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49.ダリアの魔の手
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薄暗い室内。窓もなく、出入り口であろう扉がひとつだけあるだけの不気味な部屋。
地面に転がる人――アシェラはじろりと目の前の人物を睨みあげた。後ろ手に縛られて完全に身動きの取れない彼女は、それでも心は折れていないようだ。
「こんなことをして、何が目的なの」
瞬間、アシェラの目の前に立っている人物であるダリアは、義妹だった少女の頭に足を振り下ろした。「うっ」と苦しそうに床へと強く顔を擦り付けられたアシェラが唸る。ダリアが履いているのはヒールの高い靴のため、後頭部に刺さる靴底も痛いだろう。
「いつ私が口を聞くことを許可したかしら?」
「うぅ…」
残虐な笑みを浮かべたダリアがひとしきりアシェラの頭を踏みつける。やがて満足したのか彼女は足を下ろした。アシェラは何も言わない。
「そうそう、あんたの王子様は助けに来ないわよ。今頃自分の国にいるお姫様の傍にいるんじゃないかしら。あんな事件があったんだし、しばらくは離れられないでしょうね」
「………まさかダリア、あなたあの事件に関わっているの…?」
ダリアは何も言わない。ただ口角が弧を描き、笑みをその顔に形作った。
「何てことを…!」
「うるさいわ」
再びダリアがアシェラの頭を踏みつける。何度も何度も。
アシェラは歯を食いしばってただ耐えていた。
「あんたまだ私にそんな口を聞くなんて生意気ね。誰かが助けに来てくれるとでも思っているのかしら」
「………」
「誰も来ないわよ。いいえ、来られないわよ。お姫様の護衛に、あんたのオトモダチは駆り出されているから」
「………っ」
「でも当たり前よねぇ、使えるかも分からないあんたなんかより、確実に国のために働いてくれているお姫様の方が大事だものねぇ?」
視界が暗転した。
瞬きを数回繰り返して、ようやく線を結んだ目の前にある光景は、自分の家の天井だ。浮かんでいた額の冷や汗を乱暴に拭い、横たわっていたベッドから起き上がる。
似た光景を何度視ただろう。研究所であの未来を視てから、わたしは情報を得るべく何度も力を使っていた。ただ今のところ、例の何もない部屋に拘束された自分がいて、目の前のダリアに暴力を振るわれているような胸糞悪い光景しか覗けていない。残念ながらまだ有力と言える情報は掴めていなかった。
覚束ない足取りで台所に移動し、水をあおった。冷たい水が喉を抜けていく感覚に、少しずつ重い頭がはっきりしてくる。
「(王子様って、ルクリオス殿下のことだよね…彼は、お姫様の傍にいるって言っていた…)」
この国にはルクリオス殿下の他には彼の兄である第一王子様がいるだけだと聞いている。今は外交に出ているそうなので国にはいないそうだ。わたしの記憶が確かならば、お姫様と呼ばれるような立場の王族はいないはずだ。
他にダリアは何と言っていただろう。お姫様を指して、「確実に国のために働いてくれている」と言っていなかっただろうか。
「(殿下やみんなが護衛に付くような、国にとって重要な人物…今現在、国のために働いている女性…)」
思い当たる人物がひとりだけいる。
「まさか…シェルディさんの身に、何か起きるってこと…?」
そう考えるのと同時、ジリリ、と扉のベルが鳴った。
「シェルディ嬢ならすでに門の中だけど?」
そう言って、門―レフィルト国の正面玄関―の入口で待機していたラウレルは訝し気に首を傾げた。
あの後、わたしはすぐに今日の仕事に来てくれたガラットにすべて話した。シェルディさんが危ないという話をすれば、彼は顔色を変えた。妹の話なのだから当然だろう。すぐに彼女の元に行きたいというわたしの主張に、ガラットは頷いてくれた。
ただシェルディさんは今日はすでに外出中とのことで、出先にわたしたちは来ていた。それがこの門というわけだ。
ラウレルに詰め寄っていたガラットは舌打ちして、そのまま中に入ろうとする。が、彼の前をラウレルが塞いだ。
「どけ!」
「ダメだよ。今中ではシェルディ嬢が魔法を注いでいるところだよ? 彼女のこの行動がないと、門が役割を果たせなくなるでしょ。ていうかそもそも、君らすでに立入禁止の場所に入ってきているからね?」
シェルディさんは今日、門に設置されている『魔道具』に魔法を込めるためにここまで足を運んでいるらしい。彼女の力を応用して不審者を入り口で炙り出すという仕組みだと聞いている。そんな重要な役が、彼女が込めた力がなくなってしまうと機能しなくなってしまうとかで…今日のように、シェルディさんは定期的に門へと足を運んでいるそうだ。
「今そんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ!」
「何ガラット、随分妹さんが心配なんだね? 今までの反動でシスコンになっちゃったのかな?」
「お前…」
「ガラット、落ち着いて」
今にも殴りかからんばかりに顔を歪めるガラットを、わたしは慌てて止めた。できれば騒ぎにはしたくない。シェルディさんに事件が起きるのが今日なのか定かではない以上、今後の動きに制限が設けられるような事態は避けたかった。今はあくまでも、彼女自身と接触して未来を視させてもらいたいのだ。そうすればより正確な発生時期や内容が分かるだろうから。
「あれガラット、もうこの子に手綱握られちゃってるの?」
「煽るような真似をして何がしたいの?」
ニヤニヤと笑うラウレルに、わたしは不快感を隠さずに言った。ガラットは血管が浮き出るほど拳を握り締めていた。彼も騒ぎを大きくするのが得策ではないのが分かっているのだろう、どうにか抑えているようだ。
険しい表情のわたしたちとは対照的に、ラウレルはきょとんとした表情を浮かべる。
「え? ボクとしては事実を告げただけなんだけどな。怒らせちゃったならごめんね」
「…いいから、そこどいてくれる?」
「それはできないよ。シェルディ嬢の仕事が終わるまで誰も通さないこと。これがボクの役割だからさ」
「その守る対象が危険かもしれないと言っても?」
「危険? それはないよ。今この中にはシェルディ嬢と彼女の護衛しかいない。しかも護衛は5人だよ。万全の警備体制でしょ?」
彼も自身の役目を譲るつもりはないようだ。
ガラットがいれば力づくで押し入ることも不可能ではないが、そうなれば間違いなくこちら側が不利な状況に陥るだろう。今日確実に事件が起きると確証があれば別だけれど、生憎とそこまでの未来は視えていなかった。
「(わたしの力はそう安定した未来が視えるわけではないから、あのダリアとのやり取りが近いうちに起こる保証はない…)」
そう考えれば、シェルディさんの身に何か起きるのも遠い未来の可能性はある。
それでも、こうしてガラットを急かしてここまで来たのは、わたしが急ぐ必要があると感じたからだった。どうしても胸騒ぎが収まらないのだ。
―――こういう時のわたしの勘は、残念ながらよく当たる。
「ラウレル、あなた初めて会ったとき、わたしのことが気に食わない様子だったでしょう?」
「気に食わない、は語弊があるかな。都合がよすぎてあり得ない。だから信じられなかった、が正しいよ」
彼はあの爆弾事件の日、「即位記念祭に『未来視の魔法使い』が現れるなんて、そんなできた話があるわけないでしょ」と鼻で笑った。
「でも事実だった」
「そうだね、申し訳なかったよ」
「今回も同じようにあなたの一存で決めてしまって、もしあの時のように事件が起きたら―――問題になるんじゃないの?」
薄い笑みを浮かべていた彼の口元が反応するのが見えた。
力づくが無理ならば。向こうから引いてもらうようにするだけだ。
「…それって脅しかな?」
「どうとでも。わたし、前回はあなたのことを話していないの。誰にも聞かれなかったというのもあるけれど…急に言われても信じられないあなたの気持ちも理解できたし、事件は解決したからわざわざ蒸し返すことでもないと思って。でもまた今回も同じ人物に、同じような理由で拒まれたことで厄介事に発展するなら…その時は口が滑っちゃうかもね?」
にっこりと渾身の笑顔を浮かべてやれば、ガラットが後ろで「こえー」と小声で呟くのが聞こえた。今はラウレルとの微笑みの睨み合いで忙しいので聞かなかったことにする。
折れたのはラウレルの方だった。
「はあ、君って顔に似合わず意外と良い性格してるよねぇ。分かった、ボクの負けだよ」
「どうもありがとう」
「あ、ちょっと待って。行くならボクも入るよ。さすがに誰かを通すなら見張らせてもらわないと、後でボクが怒られる」
「え、でもそれだと入口に誰もいなくなるんじゃないの?」
「シェルディ嬢が守れれば良いから、本人の近くにいれば問題ないでしょ。ていうか君たちを通す時点でボクが怒られるのは確定事項なんだよ。それならより言い訳がきくようにしたいだけ」
中に入れた第三者は見張って安全は確保していた状態でした、の方がまだマシでしょ。
警備のことはよく分からないけれど、彼が良いと言うならそれで良いのだろうか。ガラットを見れば彼も頷いている。
「分かった。それじゃあ三人で入りましょう」
内部の事情はよく分からないけれど、ラウレルがそうしたいというなら拒む理由はない。ガラットが先頭に立って扉に手をかける。わたしはその後ろに、さらに後ろにラウレルが続いた。
今日はシェルディさんの訪問があるため、門の周辺は基本的に関係者以外立入禁止になっている。いつもなら人々の喧騒が聞こえてくるような場所だけれど、今日だけは他の人の声が聞こえないくらい静かなものだ。
ギギギ、と鉄の扉が重い音を立てて開いていく。
―――瞬間、視界がブレて切り替わった。
門の内部の構造はシンプルなもので、石造りの壁と上へと続く螺旋階段があるだけだった。その螺旋階段の一段目に足をかけたのと同時だっただろうか。
何かが背後で叩きつけられる音がした。
まるでビーズがいっぱいに詰め込まれた袋を、高い所から落としたかのような音。恐る恐る振り向けば…
視界が戻ってくる。同時に動悸と眩暈に襲われる。耐えきれずよろければ、後ろにいるラウレルに「どうかした」声を掛けられ、前にいるガラットが振り向いた。心配そうな彼らには悪いけれど、気にしている余裕がない。
喉が引きつって上手く言葉が出てこない。それでも何とか顔を上げて、口を開いた。
「ガラット! う、うえ、上から、人が降ってくる!」
「は!?」
「警備隊の、制服を着ている人…! 受け止めて!」
我ながら無茶を言ったと思う。それでもそんなことを気にしている余裕がなかった。
ガラットは慌てて室内へと振り返り、上を見上げて――螺旋階段の終着点近くで影が揺れたのを見た。
「くそっ!」
大きく悪態をつきながら彼が地面を蹴る。同時にその影が宙へと投げ出された。その影――人は、真っ直ぐに下へと落ちていく。
その落下地点へと身を滑り込ませたガラットは、何とかその人を受け止めた。
「ひゅー、さすがガラット」
後ろで場違いにも暢気な声をあげるラウレルに構っている暇はなかった。何とか自身の不調を鎮めてガラットに駆けよれば、彼は顔を歪めながらも「大丈夫だ」と頷いてくれた。彼の腕の中を見てみれば、警備隊の制服を着た女性がぐったりとしている。完全に気を失っているようだが、きちんと呼吸している。良かった、助けられた。いや、正確にはガラットが助けてくれた。
ほっと息をつくわたしの横で、いつの間にか近づいて来ていたラウレルが息を呑む気配がした。
「……シェルディ嬢の護衛のひとりだ」
思わず口元を手で覆った。
ああ、どうしてこういう時のわたしの勘ってこうも当たるのだろう。シェルディさんにダリアの魔の手が伸びるのは、まさに今日なのだ。
地面に転がる人――アシェラはじろりと目の前の人物を睨みあげた。後ろ手に縛られて完全に身動きの取れない彼女は、それでも心は折れていないようだ。
「こんなことをして、何が目的なの」
瞬間、アシェラの目の前に立っている人物であるダリアは、義妹だった少女の頭に足を振り下ろした。「うっ」と苦しそうに床へと強く顔を擦り付けられたアシェラが唸る。ダリアが履いているのはヒールの高い靴のため、後頭部に刺さる靴底も痛いだろう。
「いつ私が口を聞くことを許可したかしら?」
「うぅ…」
残虐な笑みを浮かべたダリアがひとしきりアシェラの頭を踏みつける。やがて満足したのか彼女は足を下ろした。アシェラは何も言わない。
「そうそう、あんたの王子様は助けに来ないわよ。今頃自分の国にいるお姫様の傍にいるんじゃないかしら。あんな事件があったんだし、しばらくは離れられないでしょうね」
「………まさかダリア、あなたあの事件に関わっているの…?」
ダリアは何も言わない。ただ口角が弧を描き、笑みをその顔に形作った。
「何てことを…!」
「うるさいわ」
再びダリアがアシェラの頭を踏みつける。何度も何度も。
アシェラは歯を食いしばってただ耐えていた。
「あんたまだ私にそんな口を聞くなんて生意気ね。誰かが助けに来てくれるとでも思っているのかしら」
「………」
「誰も来ないわよ。いいえ、来られないわよ。お姫様の護衛に、あんたのオトモダチは駆り出されているから」
「………っ」
「でも当たり前よねぇ、使えるかも分からないあんたなんかより、確実に国のために働いてくれているお姫様の方が大事だものねぇ?」
視界が暗転した。
瞬きを数回繰り返して、ようやく線を結んだ目の前にある光景は、自分の家の天井だ。浮かんでいた額の冷や汗を乱暴に拭い、横たわっていたベッドから起き上がる。
似た光景を何度視ただろう。研究所であの未来を視てから、わたしは情報を得るべく何度も力を使っていた。ただ今のところ、例の何もない部屋に拘束された自分がいて、目の前のダリアに暴力を振るわれているような胸糞悪い光景しか覗けていない。残念ながらまだ有力と言える情報は掴めていなかった。
覚束ない足取りで台所に移動し、水をあおった。冷たい水が喉を抜けていく感覚に、少しずつ重い頭がはっきりしてくる。
「(王子様って、ルクリオス殿下のことだよね…彼は、お姫様の傍にいるって言っていた…)」
この国にはルクリオス殿下の他には彼の兄である第一王子様がいるだけだと聞いている。今は外交に出ているそうなので国にはいないそうだ。わたしの記憶が確かならば、お姫様と呼ばれるような立場の王族はいないはずだ。
他にダリアは何と言っていただろう。お姫様を指して、「確実に国のために働いてくれている」と言っていなかっただろうか。
「(殿下やみんなが護衛に付くような、国にとって重要な人物…今現在、国のために働いている女性…)」
思い当たる人物がひとりだけいる。
「まさか…シェルディさんの身に、何か起きるってこと…?」
そう考えるのと同時、ジリリ、と扉のベルが鳴った。
「シェルディ嬢ならすでに門の中だけど?」
そう言って、門―レフィルト国の正面玄関―の入口で待機していたラウレルは訝し気に首を傾げた。
あの後、わたしはすぐに今日の仕事に来てくれたガラットにすべて話した。シェルディさんが危ないという話をすれば、彼は顔色を変えた。妹の話なのだから当然だろう。すぐに彼女の元に行きたいというわたしの主張に、ガラットは頷いてくれた。
ただシェルディさんは今日はすでに外出中とのことで、出先にわたしたちは来ていた。それがこの門というわけだ。
ラウレルに詰め寄っていたガラットは舌打ちして、そのまま中に入ろうとする。が、彼の前をラウレルが塞いだ。
「どけ!」
「ダメだよ。今中ではシェルディ嬢が魔法を注いでいるところだよ? 彼女のこの行動がないと、門が役割を果たせなくなるでしょ。ていうかそもそも、君らすでに立入禁止の場所に入ってきているからね?」
シェルディさんは今日、門に設置されている『魔道具』に魔法を込めるためにここまで足を運んでいるらしい。彼女の力を応用して不審者を入り口で炙り出すという仕組みだと聞いている。そんな重要な役が、彼女が込めた力がなくなってしまうと機能しなくなってしまうとかで…今日のように、シェルディさんは定期的に門へと足を運んでいるそうだ。
「今そんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ!」
「何ガラット、随分妹さんが心配なんだね? 今までの反動でシスコンになっちゃったのかな?」
「お前…」
「ガラット、落ち着いて」
今にも殴りかからんばかりに顔を歪めるガラットを、わたしは慌てて止めた。できれば騒ぎにはしたくない。シェルディさんに事件が起きるのが今日なのか定かではない以上、今後の動きに制限が設けられるような事態は避けたかった。今はあくまでも、彼女自身と接触して未来を視させてもらいたいのだ。そうすればより正確な発生時期や内容が分かるだろうから。
「あれガラット、もうこの子に手綱握られちゃってるの?」
「煽るような真似をして何がしたいの?」
ニヤニヤと笑うラウレルに、わたしは不快感を隠さずに言った。ガラットは血管が浮き出るほど拳を握り締めていた。彼も騒ぎを大きくするのが得策ではないのが分かっているのだろう、どうにか抑えているようだ。
険しい表情のわたしたちとは対照的に、ラウレルはきょとんとした表情を浮かべる。
「え? ボクとしては事実を告げただけなんだけどな。怒らせちゃったならごめんね」
「…いいから、そこどいてくれる?」
「それはできないよ。シェルディ嬢の仕事が終わるまで誰も通さないこと。これがボクの役割だからさ」
「その守る対象が危険かもしれないと言っても?」
「危険? それはないよ。今この中にはシェルディ嬢と彼女の護衛しかいない。しかも護衛は5人だよ。万全の警備体制でしょ?」
彼も自身の役目を譲るつもりはないようだ。
ガラットがいれば力づくで押し入ることも不可能ではないが、そうなれば間違いなくこちら側が不利な状況に陥るだろう。今日確実に事件が起きると確証があれば別だけれど、生憎とそこまでの未来は視えていなかった。
「(わたしの力はそう安定した未来が視えるわけではないから、あのダリアとのやり取りが近いうちに起こる保証はない…)」
そう考えれば、シェルディさんの身に何か起きるのも遠い未来の可能性はある。
それでも、こうしてガラットを急かしてここまで来たのは、わたしが急ぐ必要があると感じたからだった。どうしても胸騒ぎが収まらないのだ。
―――こういう時のわたしの勘は、残念ながらよく当たる。
「ラウレル、あなた初めて会ったとき、わたしのことが気に食わない様子だったでしょう?」
「気に食わない、は語弊があるかな。都合がよすぎてあり得ない。だから信じられなかった、が正しいよ」
彼はあの爆弾事件の日、「即位記念祭に『未来視の魔法使い』が現れるなんて、そんなできた話があるわけないでしょ」と鼻で笑った。
「でも事実だった」
「そうだね、申し訳なかったよ」
「今回も同じようにあなたの一存で決めてしまって、もしあの時のように事件が起きたら―――問題になるんじゃないの?」
薄い笑みを浮かべていた彼の口元が反応するのが見えた。
力づくが無理ならば。向こうから引いてもらうようにするだけだ。
「…それって脅しかな?」
「どうとでも。わたし、前回はあなたのことを話していないの。誰にも聞かれなかったというのもあるけれど…急に言われても信じられないあなたの気持ちも理解できたし、事件は解決したからわざわざ蒸し返すことでもないと思って。でもまた今回も同じ人物に、同じような理由で拒まれたことで厄介事に発展するなら…その時は口が滑っちゃうかもね?」
にっこりと渾身の笑顔を浮かべてやれば、ガラットが後ろで「こえー」と小声で呟くのが聞こえた。今はラウレルとの微笑みの睨み合いで忙しいので聞かなかったことにする。
折れたのはラウレルの方だった。
「はあ、君って顔に似合わず意外と良い性格してるよねぇ。分かった、ボクの負けだよ」
「どうもありがとう」
「あ、ちょっと待って。行くならボクも入るよ。さすがに誰かを通すなら見張らせてもらわないと、後でボクが怒られる」
「え、でもそれだと入口に誰もいなくなるんじゃないの?」
「シェルディ嬢が守れれば良いから、本人の近くにいれば問題ないでしょ。ていうか君たちを通す時点でボクが怒られるのは確定事項なんだよ。それならより言い訳がきくようにしたいだけ」
中に入れた第三者は見張って安全は確保していた状態でした、の方がまだマシでしょ。
警備のことはよく分からないけれど、彼が良いと言うならそれで良いのだろうか。ガラットを見れば彼も頷いている。
「分かった。それじゃあ三人で入りましょう」
内部の事情はよく分からないけれど、ラウレルがそうしたいというなら拒む理由はない。ガラットが先頭に立って扉に手をかける。わたしはその後ろに、さらに後ろにラウレルが続いた。
今日はシェルディさんの訪問があるため、門の周辺は基本的に関係者以外立入禁止になっている。いつもなら人々の喧騒が聞こえてくるような場所だけれど、今日だけは他の人の声が聞こえないくらい静かなものだ。
ギギギ、と鉄の扉が重い音を立てて開いていく。
―――瞬間、視界がブレて切り替わった。
門の内部の構造はシンプルなもので、石造りの壁と上へと続く螺旋階段があるだけだった。その螺旋階段の一段目に足をかけたのと同時だっただろうか。
何かが背後で叩きつけられる音がした。
まるでビーズがいっぱいに詰め込まれた袋を、高い所から落としたかのような音。恐る恐る振り向けば…
視界が戻ってくる。同時に動悸と眩暈に襲われる。耐えきれずよろければ、後ろにいるラウレルに「どうかした」声を掛けられ、前にいるガラットが振り向いた。心配そうな彼らには悪いけれど、気にしている余裕がない。
喉が引きつって上手く言葉が出てこない。それでも何とか顔を上げて、口を開いた。
「ガラット! う、うえ、上から、人が降ってくる!」
「は!?」
「警備隊の、制服を着ている人…! 受け止めて!」
我ながら無茶を言ったと思う。それでもそんなことを気にしている余裕がなかった。
ガラットは慌てて室内へと振り返り、上を見上げて――螺旋階段の終着点近くで影が揺れたのを見た。
「くそっ!」
大きく悪態をつきながら彼が地面を蹴る。同時にその影が宙へと投げ出された。その影――人は、真っ直ぐに下へと落ちていく。
その落下地点へと身を滑り込ませたガラットは、何とかその人を受け止めた。
「ひゅー、さすがガラット」
後ろで場違いにも暢気な声をあげるラウレルに構っている暇はなかった。何とか自身の不調を鎮めてガラットに駆けよれば、彼は顔を歪めながらも「大丈夫だ」と頷いてくれた。彼の腕の中を見てみれば、警備隊の制服を着た女性がぐったりとしている。完全に気を失っているようだが、きちんと呼吸している。良かった、助けられた。いや、正確にはガラットが助けてくれた。
ほっと息をつくわたしの横で、いつの間にか近づいて来ていたラウレルが息を呑む気配がした。
「……シェルディ嬢の護衛のひとりだ」
思わず口元を手で覆った。
ああ、どうしてこういう時のわたしの勘ってこうも当たるのだろう。シェルディさんにダリアの魔の手が伸びるのは、まさに今日なのだ。
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