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1章 伯爵令息を護衛せよ
8 雨
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あれから急いだお陰で、日暮れ前までにシルニス村に着くことができた。
宿も無事に取ることができ、三人は部屋に荷物を運び一息ついた。
「まさか、襲われるなんてね……」
アンドレイは確実に自分を狙って男たちが襲って来たことにショックを隠せないようだった。
「デニスさん。ちょっと腕を見せてください」
レネは気になっていたことを口にする。
「えっ、どうしたの?」
アンドレイが不安そうにデニスを見る。
「大したことはない。ちょっと掠っただけだ」
デニスは怪我した左腕を、ずっとアンドレイから見えない側にして歩いていたので、アンドレイはその怪我に気付いていなかった。
レネは、荷物から度数の高い蒸留酒の小瓶を出すと、デニスの腕を取り傷の具合を確かめる。
「縫わなくてもいいかもしれないけど、消毒して手当てしましょう」
飲水をかけ清潔な布で傷を拭うと、今度は酒で消毒する。
「うわ……痛そう……」
アンドレイは見てられないとばかりに顔を背けた。
「お前、傷の手当てに慣れてるな……よくやるのか?」
デニスから意外だと言わんばかりの顔で尋ねられ、少し腹が立つ。
この男はレネが血を見たら卒倒するとでも思っていたのだろうか。
「まあ、いつも怪我ばっかりする人たちがいるんで」
適当にごまかして答えながら、布できつく縛り最後の仕上げをした。
「はい、できました」
レネは濡れた布巾で手を拭くと道具を片付ける。
こうしてなにか行動を起こすだけで、いろいろ詮索されて面倒だ。
害のない普通の青年を演じるのも難しい。
「ねえねえ、レネはふだんなにして暮らしてるの?」
(ああ……また面倒くさい質問がきた……)
レネは頭を抱えたくなる。
「……奉公人」
このまま二人と一緒に行動するには、正体を隠したままでいなければならない。
訊かれたらこう答えようと決めていた内容を口に出す。
「へぇーどっかのお屋敷勤めなの?」
「お屋敷ってほどの家じゃないよ。両親が死んでそこの家に拾われて、育ててもらったようなものだけどね」
嘘の中に少し真実を入れながら、レネは身の上話をしていく。
「そうなんだ。大変だったんだね」
「そんなことはないよ。孤児みたいに飢えることもなかったし、ちゃんと読み書きも習わせてくれたからね。旦那様には感謝してるよ」
(旦那様とかこそばゆい言葉使いたくねえな)
団長のバルナバーシュの顔を思い浮かべ、内心べーっと舌を出しながらも、レネは本心を語る。
「こんな話聞いても仕方ないでしょ? それよりお腹空いたから下の食堂行こうよ」
レネは話を切り上げると、さっさと荷物をまとめ二人を食堂に促した。
またカレルとロランドが接触してくるかもしれない。連絡を取り合うには、頻繁に人の出入りする場所が適当だ。それになにか新しい情報があったら耳に入れておきたかった。
そんなことを考えながら、オレンジ色のランプがぼんやりと照らす暗い廊下を歩いて行った。
ゆうべは結局カレルとロランドに会えぬまま食堂を後にした。
いつものようにアンドレイとデニスは、朝早くに宿で作ってもらった昼食の弁当を受け取り、レネは厩で預けていた馬を連れ出すと宿の入り口で合流する。
「宿の人が昼過ぎから雨が降るかもって言ってた。はい、これ」
アンドレイはそう言うと、溜息をつきながらレネに弁当を渡す。
「ありがと。雨か……」
クローデン山脈に厚い雲がかかっているのが見えた。
雨が降れば、ただでさえ亀みたいな歩みがもっと遅くなるだろう。それに視界が悪くなるので、また襲撃される危険もあった。
「ジェゼロに着いたらレネともお別れなんだね……」
寂しそうにアンドレイがつぶやくが、レネは苦笑いを浮かべる。
アンドレイの言う通り、予定では今日中にジェゼロへ着くはずだ。
当初レネはジェゼロで二人と別れる予定だったが、そのままポリスタブまで一緒に旅を続けなければいけない。
レネは頭を抱えた。
ジェゼロにいるはずの知人がポリスタブに行って、行き違ってしまったことにしろとカレルは言っていたが、果たして信じてくれるだろうか……。
途中で雨に降られたら到着も遅れるし、レネにとって面倒なことばかりが迫ってきた。
所々見える白い岩肌と、針葉樹の生い茂る間を縫うように走る街道を三人は足速に歩いている。あと一山越えればジェゼロという所で、ぽつんぽつんと雨粒が落ちてきて、いつの間にか本降りになっていた。
(この降り方は通り雨じゃないな……)
レネは雫が伝ってくる前髪を拭う。雨でぐっしょりと濡れた服がまとわりついてきて寒さと不快感も増してきた。
「——あとどれくらいで着くの?」
アンドレイは体力的に辛くなってくると、いつもこの質問をしてくるのでわかりやすい。
「あの山を越えたらジェゼロ」
レネは簡潔に答える。
「えーまだ先じゃん……」
完全にご機嫌斜めだ。
アンドレイが慣れない徒歩の旅に苦戦しているのをレネも感じていた。本人なりには頑張っているのだろうが、辛くなるとどうしても弱音が漏れる。
「デニスさん、どうします? ジェゼロにこのまま行くか、野宿するかの二択だと思いますが」
レネ一人だったら、間違いなくジェゼロに向かうの一択だが、アンドレイの体力の問題もあるしここはデニスに判断を任せよう。
「けっこう本格的に降ってきたな。気温も下がってきたし、どこか雨宿りができるところがあればいいが」
デニスはどこかいい場所はないかと辺りを見回す。
「あの岩と岩の間は?」
レネは二つの岩が重なり合ってできた隙間を指差す。三人と馬一頭が余裕で雨宿りできる空間がありそうだ。
「あそこなら火も焚けそうだな」
「人目に付きやすいのがちょっと気になりますけど」
街道からも近いし、火を焚いたら誰かいるのがすぐにわかる。
「誰か来たらすぐわかるし悪いことばかりじゃない」
「デニスも言ってるし、あそこでいいよ。早く行こう」
アンドレイはそんな心配より早く身体を休めたいのだろう、投げやりにものを言う。
幸いなことに、目的の場所は旅人たちの野宿の穴場になっているらしく、先人の焚き火の跡が残ったままで、乾いた薪も置いてあった。先にこれへ火を着けて、濡れた木を周りに置いておけば徐々に乾いて燃えるようになるだろう。
「よかった、火の心配はしなくていいみたい」
馬を雨のあたらない場所に繋ぐと、レネは皮の袋から火打石を取り出し火を付ける準備をする。
「濡れた服を乾かさないと風邪を引くな……レネ細いロープ持ってるか?」
「そこの袋の中にあるんで適当に使ってください」
レネは使いかけの薪で残っていた白樺の皮を剥いで火打石で着火させながら、デニスにわかるよう目線で袋を示す。
「僕はなにをすればいい?」
「アンドレイは、そこの袋から夜光石をランタンの中に入れて……デニスさんも夜光石持ってます?」
「ああ、あっちに入ってるから暗くなる前に準備しろ」
野営の経験がまったくないアンドレイは、ただ二人に言われるまま動くしかない。
デニスはあっという間に、岩の間から生えた木を上手く利用してロープを張った。
「火は着きそうか?」
「前の人が使ってた薪の残りがあったんで大丈夫です」
そう言いながらレネは、ふーふーと火に息を吹きかけ白樺の皮の中から火の粉を巻き上げさせる。
アンドレイもじっとその様子を見守った。
「あっ、ついた!」
白樺の皮の中から炎がぼわっと立ち上がると、アンドレイが目をキラキラと輝かせながら歓声を上げる。
(そうか、火おこしも初めてなんだ……)
レネは改めてアンドレイが伯爵家のお坊ちゃまであることを実感する。
ナイフで細く割った薪を次々と炎の中に投げ入れていくと、小さかった炎はどんどんと大きくなっていく。それを魔法でも見るかのようにアンドレイは眺めていた。
「唇が青くなってる。風邪引く前に服を脱いでここに掛けろ、レネお前も早く脱いだ方がいいぞ」
デニスは自分も服を脱ぎながら、レネの方をちらりと見る。
「濡れてるついでに、これだけじゃ足りないのでもう少し薪になる木を拾ってからにします」
一晩暖をとるならばもう少し薪が必要だ。
レネは手斧を片手に、降りしきる雨の中に再び戻った。
「薄暗くなってきたし気を付けろよ」
「ちょっとそこら辺をウロウロするだけですから大丈夫です」
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