菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
上 下
50 / 473
3章 宝珠を運ぶ村人たちを護衛せよ

8 狼峠

しおりを挟む
「はぁー……お前まだいるのかよ? さっさとメストに帰ったらよかったのに……」

 朝になり、外に出て来たヨナターンはレネの顔を見つけると、盛大に顔を顰めた。
 悪意というより、レネがこの場からいなくなれという強い意志を感じる。

 レネは村人たちに神の使いを殺したことを改めて謝罪した。
 もともと冷静なダヴィドと、一晩時間が経って落ち着きを取り戻したテレザは謝罪を受け入れてくれた。
 だが、ヨナターンは相変わらず頑なな態度を崩さない。

「謝って済む問題じゃない。こいつはまた絶対なにかしでかす」

 ここまであからさまに敵意を向けられると、精神的に受けるダメージは大きい。
 レネは下を向いて、気付かれないようにゆっくりと息を吐きだす。

 まだなにか言いたげなヨナターンの注意をレネから引き離すように、ボリスが間に入ってきた。

「そうだ……歩きながらでもいいから私たちに襲って来た盗賊のこと詳しく教えてくれないか?」

 ボリスがヨナターンに尋ねる。
 自分より背の高い男を訝し気に見上げながら、静かな迫力に気圧されヨナターンは渋々と語りだす。

「俺だって……ただ夢中になって逃げただけだからよくわからない。これから行くオオカミ峠の先にある巨石群を盗賊たちは根城にしていて、近くを通った時に襲撃を受けた」

「その巨石群とはどんな感じなんだ?」

 後ろで聞き耳を立てながら、レネは「巨石群とはなんだ?」と思っていたところに、ボリスが良いタイミングで質問した。

「天然の巨大な石柱がいくつも並んで、真ん中が洞窟になっている」

 きっと盗賊たちにとっても格好の隠れ家になっていることだろう。
 リーパ本部の執務室にある地図で確認してきたが、もう少し北へ行った所に小さな村もあった。
 このまま放置しておくと、その村にまで略奪の手を広げるかもしれない。

「盗賊たちはそこをアジトにしてるんだね。今回はかち合わないことを祈るよ」

「そうだな……」

 ヨナターンは奥歯に物が挟まったような顔をして相槌を打つ。

「でも奴らは宝珠を狙ってるんだろ? 襲撃されると思っておいた方がいい。だから俺たちも呼ばれたんだろ?」

 カレルが会話の中に加わる。

「ああ。そしてこの先のオオカミ峠も狼の住処になっていて夜になると危険だ。毎年被害が出る」

「じゃあ今日の野営は気を引き締めないとな」


 森からしばらく行くと上り坂に差し掛かり、あちらこちらに大きな岩がゴロゴロと転がっている。
 木々も広葉樹から針葉樹へと植生が変わって来た。
 遺跡と同じ年代に作られたのか、こんな山道には不似合いな石畳の道がずっと続いている。

「すげぇな……でもこれは人が作ったわけじゃないんだよな?」

 巨石が組み合わさるように立っている岩の門を潜りながら、ヤンが感嘆の声を上げる。
 まるで人工物みたいだが、石柱が偶然重なり合って門のようになっている。他にも奇妙な形をした石柱がたくさん立っていた。

「痣になってる……」

 少し間をおいて一番後ろを歩いていたら、ダヴィドがレネの顔を覗き込んできた。

「慣れてるから、平気です」

 昨日のことを思い出し感情的にならないよう、素っ気なく答える。

「そうだよね。君は護衛だったね。でも、綺麗な顔が傷付いているとよけいに痛々しく見える……」

(どうせ、護衛に見えないって言いたいんだろ……)

 どんな言葉を聞いても肯定的に捉えられなくなってきた。気分が落ちている証拠だ。
 レネがそんなことを考えているうちに、前方から今一番聞きたくない声が聞こえてくる。

「なんだよ……殴った俺が悪いって言うのか?」

「ヨナターン……」

 ダヴィドは驚いて声のした方に顔を向ける。

「こいつは禁忌を犯したんだぞ。いっつも後ろをダラダラ歩いて、こんな奴外れてしまえば良かったのに……」

「…………」

 刺激を与えないよう、こんな時はなにも言い返さない方がいい。レネは口を噤む。

(こいつは後ろから敵が襲ってくるなんて考えたこともないんだろうな……)

 団員からの信頼があるから一番後ろを任せてもらえるのだ。
 もし背後から攻撃されたら、即反撃できるのはレネしかいない。戦闘になったらベドジフとボリスは後衛に回るので、前衛がこっちへ来るまでに一人で敵を引き受けなければいけないのだ。

「ふん。図星だから言い返せないんだろ?」

「…………」

 レネは挑発に乗らないように俯いた。

 坂道を登り切ったところで、今度はダラダラと下りが続く。
 やっと平坦な場所まで出て、今夜の野営地を決めた。

 針葉樹と大きな岩が転がったこの場所は、あまり見通しは良くないが、周辺が似たような景色なので仕方ない。
 今夜は昨夜ほどの冷え込みはなさそうだ。峠を挟んで若干気候が変わったのかもしれない。
 今夜は寒さも厳しくない。食べ物の匂いで狼を呼び寄せないよう温かい食事ではなく、持参した冷たい保存食で済ませることにした。

「つまんねーな。あったけぇもんが食えねーなんて……」

 ヤンは配られた干し肉につまらなそうに噛り付いた。

「……あーでもお前は、昨日もそうだったんだな……」

 隣で干し肉を少しずつ慎重に食べるレネを見て、ヤンは気の毒そうに呟く。

「いーんだよ別に」

 昨夜こっそりと甘い粥を作ってくれたゼラはなにも喋らない。
 いつも通りの、その素っ気ない態度が逆にありがたかった。
 思い出すと、せっかく固めた殻の外に、柔らかな弱い部分が滲み出てきそうになるので、レネはグッと唇を噛み締める。


『ウオォォォォォン!』

 簡単な食事を済ませて後は寝るだけとなった時、不気味な声が辺り一帯に響いた。

「おい、お出ましのようだな」

 ヤンが戦斧に手を掛けると、カレル、ゼラもそれぞれの武器を持って立ち上がる。
 襲撃に備えベドジフ、ボリス、レネは素早く村人たちを囲んだ。

「ここの狼は他所より体が大きくて厄介よ……」

 震えながら、テレザはボリスの腕に縋りつく。
 ダヴィドとヨナターンも身を強張らせて険しい顔をしている。ここの狼の恐ろしさを身に染みるほどわかっているからだろう。

『ウゥゥゥゥゥゥ』

 声が段々と近くなってきて、炎の光に反射した無数の緑色の目がこちらを睨んでいる。

「来るぞっ!」

 誰かが叫ぶと同時に、白い牙を剥いた獰猛な獣たちが、一斉に襲って来た。
 ゼラは大きな両手剣を片手で軽々と振り回す。
 重心の低い狼は両手で上下に振り下ろすよりも、横になぎ倒して行った方が効率的だ。

『ギャンギャン』

 血しぶきと共に次々と狼たちが倒れていく。
 襲ってくる狼を、カレルは槍を構え的確に相手の鼻先を突いた。
 ヤンに至っては遠心力を使って斧を振り回している。こうなったら誰も太刀打ちできない。仲間さえ近寄るのも危険だ。

『ギャウンギャウン』

 リーダーを失った狼たちは尻尾を巻いて、逃走し始める。
 どうやら前衛三人で事足りそうだ。

「俺たちの出番はなさそうだな」

 後ろでベドジフがつまらなそうに呟く。

「相手が人間だったらそうはいかない。宝珠を狙っている盗賊たちは傭兵の成れ果てらしいからな。心してかからないと命を落とすぞ」

 ボリスが厳しい顔をしてベドジフを見つめる。
『傭兵』という言葉を聞いて、ヨナターンが目を見開いたのをレネは見逃さなかった。

「なぜ、そんなことがわかるんだ?」

 ダヴィドが驚いた顔でボリスに問いかける。

「盗賊たちを討伐に当たっていた騎士団から、うちの団長が事前に情報を集めていたんだ」

「なるほど……」

 そうこうしている内に、狼の群れを撃退した三人が血濡れた武器を携えて戻って来た。
 先ほど見た狼よりも獰猛な目をギラギラ光らせた男たちが、村人たちを一瞥する。

 ふだんとは違う空気を纏う三人を目にして、村人たちは息をのんだ。
 殺気の名残を隠そうともしないその姿は「お前たちとは生きる世界が違う」と無言で語っていた。
 こうして村人たちは再認識するのだ。
 プロの傭兵に護衛されるということを。


 昨夜は狼の死体に違う獣が寄って来るのを避けて、別の場所に野営地を変えた。
 順調にいけば、あと一日ほど歩くと目的の遺跡まで辿り着く。

 儀式は、ズスターヴァの神がやって来たとされる星が、遺跡の真上へ来る時に行われる。
 明後日の夜がその時だ。
 それまでに、無事に巫女と宝珠を遺跡まで送り届けないといけない。
 盗賊たちはどこまで情報を掴んでいるかわからないが、既に村人たちの動きを察知している可能性もあった。

 レネは進行方向の左側に、薄っすらと浮かび上がる巨石群を睨みつけた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

Ωの皇妃

永峯 祥司
BL
転生者の男は皇后となる運命を背負った。しかし、その運命は「転移者」の少女によって狂い始める──一度狂った歯車は、もう止められない。

転生して悪役になったので、愛されたくないと願っていたら愛された話

あぎ
BL
転生した男子、三上ゆうきは、親に愛されたことがない子だった 親は妹のゆうかばかり愛してた。 理由はゆうかの病気にあった。 出来損ないのゆうきと、笑顔の絶えない可愛いゆうき。どちらを愛するかなんて分かりきっていた そんな中、親のとある発言を聞いてしまい、目の前が真っ暗に。 もう愛なんて知らない、愛されたくない そう願って、目を覚ますと_ 異世界で悪役令息に転生していた 1章完結 2章完結(サブタイかえました) 3章連載

【運命】に捨てられ捨てたΩ

諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

平凡顔のΩですが、何かご用でしょうか。

無糸
BL
Ωなのに顔は平凡、しかも表情の変化が乏しい俺。 そんな俺に番などできるわけ無いとそうそう諦めていたのだが、なんと超絶美系でお優しい旦那様と結婚できる事になった。 でも愛しては貰えて無いようなので、俺はこの気持ちを心に閉じ込めて置こうと思います。 ___________________ 異世界オメガバース、受け視点では異世界感ほとんど出ません(多分) わりかし感想お待ちしてます。誰が好きとか 現在体調不良により休止中 2021/9月20日 最新話更新 2022/12月27日

処理中です...