泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第3章

水面からあなたが見える

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 翌日、すっかり晴れた空の下を磨き上げた靴がぬかるむ土で汚れていくのに苛立ちながら、再びみるくあいすを買いに街へ足を運んでいた。

 木材で組み立てられた簡素な店の前で<チェルミ州名産品ミルクアイス>と記された文字が山から吹く涼しい風に煽られ、踊っている。
 扉を押し開けると、風鈴の軽やかな音がチリンチリンと私を迎え入れた。

 カウンターに頬杖を付いていた子供は私に気がつくと勢いよく立ち上がった。

「やあやあ。昨日はどうも」
「あ、昨日の....」
「そうさ昨日の私さ。君のアドバイス通り、みるくあいす、とやらを勧めてみたら食べたのでね。あれなら食べられるみたいだから買いに来た次第さ。感謝感謝。ありがとう」
「そ、そう....」

 子供は嬉しそうにはにかむと、「よかった」と鼻をこすった。

「アイスばっかりだとお腹が冷えるから、お湯を飲ませてあげるといいよ。そんで、栄養も偏るから、野菜を煮込んだスープとかも。食欲が出てくるようになったら、パンとか、肉とかを様子見ながらちょっとずつ」
「ふうむ。栄養ねえ....?よく分からないけれど、一つのものばかり食べさせてはいけないのだね?」
「まあ、そういうこと。高いけど、卵もいいよ」

 子供がアイスを紙袋に詰める。
 五、六歳くらいに見受けられる幼い子供のしっかりした受け答えに感心しつつ、硬貨を小さな手のひらに渡した。

「君は小さいのにずいぶんと物知りなのだね?」
「そうかな?金がないから、時間ができた時は近くの古本屋で立ち読みして時間を潰すんだ。俺、前になに食べても胃が受けつけない時があってさ。その時に読んだ本に書いてあったんだ。受け売りだよ」

 子供は照れたように肩を上げた。





 紙袋を提げ、店を出るのと入れ違えに店番をしている子供よりも二つ三つほど歳上に見える少女と少年が店に入って行った。

「よお!ちゃんと店番してるかよ!?」
「昼休憩の時間は、パントリーの掃除だってさ!」
「ちゃんと働けよ!居候なんだから!」


 .....これだから人間は。

 舌を出しながら首を振る。

「そういえば、最近あの子見ないね」
「耳が聞こえない子のことだろ?」

 井戸に桶を放り込んだ女が「そうそう」と相づちを打つ。力強い太い腕が水の入った桶に繋がる綱を引いていく。
 もう一人の女は腰が痛いのか、叩きながら話を続けた。

「いなくなってくれて良かったよ。なに考えてるか分からないし、汚いし、怖かったんだよね。子供には絶対関わるなって言い含めておいたから大丈夫だったけど、うちの亭主がさ。やたら構おうとするから鬱陶しくって」
「綺麗な顔してるもんねえ。でも、男共が話しているのを聞いたんだけどさ、どんなに触っても声を出さないから好都合なんだってさ。泣いて抵抗する振りだけだって」
「なんだやっぱりアバズレなんだよ!嫌だったら耳が聴こえなくても声くらい出せるんだから!」
「好き者なのよ」
「小さい頃に親に捨てられて可哀想って思うこともあったけどさ、その倍の倍も男に良い思いさせてもらってんだから、世の中不公平だよね」
「そうそう。私達なんかさ、黙ってたらだーれも寄ってこないよ」
「ちょっと一緒にしないでよ!」
「あらやだ!うふふ!」


 振り向いて牙を剥きたい衝動を手の中の紙袋が諌める。
 この人間達は哀れだ。
 己の存在を確かめたいが為に、自分にできることをできない者を下に見るのだ。
 そうして自身の価値を保とうとしている。
 満足そうに歪む口許がその証なのさ。
 自分の見栄や承認欲求を満たせるなら、平気で人を貶める事もできるのだ。

 これが人間なのだ。
 知っていたことだろう。
 今さら、なぜこんなに腹が立つ?

 荒い息をなんとか鼻から吐き出し、足を前に進ませることができた。
 腹の中を怒りがとぐろを巻き、暴れまわる。

 君は、ここで生きてきたのか。

 シルクハットの影から森を覗く。


 ミルクアイスを持って行くのだ。
 彼女はこれなら食べられるから。

 彼女はこれを食べれば微笑むから。




 森の入り口に落ちている二冊の本を見つけた。

「まったく....こんな場所に捨てるとはマナーがなってないねえ」

 屈んで見た本の表紙の文字に首を傾げる。

「....手話....?ふむ!面白い!」

 本を捲り、にんまりと笑んだ。
 人間の世界では指の形や動きで言葉を伝える方法があるらしい。
 しかし、なんと都合の良い....。
 ページを捲る度に香る、甘い匂いをどこかで嗅いだことがあるような気がした。

 昨日と同じように森の上に飛ぼうとすると、まるで私を呼ぶように梟が鳴いていた。

「ホホウ。ホホウ」
「おや黄金!初めて見るね。君、君、森の仲間達の中で浮いているだろう」
「ホホウ」

 梟は首をぐるりと後ろに回し、森の奥へ進んだ。そして木の枝に止まり、再び鳴いた。

「ホホー」
「なんだね?急いでいるのだけどね、私は....。なんの用だい?」

 何かを訴えている梟の金色を目印に森の中を進んでいく。ミルクアイスが溶けやしないか心配になってきた。

「君、君。黄金の君。何か用があるのなら、今度にしてくれないかい?今は急ぎの用が........おや!」

 目の前には焚き火と、焚き火の側に座る彼女がいた。
 驚き、梟を探したが暗闇に溶けるように、すでにいなくなっていた。

「不思議なこともあるものだ....」

 目をしばたたき呟く。夢でも見ていたようだ。
 ミルクアイスを嬉しそうに頬張る女に向かって、右手の手のひらで自身の右頬をぽんぽんと叩いてみせた。

「美味しいかい?」

 きょとんと瞳を丸くさせ、食い入るように私を見る彼女に、やはり知らないかと妙に納得した。
 この差別意識の強い街で表立って彼女に言葉を教えようとする者はいなかったのではないかと推測していた。
 親もきっと手に負えず逃げてしまったか、もしくはすでに死んでいるか....。
 いずれにせよ、彼女と向き合おうとした者はいなかったのだ。
 自分と違う存在というだけで、無関心と蔑みを生むのだ。

「君は、どういう風に言葉を選び、伝えるのだろう。.....知りたいなぁ」

 ミルクアイスを頬張る彼女の隣に座り、本を見せる。
 彼女は不思議そうに私を見上げていた。

 もとから言葉という概念のない彼女に、手話を認識させるのはなかなか根気が必要だった。
 ものには名前があるということから、知ってもらわなければならない。

 石を指し、右手のひらを上に向け指を曲げつつ顎に付ける。

 何をしているの?という風に見てくる顔に口を大きく開け、「い し」と見せる。

 木を指し、両手の親指と人差し指を立て、下から上へ動かす。

 「き」と口の形を彼女に見せる。
 彼女は首を傾げる。

 毛布を被り、まどろむ彼女に拳を右のこめかみ辺りに当てる。

「おやすみ」

 彼女はぼんやりと見つめながら、とろりと眠った。


「おはよう」
「美味しいかい」
「おやすみ」

 何十回と繰り返す度に、作り始めた小屋も少しずつだが形になってくる。
 彼女がずるずると重そうに私が整えた木を引きずるのを目にして、慌てた。

「ああ!いいよ!君は座っていておくれ」

 細くか弱いその手に傷がつくのが怖くて、立ち塞がり止めたのだが、彼女はなぜか眉を吊り上げた。
 頬を膨らませ、ぷい、と顔を背けて木を再び引きずる。

「.....やれやれ」

 苦笑し、彼女の前に回り込む。
 なに、とでも言いたげに睨んでくる彼女が可愛くて頭を撫でたい衝動に駆られたが、堪えて左手の甲に右手を垂直に当て、上に上げる。

「ありがとう」

 彼女はヘーゼルの瞳でじいっと私の口と手の動きを見つめていた。


 ぽつぽつと木々の間から滴が落ちるのに気付き、釘を木に打ち付ける彼女の肩を叩きこちらを見てもらう。

 上を指し両手の平を下に向けて二回下ろし、「雨だ」と伝える。
 彼女は木の隙間から見える空を見上げ、自信のなさそうに頷いた。




「簡素だが、まあ始めて作ったにしては良いだろう」

 ステッキで手の平を叩き、彼女を振り返った。

「家だ」

 両手の指先を付け、三角を作る。
 彼女の手を引き、歪んで隙間の空いた扉を開き中に導いた。

「とりあえずは、これで雨風を防げるね」

 微笑みかけた頬が固まった。

 ぎこちなく動く右手を左手の甲に置き、私を窺いながら軽く右手を上げる。
 言葉を発する事を知らない唇を不器用に、ぱくぱくと五回動かして。

 私の真似をしているのだ。
 おそらく、手の動きで何かを表していることを理解した上で。
 どれほどの勇気を絞り出したのだろう。

 とんでもない宝物を貰ったようだ。
 うっすらと視界がぼやける。
 手を動かした。

「......こちらこそ、ありがとう」

 彼女の瞳が輝き、溢れそうな笑顔が咲いた。
 しかし、それは一瞬であった。
 白い頬を涙が伝い、彼女は何度も、何度も手を動かした。
 時おり喉に指をあて、何かを確かめながら。

「....ぁ、....うぅ....うぅ....」
「うん。....うん。分かっている。伝わっているよ」

 床に落ちる滴がやがて家を浸水してしまうのではないかと思うほど、彼女は泣いた。
 その涙の量が、震える指先が、漏れでる声が、どれほどの孤独を抱えて生きてきたのかを私に痛烈に伝えた。

 延ばした手が細い肩に触れそうになり、止めた。
 強く抱き締めてしまいそうだったから。


 君はすごい。すごいんだよ。
 この世界の理不尽に俯き、他人を拒絶してしまっていたら。
 こちらを見ていてくれなかったら、君に伝えることすらできなかった。
 君が、そう例えるなら水底のような場所からずっと手を差しのべ続けてくれていなかったなら。

 不安で、怖かったのではないか。
 なんとなく手を動かすことで何かを伝えていると気づいても、それを私に向かってやってみるということは。

 けれど彼女は、行動した。


「.....君は、すごいね」

 目尻に浮かぶ涙を彼女に気づかれないように拭った。

 人間とか、吸血鬼とか。
 理屈など、いらないのさ。

 君が愛しい。







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