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37.リオス

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 一瞬何を言われたのか分からなかった。
 この場面で出てくることを予想していなかった単語が聞こえてきたことに驚いてしまって。

「…なん、で…どうして、おばあちゃんの名前…?」

 あなたが知っているんですか。恩返しって何ですか。
 言いたいことは色々あるのに、言葉が詰まって出てこない。ルクリオス殿下は驚くわたしが落ち着くのを待ってから、全部話してくれた。


 かつて未来視の魔法使いがレフィルト国を救ったこと。とある事情―詳細はどうしても語れないと言われたので聞いていない―からその力が欲しくて、その魔法使いを探し出して会いに行ったこと。そこで、その魔法使いが自身の生き方に影響を与えてくれたこと。
 ―――その魔法使いこそが、マーサ・シプトン。わたしの祖母であること。

「マーサ殿には国としても、オレ個人としても恩があるんだ。彼女に会わなければ、オレは自分の意見を押し付けるような…魔法使いに国のために尽くすよう、強制するような人間になっていたかもしれない。幼いオレに根付いていた考えを変えてくれた人だ。だから彼女に返せなかった分、彼女の家族だという君に手を貸そうと思ったんだ」

 説明された内容があまりにも壮大で、整理することに必死だった。
 おばあちゃんがまさかレフィルト国と関わりがあったことも、ルクリオス殿下がわざわざかつて住んでいたあの家に訪れておばあちゃんと会っていたことも。衝撃の事実としか言えないような内容ばかりだったのだけれど。

「おばあちゃん、本当の本当に『偉大なる魔女』だったんですね」

 話を聞き終えて、真っ先にわたしの口から飛び出してきたのはそんな言葉だった。わたしの憧れの人が、わたしの目指す目標が、とんでもなく高いところにいることが分かって思わず笑ってしまった。場違いだと思うけれど、その事実が嬉しかった。口角がどうしても上がってしまって、だらしなくにやけてしまう。
 おばあちゃんは、わたしの手が届かないくらい間違いなくすごい人だった。

「…ああ、マーサ殿は偉大な方だったよ」
「雨や子供の悪戯を予知してばかりじゃなかったんだ」
「それも素敵な魔法の使い方だと思うけどな」

 ひとしきりわたしがにやけた後、ルクリオス殿下は「意外だな」と表情を引き締めた。

「正直もっと動揺すると思っていたよ」
「これでもだいぶ驚いていますよ。ただ事前に少し聞いていたので、想像できていた部分もあったというか」
「事前に?」
「はい。時計台で会った警備兵に、未来視の魔法使いがこの国の政策を変えたって聞いたんです。その時になんとなく、おばあちゃんのことかなって」
「そうだったのか」

 おばあちゃんの話を聞いた後なら、あのラウレルとかいう警備兵が「どこの小説だよ」なんて鼻で笑った理由が何となく分かった。いや理解はできても当事者としては腹が立つのだけれど。

「(でもそっか。この人がわたしに優しくしてくれていたのは…おばあちゃんのためだったのか)」

 ルクリオス殿下の話を聞いて、彼の今までの行動が腑に落ちると同時に少し胸が痛んだ。彼はおばあちゃんへの義理を立てて、もう本人には返せないからと血縁者であるわたしに良くしてくれていた。わたしが特別だったわけではない。
 というか、それ以前に。

「(いっそ、アシェラ個人として見てくれたことってあったのかな…)」

 おばあちゃんの代わりではなく、わたし自身を。
 そう聞いてしまいたい気持ちをぐっと抑え、喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込んだ。この国の王子であるお方に、一個人として見てほしいなどわがままを通り越して不敬に当たる。

「お話してくださって、どうもありがとうございました」
「いや、遅くなって悪かった。……その、できればこれからも、前みたいに…」
「ルクリオス殿下」

 不敬だなんだと気にしながら、思わず彼の言葉を遮るように声を出してしまった。何となく彼が何を言おうとしているか分かってしまったからだ。
 これこそ失礼な言動だけれど、どうしてもそれ以上先は聞くことができなかった。彼から懇願されてしまえば、わたしは断れる自信がなかった。わたしも、本音では「リオスさん」と何も知らずに呼んでいた頃のままでいたかったから。

 前みたいに。彼と出会ってからの日々のように、もう過ごすことはできない。彼の優しさに甘えて、彼自身はもちろん、彼の周りにいる人たちに守られ支えられてきた。言われるままこの場所に身を置き続けたのは、ひとえにわたしが楽な方に流されてきたからだ。このぬるま湯のような環境が、居心地が良かったとも言うだろう。
 もしこんな甘ったれた姿を見られたら、義母とダリアに嘲笑われてしまう。「ほらやっぱりあんたは自分ひとりじゃ何もできないのよ」と。あの人たちを反面教師にして、自分ひとりでも立派に夢を追って生きてやると決めていたのに。
 大きく息を吸い込んで吐いた。大丈夫だ。―――きちんと、お別れできる。
 頭を下げた。感謝を伝えたかったのもあるけれど、顔を見ると言葉が出てこなくなりそうで。視線をシーツの上で組んだ両手に向ける。

「セントラムから今までずっと助けてもらって、感謝してもしきれません。あなたがいなければ、わたしはこの国で途方に暮れていたかもしれません。あなたはおばあちゃんに恩があると言っていたけれど、わたしからすればあなたこそ恩人です」

 「アシェラ…?」呆然としたような声が上から降ってくる。声色が悲しそうに聞こえるのはわたしの願望かもしれない。
 ぐっ、と唇を噛みしめてからどうにか顔を上げた。必死に笑みを顔に貼り付けながら。

「警備隊の件、本隊員としての所属は難しいですが、わたしの力が必要になったらいつでも声をかけてください。頑張って恩返ししますから。それこそ、クロエちゃんみたいな補助員であれば所属しますよ」

 彼は何も言わない。表情からは何を考えているのか読み取れなかった。

「…でも、これからは自分の力で生きていきます。夜が明けたらこのお家からは失礼しますね」

 彼が目を見開く。手が僅かに持ち上がったように見えたが、何をするでもなくそのまま力なく下に落ちた。
 引き留めてくれるかもしれない、などとこの期に及んで一瞬嬉しく思った自分に嫌悪感が湧く。もしそうだとして、頷く選択肢などないのに。
 これ以上傍にいたら彼に対する想いがもっと膨らんでしまう。一国の王子である彼に…絶対に手が届かない相手に、叶うはずのない想いを抱え続けるのは、苦しいだろうから。

「―――――ありがとうございました、リオスさん」

 今、わたしは果たして笑えているだろうか。彼の前だと、得意だったはずの感情や表情の制御がうまくできない。不格好な、いっそとんでもなく不細工な顔になっているかもしれないけれど。
 でも、どうしても今できる精一杯の笑顔で今までの幸せな日々と――そんな幸せをくれた…好きだった『リオスさん』と決別したかった。



 その後何かルクリオス殿下と話はしたのだけれど。正直余裕がなくてあまり記憶がない。
 とにかくその翌日、リリーさんにも挨拶してからわたしは宣言通りお世話になっていた家を後にした。


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