだから。自分の息子がああなったら私も放っておけない。大事《おおごと》になってからでは手遅れだからね」

 幸い、うちのはあそこまで乱れてはいない。
 だがいつなんのきっかけで、放蕩三昧の馬鹿息子に成り下がるかわからない。
 あの子だって、昔は本当に良い子だったのだ。
 ああなった経緯を知っているだけに、放っておけない。

「だからわざわざご自分から興味を示した振りをされたのですね」

 アルベルトはテプレ・ヤロに、この季節になると毎年のように訪れている。
 そこに偶然にも、親友のバルチーク伯爵が手を焼いている次男のレオポルトがいたのだ。

 日ごろから友人に『息子を見かけたら頼む』と言われていたのだが、そのレオポルトがなにやら怪しげな夜会を開くらしいという情報が入って来た。
 すぐさま本人に夜会のことを尋ね、自分も招待するように頼んだ。
 とつぜんの申し出にレオポルトは戸惑っていたが、アルベルトは招待状を受け取ることに成功する。

(レオポルト……今回はなにを企んでいるんだい……)

 アルベルトは溜息と共に、幾何学模様を織りなすタイルが貼られたドーム型の天井をぼんやりと見つめた。
 

◆◆◆◆◆


 午後からは、ゆっくりしたいというマチェイをホリニ・カシュナに置いて、レネたち三人は、テプレ・ヤロの中心部へと来ていた。
 もう少し川沿いを北へ行くと、コロネードという屋根の付いた長い柱廊があるらしい。

「いたる所に飲泉できる場所があるんだって。ほら、これで飲むといいって言ってた」

 土産物屋の前で陶器製のカップを指し、ダミアーンがウキウキしながら喋る。今はマチェイがいないので解放された気分なのだろう。
 そのカップは底の方から管が上に向かって伸びており、ストローのように吸うと温泉が飲める仕組みになっていた。熱い源泉でも陶器の管で冷やされて口へ入る時にはちょうどいい温度になっているアイデア商品だ。
 街の土産屋にはいたるところに色々なデザインのカップが売ってある。

「面白い作りだな」

 家業で陶磁器を扱うハヴェルは熱心にその仕組みを観察していた。

「ねー買ってよ」

 レネは愛人らしくハヴェルにおねだりしてみる。

「じゃあ二人で自分が好きなのを選べ」

「わ~い! ありがとうございま~す」

 ハヴェルにお礼を言うと、ダミアーンは早速カップを選び始めた。

「あっ動物の形がたくさんある。オレ犬にしようかな……」

 猫を象ったデザインが沢山あったが、レネは敢えて無視する。団員たちから『猫』と呼ばれているのに反発してだ。

「僕これがいい」

 ダミアーンはカラフルな色のカップを選んでいた。

「よし、決まったらこっちに渡せ」

 自分は白地に更紗模様の入った上品なカップを選び、ハヴェルは店員へ金を払う。
 先ほどから、通りすがる度に通行人の視線をチラチラと感じる。

「オレたちってどういう関係に見えてるんだろ?」

「うん? 愛人二人と絶倫ご主人様だったりして」

 ダミアーンはしれっと凄いことを言う。

「なんだよそれ。でも確かに二人相手だと絶倫じゃないと無理だよな……」

「——ほら、絶倫ご主人様から愛人たちにプレゼントだ」

 ニヤニヤ笑いながらハヴェルがそれぞれにカップを渡す。

「げっ、聞いてたのかよ……」

 レネはバツの悪い顔をした。


 橋を渡り対岸の道を進むと、だんだんとコロネードらしきものが見えてきた。

「うわーあんなに長いの? ずーっと奥まで続いてるね」

 細長い古代の神殿風の建物は、屋根が付いているだけの吹きさらしの作りで、何百本もの柱の並ぶ柱廊がずっと奥にまで続いている。

「昔はこの先にも温泉が湧いていて、みんなここを通って行っていたらしい。でも今は枯渇して、コロネードだけが残ったんだと」

「へえ……」

 ハヴェルがどこかで仕入れてきたネタをダミアーンに披露していた。

 コロネードのすぐ外の石畳の広場で、誰かが鳩に餌をやっている。
 少し離れた所で、レネはその様子を眺めていた。

 鳩たちは争うように餌に向かって走り込み、一つの餌に何羽も集まって啄みあっている。
 綺麗に飲み込めないので、ぽろりぽろりと落とすたびに他の鳩が横取りする。
 最後は数羽同時に嘴でつつき、餌はぼろぼろに分解されてまわりに散らばった。
 その人物は面白がって、わざと少しずつ餌をやって鳩たちが必死に餌をあさる様子を眺めていた。

(ああいう奴、いるよな……)

 レネはコロネードの真ん中にぽつんと立って、先を見つめる。

 先の見えない柱廊の奥は、死後の世界に繋がっていて、死んだ両親が奥からこちらを覗いているのではないか? 
 両親だけでなく、自分が今まで殺してきた男たちも。

 自分もいつか、あちら側に行くんだろう。
 もしかしたら明日かもしれない。
 ふと、そのような思いに囚われ、レネの足が止まる。

「おい……レネ、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ?」

「……はっ!?」

 ハヴェルから肩を叩かれ、レネは現実の世界へと引き戻される。

「具合でも悪いのか?」

 心配そうな表情で覗き込んでくるので、よっぽど酷い顔をしているのだろうと自覚する。

「いや……大丈夫」

「ほらあっちに飲泉所がある」

 ダミアーンは、コロネードと隣接した遊歩道にある飲泉所で、さっそくハヴェルから買ってもらったカップを取り出した。
 吹き出し口から溢れるお湯を汲んで器を満たすと、恐る恐る口を付けて味を確かめる。

「どう? 美味しい?」

 レネが尋ねると、青い瞳を上に向け微妙な顔で考え込んでいる。

「不味くもないけど……美味しくもない……」

「でも身体に良いんだろ?」

 ハヴェルも温泉をカップに注いで飲んだ。

「……石で出汁を取ったらこんな味なんだろうな……」

 しかしハヴェルもなにやら微妙な顔だ。

「なんだよその妙な例えは……」

 そんなことを言われたら、よけいに気になって飲んでみたくなる。
 レネは犬の形をしたカップに並々と湯を注ぎ、クンクンと匂いを嗅いで慎重に口に入れる。

「——ヤカンで煮詰まったお湯の味がする……」

 前評判通りそれは微妙な味だった。
 レネは隣にいる中年の男の背中を叩く。

「でも身体に良いならハヴィーはたくさん飲まないと」

 やっと自然にハヴェルを愛称で呼ぶことができるようになった。

「いやいや、飲み過ぎも良くないらしいぞ」

「へーそうなんだ」

 隣の木の看板に『一日カップ三杯まで』と書いてあったが、誰もおかわりするものはいなかった。

「ねー明日どうなるんだろ……」

 帰り道、中心街で温泉水で焼いた薄く大きなワッフルを、三人で分けて食べながら、ダミアーンが憂鬱そうに呟いた。
 招待状はマチェイの所にも届いていて『きっとあっちで部屋も用意してあるだろうから、それなりに準備をしていった方が恥をかかないで済む』と言っていた。

「せっかく今まで忘れてたのに言うなよー」

 他の二人も、思い出したように一気に暗くなる。

「あの人たちさー、絶対レネのこと狙ってるよね……」

「はぁ?」

 レネは思わず聞き返してしまったが、ハヴェルまでもが難しい顔をしている。

「でも大丈夫だって、あれくらいだったらなんとかできるし」

 サシャくらいの男があと数人出てこようが、レネは一人で対処できる自信があった。

「昨夜はどうにかなったとしても、明日は敵の根城に突っ込んで行くんだぞ。なにが待っているかわからん」

「あんまり深刻に考えなくっていいって。別に取って食われるわけじゃないのに」

「いやいや取って食われるんだって」

 言葉の例えで言ったのに、ハヴェルから上げ足を取られてレネはムッとする。

「別に殺されたりはしないだろ? ハヴィーまで危険が及ばなかったらそれでいいじゃん」

 だいたい……本末転倒している。
 今回の護衛対象はハヴェルなのに、逆に身の心配をされているなんてあってはならないことだ。

 あってはならないはずなのに……これが初めてではない。
 伯爵令息とお付きの騎士の顔を思い出し、レネはなんとも言えない歯痒い気持ちになる。
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