菩提樹の猫

無一物

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2章 猫の休暇

【番外編】夜の狐は陽の光を求める

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◆◆◆◆◆

 カモメ亭の庭にある薄暗い小屋の中。

「グァァァァッッ……」

 獣のように黒い毛だらけの男が、箒の柄を尻の中へ突き入れられるたびに、冷たい石の床の上をのたうち回る。
 肌にびっしりと生えた剛毛、固太りの身体は、まるで黒い豚のようだ。いや、本物の豚の方がまだ可愛いかもしれない。

「お前……汚ねえオッサン相手に、よくそんなことできるな」

 レネと一緒にアンドレイたちを見送ってきたカレルが、ボフミルの尋問を行うロランドの所へとやって来た。

「目には目をさ。だけど困ったことに、とんだ変態だった……」

 ロランドはブーツの裏でグイグイとボフミルの固くなった股間を踏みしだいた。

「ごっ……おおおおおォォォッッッ」

 小屋の中で獣のような咆哮が上がる。

「お前、顔に似合わずやることがえげつないよな」

 カレルは呆れてロランドを見た。
 端正な甘い顔をしているのに、それとは裏腹に残酷なことを平気でやる——そんなロランドは団員たちから『狐』と呼ばれている。

「誰にでもこんなことはしない。こいつが性奴隷を扱うクソ野郎だからに決まってるだろ」


 ドロステア王国では奴隷制度はすでになくなっているが、裏では貴族や大商人たちの間で性奴隷の人身売買があとを絶たない。
 ロランドは元々下級貴族の生まれだが、親の代で没落して借金のカタとして、まだ子供だった妹がボフミルのような男に売られていった。

 必死になって妹を探したが中々消息が掴めなかった。
 数年後、場末の娼館で見つけた時には、昔の可愛らしかった面影はなく、精神を病み、自分でまともに排泄もできないような変わり果てた姿だった。

 ロランドは妹を娼館から連れ出し、懸命に看病したが、弱っていた身体は長く持たず、しばらくして息を引き取った。
 薬物によりずっと錯乱していた妹が、最期の瞬間だけロランドの腕の中で正気を取り戻し微笑んだことだけが唯一の救いだった。

 それ以来、ロランドは人身売買に関る人間を心から憎んだ。

「こいつは、ずっとレネを狙ってた」

「うがあァァァァッッ……ぐぁぁぁ……オッッ……」

 箒の柄をさらに奥に刺し最奥で小刻みに突いてやると、ボフミルは痙攣し始める。

「箒相手によがってるんじゃねーよ」

 あまりの醜態を見ていられなくなり、ガスガスと容赦なく蹴りを入れる。

「ぐおっ……ガッ……ゴエッ…………おごォォォオッッッ」

「チッ……人の靴汚しやがって、汚ねぇ野郎だ……」

 股間を蹴られ射精し白目を剥いて気絶した男を、ロランドは灰色がかった翡翠の瞳で冷たく睨んだ。


 人の紹介でリーパ護衛団に入団したが、本部でまだ少年だったレネを初めて見た時、死んだ妹を思い出した。

 レネは歪んだ人間の欲望をくすぐる容貌をしている。
 妹を見つけるために、色々なものを見てきたロランドにはそれがわかる。

 数年経てば男臭さも出てきっと大丈夫だろうと思っていたが、護衛の仕事を本格的に始めると、ますます隠しきれない色香が出てきた。
 殺気を纏ったレネは、団員たちも見惚れてしまうくらいの妖しさがあった。

 もちろん、リーパでレネに狼藉を働くような馬鹿な輩はいない。本人から返り討ちにあって終わりだとわかっているからだ。団の中でもそれくらいレネは強かった。

 男色家はレネみたいな中性的な美青年が好きか?
 と訊かれたらそうでもない。雄臭い男が大好きな男色家だってたくさんいる。

 レネの場合、本当に気を付けなければならないのは異性愛者かもしれない。
 世の中には女顔の男はたくさんいるが、女のような顔をしたすべての男が美しいわけではない。
 性別と美醜はまた別の問題だ。

 レネは決して女顔ではない。だが中性的でとても綺麗な顔立ちをしていた。
 このどちらでもない曖昧な美しさが、異性愛者たちの琴線に触れる。男装の麗人と同じで、いったいどうなっているのか暴いてみたくなるのだ。

 男同士の性行為には興味がないが、レネみたいな美青年を虐げてみたいと欲望を覚える輩たちは多いだろう。

 世の中には同性愛者よりも圧倒的に異性愛者の方が多い。

 だからロランドは心配なのだ。
 男には強い男を征服したいという原始的な欲望がある。

 レネは強い。今までもたくさんの男たちを屈服させてきた。
 しかしその強さは諸刃の剣だ……。

「こんな汚いオッサンに狙われて、猫ちゃんも困ったもんだな……」

「俺はもう、身近な人間が妹みたいになるのは見たくない」

 ロランドの過去を知っているカレルは、その言葉を聞いて眉を顰める。

「でも難しいよな。リーパの中ではみんな見て見ぬ振りして普通にしてるけど、たまに俺も一緒に風呂入ってると誤作動起こしそうになるよ。特に一戦やって疲れマ〇の時はヤバい」

 カレルは苦笑いすると、赤銅の髪に手を入れ頭をぼりぼりと掻いた。

「でも行動は起こさないだろ?」

「まあそりゃそうだ。俺だって命は惜しい」

 カレルも槍なしでレネに勝てる自信はなかった。レネは身近にあるものをなんでも武器にして使う。

「よっぽどのことがない限り大丈夫だと思うけど、今回みたいなこともあるから、お前も気を付けてくれよ」

「お前は王都での仕事が多いもんな」

「人妻のウケがいいからな、ご指名があとを絶たないんだ」

 本格的な社交界のシーズンに入ると、貴族たちの護衛の仕事でますます忙しくなってくる。

 ロランドは、これ見よがしにニヤリと笑って長いアッシュブロンドをかき上げる。

 元貴族だけあり品のよい顔立ちと、どこか憂いのある頽廃的な雰囲気は、夫婦生活に疲れた人妻たちから絶大な人気があった。

「けっ、自慢かよ、俺なんか今度はド田舎の村からの依頼だぞっ。まあ猫ちゃんも一緒だけどな」

「確かボリスと……ゼラも一緒だろ?」

 ゼラは、団員の中では最強の男だ。

「ああ、だから大丈夫だって。ところで、こいつどうすんの?」

 まだ小刻みに痙攣し続ける男を見下ろす。

「とりあえず、もう少し尋問して、役人に突き出すかリンブルク伯爵の所へ持ってくか決める」

「もし、伯爵の所に行くなら明日にでもこっちを出ないとヤバいな。いーなーあいつら休みで……」

「仕方ないだろ」

「それよりこいつが寝てる間に昼飯食おーよ」

 カレルはそう言うと小屋の扉を開けて陽の光の当たる庭へと出た。
 言われてロランドは、カレルが自分を昼食へ誘いに来たのだと気付く。

 暗闇の中にいたので時間の感覚がすっかり麻痺していた。
 小屋の扉の鍵を閉め終わると、ロランドはぼんやりとカレルの赤銅色の髪を見つめた。

 まるでギラギラと光る真夏の太陽みたいだ……。

「あんな真っ暗な所でオッサンを嬲ってたらおかしくなるって——たまにはこっち側に帰って来いよ」

「……ああ」

(そうだ。俺の帰る場所は光のある所だ……)
 

 
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