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2章 猫の休暇
5 同じ目で見るなよ
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アネタたちの部屋に食事が運ばれて来たので、レネは二人の部屋に移動して三人で夕食を開始した。
「美味しい? ほら、これも食べて。あんたはもっと食べないと……だから太れないのよ」
レバーたっぷりのパテ、肉汁の溢れんばかりの子羊のローストにプルーンソースを添えたもの、内臓の煮込みが入ったパイ。
運ばれて来た料理を、アネタはレネの前に次から次へと取り分ける。
「うっ……これ全部食べるの?」
「顔色悪いんだもん、あんた貧血でしょ? そういう時は肉に限るのよ」
自信満々に言い切ったアネタは、肉汁の滴る子羊の肉をハグハグと噛み締め、口の端についた赤いソースをペロリと舌で舐めた。
アネタの白い肌に、赤い色はよく映える。ボリスは吸い寄せられるように、うっとりと恋人を見つめている。
ボリスにとってはきっと官能的な光景なのだ。
姉をそんな風に見ることのできないレネは、なにか恐ろしいものでも見たかのように、目をつぶってブルブルと頭を振った。
「レネ、食べないの?」
ボリスがジッと……アネタを見ていた同じ目で、レネを見つめている。
「じゃあ、そんな見るなよ……食べ辛いだろ?」
「いいじゃないか。君たち姉弟の食べっぷりを見るのが、私の楽しみなんだから」
それを聞いたアネタが、「ぷっ」と吹きだす。
財布も戻ってきて姉はさっきから上機嫌だ。
「ボリスはそんなことばっかり言って……あんたもいい加減慣れなさいよ、私よりもずっと長く一緒にいるんだから」
慣れるわけがないと思いながら、パンにレバーのパテを塗りながらレネは姉を睨む。
「いつも一緒ってわけじゃないんだから」
今回は、たまたまボリスが近くにいたから助けてもらったけど、リーパの癒し手は他にもいるので毎回一緒とは限らない。
「そっか……でもボリスは仕事で危ない目には遭わない? 癒し手は自分の怪我は治せないんでしょ?」
アネタの顔に翳りが走る。護衛団の一員なので一般人と比べるとボリスも腕は立つが、団員の中では見劣りする。
癒し手であるボリスの位置は後衛で、怪我することはほとんどないのだが、事情を知らないアネタは心配なのだ。
「大丈夫だよ。そこはみんな気にかけてるから、ボリスが危ない目に遭うことなんてほとんどないよ」
リーパにおいて癒し手は重要な位置を占める。
ボリスほどの能力者になると、即死以外の怪我で命を落とすことはまずない。欠損した箇所までは治せないが、命が助かるだけでも、団員たちの肉体的・精神的負担はかなり軽くなる。
リーパ護衛団にとって癒し手の存在はまさに生命線だ。そんな存在をぞんざいに扱うはずがない。
「オレが一緒の時は、命がけで守るから心配しないで。オレが怪我してもボリスが治してくれるし」
レネにとってボリスは、癒し手というだけでなく『姉の大切な人』なのだ。一緒にいる時は怪我などさせるつもりはない。
「レネの言うように、君が心配する必要はないよ」
ボリスは穏やかに微笑んで、アネタの小さな手を大きな両手で優しく包み込む。
「そうならいいんだけど……二人とも身体を張った仕事だから心配なの……」
「姉ちゃんは心配しすぎだって。ボリスのことはオレに任せといてよ」
レネは胸を張って言うが、アネタの顔は晴れない。
「さっきまでへばってたあんたが言ったって説得力ないわ……」
「それよりもさ、財布戻ってきて良かったじゃん」
触れてほしくないことを言われ、レネは違う方向へ話を逸らす。
「そうなの、ボリスったら凄いの!」
アネタがボリスを見つめ、頬を染めた。
へそ曲がりなところもあるが、たまに見せる素直な所は、弟から見ても可愛いと思う。
「気になってたんだけど、どうやってスリの子を見つけたんだよ?」
弟の前で、なんの臆面もなく見つめ合う二人を現実に引き戻すように、レネはボリスに問いかける。
「ん? レネは知ってると思うけど、私は商隊の護衛でよくここに来るだろ。だから知り合いから、ああいう子たちがよくいる居場所を訊いたんだよ」
ボリスは月に一度は、メストからポリスタブまでを往復する商隊の護衛に参加している。だからレネやアネタよりも土地勘があった。
そしてこの二人は、中継地であるアネタの暮らすジェゼロで、定期的に恋人たちの逢瀬を楽しんでいる。
「なんだよ、そういうことかよ……オレは裏でなんか恐ろしいことでもして財布を取り戻したんじゃないかと思ってハラハラしてたよ」
レネはホッと胸をなでおろす。
「心外だな……私をなんだと思ってるんだい?」
ぜんぜん心外ではなさそうな笑顔で、ボリスはレネに言い返す。
「本気で怒らせちゃいけない人」
これはリーパ内での暗黙の了解だ。
ボリスという人間の全容を、レネは一生理解できないだろうと思う。
「よくわかってるじゃないか」
ボリスは変わらない笑顔で答える。
「そうなの? あたしボリスが怒ったところ見たことないけどな?」
モグモグとパイを摘まみながら、アネタはレネの顔を横目で見る。
「そりゃそうだよ。ボリスが姉ちゃん相手に怒るわけないだろ」
アネタに対しては、ボリスは忠犬のようなものだと思っている。ご主人様が自分になにをしようとも、ボリスは決して怒らない。
ボリスが怒るのは、ご主人様を害する者が現れた時だ。ボリスのすべては理解できないが、そこだけはレネもわかっている。
「この人、姉ちゃんを困らせる奴に対しては容赦しないからな。だからスリの子にどんな手を使って取り戻したか、気になってたんだよ」
「まさか……小さな女の子相手に大人げないことはしないさ。ちゃんと言い聞かせて返してもらったよ」
「それならいいんだけど……」
口ではそう言いながらも、たった一人の肉親である姉をここまで愛してくれるボリスは、レネにとってなにものにも代えがたい存在だ。
この二人が幸せそうにしている姿を見ることが、今のレネにとってなによりの楽しみでもあった。
「美味しい? ほら、これも食べて。あんたはもっと食べないと……だから太れないのよ」
レバーたっぷりのパテ、肉汁の溢れんばかりの子羊のローストにプルーンソースを添えたもの、内臓の煮込みが入ったパイ。
運ばれて来た料理を、アネタはレネの前に次から次へと取り分ける。
「うっ……これ全部食べるの?」
「顔色悪いんだもん、あんた貧血でしょ? そういう時は肉に限るのよ」
自信満々に言い切ったアネタは、肉汁の滴る子羊の肉をハグハグと噛み締め、口の端についた赤いソースをペロリと舌で舐めた。
アネタの白い肌に、赤い色はよく映える。ボリスは吸い寄せられるように、うっとりと恋人を見つめている。
ボリスにとってはきっと官能的な光景なのだ。
姉をそんな風に見ることのできないレネは、なにか恐ろしいものでも見たかのように、目をつぶってブルブルと頭を振った。
「レネ、食べないの?」
ボリスがジッと……アネタを見ていた同じ目で、レネを見つめている。
「じゃあ、そんな見るなよ……食べ辛いだろ?」
「いいじゃないか。君たち姉弟の食べっぷりを見るのが、私の楽しみなんだから」
それを聞いたアネタが、「ぷっ」と吹きだす。
財布も戻ってきて姉はさっきから上機嫌だ。
「ボリスはそんなことばっかり言って……あんたもいい加減慣れなさいよ、私よりもずっと長く一緒にいるんだから」
慣れるわけがないと思いながら、パンにレバーのパテを塗りながらレネは姉を睨む。
「いつも一緒ってわけじゃないんだから」
今回は、たまたまボリスが近くにいたから助けてもらったけど、リーパの癒し手は他にもいるので毎回一緒とは限らない。
「そっか……でもボリスは仕事で危ない目には遭わない? 癒し手は自分の怪我は治せないんでしょ?」
アネタの顔に翳りが走る。護衛団の一員なので一般人と比べるとボリスも腕は立つが、団員の中では見劣りする。
癒し手であるボリスの位置は後衛で、怪我することはほとんどないのだが、事情を知らないアネタは心配なのだ。
「大丈夫だよ。そこはみんな気にかけてるから、ボリスが危ない目に遭うことなんてほとんどないよ」
リーパにおいて癒し手は重要な位置を占める。
ボリスほどの能力者になると、即死以外の怪我で命を落とすことはまずない。欠損した箇所までは治せないが、命が助かるだけでも、団員たちの肉体的・精神的負担はかなり軽くなる。
リーパ護衛団にとって癒し手の存在はまさに生命線だ。そんな存在をぞんざいに扱うはずがない。
「オレが一緒の時は、命がけで守るから心配しないで。オレが怪我してもボリスが治してくれるし」
レネにとってボリスは、癒し手というだけでなく『姉の大切な人』なのだ。一緒にいる時は怪我などさせるつもりはない。
「レネの言うように、君が心配する必要はないよ」
ボリスは穏やかに微笑んで、アネタの小さな手を大きな両手で優しく包み込む。
「そうならいいんだけど……二人とも身体を張った仕事だから心配なの……」
「姉ちゃんは心配しすぎだって。ボリスのことはオレに任せといてよ」
レネは胸を張って言うが、アネタの顔は晴れない。
「さっきまでへばってたあんたが言ったって説得力ないわ……」
「それよりもさ、財布戻ってきて良かったじゃん」
触れてほしくないことを言われ、レネは違う方向へ話を逸らす。
「そうなの、ボリスったら凄いの!」
アネタがボリスを見つめ、頬を染めた。
へそ曲がりなところもあるが、たまに見せる素直な所は、弟から見ても可愛いと思う。
「気になってたんだけど、どうやってスリの子を見つけたんだよ?」
弟の前で、なんの臆面もなく見つめ合う二人を現実に引き戻すように、レネはボリスに問いかける。
「ん? レネは知ってると思うけど、私は商隊の護衛でよくここに来るだろ。だから知り合いから、ああいう子たちがよくいる居場所を訊いたんだよ」
ボリスは月に一度は、メストからポリスタブまでを往復する商隊の護衛に参加している。だからレネやアネタよりも土地勘があった。
そしてこの二人は、中継地であるアネタの暮らすジェゼロで、定期的に恋人たちの逢瀬を楽しんでいる。
「なんだよ、そういうことかよ……オレは裏でなんか恐ろしいことでもして財布を取り戻したんじゃないかと思ってハラハラしてたよ」
レネはホッと胸をなでおろす。
「心外だな……私をなんだと思ってるんだい?」
ぜんぜん心外ではなさそうな笑顔で、ボリスはレネに言い返す。
「本気で怒らせちゃいけない人」
これはリーパ内での暗黙の了解だ。
ボリスという人間の全容を、レネは一生理解できないだろうと思う。
「よくわかってるじゃないか」
ボリスは変わらない笑顔で答える。
「そうなの? あたしボリスが怒ったところ見たことないけどな?」
モグモグとパイを摘まみながら、アネタはレネの顔を横目で見る。
「そりゃそうだよ。ボリスが姉ちゃん相手に怒るわけないだろ」
アネタに対しては、ボリスは忠犬のようなものだと思っている。ご主人様が自分になにをしようとも、ボリスは決して怒らない。
ボリスが怒るのは、ご主人様を害する者が現れた時だ。ボリスのすべては理解できないが、そこだけはレネもわかっている。
「この人、姉ちゃんを困らせる奴に対しては容赦しないからな。だからスリの子にどんな手を使って取り戻したか、気になってたんだよ」
「まさか……小さな女の子相手に大人げないことはしないさ。ちゃんと言い聞かせて返してもらったよ」
「それならいいんだけど……」
口ではそう言いながらも、たった一人の肉親である姉をここまで愛してくれるボリスは、レネにとってなにものにも代えがたい存在だ。
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