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2.ささやかな復讐
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こつこつとヒールを鳴らしながら、無駄にだだっ広い廊下を進む。意識的にただ足を交互に前へと出していた。そうしなければ、浮かれ気分のままスキップしてしまいそうだ。
でも仕方ないと思う。だっていくら『何が起こるか知っていた』としても、ここまで上手くいくなんて思っていなかったもの!
「誰だ?」
前方から飛んできた鋭い声に、動きが止まる。深呼吸を一度。無意識に弾みかけていた足を、ドレスの下でそっと地面に降ろした。
「…アシェラ・イリシオスと申します。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、王太子殿下」
わたしは慌てつつも必死に表面上は取り繕いながら、前方に堂々と立っている、煌びやかな衣装を纏った男性――このライリット国の王太子であるジニアス・ウィル・ライリット殿下に頭を下げた。
正直、とても驚いた。今日この廊下で王太子殿下に会えることは『知っていた』けれども、どのタイミングで会えるかまでは分からなかったから。
「アシェラ…ああ、あの…」
王太子殿下は数秒考えた後、その端正な顔を歪めた。
当然だろう。イリシオス家の次女であるアシェラと言えば、悪評という悪評がついて回っている。貴族社会は義母、学園は義姉の涙ぐましい努力の結果である。しかも王太子殿下は義姉との婚約が噂されているほどだから、おそらく良い仲なのだろう。余計わたしの悪い話を義姉から吹き込まれているに違いない。
それでも、わたしはどうしても彼に会わなければならなかった。
「…今の時間帯は卒業パーティで貴族は向こうに集まっているはずだろう。何故ここにいる?」
「わたしは貴族ではなくなりますので、あの場には相応しくないと辞退させていただいた次第です」
「なに?」
訝し気な様子の殿下だが、詳しく説明する義理はない。それに嘘ではないし。正確には、『この後貴族ではなくなる』のだけれど。
「理由は知らんが戻れ。貴様も貴族の端くれならば、己に恥じぬ振る舞いをすべきだろう」
「―――お言葉ですが」
思わず下げていた頭を上げた。
余計なことを言うべきではないと頭ではわかっているのに、どうしても口が動いてしまった。わたしが持っていた物も、名誉も、何もかも奪われてしまったけれど、『それ』だけは絶対に手放さなかったのだから。
「わたしはいつだって、誰に顔向けしても恥ずかしくないよう、まっすぐ正直に生きております」
おばあちゃんの言葉を裏切ったことなど、ただの一度もない。
しっかりと目を合わせて言い切ると、殿下が息を呑む気配がした。不敬だと下手をしたら捕らえられるだろうか。どくりどくりと心臓が嫌な音を立てていたが、やがて殿下は「そうか」ふいと視線を逸らして一言落としただけだった。どうやら許されたらしい。
「一国の王太子に生意気な口をききましたこと、謝罪いたします」
「…理由があっての行動だというなら、見逃そう」
「寛大なるお心に感謝いたします」
一礼すると、殿下はどこか複雑そうな表情をこちらに向けていた。
非常に賢く、貴族や平民など分け隔てなく誰に対しても平等なお方だと言われているジニアス殿下。そんな聡い方が何を考えているのかなど一般的な頭しか持っていないわたしには想像もつかないが、少なくともこの反応からして、評判が地に落ちているわたしの話にも耳を傾けてくれるかもしれない。
「(『賭け』に出た甲斐があったかな)」
そっと胸元のブローチに手をかけて、それをドレスから外した。シャンデリアの光を受けて、琥珀色の宝石がきらりと輝いている。
わたしは小さく息を吐いて、祈るような気持ちで殿下へとブローチを差し出した。
「わたしが卒業パーティを辞退した理由は、こちらに記録しております」
瞬間、訝し気な表情をしていた殿下が眉を顰めた。記録というたった一言で察したらしい殿下は、やはりこの国で一番の賢人と言われるだけはある。
「音を記憶する『魔道具』か?」
「その通りでございます」
「隠し撮りとは、良い趣味とは思わないが」
「自分の置かれている立場はよく存じておりますので、言葉だけでは誰にも信じてもらえないだろうと持ち込んだ次第です」
結果的に皮肉になってしまったわたしの言葉に、殿下はますます眉間の皺を深くして黙り込んだ。
『魔道具』。魔法と呼ばれる一部の人間だけが使える特別な力を封じた道具のことだ。その道具を用いれば、魔法を使えない人間でも封じ込められた力を使うことができる。魔法使いだけが作れる道具であるために希少性が高く、とても高価なものである。まあ火がすぐにつけられる『魔道具』とか、日常生活に欠かせないものは国が介入して流通させているから、比較的安価に手に入るものもあるけれど。
余談だがこのライリット国では魔法を忌み嫌う傾向にあるため、魔法使いは非常に肩身が狭い思いをしている。自分に得のある『魔道具』という道具は喜んで使っているくせにね。
「殿下のお時間をしばしいただくことは…」
「構わない。聞かせてみろ」
やや食い気味に頷かれて面食らってしまったが、わたしは「感謝いたします」一礼してから再生させた。会場に入ってから記録していたためいらない時間が長いが、そこは魔法使いの作品、持ち主の意思で再生させたい場所を指定できる優れものだ。
元婚約者が突然わたしを糾弾し始めたところから始めると、いきなりの罵りに殿下は不愉快そうに顔を歪めていた。まあ、高貴な方には聞くに堪えない罵詈雑言でしょうね。
―――最近だけでも一週間前に街外れの店を指定して無理やり買い出しに行かせ、三日前に花瓶の水をかけ、昨日にはダリア嬢の大切なネックレスを目の前で踏みつけ壊したそうじゃないか!
そこで一旦音を停止させる。
「一週間前、義姉は義母とふたりで街一番の宝石店に行っております。三日前、わたしは街のリンベル酒場で朝から晩まで働いておりました。昨日につきましては今日のパーティに必要な身支度を済ませるため、一日中二番街で開催されていたマーケットで走り回っております。いずれも朝から夜にかけて義姉とは顔を合わせておりません」
「…証拠は」
「いずれも店やマーケットに目撃者がいることでしょう。宝石店については根回しされている可能性はありますが、少なくとも平民街にいるリンベル酒場の店主とマーケットにいた店員たちはわたしのアリバイについて証言してくれるはずです」
その後も続けられるわたしの『悪事』とやらに対し、アリバイを懇切丁寧に説明していった。すべてに対して反論しきるころには、すでに辞退してきた会場が騒がしくなってきていた。
まずい。思ったよりも時間がかかってしまったみたい。
もともと殿下は卒業パーティの終わりの挨拶をするためにここに来ていたはずだ。想定外のトラブル―わたしの婚約破棄騒動―があって予定時間より伸びてはいるだろうけれど、いつまで経っても殿下が現れないために会場が混乱しだしたのだろう。わたしが殿下を呼び止めているようにしか見えない―というか実際にそう―この場を誰かに見られたら、余計な騒動に発展するかもしれない。
「…話は分かった。だが、今聞いた話をすべて鵜呑みにすることはできない」
後ろに向けていた視線を慌てて前へと戻せば、殿下は難しい表情で首を横に振っていた。彼も騒ぎに気付いたのだろう、話は終わりだと言わんばかりにわたしの横をすり抜けて廊下を歩き出した。
「君の言う通り、君の姉であるダリア・イリシオスが立場を利用して店に根回しをしているのかもしれない。しかし、それは君にも言えることだろう。民に取り入りアリバイ工作をしている可能性もある」
「証人が複数います。少し調べてもらえれば、どちらが正しいかわかるはずです」
「アリバイ作りが完璧なのも違和感がある。先ほどの話がすべて狂言ならば、何故ああもすべての時間帯に証人を作れている?」
「それは簡単な話ですよ」
殿下が足を止めた。はじめよりも幾分か和らいだが、それでも険しい顔つきでこちらへと振り向く。
勝った、と思った。
わたしの話に耳を傾けて、尚且つ調べてくれる可能性がある人物。貴族の中でも高い地位にいるイリシオス家に対し、探りを入れられる権力者。どちらの条件も当てはまる唯一の存在が、ジニアス殿下だ。
彼の注意を引けたのであれば、わたしは『賭け』に勝ったと言って良いだろう。イリシオス家の嘘を暴く一石を投じるという『賭け』。今まで散々苦しめてきた義母と義姉に対する、ささやかな復讐だ。
「今日という『未来』を『視て』、対策を立てたからです。どういった嘘をつかれるのか分かっていれば、あらかじめ行動しておくことは可能でした」
「…どういう意味だ?」
本当に不思議そうな表情で、殿下は首を傾げている。同い年の方に使う言葉としては適切ではないけれど、眉間に皺を寄せていなければ殿下は存外幼い顔立ちをしているのだと、その時はじめて気が付いた。
まあ、知ったところでもう会うこともない方である。今まで我慢した分、ここでぶちまけてしまいましょう!
「わたしは『未来を視ることができる』、将来偉大な魔女になる者ですから!」
でも仕方ないと思う。だっていくら『何が起こるか知っていた』としても、ここまで上手くいくなんて思っていなかったもの!
「誰だ?」
前方から飛んできた鋭い声に、動きが止まる。深呼吸を一度。無意識に弾みかけていた足を、ドレスの下でそっと地面に降ろした。
「…アシェラ・イリシオスと申します。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、王太子殿下」
わたしは慌てつつも必死に表面上は取り繕いながら、前方に堂々と立っている、煌びやかな衣装を纏った男性――このライリット国の王太子であるジニアス・ウィル・ライリット殿下に頭を下げた。
正直、とても驚いた。今日この廊下で王太子殿下に会えることは『知っていた』けれども、どのタイミングで会えるかまでは分からなかったから。
「アシェラ…ああ、あの…」
王太子殿下は数秒考えた後、その端正な顔を歪めた。
当然だろう。イリシオス家の次女であるアシェラと言えば、悪評という悪評がついて回っている。貴族社会は義母、学園は義姉の涙ぐましい努力の結果である。しかも王太子殿下は義姉との婚約が噂されているほどだから、おそらく良い仲なのだろう。余計わたしの悪い話を義姉から吹き込まれているに違いない。
それでも、わたしはどうしても彼に会わなければならなかった。
「…今の時間帯は卒業パーティで貴族は向こうに集まっているはずだろう。何故ここにいる?」
「わたしは貴族ではなくなりますので、あの場には相応しくないと辞退させていただいた次第です」
「なに?」
訝し気な様子の殿下だが、詳しく説明する義理はない。それに嘘ではないし。正確には、『この後貴族ではなくなる』のだけれど。
「理由は知らんが戻れ。貴様も貴族の端くれならば、己に恥じぬ振る舞いをすべきだろう」
「―――お言葉ですが」
思わず下げていた頭を上げた。
余計なことを言うべきではないと頭ではわかっているのに、どうしても口が動いてしまった。わたしが持っていた物も、名誉も、何もかも奪われてしまったけれど、『それ』だけは絶対に手放さなかったのだから。
「わたしはいつだって、誰に顔向けしても恥ずかしくないよう、まっすぐ正直に生きております」
おばあちゃんの言葉を裏切ったことなど、ただの一度もない。
しっかりと目を合わせて言い切ると、殿下が息を呑む気配がした。不敬だと下手をしたら捕らえられるだろうか。どくりどくりと心臓が嫌な音を立てていたが、やがて殿下は「そうか」ふいと視線を逸らして一言落としただけだった。どうやら許されたらしい。
「一国の王太子に生意気な口をききましたこと、謝罪いたします」
「…理由があっての行動だというなら、見逃そう」
「寛大なるお心に感謝いたします」
一礼すると、殿下はどこか複雑そうな表情をこちらに向けていた。
非常に賢く、貴族や平民など分け隔てなく誰に対しても平等なお方だと言われているジニアス殿下。そんな聡い方が何を考えているのかなど一般的な頭しか持っていないわたしには想像もつかないが、少なくともこの反応からして、評判が地に落ちているわたしの話にも耳を傾けてくれるかもしれない。
「(『賭け』に出た甲斐があったかな)」
そっと胸元のブローチに手をかけて、それをドレスから外した。シャンデリアの光を受けて、琥珀色の宝石がきらりと輝いている。
わたしは小さく息を吐いて、祈るような気持ちで殿下へとブローチを差し出した。
「わたしが卒業パーティを辞退した理由は、こちらに記録しております」
瞬間、訝し気な表情をしていた殿下が眉を顰めた。記録というたった一言で察したらしい殿下は、やはりこの国で一番の賢人と言われるだけはある。
「音を記憶する『魔道具』か?」
「その通りでございます」
「隠し撮りとは、良い趣味とは思わないが」
「自分の置かれている立場はよく存じておりますので、言葉だけでは誰にも信じてもらえないだろうと持ち込んだ次第です」
結果的に皮肉になってしまったわたしの言葉に、殿下はますます眉間の皺を深くして黙り込んだ。
『魔道具』。魔法と呼ばれる一部の人間だけが使える特別な力を封じた道具のことだ。その道具を用いれば、魔法を使えない人間でも封じ込められた力を使うことができる。魔法使いだけが作れる道具であるために希少性が高く、とても高価なものである。まあ火がすぐにつけられる『魔道具』とか、日常生活に欠かせないものは国が介入して流通させているから、比較的安価に手に入るものもあるけれど。
余談だがこのライリット国では魔法を忌み嫌う傾向にあるため、魔法使いは非常に肩身が狭い思いをしている。自分に得のある『魔道具』という道具は喜んで使っているくせにね。
「殿下のお時間をしばしいただくことは…」
「構わない。聞かせてみろ」
やや食い気味に頷かれて面食らってしまったが、わたしは「感謝いたします」一礼してから再生させた。会場に入ってから記録していたためいらない時間が長いが、そこは魔法使いの作品、持ち主の意思で再生させたい場所を指定できる優れものだ。
元婚約者が突然わたしを糾弾し始めたところから始めると、いきなりの罵りに殿下は不愉快そうに顔を歪めていた。まあ、高貴な方には聞くに堪えない罵詈雑言でしょうね。
―――最近だけでも一週間前に街外れの店を指定して無理やり買い出しに行かせ、三日前に花瓶の水をかけ、昨日にはダリア嬢の大切なネックレスを目の前で踏みつけ壊したそうじゃないか!
そこで一旦音を停止させる。
「一週間前、義姉は義母とふたりで街一番の宝石店に行っております。三日前、わたしは街のリンベル酒場で朝から晩まで働いておりました。昨日につきましては今日のパーティに必要な身支度を済ませるため、一日中二番街で開催されていたマーケットで走り回っております。いずれも朝から夜にかけて義姉とは顔を合わせておりません」
「…証拠は」
「いずれも店やマーケットに目撃者がいることでしょう。宝石店については根回しされている可能性はありますが、少なくとも平民街にいるリンベル酒場の店主とマーケットにいた店員たちはわたしのアリバイについて証言してくれるはずです」
その後も続けられるわたしの『悪事』とやらに対し、アリバイを懇切丁寧に説明していった。すべてに対して反論しきるころには、すでに辞退してきた会場が騒がしくなってきていた。
まずい。思ったよりも時間がかかってしまったみたい。
もともと殿下は卒業パーティの終わりの挨拶をするためにここに来ていたはずだ。想定外のトラブル―わたしの婚約破棄騒動―があって予定時間より伸びてはいるだろうけれど、いつまで経っても殿下が現れないために会場が混乱しだしたのだろう。わたしが殿下を呼び止めているようにしか見えない―というか実際にそう―この場を誰かに見られたら、余計な騒動に発展するかもしれない。
「…話は分かった。だが、今聞いた話をすべて鵜呑みにすることはできない」
後ろに向けていた視線を慌てて前へと戻せば、殿下は難しい表情で首を横に振っていた。彼も騒ぎに気付いたのだろう、話は終わりだと言わんばかりにわたしの横をすり抜けて廊下を歩き出した。
「君の言う通り、君の姉であるダリア・イリシオスが立場を利用して店に根回しをしているのかもしれない。しかし、それは君にも言えることだろう。民に取り入りアリバイ工作をしている可能性もある」
「証人が複数います。少し調べてもらえれば、どちらが正しいかわかるはずです」
「アリバイ作りが完璧なのも違和感がある。先ほどの話がすべて狂言ならば、何故ああもすべての時間帯に証人を作れている?」
「それは簡単な話ですよ」
殿下が足を止めた。はじめよりも幾分か和らいだが、それでも険しい顔つきでこちらへと振り向く。
勝った、と思った。
わたしの話に耳を傾けて、尚且つ調べてくれる可能性がある人物。貴族の中でも高い地位にいるイリシオス家に対し、探りを入れられる権力者。どちらの条件も当てはまる唯一の存在が、ジニアス殿下だ。
彼の注意を引けたのであれば、わたしは『賭け』に勝ったと言って良いだろう。イリシオス家の嘘を暴く一石を投じるという『賭け』。今まで散々苦しめてきた義母と義姉に対する、ささやかな復讐だ。
「今日という『未来』を『視て』、対策を立てたからです。どういった嘘をつかれるのか分かっていれば、あらかじめ行動しておくことは可能でした」
「…どういう意味だ?」
本当に不思議そうな表情で、殿下は首を傾げている。同い年の方に使う言葉としては適切ではないけれど、眉間に皺を寄せていなければ殿下は存外幼い顔立ちをしているのだと、その時はじめて気が付いた。
まあ、知ったところでもう会うこともない方である。今まで我慢した分、ここでぶちまけてしまいましょう!
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