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2章 猫の休暇
9 カモメ亭で
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男を連れて三人は、レネが昨日の朝までいた宿屋[カモメ亭]へと場所を移動した。
『詰所』とは言っても、勝手に団員たちがそう呼んでいるだけだ。
リーパ団を引退した元団員が開いた宿で、団員がポリスタブで仕事があるたびに利用している。
それに今回みたいな特殊な事情があっても、いつでも部屋を貸してくれる。
定期的に団体で利用するので、宿にとっても大きな収入源だ。
リーパでは引退した後も、お互いに助け合って困らないような仕組みを作っていた。
実はジェゼロにある[虹鱒亭]もチェスタにある[小栗鼠亭]も元団員が営む宿だ。
「おお、レネ。元気になったみ——もごご……」
受付で、親仁《おやじ》がレネの顔を見つけると心配そうに声をかけてきたが、ボリスが笑顔でその口を押さえる。
(危な……口裏合わせしてなかった……)
「レネ、なにかあったの?」
アネタは怪訝そうな顔をして、男を拘束したまま連行しているレネを振り返る。
「ほら、ずっと仕事で疲れてたから」
レネは曖昧に答える。まさかここにアネタを連れて来ると思ってもいなかったので、自分が怪我をしたことを内緒にするよう宿屋の親仁にまで口裏合わせをしていなかった。
親仁はアネタの姿を見て、「ああっ、この子が」と合点がいった顔をしている。
なんとなく事情を察知したようだ。滞在中にカレルとロランドがレネの姉がポリスタブへ来ていることを話しているのだろう。
一昨日、レネは意識の無いまま運ばれて来たので実際には見ていないが、ロランドがボフミルの尋問をした時に宿を使ったはずだ。もしかしたら、他の客に気付かれないように裏にある小屋でやったかもしれない。
「部屋をちょっと貸してもらおうと思って」
「ああ、なんか捕まえたのか? いいぞ一番奥が空いてるから使いな。それと、そこの姉さん」
「あたし?」
アネタが驚いて親仁の顔を見上げる。
「あんたが噂のレネの姉さんかい? ちょっと頼みを聞いてくれるかい?」
「そうですけど、あたしにできることなら……」
戸惑いながらもアネタは答える。『レネの姉さん』と言われたからには、弟のためにも無下にはできない。
「厨房の奴が一人休んでて、ウチの母ちゃんだけじゃまわらなくてね、野菜の下拵えだけでも手伝ってくれると助かるんだけどね」
ここは夫婦二人で切り盛りしている宿で、他に人は雇っていない。一人休んだというのも嘘だ。
人の好さそうな笑みを受かべる親仁は、きっとこれから部屋の中で行われることに、アネタは同席しない方がいいと、気を遣ってくれたのだろう。
「そんなことなら、喜んで」
アネタも自分が場違いな場所にいると自覚があったのか、親仁の申し出にパッと顔が明るくなった。
「じゃあ、こっちへおいで。お昼は食べたのかい?」
「いいえ」
「やっぱり。あの様子じゃあお昼どころじゃなかっただろうね。母ちゃんが賄いを作っているところだから一緒に食べよう」
ちょうど親子ほどの年齢の二人は、すっかり打ち解けた様子で厨房の中へと入って行った。
「流石だ」
レネとボリスは思わず顔を見合わせる。
宿の親仁の機転で、アネタを上手いこと引き離すことに成功した。
奥の部屋に入ると、男が動けないように椅子に座らせ、手足を縄で縛り付け椅子に固定する。
改めて男の顔を見る。
茶色の髪に灰色の瞳、きつい顔立ちは生活している環境の厳しさを表しているかのようだった。
「よく見るとまだ子供じゃないか」
ボリスは男の顔を見て、思わず呟く。
「さて、なんの目的で襲ったのか話してもらおうか」
レネは無表情のまま男の目をじっと見つめる。
その黄緑色の瞳の奥からなにか感じ取ったのか、男はごくりと唾を飲み込み口を開いた。
「……この男が、家まで財布を取り返しにきただろ。財布を掏ったのは俺の妹だ」
ふっと、アネタの財布を掏っていった小さな女の子の姿を思い出す。
「あのスリの子と兄妹?」
財布を取り返しに来たのを逆恨みでもしたのだろうか。
「どうして、わざわざ尾行して襲ったんだ?」
「こいつが色々嗅ぎまわって、妹に足が付くと思ったからだよっ!」
男はギロリとボリスを睨むと忌々しそうに吐き捨てる。
でもだからといって、わざわざ後をつけて襲うなんて短絡的過ぎではないだろうか。
「こっちは三人いるのに不利とは考えなかったのか?」
レネは思わず口にする。
妹が役人に突き出されたのなら話はわかるが、財布を取り戻されただけなのに、どうしてわざわざ危険を冒してまで襲ったのだ。
「失敗するなんて思ってなかったんだよ」
悔しそうに男は顔を顰めた。
よっぽど自分の腕に自信があったのだろう。確かに、そこらのゴロツキにしておくのには勿体ない腕をもっていた。
きっとこの男は今までも都合の悪いことが起こると、暴力にものをいわせて生きてきたのだろう。
「まさか、オレみたいのに負けるなんて想像もしてなかったんだろう?」
レネはニヤリと笑い、細い革紐を口に銜えると、灰色の髪を手櫛で梳いて顔にかかる両サイドの髪をとり後頭部の上の方で器用に括る。仕事中や身体を動かす時はだいたいこの髪型だ。
その様子はまるで——わざと生かした獲物の前で、見せつけるように寝っ転がって毛繕いする、猫のようだ。
「クソっ……あんな卑怯な手を使っといて、勝ったと思うなよ!」
卑怯な手とは、石ころを投げたことを言っているのか。
レネはふんと鼻で笑った。
「こそこそ尾行して不意打ちしてきた奴が、なにを言ってる」
そもそも実戦において卑怯もクソもない。
負けた方が弱い。ただそれだけだ。
レネは仕事以外では厄介ごとのもとなので帯剣しない。元々休暇のつもりだったので今回も帯剣していなかった。
それにはちゃんとした理由がある。
戦いとは無縁に見えるこの外見は、丸腰であった方が相手に隙ができ、自分に有利に働くことが多いからだ。
今回もまんまと引っ掛かってくれた。結局、油断する方がいけないのだ。
「お前いくつだ?」
妹はまだ十前後だったと思う。姉弟だとしたらそんなに年はいってないはずだ。
「……十七」
顔には出さなかったが、予想よりも若い年齢にレネは驚いた。
「妹は?」
「九つ」
あんな小さな妹にスリをさせなければいけないくらい、厳しい生活をしているのだろう。
「君たちは孤児なのかい?」
今まで口を閉ざしていたボリスが口を開いた。
きのう兄妹の住処へ押しかけていっているので、レネよりもこの兄妹の情報は多く持っている。
「ああ、家族は二人だけだ」
(あっ……この兄妹も同じなのか……)
孤児というのは別に珍しくない。
あの時、自分たちもバルナバーシュが拾ってくれなかったら、もしかしたらこの兄妹のような生活を送っていたかもしれない。
十七歳といえば、レネがリーパに入団した年だ。
いま思い出すだけでも、あのころは自分の居場所を作ることで精一杯だったのを覚えている。
溜息をついてボリスが重い口を開く。
「妹はスリで、お前は強請りか追い剥ぎか? お前が返り討ちに遭うか役人に捕まるのも時間の問題だね。妹が一人になったら自分の身を売って生活していくのが目に見えるよ」
残酷なようだがボリスの言う通りだ。
今回だってこれが仕事中のできごとだったら、こんな手の込んだ真似はせず、一撃で斬り捨てて終わっていた。今ごろ、妹は天涯孤独になっていたはずだ。
たまたま今回は運がよかったのだ。
「わかってんだよっ……そんなことっ……でも、俺にどうしろって言うんだ!」
「お前たちが住んでいる部屋は古い所だったが、掃除も行き届いていて荒んだ感じはしなかった。お前たち兄妹はあの部屋がすべてなんだろ? そこに私が土足で入り込んで来たものだから、お前は怒ったんだ」
ボリスにすべてを言い当てられたような顔をして、男は黙り込む。
表情からして、このままではいけないと思っているのは明白だ。
それに自分のことよりも、妹のことを言われた時の方が辛い顔をしていた。
レネはどうしても自分たち姉弟と姿を重ねてしまう。
(あああああーーー放っておけない!)
「おまえ名前は? えっと……オレはレネな、で、そっちがボリス」
「……ヴィート」
「ヴィート、オレともう一度勝負してみないか? お前が勝ったら、オレを煮るなり焼くなり好きにしていいぞ。そのかわりに、オレが勝ったらお前をオレの好きにさせろ」
気が付いたら、そう口走っていた。
『詰所』とは言っても、勝手に団員たちがそう呼んでいるだけだ。
リーパ団を引退した元団員が開いた宿で、団員がポリスタブで仕事があるたびに利用している。
それに今回みたいな特殊な事情があっても、いつでも部屋を貸してくれる。
定期的に団体で利用するので、宿にとっても大きな収入源だ。
リーパでは引退した後も、お互いに助け合って困らないような仕組みを作っていた。
実はジェゼロにある[虹鱒亭]もチェスタにある[小栗鼠亭]も元団員が営む宿だ。
「おお、レネ。元気になったみ——もごご……」
受付で、親仁《おやじ》がレネの顔を見つけると心配そうに声をかけてきたが、ボリスが笑顔でその口を押さえる。
(危な……口裏合わせしてなかった……)
「レネ、なにかあったの?」
アネタは怪訝そうな顔をして、男を拘束したまま連行しているレネを振り返る。
「ほら、ずっと仕事で疲れてたから」
レネは曖昧に答える。まさかここにアネタを連れて来ると思ってもいなかったので、自分が怪我をしたことを内緒にするよう宿屋の親仁にまで口裏合わせをしていなかった。
親仁はアネタの姿を見て、「ああっ、この子が」と合点がいった顔をしている。
なんとなく事情を察知したようだ。滞在中にカレルとロランドがレネの姉がポリスタブへ来ていることを話しているのだろう。
一昨日、レネは意識の無いまま運ばれて来たので実際には見ていないが、ロランドがボフミルの尋問をした時に宿を使ったはずだ。もしかしたら、他の客に気付かれないように裏にある小屋でやったかもしれない。
「部屋をちょっと貸してもらおうと思って」
「ああ、なんか捕まえたのか? いいぞ一番奥が空いてるから使いな。それと、そこの姉さん」
「あたし?」
アネタが驚いて親仁の顔を見上げる。
「あんたが噂のレネの姉さんかい? ちょっと頼みを聞いてくれるかい?」
「そうですけど、あたしにできることなら……」
戸惑いながらもアネタは答える。『レネの姉さん』と言われたからには、弟のためにも無下にはできない。
「厨房の奴が一人休んでて、ウチの母ちゃんだけじゃまわらなくてね、野菜の下拵えだけでも手伝ってくれると助かるんだけどね」
ここは夫婦二人で切り盛りしている宿で、他に人は雇っていない。一人休んだというのも嘘だ。
人の好さそうな笑みを受かべる親仁は、きっとこれから部屋の中で行われることに、アネタは同席しない方がいいと、気を遣ってくれたのだろう。
「そんなことなら、喜んで」
アネタも自分が場違いな場所にいると自覚があったのか、親仁の申し出にパッと顔が明るくなった。
「じゃあ、こっちへおいで。お昼は食べたのかい?」
「いいえ」
「やっぱり。あの様子じゃあお昼どころじゃなかっただろうね。母ちゃんが賄いを作っているところだから一緒に食べよう」
ちょうど親子ほどの年齢の二人は、すっかり打ち解けた様子で厨房の中へと入って行った。
「流石だ」
レネとボリスは思わず顔を見合わせる。
宿の親仁の機転で、アネタを上手いこと引き離すことに成功した。
奥の部屋に入ると、男が動けないように椅子に座らせ、手足を縄で縛り付け椅子に固定する。
改めて男の顔を見る。
茶色の髪に灰色の瞳、きつい顔立ちは生活している環境の厳しさを表しているかのようだった。
「よく見るとまだ子供じゃないか」
ボリスは男の顔を見て、思わず呟く。
「さて、なんの目的で襲ったのか話してもらおうか」
レネは無表情のまま男の目をじっと見つめる。
その黄緑色の瞳の奥からなにか感じ取ったのか、男はごくりと唾を飲み込み口を開いた。
「……この男が、家まで財布を取り返しにきただろ。財布を掏ったのは俺の妹だ」
ふっと、アネタの財布を掏っていった小さな女の子の姿を思い出す。
「あのスリの子と兄妹?」
財布を取り返しに来たのを逆恨みでもしたのだろうか。
「どうして、わざわざ尾行して襲ったんだ?」
「こいつが色々嗅ぎまわって、妹に足が付くと思ったからだよっ!」
男はギロリとボリスを睨むと忌々しそうに吐き捨てる。
でもだからといって、わざわざ後をつけて襲うなんて短絡的過ぎではないだろうか。
「こっちは三人いるのに不利とは考えなかったのか?」
レネは思わず口にする。
妹が役人に突き出されたのなら話はわかるが、財布を取り戻されただけなのに、どうしてわざわざ危険を冒してまで襲ったのだ。
「失敗するなんて思ってなかったんだよ」
悔しそうに男は顔を顰めた。
よっぽど自分の腕に自信があったのだろう。確かに、そこらのゴロツキにしておくのには勿体ない腕をもっていた。
きっとこの男は今までも都合の悪いことが起こると、暴力にものをいわせて生きてきたのだろう。
「まさか、オレみたいのに負けるなんて想像もしてなかったんだろう?」
レネはニヤリと笑い、細い革紐を口に銜えると、灰色の髪を手櫛で梳いて顔にかかる両サイドの髪をとり後頭部の上の方で器用に括る。仕事中や身体を動かす時はだいたいこの髪型だ。
その様子はまるで——わざと生かした獲物の前で、見せつけるように寝っ転がって毛繕いする、猫のようだ。
「クソっ……あんな卑怯な手を使っといて、勝ったと思うなよ!」
卑怯な手とは、石ころを投げたことを言っているのか。
レネはふんと鼻で笑った。
「こそこそ尾行して不意打ちしてきた奴が、なにを言ってる」
そもそも実戦において卑怯もクソもない。
負けた方が弱い。ただそれだけだ。
レネは仕事以外では厄介ごとのもとなので帯剣しない。元々休暇のつもりだったので今回も帯剣していなかった。
それにはちゃんとした理由がある。
戦いとは無縁に見えるこの外見は、丸腰であった方が相手に隙ができ、自分に有利に働くことが多いからだ。
今回もまんまと引っ掛かってくれた。結局、油断する方がいけないのだ。
「お前いくつだ?」
妹はまだ十前後だったと思う。姉弟だとしたらそんなに年はいってないはずだ。
「……十七」
顔には出さなかったが、予想よりも若い年齢にレネは驚いた。
「妹は?」
「九つ」
あんな小さな妹にスリをさせなければいけないくらい、厳しい生活をしているのだろう。
「君たちは孤児なのかい?」
今まで口を閉ざしていたボリスが口を開いた。
きのう兄妹の住処へ押しかけていっているので、レネよりもこの兄妹の情報は多く持っている。
「ああ、家族は二人だけだ」
(あっ……この兄妹も同じなのか……)
孤児というのは別に珍しくない。
あの時、自分たちもバルナバーシュが拾ってくれなかったら、もしかしたらこの兄妹のような生活を送っていたかもしれない。
十七歳といえば、レネがリーパに入団した年だ。
いま思い出すだけでも、あのころは自分の居場所を作ることで精一杯だったのを覚えている。
溜息をついてボリスが重い口を開く。
「妹はスリで、お前は強請りか追い剥ぎか? お前が返り討ちに遭うか役人に捕まるのも時間の問題だね。妹が一人になったら自分の身を売って生活していくのが目に見えるよ」
残酷なようだがボリスの言う通りだ。
今回だってこれが仕事中のできごとだったら、こんな手の込んだ真似はせず、一撃で斬り捨てて終わっていた。今ごろ、妹は天涯孤独になっていたはずだ。
たまたま今回は運がよかったのだ。
「わかってんだよっ……そんなことっ……でも、俺にどうしろって言うんだ!」
「お前たちが住んでいる部屋は古い所だったが、掃除も行き届いていて荒んだ感じはしなかった。お前たち兄妹はあの部屋がすべてなんだろ? そこに私が土足で入り込んで来たものだから、お前は怒ったんだ」
ボリスにすべてを言い当てられたような顔をして、男は黙り込む。
表情からして、このままではいけないと思っているのは明白だ。
それに自分のことよりも、妹のことを言われた時の方が辛い顔をしていた。
レネはどうしても自分たち姉弟と姿を重ねてしまう。
(あああああーーー放っておけない!)
「おまえ名前は? えっと……オレはレネな、で、そっちがボリス」
「……ヴィート」
「ヴィート、オレともう一度勝負してみないか? お前が勝ったら、オレを煮るなり焼くなり好きにしていいぞ。そのかわりに、オレが勝ったらお前をオレの好きにさせろ」
気が付いたら、そう口走っていた。
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