菩提樹の猫

無一物

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5章 団長の親友と愛人契約せよ

2 着せ替え人形

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◆◆◆◆◆

「ラベンダーに臙脂、赤茶も良いな……」

 ハヴェルは次から次へと下着姿で椅子に座るレネの顔に布をあて、真剣な顔で色を決めていく。

「服はラベンダーを基調に。それと首元に大きめのシトリンをあしらったチョーカーを。……よし、一番左の石にしよう」

 レネはまるで着せ替え人形のように、服を着せられていく。

「おっさん……こんなことしてないで仕事しろよ」

 偽物の愛人の服なのに、どうしてここまでハヴェルはこだわるのだろうか?

(男には興味ないって言ってたのに……)

「俺はな、一度決めたらとことん拘るんだよ。俺の隣に置くと決めた奴に、いい加減な格好なんかさせるわけねーだろ」

 そう言い放ったハヴェルを、レネは唖然として見上げた。
 年はバルナバーシュと同じくらいだから四十半ばだったと思うが、未だに独身を貫いており、常に浮名の絶えない伊達男だ。
 バルナバーシュほどキリリとした男前とは違うが、独特の色気がある。
 背は高く痩せ型で、飴色の瞳を湛えたやや下がり気味の目元が、女たちの心に隙を与える。
 メストで何代も続く王室御用達の陶磁器を扱う老舗一族の一員として、ハヴェルは商人としての才はもちろんのこと、道楽にも決して手を抜かない男だ。

 特に服には人一倍拘りがあった。
 成金のような派手さはないのだが、チラリと見え隠れする所に洒落っ気を覗かせる。

「紫とかやめろよ。あんたそんな派手好きだったのか?」

 普段ではありえない色遣いに、レネはうんざりする。

「ふん。お前にはこの感覚はわかんねえだろうな。愛人は着飾らせて楽しむもんなんだよ」

 後ろで、ハヴェルの付き人も「うんうん」と笑顔で頷いているのを見て、レネは頭が痛くなってきた。
 その後、小さいころからレネを知る女中たちも乱入してきて「きゃーきゃー」言いながら、あれやこれやと旅行に必要な衣類や小物を決めていく。
 男色の趣味のない主が、親友の養い子を愛人に仕立ててテプレ・ヤロに連れて行くと知って、完全に楽しんでいた。

(クソ……人を|玩具|《オモチャ》みたいに……)

 幼いころから世話になっている女中たちに、そんなこと言えるわけもなく、レネは一人、涙目になって耐えるしかなかった。


 ◆◆◆◆◆


 王都のある晴れた冬の朝。川霧の立ち込めるドゥーホ川の船着き場に一台の馬車が停まった。
 御者が扉を開け、グレーのロングチュニックの上に同色のマントを羽織った伊達男が先に降りると、後から降りてくる人物に手を差し出す。

 男にエスコートされて馬車から出てきたのは、禁欲的な雰囲気を纏った美しい人物だった。
 船着き場に居合わせた水夫たちは、男装の麗人が現れたのかと目を瞠るが、女性にはない独特の硬質さに気付き、そして水夫たちは、ああ……と納得する。これから『テプレ・ヤロ』に行くのかと。


 船室に招待した客が入って来ると、マチェイは心の中で驚きの声を上げた。

 大事件だ。
 あの女好きのハヴェルが、男の愛人を連れて来るとは……。

 マチェイは商業組合で何度も顔を合わせるのだが、ちっとも靡かない生意気な男をテプレ・ヤロへと招待した。
 女好きのハヴェルにとって、テプレ・ヤロは未知の世界だろう。
 常連のマチェイがマウントを取るにはもってこいだ。

 しかし自分の当ては外れる。
 連れがいるとは事前に連絡をもらっていたが、まさか男だとは予想外だ。
 それも相手はとびきりの美青年ときた。

 青年は羽織っていた藍色のケープを脱ぐと、下は深緑のチュニック姿で、開いた首元には大きなシトリンのチョーカーが覗いている。ハヴェルと同じ瞳の色のチョーカーはまるで猫の首輪のようで、この青年が誰のものかを言葉にせずとも物語っていた。

「ようこそ我が船へ」

 動揺を微塵も出さずにマチェイは二人を笑顔で迎える。
 『狸爺』という異名も伊達ではない。

「お招きいただきありがとうございます。こちらは連れのレネです」

 ハヴェルに紹介され、レネが頭を下げる。

「まさか君が、こんな美青年を連れて来るとは驚きだ」

 地味といっていいほど禁欲的な装いだが、素材の良さがよけいに際立っている。
 灰色の髪と黄緑色の瞳の珍しい組み合わせが、ますます興味を惹いた。

 マチェイは無意識のうちに、隣に侍らせていた金髪の少年の頭をそっと撫でた。
 これでは、自慢してやろうと思って派手に着飾らせていた自分の愛人が、まるで道化のようではないか……。

「明日の午後までの船旅を楽しんでくれ」

 ひとしきり自己紹介を終えお茶を飲んだ後、ハヴェルと愛人のレネ、お供に連れてきた使用人一人を、船内の部屋に案内させた。

 多少驚きはしたが動揺するほどではない。
 この旅の主導はマチェイが握っていた。


◆◆◆◆◆


「なにこれ……」

「そうきたか……」

 部屋に案内され、寝室のど真ん中にある大きな寝台の前で、レネとハヴェルは固まっていた。
 確かに、レネは団長命令で、ハヴェルの愛人演をじることになった。
 理解しているつもりだが……いざ旅が始まり、目の前に現実を突きつけられると動揺する。

「——なんでベッドが一つしかないんだよっ!」

 レネはハヴェルと一緒のベッドで寝ている自分の姿を想像しただけでも鳥肌が立つ。

「俺に訊くなよ……」

 ハヴェルも困惑しているのが見て取れる。
 自他共に認める女好きだ。
 レネ同様、相当ショックを受けていると思われる。

「もしかして……これからずっと一つのベッドで寝なきゃいけないのか?」

「…………」

 言われて気付いたとばかりに、ハヴェルに失望の色が宿る。
 初日が始まったばかりだというのに、すでに二人は行き詰っていた。

 温泉地に着いてから、いったいなにが起こるのだろうか?

 考えるだけでも恐ろしいし、言語化しただけでも災いが降ってきそうなので黙り込むしかない。
 悪趣味な部屋に籠っているだけで、レネは気分が塞いできた。

 しかし……まだ魔境への入り口にも来ていないことを、二人は知らない。
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