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2章 猫の休暇
12 新たな暮らし
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◆◆◆◆◆
「ミルシェならうちの工房で預かってもいいのに」
アネタはヴィートの妹のミルシェを自分の席の隣に座らせ、料理を皿に取り分けてやる。財布を掏られたのに、アネタはもうそんなことも気にしていない。
ヴィートも反抗するのを諦めたのか、すっかり大人しくなっていた。
「いや、この子はスリをやってた子だ。一緒にメストへ連れて行って、ちゃんと一から教育し直す必要がある。リーパの関係者のなかで預かってくれる所を探すよ。君たちの時とちょっと事情が違うんだ」
珍しくボリスが厳しい意見を述べた。この兄妹の将来を真剣に考えると、ある程度ちゃんとした環境が必要だと思ったのだろう。
ヴィートはレネとの勝負に負けた代償として、リーパで働くことになった。リーパでは腕の立つ人材をいつでも募集している。ヴィートほどの強さならすぐに入団が決定するはずだ。
レネはこのままヴィートたちを見捨てることができなかった。
人を騙しながら生きて行くより、人を護りながら生きた方がマシだ。
「でもメストまでどうやって行くの? あんたは馬で来たんでしょ?」
アネタが尋ねる。
レネが乗って来た馬『カスタン』はリーパが所有する軍馬で、スタミナがあるので三日もあればメストに帰ることができる。しかし、小さな女の子を連れての移動はそう簡単ではない。
「乗合馬車かなんかで二人でメストまで行けばいいだろ」
王都までなら乗合馬車もある。命を狙われているわけでもないのでアンドレイの時とは事情も違う。
「あんた無責任ね。こんな小さな子もいるのに。私だって、一番最初にジェゼロへ行く時は団長自ら送り届けてくれたのよ……」
「あれは護衛のついでだったろ?」
今でもその時の光景を忘れない。
商隊の荷馬車の列の一番後ろにアネタが乗せられて行くのを、まだ幼かったレネは走って追いかけるが、走っても走っても段々と距離が離れていき、最後はとうとう見えなくなってしまった。
両親を殺され、自分にはもうアネタしかいなかったのに……強引に引き離された。
その場に崩れ落ちて泣きじゃくるレネを、留守番役のルカーシュが首根っこを掴んで無理矢理本部へと連れて帰った。
ずっと泣き止まない小さな子供を、はじめはおっかなびっくりで近づいてきた厳つい団員たちが、優しく慰めてくれた。
今は引退したがここの親仁もその一人だ。
「無責任ね、どうせ同じ道を行くんだから一緒に行ってやりなさいよ。早めにここを出ればいいじゃない」
「なんだよ……他人事だからって、そこまで言うなら、もちろんボリスも一緒だよな?」
「そこまでアネタが心配するのなら、私だけ別には行けないよ。レネ以外のみんなでジェゼロまでは乗合馬車で行って、ジェゼロからは馬で行こうか」
「ああ、それいいかも」
レネはボリスの提案に賛成した。
ボリスはジェゼロに自分の馬を置いて、ポリスタブまではアネタと二人、乗合馬車で来ていた。
「オレ、馬になんか乗れねえよっ……それに馬はどうすんだよ?」
自分を置いて勝手に話が進んでいるので、ヴィートは不安を覚えたようだ。
確かに普通の平民が馬に乗れるはずがない。幼い妹もいるので不安になるのは当たり前だ。
「馬の心配はしなくていいよ。リーパの馬がジェゼロへ置きっぱなしになってるから」
「護衛の仕事は乗馬ができないと話にならないからな。乗馬の練習をしながら帰るぞ。妹はオレかボリスと一緒に乗ればいい」
「そうと決まれば、明日にでも出発した方がよさそうね」
レネたち三人で本人を置き去りにして話を進めていく。
アネタは、公園でボリスが襲われてからのまさかの急展開に、反対するどころか非常に乗り気だ。きっとレネと同じように、この兄妹を自分たちと重ね合わせているのだろう。
「でも、俺たち……いいのか? 色々世話してもらって。財布は掏るわ襲いかかるわで、兄妹二人で役人に突き出されても文句は言えないのに……」
ヴィートは困惑気味にレネを見つめる。
「単なる気まぐれだよ。オレが勝ったんだから好きにさせろよ。まあ、最初は苦労すると思うけど自分の居場所は自分で掴め。絶対逃げるな」
レネは真剣な顔でヴィートを見つめ返す。
勝負に負けてから、ヴィートは憑き物が落ちたかのように素直になった。諦めなのか心を入れ替えたのか、レネには判断がつかないが、本人次第で未来は開けるはずだ。
「もう役人に捕まる心配もないし、兄ちゃんともすぐ離ればなれになるわけじゃないから、心配しなくていいよ」
レネは、まだ事情をよく飲み込めていないミルシェの青灰色の瞳に微笑みかけた。ミルシェは見知らぬ人に話しかけられて恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして俯く。
「どんなに小さくても、女の子だなあ」
ボリスがミルシェの反応を見て感心している。
「こいつは面食いなんだよ」
「あはは」
レネはなんのことだかわからないが、ヴィートとアネタもゲラゲラ笑っている。
(どうか、この兄妹も自分の居場所を掴んでほしい)
あの時レネはバルナバーシュに引き取られて良かったと思っている。
自分たち姉弟は今でも幸せだ。
「ミルシェならうちの工房で預かってもいいのに」
アネタはヴィートの妹のミルシェを自分の席の隣に座らせ、料理を皿に取り分けてやる。財布を掏られたのに、アネタはもうそんなことも気にしていない。
ヴィートも反抗するのを諦めたのか、すっかり大人しくなっていた。
「いや、この子はスリをやってた子だ。一緒にメストへ連れて行って、ちゃんと一から教育し直す必要がある。リーパの関係者のなかで預かってくれる所を探すよ。君たちの時とちょっと事情が違うんだ」
珍しくボリスが厳しい意見を述べた。この兄妹の将来を真剣に考えると、ある程度ちゃんとした環境が必要だと思ったのだろう。
ヴィートはレネとの勝負に負けた代償として、リーパで働くことになった。リーパでは腕の立つ人材をいつでも募集している。ヴィートほどの強さならすぐに入団が決定するはずだ。
レネはこのままヴィートたちを見捨てることができなかった。
人を騙しながら生きて行くより、人を護りながら生きた方がマシだ。
「でもメストまでどうやって行くの? あんたは馬で来たんでしょ?」
アネタが尋ねる。
レネが乗って来た馬『カスタン』はリーパが所有する軍馬で、スタミナがあるので三日もあればメストに帰ることができる。しかし、小さな女の子を連れての移動はそう簡単ではない。
「乗合馬車かなんかで二人でメストまで行けばいいだろ」
王都までなら乗合馬車もある。命を狙われているわけでもないのでアンドレイの時とは事情も違う。
「あんた無責任ね。こんな小さな子もいるのに。私だって、一番最初にジェゼロへ行く時は団長自ら送り届けてくれたのよ……」
「あれは護衛のついでだったろ?」
今でもその時の光景を忘れない。
商隊の荷馬車の列の一番後ろにアネタが乗せられて行くのを、まだ幼かったレネは走って追いかけるが、走っても走っても段々と距離が離れていき、最後はとうとう見えなくなってしまった。
両親を殺され、自分にはもうアネタしかいなかったのに……強引に引き離された。
その場に崩れ落ちて泣きじゃくるレネを、留守番役のルカーシュが首根っこを掴んで無理矢理本部へと連れて帰った。
ずっと泣き止まない小さな子供を、はじめはおっかなびっくりで近づいてきた厳つい団員たちが、優しく慰めてくれた。
今は引退したがここの親仁もその一人だ。
「無責任ね、どうせ同じ道を行くんだから一緒に行ってやりなさいよ。早めにここを出ればいいじゃない」
「なんだよ……他人事だからって、そこまで言うなら、もちろんボリスも一緒だよな?」
「そこまでアネタが心配するのなら、私だけ別には行けないよ。レネ以外のみんなでジェゼロまでは乗合馬車で行って、ジェゼロからは馬で行こうか」
「ああ、それいいかも」
レネはボリスの提案に賛成した。
ボリスはジェゼロに自分の馬を置いて、ポリスタブまではアネタと二人、乗合馬車で来ていた。
「オレ、馬になんか乗れねえよっ……それに馬はどうすんだよ?」
自分を置いて勝手に話が進んでいるので、ヴィートは不安を覚えたようだ。
確かに普通の平民が馬に乗れるはずがない。幼い妹もいるので不安になるのは当たり前だ。
「馬の心配はしなくていいよ。リーパの馬がジェゼロへ置きっぱなしになってるから」
「護衛の仕事は乗馬ができないと話にならないからな。乗馬の練習をしながら帰るぞ。妹はオレかボリスと一緒に乗ればいい」
「そうと決まれば、明日にでも出発した方がよさそうね」
レネたち三人で本人を置き去りにして話を進めていく。
アネタは、公園でボリスが襲われてからのまさかの急展開に、反対するどころか非常に乗り気だ。きっとレネと同じように、この兄妹を自分たちと重ね合わせているのだろう。
「でも、俺たち……いいのか? 色々世話してもらって。財布は掏るわ襲いかかるわで、兄妹二人で役人に突き出されても文句は言えないのに……」
ヴィートは困惑気味にレネを見つめる。
「単なる気まぐれだよ。オレが勝ったんだから好きにさせろよ。まあ、最初は苦労すると思うけど自分の居場所は自分で掴め。絶対逃げるな」
レネは真剣な顔でヴィートを見つめ返す。
勝負に負けてから、ヴィートは憑き物が落ちたかのように素直になった。諦めなのか心を入れ替えたのか、レネには判断がつかないが、本人次第で未来は開けるはずだ。
「もう役人に捕まる心配もないし、兄ちゃんともすぐ離ればなれになるわけじゃないから、心配しなくていいよ」
レネは、まだ事情をよく飲み込めていないミルシェの青灰色の瞳に微笑みかけた。ミルシェは見知らぬ人に話しかけられて恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして俯く。
「どんなに小さくても、女の子だなあ」
ボリスがミルシェの反応を見て感心している。
「こいつは面食いなんだよ」
「あはは」
レネはなんのことだかわからないが、ヴィートとアネタもゲラゲラ笑っている。
(どうか、この兄妹も自分の居場所を掴んでほしい)
あの時レネはバルナバーシュに引き取られて良かったと思っている。
自分たち姉弟は今でも幸せだ。
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