菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

4 徒歩での旅

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 アンドレイとデニスは朝食を済ませると、旅人の道具を扱った店が軒を連ねる通りで必要な道具一式を揃えに行った。
 二人が買い物をしている間にレネは、馬に餌を与え荷物をその背に乗せる。

「カスタン、お前も思いっきり走りたいだろうけど、もう少し我慢しろよ」

 栗色の首筋を撫でて話しかけると、馬は「わかってる」とばかりにブルブルと鼻を鳴らした。


 再び合流し、レネは古着屋で買った質素な旅人の服に着替えた二人を観察した。
 育ちの良さは隠しきれていないが、アンドレイは一般人に見える。しかしデニスの容貌はどうしても目立ってしまう。
 褐色の肌にプラチナブロンドの組み合わせはドロステアでは珍しい。きっと南国大陸の血が混ざっているのだろう。地味で質素な服を着ても、あまり効果はなかった。それに武人特有の殺伐とした雰囲気が、より近寄り難い雰囲気を醸し出していた。

 チェストから西と北に分かれる街道を北へと進む。
 三人分の荷物を馬の背に乗せて、徒歩での旅だ。

 デニスとしては馬を買ってもよかったのだろうが、アンドレイは一人で馬に乗ることができない。長距離の二人乗りは馬に負担をかけるので、三人とも歩くことに決めたのだった。

「アンドレイはあまり歩くの慣れてないでしょ? 疲れたら馬に乗るといいよ。オレが手綱を持ってるから一人で乗っても怖くないし」

 レネが旅慣れないであろう少年に声をかける。

「大丈夫。僕だけ馬に乗るなんてできないよ」

 アンドレイは恥ずかしそうに苦笑いする。

(やっぱりちょっと強がってんのかな)

 レネは少年の心の内を思い、くすりと笑った。一番年少の自分が足をひっぱっていると思われたくないのだろう。もし自分がアンドレイだったとしても、同じように答えたかもしれない。
 

 左手にそびえるクローデン山脈を見ながら三人は順調に街道を北へと進んで行く。
 神殿を中心として作られた丘陵地帯の丘の上に小さな村が見えてくる。ぽつんぽつんと離れた農家の敷地にはアクセントのように濃い緑の糸杉が植えられていて美しい。

「綺麗な景色だね。いつも馬車に乗って通ってたから、こんなに小さな村があるなんて知らなかった」

 アンドレイは初めて見る景色に胸を躍らせている。
 それに対し、デニスはあんまりよけいなことを言うなとばかりに苦い顔をしている。
 いつも馬車で移動しているということは、やはりアンドレイはどこかいい所のお坊ちゃまなのだろう。
 レネは自分の推察が間違ってないと確信する。


 途中で宿が持たせてくれた弁当を食べ、三人は再び北へ向かって歩き始めた。

「レネは昨日泊まった宿の人と知り合いみたいだったけど、チャスタにはよく来るの?」

「何度かね。ジェゼロに知人がいるんだ」

 レネは自分が原因で厄介ごとに巻き込まれないよう、姉のことは一部の人間にしか教えていないので、まだ知り合ったばかりのアンドレイたちにわざわざ教えるつもりはない。

「へーそうなんだ。今日は歩いてどこまで辿り着けるかな?」

「夕方までに宿がある村にちょうど着けばいいんだけどな」

 すかさずデニスも口を挟む。

「だったら遠くに……ほら尖塔が見えるでしょ。あそこの村は比較的施設が整ってるから、宿屋も何件かあったと思いますよ」

「えー……あんな遠く、夕方までに歩いて行けるかな……」

「お前が行くって決めたんだからな、弱音を吐くなよ」

 デニスに釘を刺され、アンドレイは不満げに口を尖らせる。そんなやりとりは年の離れた兄弟みたいだ。
 レネは微笑ましい二人のやりとりにくすりと笑う。

 昨日デニスが宿に早馬を頼んで手紙を預けていたのを、レネはたまたま目撃した。早馬は高額で庶民が使えるものではない。後で宿の主人に尋ねてみたら、行き先はメストだと言っていた。
 アンドレイが貴族の子息だったとしたら、ことのあらましをアンドレイの父親へ伝えるために、多少値が張ってでも早馬で知らせを送ったのかもしれない。
 こうやって北へ向かって進んでいるということは、また何者かに襲われるのを覚悟でポリスタブまで行くと決めたのだろう。
 もしかしたら、アンドレイの父親が助け舟を出して来る可能性もある。早馬なら夜更けにはメストに知らせが届いているはずだ。今日あたりになにか動きがあるかもしれない。

「オレさー両親とももう死んでいないんだけど、アンドレイのご両親ってどんな人たち?」

 レネは探りを入れて見ることにした。

「えっ……僕の両親? おかあ……母親は僕が小さいころ亡くなって、父親が再婚して腹違いの弟がいるけど、ぜんぜん仲良くないよ。父親は僕のことなんてどうでもいいのさ……今回のことも助けてもらおうなんて思ってないし」

「へえー」

 だとしたら昨日のデニスの行動はアンドレイの意向と矛盾している。もしかしてデニスがこっそりと息子の動向を父親に知らせているのだろうか?
 デニスの方を見ると「よけいなことは訊くな」とばかりに苦い顔でこっちを睨んできた。

 たぶんレネの推測は間違っていない。


 日暮れ前までになんとか尖塔のある村、シェドナまで辿り着く。おしゃべり好きなアンドレイも、相当疲れていた様で最後の方は無言だった。

 近くの山の岩肌と同じクリーム色の石で建てられた家々、濃い灰色のスレート石の屋根が特徴的だ。尖塔のある神殿を中心に村が形成されている。

 昨日よりも早い時間だったため、宿も部屋を確保することができた。

「安宿だが屋根がある所で眠れるだけマシか……」

 デニスは扉を開けて部屋を見回す。
 昨日の宿に比べたら随分と質素な作りだ。部屋の壁が薄いのか、隣の客の声がこちらにまで聞こえてくる。

 荷物を置いて貴重品だけ取り出すと、夕食のためにギィギィと鳴る階段を下り食堂へと向かった。
 一階の食堂は村の居酒屋も兼ねているのか、人でいっぱいだ。

「うわ……」

 たくさんのビールジョッキを乗せた丸盆を、軽々と片手で持った豊満な女が席の間をすいすいと進んでいく。
 アンドレイは初めて見る大衆居酒屋の雰囲気に圧倒されていた。
 空いた場所を見つけて三人は席につくが、チラチラと視線を感じる。
 そのせいか、アンドレイはソワソワと居心地が悪そうにしている。

「ここ鹿がお勧めみたいだよ。でも兎も捨て難いな……」

 レネはカウンターの黒板に書いてあるメニューを見ながら、戸惑っているアンドレイに話しかける。

「うん……」

 アンドレイはまだ落ち着かない感じだ。

「お前は居酒屋なんて初めてだもんな。適当に好きな料理を頼んで、みんなで分けて食べるんだ」

「でも、なんで僕たち見られてるの?」

 不思議そうにアンドレイはキョロキョロと周りを見回す。

「そりゃあ、こいつがフード被ってないからだろ」

 デニスはレネを指さして告げる。
 なぜ自分のせいなのだ。

「え? デニスさんが怖い顔で周りを威圧するからじゃないんですか?」

 納得いかずに言い返すと、デニスは片方の頬を引き攣らせる。
 さっきから凄い形相でデニスが周りの客を威圧するので、悪目立ちして迷惑だと思っていたのだ。

「俺の親切をなんだと思ってる……一度怖い目に遭わないとわかんないのか?」

「は?」

(さっきから偉そうになに言ってんのこの人、オレがなんかしたのかよ……?)

 レネはますますわけがわからなくなってくる。

「僕が原因じゃないならいいや……子羊のローストも美味しそうだな」

 自分が関係してないことわかるとアンドレイは落ち着きを取り戻し、睨み合う二人をおいて夕食選びに集中した。

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