菩提樹の猫

無一物

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2章 猫の休暇

8 怪しい気配

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 三人は、心地よい木漏れ日の中を広場に向かって歩き始める。
 公園内の小道を行くとそのまま目的の川辺の広場へと繋がる。レネは先ほどの探索でおおよその道順は把握できていた。

(やっぱりつけられてる……いったい誰が?)

 相変わらず近くに人の気配を感じる。
 この港町に詳しいボリスが一番先を歩いていたが、レネは用心のためアネタにピッタリとくっついていた。

「こうやって歩いてるとやっぱ姉ちゃん小っちゃいな~、オレの肩くらいまでしかないじゃん」

 近くにいても不自然にならないように、わざとアネタの頭に手のひらをかざして自分の背と比べる。

「なに言ってんの、ウチの血筋の割にはあんたが意外と大きくなったから、あたしは逆にびっくりしてるんだから」

 確かにアネタが言う通り、レネの両親は二人とも小柄だった。気が付けば、自分だけが少し高めの身長まで伸びていた。とはいっても……レネもボリスと比べると、頭半分ほどの身長差があるのだが。
 とにかくボリスは背が高い。姉は自分に足りないものを恋人に求めている節がある。

「でも、ぜんぜん横が足りないわ。もっと食べて太りなさいよ。なんであんただけ……ズルいわ」

 レネにはもっと太れと言いながらも、姉はいつも悔しがる。
 矛盾しているような気がするが、それが女心というものなのだろうか。


 そうこうしているうちに、川方面に下りながら、両側が垣根で覆われた道に入った。
 三人以外の人通りはない。それなのにまだ気配は消えない。

(後ろから尾行されてるなら、前の方が安全か?)

「あっ、あそこに珍しい鳥がいる! 姉ちゃん、ほらこっち」

 レネはアネタの肩を抱いて、ボリスを追い越し前を行く。ボリスはレネの急な行動の意図をちゃんと理解しているとばかりに目配せした。
 アネタを連れてボリスから少し距離を置いた時、事態は急変した。
 何者かが生け垣から飛び出すと、ナイフの刃をキラリと光らせ、ボリスめがけて一直線に飛び込んでくる。

「させるかっ!」

「クソっ!」

 レネの行動のお陰で、予め準備ができていたボリスは、寸前で第一撃を躱すことができた。

「きゃぁぁぁぁ……ボリスっ!」

「姉ちゃん、大丈夫。落ち着いて」

 混乱するアネタをレネは腕に抱きしめると、状況を把握するために神経を尖らせる。
 ボリスも隠し持っていたナイフで応戦しているが、相手の方が小柄で俊敏なせいか状況は不利になっている。
 他に敵はいないか周囲を見回すが、敵はボリスと対峙してる男以外にいないようだ。

(強い……)

 相手は明らかにボリスより実力が上だった。

「ボリスを助けに行ってくるから、姉ちゃん、ここでちょっとじっとしててくれ」

 右手で地面から『なにか』を拾い上げると、完全に気配を殺し、レネは少しずつ二人へと近づいて行く。

 レネはじっと観察して、意識を研ぎ澄ませた。
 男は完全に自分の方が優位と見て、戦いに没頭し、意識を外に向けることを怠っている。

(今だっ!)

「ぐぁっ……」

 レネの右手から放たれた物体が、こめかみに命中すると、まるで鈍器で殴られたような衝撃に、男がよろめいて膝をつく。
 足元には血のついた石ころが転がっていた。

「ボリス、交代だっ」

 男が怯んだ隙をつき、レネが間に割り込むと、ボリスをアネタの方へと下がらせる。

「クソっ、卑怯な真似しやがって」

 レネは間髪入れず、血を流す左の顔面に蹴りを入れる。

「……くっ」

 男は肘で顔面を防御し、なんとか衝撃を受け止める。劣勢を挽回しようと、立ち上がりナイフを構え直した。

(なんでこいつはボリスを襲ったんだろう?)

 レネは改めて男を観察する。
 目つきは鋭いが、まだ少年っぽさが残る容貌は、明らかにレネよりも年下だった。

 相手もレネを見て、動揺を隠せないようだ。まさかあの大男と交代でこんな弱そうな男が出てくるとは思っていなかったのだろう。
 レネは敢えて隙を見せて、男が攻撃してくるのを待った。

「死ねっ!」

 もらったとばかりに男が急所を狙ってナイフで突いてくる。
 レネはナイフを持った方の男の手首を掴むと、さらに無理矢理、背中の方へと捻る力を加えた。

「ぐあっ……」

 肩の関節がきしみを上げ、男はたまらず苦痛の声を上げる。

「どうして尾行してたんだ? 狙いはあの男か?」

 レネは、後ろにいるボリスを顎で示す。

「…………」

「だんまりか? このまま役人に突き出されたいみたいだな。お前みたいな男は他にも余罪がたくさんありそうだ」

 適当に当てずっぽうで言ってみたが、どうやら図星のようだ。男の顔色が見る見るうちに青ざめていく。
 風貌から推測して、いかにもこの街のゴロツキといった風情だが、ただのゴロツキにしては腕が立つ。
 レネは心の奥で、このまま腐らせるには惜しい腕だと思った。
 問題は、この男がなぜ自分たちを尾行して襲って来たかということだ。

「喋る気になったか?」

 さらに強く、男の拘束した腕を捻り上げる。

「ぐっ……わかった、言うから腕を緩めてくれ……」

 男は後ろを振り返って、レネの顔を覗き込み懇願する。
 しかし、レネは一向に腕を緩める気配はない。油断させておいて腕を緩めた隙に逃げ出そうとする輩が多いのだ。レネは経験上それを学んでいた。

「ボリス、なにか縛るのある?」

 アネタの側で見守るボリスにチラリと視線をやる。

「ああ、ハンカチでいいか?」

「うん。じゃあ、ここ押さえといて」

 レネはそう言うと、ハンカチで器用に男の手首を拘束していく。

「クソッ、舐めた真似しやがって」

 男は不利な状況でも怯まず、レネやボリスを睨む。しかし二人はまったく動じずに無視する。

「姉ちゃん吃驚させてごめんね。下の広場にも役人がいるだろうから、とりあえず連れて行こう」

 まだ怯えの残る表情をしているアネタを安心させるために、レネはなにもなかったかのように笑って見せた。
 アネタが無事だったから良かったものの、大切な姉になにかあったらこの男の命はなかっただろう。

 普段はおっとりしている方だと思っていた弟の変貌に、アネタはショックを受けているようだった。
 できるだけ、姉の前では手荒なことはしたくなかったので抑えていたが、普段の仕事で身に付いたものが少し滲み出てきてしまった。
 そしてそれを姉は敏感に嗅ぎとった。

(オレは……)

 ふっとレネが哀しい表情を見せたのを、アネタは見逃さなかった。

「レネ、怪我はなかった? こんなバカ男はやく役人にしょっ引いてもらおうよ」

 なにもなかったかのようにアネタはいつも通りに振る舞う。どんなに知らない一面があろうとも、弟はやはり弟なのだ。
 そんな姉弟のやりとりに、置いてきぼりをくらった男が、必死に食いつく。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、喋るってさっき言ったじゃないか! 役人に突き出すのだけは止めてくれっ!」

「忘れていた」とばかりに、レネは自分より背の低い男を見下ろす。

「ボリス、こいつどうしようか?」

「まず、どうして襲って来たのか、教えてもらわないとね」

 この男が三人の中でなぜボリスを襲ったのかが気になった。
 普通だったら一番大きな男をわざわざ襲わない。女のアネタか、男でも華奢なレネを襲うのが定石だろう。
 ボリスが狙われる……思い当たることといえば、レネが休んでいる間に、一人で財布を取り戻してきた件だろうか。

「でもここじゃ目立たない? 場所を移した方がいいかも」

 アネタがキョロキョロとまわりを見回す。

「詰所に行くか……」
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