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1章 伯爵令息を護衛せよ
10 朝になって
しおりを挟むなんとも言えない空気が流れる中、焚き火のパチパチとはぜる音だけが響く。
そんな空気を破ったのはアンドレイの一言だった。
「お腹空いたけど、なにか食べ物あるの?」
「携帯食ならある」
「オレも持ってるよ」
デニスとレネはそれぞれ濡れないように加工してある皮の袋からドライフルーツや干し肉、ビスケットなどを取り出す。
「あのーもしよければ、材料があるので温かいスープでも作りましょうか?」
場所を譲ってもらった手前もあるのか、ボフミルが申し出た。
もしこの男が刺客で、毒入りの食べ物を渡されたら一発だ。
「大丈夫です。お気遣いなく」
今回はデニスの判断を待つことなくレネは申し出を断る。こんなので死んだらたまったものじゃない。
「どうせついでですから、遠慮せずにどうぞ」
「寒いんだしご馳走になろうよ」
腹を空かせたアンドレイは、なぜレネが申し出を断るのか意味がわかっていない。
「すまんが、人から出されたものは食べないんだ。ほら、お前はこれを食べとけ」
デニスはレネが出した食料と自分の持ち合わせた分を三等分にすると、腹を空かせているアンドレイへ先に渡す。
「またどうして」
ボフミルは料理の準備の手を止め、ぽかんとした顔でデニスを見つめる。
「俺たちは命を狙われている。昨日も襲撃された。別にあんたを特別疑っているわけじゃないが、用心に越したことはない」
「命を狙われてる⁉」
「もしかしたら、あんたまで巻き添えになるかもしれないが、それでもここにいるか?」
「…………」
デニスの告白に、ボフミルはゴクリと唾を飲み黙り込む。
レネは自分の分け前の食料を目の前に並べていった。
よくよく考えたら自分もボフミルと同じ立場なのだが、レネの差し出した食料は疑うことなく受け入れている。
(少しは信用されてんのかな?)
二人と一緒に行動するぶん命を狙われることになるのだが、レネは深刻に考えていない。
隣で、ぽりぽりとビスケットを頬張るアンドレイに倣い、レネも干し肉に噛り付いた。
「命を狙われてるとは、どういうことですか?」
ボフミルは真剣な顔でデニスに尋ねる。
「詳しいことは話せないが、俺たち二人は今まで二回襲撃された」
「レネさんはどうしてこの人たちと一緒に行動してるんですか? 危険な目にも遭ったんでしょ?」
いきなりボフミルに話を振られてレネは動揺する。
「えっ、オレですか?……流れでなんとなく……襲われてもデニスさんは強いから今までなんとかなったし、ボフミルさんもさっき一人旅は危ないって言ってたじゃないですか」
レネはしどろもどろになりながらも、正直に答える。護衛対象だとわかったのも途中からで、最初は本当に成り行きでなんとなく一緒に行動し始めただけだ。
二人にはまだ話してないこともあるけれど、なにもやましいことはない。
「デニスさんは見るからにお強そうですし、暗くなってこんな雨の中歩いて行く方が危険です。ここで一晩ご一緒させてください」
ボフミルはまた人の良さそうな笑みを浮かべて頭を下げた。
「あんたがそれでいいなら構わない」
辺りは一面暗闇に包まれ、雨音と薪のはぜる音だけが鳴り響く。
流石に裸で一夜を過ごすわけにもいかないので生乾きの服を着て、アンドレイはレネに凭れ掛かったまま眠っていた。
レネは昨日襲撃された後のできごとを思い出す。ただの箱入りのお坊ちゃまかと思っていたら、レネにちょっかいを出さないよう、戦いを終え凶暴な空気を纏わせたままのカレルに食ってかかったのだ。
(この子の度胸の据わり方はリンブルクの血かな……)
茶色の柔らかな巻き毛を優しく撫で、まだ幼さの残る寝顔を見るとレネは目を細める。
「起きたのか? まだ起きる時間じゃないぞ」
アンドレイの靴の手入れをしていたデニスが、目を覚ましたレネに気付く。
ボフミルは用を足しにでも行ったのか、この場を離れていた。
「でもデニスさんも少し休んだ方がいいでしょう。後はオレが起きてるんで休んでください」
デニスばかりに見張りをさせるわけにはいかない。
「お前が起きてても、どうしようもないだろ?」
レネの申し出をデニスは皮肉気に笑う。
「どうせ、敵が来ても戦えやしないって思ってるんでしょうけど、見張りくらいはできますよ。こう見えても気配には敏いんです。なにかあったらデニスさんを起こしますから。少しでも寝てください」
「本当に大丈夫か?」
片眉を上げて疑いの表情を見せる。
「大丈夫ですって。少しはオレを信用してください」
デニスはどうしようかと迷っていたが、レネが真剣な顔を見て折れたかのように溜息をつく。
「わかった。なにかあればすぐ起こせよ」
「はい」
レネが答えると、騎士は剣を膝の間に立てて抱いたまま目をつぶった。
夜明け前には雨がやみ、レネたちは夜も明けきらない早朝にジェゼロへ向けて出発した。
「お世話になりました。私は急ぎますので先に行かせてもらいます」
ゆっくりと歩く三人とは違い、ボフミルは旅慣れた足取りでさっさと先に進んで行った。
もみの木の葉に滴る雫が、徐々に昇ってきた朝日に照らされてキラキラと光る様子は幻想的だった。
いつもなら、そんな光景をはちきれんばかりの笑顔で眺めている少年の元気がない。
「アンドレイ、具合が悪いのか?」
足取りの重い主を心配して、デニスが様子を窺う。
「……大丈夫」
レネも振り返ってアンドレイの顔を覗くが、ぜんぜん大丈夫には見えない。目が朦朧として視線が定まっていない。額に手を当てるとはっとするくらい発熱していた。
「熱が出てる」
昨晩はくっついて寝ていたのに、途中から服を着たせいで体温の違いに気付かなかった。そんな自分の不甲斐なさにレネは歯噛みする。
熱が出ていると言われた瞬間に、張り詰めていた糸がプツンと切れたかのように、アンドレイの身体がぐらりと揺らいだ。
「おいっ⁉」
慌ててデニスがアンドレイを支える。
「こんな所でもたもたしてたら駄目だ。馬に乗ってジェゼロまでアンドレイを連れて行ってください」
旅先での発熱は気を付けなければいけない。こんな山の中なら尚更だ。悪化すれば肺炎を起こし命を落とすことも珍しくない。
「しかし、お前は? 一人じゃ危ないだろ。それに俺とアンドレイじゃ重すぎる」
デニスがレネの申し出に驚いたように反論する。
「今はアンドレイの心配だけしてろっ!」
ついつい地の口調が出てしまった。この二人と話す時はふだんより丁寧な言葉遣いをしていたが、それどころではなかった。
「お前……」
レネの迫力に気圧されたかのようにデニスが押し黙った。
「その馬は元軍馬です。ジェゼロまでなら男二人、相乗りしても大丈夫。ジェゼロへ着いたら鈴蘭通りにある[虹鱒亭]に行ってください。オレの名前を出せば色々世話してくれるはずだ。オレも後で行きます。荷物は貴重品以外オレに渡して、早く乗って行ってください!」
デニスはレネに追い立てられるように馬に乗り、前にアンドレイを抱えて離れないように紐でしばりつけた。
きっと[虹鱒亭]に行けば、カレルかロランドのどちらかがいるはずだ。後はあの二人がとりなしてくれるだろう。
「じゃあ気を付けて!」
『さあ行け』とばかりに、レネは馬の尻を叩いて送りだす。
「お前も無事に来るんだぞっ!」
デニスは後ろ髪を引かれるようにレネを振り返って叫んだ。
(あんたは、他人にまで世話を焼きすぎだ)
主のことだけ心配していればいいのに、いちいちレネまで気にするデニスの甘さをなじりながらも、悪い気はしなかった。
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