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4.リンベル酒場
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義母とダリアの鼻っ面をへし折ることに成功したが、唯一の誤算はドレスから着替える時間がなかったことだろう。本当は動きやすい服装に着替えてから出てくるつもりだったが、義母が玄関で待ち受けていたために部屋に戻ることができなかった。あの屋根裏部屋に残してきたのは着替えくらいだから特に問題はないのだけれど、目立つドレス姿で街中を歩かなければならなかったのはとても恥ずかしかった。
「だからあんなひらひらした恰好で店に飛び込んできたのかい」
カウンターを挟んだ向こう側で豪快に笑う女性を、椅子に座っているわたしは恨めし気に見上げた。
「そんなに笑わないでくださいよ、リンさん…」
「悪い悪い。ほら、これサービスしてやるからそんなふくれっ面するんじゃないよ」
とん、と目の前に置かれたアイスクリームに、わたしは一瞬で機嫌を直して「ありがとうございます!」とスプーンを握りしめた。美味しい物の前ではプライドなんかどうでも良い。
わたしが今いるのはリンベル酒場。半年前からこっそり働かせてもらっている大衆酒場だ。そこの店主であるリンさんは若くして旦那さんを亡くしながらも決して悲嘆にくれることはなく、女手一つで子供を育てながら旦那さんとの思い出の酒場を守っている女傑である。
元々イリシオス家に絶縁宣言をしたらこの酒場に来る算段ではあったのだが、ひっそりこっそり、目立たないように酒場に訪れるという計画はわたしの恰好で台無しになった。平民街でひらひらギラギラのドレスなんか着ていたら、わたしに注目してください!と言っているようなものだろう。実際何回かスリや強盗に狙われる『未来を視た』が、どうにか現実になる前に避けきった。頑張った自分を褒めてあげたい。
「あのひらひら服どうするんだい?」
「捨てて行きますよ。荷物になりますからね」
「えー! あんな素敵な服なのに!?」
横から飛んできた素っ頓狂な声に、スプーンをくわえたまま振り返る。お盆を胸の前で抱えて、信じられないと言った顔でこちらを見ている少女と目が合った。
「…ベルちゃんが欲しければあげようか? おさがりのおさがりで申し訳ないけれど」
少女、ベルちゃんはリンさんの娘だ。3つ年下の彼女にはまだサイズが合わないだろうが、そのうち着られるようになるだろう。
「いいのアシェラ姉!?」
「そうだよアシェラ。あの服、相当良い生地だろう? 売れば結構なお金になるんじゃないのかい?」
「そうだと思いますよ。あのダリアが一級品以外買うはずないでしょうし」
「なら猶更あんたが持ってお行きよ。これからお金が入用だろう?」
「いいえ。わたしが持って行ったところでどこかで捨てて行くだけですよ。売ってお金にするなんて、ダリアに借りを作るようでムカつくので」
ダリアにはわたしの物を奪われ壊されと散々されてきたから、ドレスの一着くらい今までの仕打ちを考えれば足しにもならないだろう。しかしわたしとしては、「ダリアが役に立った」などと欠片でも感じるような行動は絶対にしたくなかった。
「それに、リンさんとベルには今までとってもお世話になりましたし。偶然のような形ですみませんが、お礼のひとつとして受け取ってください」
半年前。
義母とダリアからの扱いが一層ひどくなって、わたしは堪えきれずに家を飛び出した。あてもなく街を駆けて、気付けばかつておばあちゃんと過ごしていた家の前に立ち尽くしていたわたしに声をかけてくれたのが、リンさんだった。
「あんた、こんな所で何しているんだい? それにその怪我はどうしたのさ?」
あの頃のわたしはまだ上手く力が扱えなくて、任意のタイミングで使うどころか本当に命の危険があるような未来以外は察知することができなかった。だから事前に危険から身を守ることができず、確かその時は義母にカップを投げつけられて、手に怪我をしていたはずだ。幸いにも直撃はせずにカップは壁に叩きつけられたが、割れた衝撃で破片が飛んできて手が切れたのだったか。碌に手当もせずにいたせいで手の平が赤く染まっていたことを覚えている。
今思えば、わたしはただ帰りたかったのだと思う。おばあちゃんと過ごしたあたたかい家に。だから微かに残っていた記憶を無意識に辿り、かつての家へと足が向いたのだろう。
「…あの、この家って、おばあちゃんの…シプトンの家じゃないんですか?」
「え? ああ、シプトンさんは前の住人だね。今は――のお宅だよ」
全く聞き覚えのない名前を聞いて、足元が崩れ落ちるような感覚があった。
確かにかつてわたしたちの家だったそこは、記憶に残っている姿かたちとは全く変わっていた。屋根の色も、壁の色も、窓の形も。小さな子供がいる家なのだろうか。窓にはてるてる坊主が吊るされている。その顔は歪んだ曲線で描かれているけれど、とても幸せそうな笑顔に見えた。
かつてわたしにもあったはずの、あたたかい家庭なのだとうかがえた。
「…わたしと、おばあちゃんの家…っ、どこにいっちゃったのよぉ…!」
その時のわたしの状態を言えば、限界だった。
唯一の肉親であった父が亡くなり。義母と義姉からはぞんざいに扱われるだけでなく、精神的に、時には肉体的ないじめを受ける日々。今まで良くしてくれていた使用人たちも、解雇されるのを恐れてかいないものとして接してくる。
今思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだけれど、わたしは見ず知らずの女性の前で泣きわめいてしまったのだ。
その後、リンさんは親切にもわたしを近くにあった自分の店へと連れて行き、手の治療をしてくれた上に落ち着くまで寄り添ってくれていたのである。開店準備をしていたベルちゃんも初めは驚いていたものの、嗚咽を漏らし続けるわたしの頭を撫でてくれていた。年上として何たる失態だと、今思い出すと顔から火が噴出しそうだ。
ついでに普段ならば絶対に漏らさないだろう家での扱いや、訳の分からない力に目覚めたことなど、すべて洗いざらいふたりにぶちまけた。魔法を忌み嫌う人の多いこの国でそんなことを明かせば碌な目に合わないことは分かっていたのに、その時のわたしはそんなことすら頭が回らなかった。とにかく誰かに話を聞いてほしいという気持ちもあったのかもしれない。
結果的に、リンさんもベルちゃんもわたしを受け入れ、あまつさえ一緒に憤ってくれた。おまけに満足に食事も与えられない日もあるという話をしたためか、「ご飯ならうちで食べるが良いさ! 食事代分はきっちり働いてもらうけどね!」とまで言ってくれたのである。
それ以来、この酒場はわたしにとって唯一安らぐ場所になっていた。
「そうだリンさん、改めてこの『魔道具』を用意してくれてありがとうございました。これがあったから計画が成功したようなものです」
しばし感傷に浸っていたが、いつまでもこうしてはいられないと我に返った。まだ日が落ちて間もない時間帯とは言え、そろそろ行動し始めなければ。
傷つけないようにブローチ―音を記憶する『魔道具』―を返すべくリンさんへと差し出すが、何故か受け取る素振りもなく首を横に振った。どうしたというのだろう。
「それはアシェラが持っていきな」
「え? でもこれ、もともと返す予定で…」
「あたしは初めからあんたにあげる気だったよ。そうでなきゃ、わざわざあんたの目と同じ色の石で造ってほしいなんてオーダー出さないさ」
この『魔道具』は、『記憶を保存する』という力を持つリンさんの伯母様が、魔法を応用して造ってくれたものだった。身内に魔法使いがいたからこそ、リンさんもベルちゃんもわたしのことを恐れずに受け入れてくれたのだ。ちなみに伯母様はライリット国とは違い、魔法使いが社会に溶け込めていると言うレフィルト国に、同じく魔法使いの旦那様と娘さんと随分前に移住したのだそう。
今回の出奔計画を実行するにあたり、リンさん経由でこの『魔道具』の作成を依頼したのだが、「身内料金で安く済んだからお金はいらないよ」となんとタダで受け取っていた。この手の『魔道具』は非常に高価なものだから、せめて綺麗な状態で返すつもりでいただけに驚いて言葉が出ない。固まるわたしの掌を、ダメ押しとばかりにリンさんは「ほら素直に持っておいき」割と強い力で押し返してくる。
「お母ちゃん、おばちゃんにすっごい細かく頼んでたんだよ。貴族が着るようなドレスに付けられる綺麗なブローチにしてほしいとか、宝石の色は絶対に琥珀色にしてくれとか。あたしはアシェラ姉が好きな緑色を推したんだけど、お母ちゃんが折れなかったんだよねぇ。
そうそう、通信の『魔道具』は音しかやりとりできないのに、アシェラ姉の似顔絵描いてこの子に似合うようなやつをとかしだしたときは、さすがに笑っちゃった―――」
「ベル、あんた今日ピーマン炒めしか出さないからな」
「えぇ!? そんなぁ、あたしピーマン嫌いなんだけど!?」
やいのやいの店主と看板娘が騒ぎ出したためか、お客さんたちが何だなんだと集まりだした。そのうちのひとり、常連のおじさんがわたしに気付いて「休憩中かぁ」と肩を叩いてきた。いつも従業員として酒場にいたから、働いていない姿が珍しいのだろう。
助かった、と思った。普段ならば酔っ払いに絡まれるなんて、お客さんでも面倒だと思うのだけれど。今余計な茶々を入れられなければ、リンさんとベルちゃんの前で感極まって泣いていたかもしれない。
「(…それはダメ。最後は、笑顔で別れたいもんね)」
ブローチを胸元で握りしめる。これ以上の拒否は失礼だと悟った。
未だ絡んでくるおじさんには愛想笑いを浮かべてやり過ごし、未だ言い合っている二人へと視線を向けた。「リンさん」決して大きく呼びかけたわけではなかったが、きちんと聞こえたらしい。リンさんと、ついでにベルちゃんもこちらへ振り向いてくれた。
「どうもありがとうございます。わたし、二人に会えて幸せです」
「…っ、そんなのあたしたちだって同じだよぉ!」
「そうさ! 向こうが辛くなったらすぐ帰ってくるんだよ!? アシェラのおかげでウチも繁盛したからね、今ならあんたひとりくらい養えるからさぁ!」
カウンターの向こうから伸びてきたリンさんの手に抱き寄せられたかと思えば、横からベルちゃんも抱き着いてくる。こんなに言われては『お別れ』が名残惜しくなってしまう。
突然始まった女性陣三人の抱擁に、周りを囲んでいたお客さんたちは唖然としていた。その中で比較的酔っていないらしい人が、「もしかして、アシェラちゃん辞めるのかい?」冷静に質問を投げかけてくる。
そんなお客さんへと顔だけを向けて、わたしは思い切り頷いてみせた。
「――ええ。今日でわたしはライリット国から旅立つつもりなので!」
魔法使いが力を隠す必要がないというレフィルト国に移住して、偉大な魔女を目指す予定です!
と心の中だけで続けた。わたしの目的は、リンさんとベルちゃんだけが知ってくれていれば良い。…調子に乗ってジニアス殿下にも少ーしだけ漏らしてしまったけれど、いくら殿下が切れ者とはいえ、あの発言だけで気付かれることはないだろう。まあバレたところで今後関わらないお方だから関係ないとも言う。
わたしの誇らしげな宣言の後、お店の中はひっくり返したように騒がしくなった。家に居たくなくてほとんどお店に入り浸っていたため、お客さんは顔見知りが多い。そんな中で突然の別れ宣言は、思っていたよりも波紋を広げてしまったようだ。「なんで急に!?」「考え直しなよ!」などなど、引き留めるような言葉がたくさん向けられる。そんな温かさにまた涙腺が緩みそうになりながら、「前から決めていたので」意思は固いことを繰り返した。
「だからあんなひらひらした恰好で店に飛び込んできたのかい」
カウンターを挟んだ向こう側で豪快に笑う女性を、椅子に座っているわたしは恨めし気に見上げた。
「そんなに笑わないでくださいよ、リンさん…」
「悪い悪い。ほら、これサービスしてやるからそんなふくれっ面するんじゃないよ」
とん、と目の前に置かれたアイスクリームに、わたしは一瞬で機嫌を直して「ありがとうございます!」とスプーンを握りしめた。美味しい物の前ではプライドなんかどうでも良い。
わたしが今いるのはリンベル酒場。半年前からこっそり働かせてもらっている大衆酒場だ。そこの店主であるリンさんは若くして旦那さんを亡くしながらも決して悲嘆にくれることはなく、女手一つで子供を育てながら旦那さんとの思い出の酒場を守っている女傑である。
元々イリシオス家に絶縁宣言をしたらこの酒場に来る算段ではあったのだが、ひっそりこっそり、目立たないように酒場に訪れるという計画はわたしの恰好で台無しになった。平民街でひらひらギラギラのドレスなんか着ていたら、わたしに注目してください!と言っているようなものだろう。実際何回かスリや強盗に狙われる『未来を視た』が、どうにか現実になる前に避けきった。頑張った自分を褒めてあげたい。
「あのひらひら服どうするんだい?」
「捨てて行きますよ。荷物になりますからね」
「えー! あんな素敵な服なのに!?」
横から飛んできた素っ頓狂な声に、スプーンをくわえたまま振り返る。お盆を胸の前で抱えて、信じられないと言った顔でこちらを見ている少女と目が合った。
「…ベルちゃんが欲しければあげようか? おさがりのおさがりで申し訳ないけれど」
少女、ベルちゃんはリンさんの娘だ。3つ年下の彼女にはまだサイズが合わないだろうが、そのうち着られるようになるだろう。
「いいのアシェラ姉!?」
「そうだよアシェラ。あの服、相当良い生地だろう? 売れば結構なお金になるんじゃないのかい?」
「そうだと思いますよ。あのダリアが一級品以外買うはずないでしょうし」
「なら猶更あんたが持ってお行きよ。これからお金が入用だろう?」
「いいえ。わたしが持って行ったところでどこかで捨てて行くだけですよ。売ってお金にするなんて、ダリアに借りを作るようでムカつくので」
ダリアにはわたしの物を奪われ壊されと散々されてきたから、ドレスの一着くらい今までの仕打ちを考えれば足しにもならないだろう。しかしわたしとしては、「ダリアが役に立った」などと欠片でも感じるような行動は絶対にしたくなかった。
「それに、リンさんとベルには今までとってもお世話になりましたし。偶然のような形ですみませんが、お礼のひとつとして受け取ってください」
半年前。
義母とダリアからの扱いが一層ひどくなって、わたしは堪えきれずに家を飛び出した。あてもなく街を駆けて、気付けばかつておばあちゃんと過ごしていた家の前に立ち尽くしていたわたしに声をかけてくれたのが、リンさんだった。
「あんた、こんな所で何しているんだい? それにその怪我はどうしたのさ?」
あの頃のわたしはまだ上手く力が扱えなくて、任意のタイミングで使うどころか本当に命の危険があるような未来以外は察知することができなかった。だから事前に危険から身を守ることができず、確かその時は義母にカップを投げつけられて、手に怪我をしていたはずだ。幸いにも直撃はせずにカップは壁に叩きつけられたが、割れた衝撃で破片が飛んできて手が切れたのだったか。碌に手当もせずにいたせいで手の平が赤く染まっていたことを覚えている。
今思えば、わたしはただ帰りたかったのだと思う。おばあちゃんと過ごしたあたたかい家に。だから微かに残っていた記憶を無意識に辿り、かつての家へと足が向いたのだろう。
「…あの、この家って、おばあちゃんの…シプトンの家じゃないんですか?」
「え? ああ、シプトンさんは前の住人だね。今は――のお宅だよ」
全く聞き覚えのない名前を聞いて、足元が崩れ落ちるような感覚があった。
確かにかつてわたしたちの家だったそこは、記憶に残っている姿かたちとは全く変わっていた。屋根の色も、壁の色も、窓の形も。小さな子供がいる家なのだろうか。窓にはてるてる坊主が吊るされている。その顔は歪んだ曲線で描かれているけれど、とても幸せそうな笑顔に見えた。
かつてわたしにもあったはずの、あたたかい家庭なのだとうかがえた。
「…わたしと、おばあちゃんの家…っ、どこにいっちゃったのよぉ…!」
その時のわたしの状態を言えば、限界だった。
唯一の肉親であった父が亡くなり。義母と義姉からはぞんざいに扱われるだけでなく、精神的に、時には肉体的ないじめを受ける日々。今まで良くしてくれていた使用人たちも、解雇されるのを恐れてかいないものとして接してくる。
今思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだけれど、わたしは見ず知らずの女性の前で泣きわめいてしまったのだ。
その後、リンさんは親切にもわたしを近くにあった自分の店へと連れて行き、手の治療をしてくれた上に落ち着くまで寄り添ってくれていたのである。開店準備をしていたベルちゃんも初めは驚いていたものの、嗚咽を漏らし続けるわたしの頭を撫でてくれていた。年上として何たる失態だと、今思い出すと顔から火が噴出しそうだ。
ついでに普段ならば絶対に漏らさないだろう家での扱いや、訳の分からない力に目覚めたことなど、すべて洗いざらいふたりにぶちまけた。魔法を忌み嫌う人の多いこの国でそんなことを明かせば碌な目に合わないことは分かっていたのに、その時のわたしはそんなことすら頭が回らなかった。とにかく誰かに話を聞いてほしいという気持ちもあったのかもしれない。
結果的に、リンさんもベルちゃんもわたしを受け入れ、あまつさえ一緒に憤ってくれた。おまけに満足に食事も与えられない日もあるという話をしたためか、「ご飯ならうちで食べるが良いさ! 食事代分はきっちり働いてもらうけどね!」とまで言ってくれたのである。
それ以来、この酒場はわたしにとって唯一安らぐ場所になっていた。
「そうだリンさん、改めてこの『魔道具』を用意してくれてありがとうございました。これがあったから計画が成功したようなものです」
しばし感傷に浸っていたが、いつまでもこうしてはいられないと我に返った。まだ日が落ちて間もない時間帯とは言え、そろそろ行動し始めなければ。
傷つけないようにブローチ―音を記憶する『魔道具』―を返すべくリンさんへと差し出すが、何故か受け取る素振りもなく首を横に振った。どうしたというのだろう。
「それはアシェラが持っていきな」
「え? でもこれ、もともと返す予定で…」
「あたしは初めからあんたにあげる気だったよ。そうでなきゃ、わざわざあんたの目と同じ色の石で造ってほしいなんてオーダー出さないさ」
この『魔道具』は、『記憶を保存する』という力を持つリンさんの伯母様が、魔法を応用して造ってくれたものだった。身内に魔法使いがいたからこそ、リンさんもベルちゃんもわたしのことを恐れずに受け入れてくれたのだ。ちなみに伯母様はライリット国とは違い、魔法使いが社会に溶け込めていると言うレフィルト国に、同じく魔法使いの旦那様と娘さんと随分前に移住したのだそう。
今回の出奔計画を実行するにあたり、リンさん経由でこの『魔道具』の作成を依頼したのだが、「身内料金で安く済んだからお金はいらないよ」となんとタダで受け取っていた。この手の『魔道具』は非常に高価なものだから、せめて綺麗な状態で返すつもりでいただけに驚いて言葉が出ない。固まるわたしの掌を、ダメ押しとばかりにリンさんは「ほら素直に持っておいき」割と強い力で押し返してくる。
「お母ちゃん、おばちゃんにすっごい細かく頼んでたんだよ。貴族が着るようなドレスに付けられる綺麗なブローチにしてほしいとか、宝石の色は絶対に琥珀色にしてくれとか。あたしはアシェラ姉が好きな緑色を推したんだけど、お母ちゃんが折れなかったんだよねぇ。
そうそう、通信の『魔道具』は音しかやりとりできないのに、アシェラ姉の似顔絵描いてこの子に似合うようなやつをとかしだしたときは、さすがに笑っちゃった―――」
「ベル、あんた今日ピーマン炒めしか出さないからな」
「えぇ!? そんなぁ、あたしピーマン嫌いなんだけど!?」
やいのやいの店主と看板娘が騒ぎ出したためか、お客さんたちが何だなんだと集まりだした。そのうちのひとり、常連のおじさんがわたしに気付いて「休憩中かぁ」と肩を叩いてきた。いつも従業員として酒場にいたから、働いていない姿が珍しいのだろう。
助かった、と思った。普段ならば酔っ払いに絡まれるなんて、お客さんでも面倒だと思うのだけれど。今余計な茶々を入れられなければ、リンさんとベルちゃんの前で感極まって泣いていたかもしれない。
「(…それはダメ。最後は、笑顔で別れたいもんね)」
ブローチを胸元で握りしめる。これ以上の拒否は失礼だと悟った。
未だ絡んでくるおじさんには愛想笑いを浮かべてやり過ごし、未だ言い合っている二人へと視線を向けた。「リンさん」決して大きく呼びかけたわけではなかったが、きちんと聞こえたらしい。リンさんと、ついでにベルちゃんもこちらへ振り向いてくれた。
「どうもありがとうございます。わたし、二人に会えて幸せです」
「…っ、そんなのあたしたちだって同じだよぉ!」
「そうさ! 向こうが辛くなったらすぐ帰ってくるんだよ!? アシェラのおかげでウチも繁盛したからね、今ならあんたひとりくらい養えるからさぁ!」
カウンターの向こうから伸びてきたリンさんの手に抱き寄せられたかと思えば、横からベルちゃんも抱き着いてくる。こんなに言われては『お別れ』が名残惜しくなってしまう。
突然始まった女性陣三人の抱擁に、周りを囲んでいたお客さんたちは唖然としていた。その中で比較的酔っていないらしい人が、「もしかして、アシェラちゃん辞めるのかい?」冷静に質問を投げかけてくる。
そんなお客さんへと顔だけを向けて、わたしは思い切り頷いてみせた。
「――ええ。今日でわたしはライリット国から旅立つつもりなので!」
魔法使いが力を隠す必要がないというレフィルト国に移住して、偉大な魔女を目指す予定です!
と心の中だけで続けた。わたしの目的は、リンさんとベルちゃんだけが知ってくれていれば良い。…調子に乗ってジニアス殿下にも少ーしだけ漏らしてしまったけれど、いくら殿下が切れ者とはいえ、あの発言だけで気付かれることはないだろう。まあバレたところで今後関わらないお方だから関係ないとも言う。
わたしの誇らしげな宣言の後、お店の中はひっくり返したように騒がしくなった。家に居たくなくてほとんどお店に入り浸っていたため、お客さんは顔見知りが多い。そんな中で突然の別れ宣言は、思っていたよりも波紋を広げてしまったようだ。「なんで急に!?」「考え直しなよ!」などなど、引き留めるような言葉がたくさん向けられる。そんな温かさにまた涙腺が緩みそうになりながら、「前から決めていたので」意思は固いことを繰り返した。
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