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第3章
想い描くのは君の笑顔
しおりを挟む「灯りを決して見失わないでおくれ。この森はいたずらに道を変えて侵入者を惑わせてしまうのさ」
森に意思があるのだとでも言うようなモーリスの言葉にアミナは彼が持つランプシェードの左右に揺れる緋色を追いながら、その肉付きの薄い背中に尋ねる。
「....?....森の木が、自らの意思で動く....ということですか?」
訝しげな声色に気がついたのだろう。モーリスは楽しげに目元を細め、アミナを振り返った。
「あり得ないと思うかい?木が自ら動くのは」
「....想像がつきません....」
丸い瞳を戸惑わせるアミナに吸血鬼は両腕を広げた。ランプシェードが反動で大きく揺れる。
「かつて言望葉はこの世に生きる全ての人間が使うことができた!しかぁし!現代に生きる人間で、言望葉を使えない人間の方が多くを占めるようになってしまった!それがなぜか分かるかい!?」
「え!?なぜ....って...?」
「テンションうぜえ」
突然の大声にアミナは肩を跳ねさせ、彼女の横を歩く子供はこの芝居がかった大袈裟な動作に慣れているのか、心底鬱陶しそうに吸血鬼を冷めた表情で見ていた。
「信じなくなったからさ」
緋色がモーリスの片眉を上げ、片目を細めさせた顔を浮き上がらせる。
「悲しいことだ。人間が言葉の力を信じなくなってしまったから、言望葉を使えない者が増えたのさ。ああ、愚か者共はもう分からない。知ることもできない!言葉の力を信じれば自ら放たれる声は力を持ち、輝く光となりて己の人生を照らすことさえも可能になることを!そうさ!森は動かない?果たしてそれは事実だろうか?常識を疑え!凝り固まった価値観をほどき、あらゆる可能性を信じたまえ!....ほうら。聞こえるだろう?これが森の呼吸さ」
森の奥をステッキが示す。それにつられるようにアミナは耳を澄ませた。
....ホホゥ...ホホゥ....
「梟の鳴き声だろ!」
「....あ!そうだこれ梟だわ!?」
あやうくモーリスの話に流されてしまうところだった。
「はーっ!はっはっ!!素直なことは良きことかな!」
「あんた気を付けろよ。こいつはふざける七十パーセント、大袈裟二十パーセント、冗談が七十パーセントで出来てるからな」
「それだと百パーセント越えて百六十になっちゃうけど....」
「そのぐらいふざけた奴ってことだよ」
「.....な、なるほど....」
愉快、愉快と上下する上機嫌な男の背中を追い、アミナは冗談だったのか....と苦笑した。
小説に登場してくる恐ろしい吸血鬼とは違う、やたら明るいモーリスにアミナは心をすっかり絆されてしまっていた。
闇の中で木の根がゆっくりと土から這い上がる。太い幹の影がどこかに移動していくのを横目で捉えた吸血鬼はわずかに口角を上げた。鋭く細い歯がちらちらとランプの光で浮き上がる。
「辿り着くには何物にも崩すことのできない強い想いが必要なのさ。.....ああ、それを人は真実のなんとやらと言うのさ。そう、真実の....ね。………それすらも奇跡と人は言う……」
黒蛙の巨体がシオンに飛びかかる。苛つきを載せた蹴りは乱暴に蛙を地面へ伏せさせた。
「次から次へと....!ええ加減にせえ!!」
猫のような大きな目の眦を吊り上げたシオンは何度もアミナが消えた方角に瞳を移す。
長刀を逆に持ち、蛙の背中へ峰打ちを決めたレオも同じ方に視線を向けた。
「今ので最後のようだ。一旦必要な物を買いに街へ戻るぞ」
「は!?なんでや!」
苛立たしげなシオンにレオは落ち着いた声音で言い聞かせるように説明した。
「メイズ・ウッズ.....迷いの森は、どういうわけだか木が勝手に移動し、侵入者を迷わせる。木の動きを制御するには、灯りをくくりつけなければいけないのだ。....実際ここに来るまで半信半疑だったが、ここまで来るのに試しに灯りを付けた木と刀で傷を付けた木には明らかに違いがあることが証明された」
レオはランプシェードの灯りで背後の木を照らした。
木の枝に巻き付けた小粒の灯りは点々と白い光を縦列に示している。
「この灯りを付けた木の左隣の木の幹に印をつけていたのだが....見ろ。木そのものがなくなっている上に....」
レオは前方に向き直り、数歩進むと、とある木を照らした。
「私達がまだ進んでいない場所に....」
「印の付いた木が......」
縦に刻まれた跡を目にし、レオの後ろでリナリアが怖々と呟いた。
「本当に木が移動しているの?自我を持って?」
長い金の睫毛を震わせ、リナリアは木々から瞳を反らした。
「どうにもそうらしい。こうなると、大量の灯りが必要となる。街に降りて、照明を手入れる」
「で、でも、レオさん!アミナを助けに行かないと!」
「小刀も持っている。完全な丸腰なわけではないだろう。アストライアの団員なら、己の身は己で守れなければ、この先やっていけない。それに私達には任務を全うする義務がある。私達まで迷いの森に堕ちるわけにはいかない」
「そんな...!アミナは、刀なんて使ったこともないんですよ!?義務、って....!?命よりも優先するものなんですか!?」
「任務を全うする。それ以外に重要なものなどない」
感情のない金色の瞳にリナリアは心底怯えた。
なんて冷たい瞳をするの....。
「俺は行くで」
シオンはアミナが落ちた付近に進もうとスニーカーを動かした。
その肩をレオが掴む。
「待て。単独行動は許さない」
シオンは一度レオを見たが、「俺は行く」と譲らなかった。
「.....あいつは本当はそんなに弱ない。しつこい粘着質な性格やからな。....どんな時も、いつも足掻こうとする。きっと今も生きようと、あの餓鬼を守ろうとしとるやろう。やけど、俺はあいつに独りでやらせたない。一番近くであいつの力になりたいんや」
振り返らず、シオンは走り出した。
「シオン!.....レオさん....!私達も...」
「いや、街に戻る。これ以上はぐれるわけにはいかないからな」
木々の灯りを頼りに心なしか歩を進める速度の速いレオの眉間に寄った皺を見つけ、リナリアはふと思った。
もしかしたら、本当は彼も行きたかったのではないだろうか?
「きゃ!」
レオの早足に付いていけず、リナリアの足がもつれた。その肩をよく鍛えられた腕が支えた。
「.....すまない。配慮が欠けていた」
まるで壊れ物でも扱う様な動作で、レオは丁寧にリナリアを立たせた。
今度はリナリアに合わせるように前を歩くレオに彼女の心臓が温かく鼓動する。
耳に金髪をかけながら、リナリアは答えた。
「......いえ....」
何故か、そう返すので精一杯だった。
「だー!!動くなあ!」
夜目の効くシオンでも、木が勝手に動き道を変えてしまうとなれば話は別だ。
ここは先ほど通ったような気がする。
シオンは舌打ちをし、木を蹴って八つ当たりをした。
「クソッ....」
その場で胡座をかき、髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
大きな溜め息を吐いて、彼は上を見上げた。
木々の葉が鬱蒼と空を隠していた。
「泣いとらんか?」
泣き虫な少女を想うと勝手に言葉が溢れ落ちた。
暗い中で一人でいると、今まで見てみぬふりをしてきた現実がシオンを襲う。
父や祖父のこと。
竜族の人間への復讐。
いつか必ず答えを出さなくてはいけないこと。
そして、その時はそれほど遠くないこと。
予感がする。
きっといつか、俺はアミナと離れなければいけない。
瞼を閉じると鮮やかな空が広がる。
側におりたい。
泣き虫でしつこくて、まっすぐなあんたの。
晴れた空のようなあの笑顔をずっと隣で見ていられたらなぁ。
紫の瞳に泣き虫少女の笑顔を浮かべると、少年は立ち上がった。
「.....こんなとこで座っててもしゃあない」
あんたの笑顔を確かめてからやないと、俺は絶対に離れられへん。
「ホウホウ」
「あ?」
鳴き声につられて木の枝を見上げると、そこに黄金に輝く羽根を纏う梟が留まり、シオンをじっと見つめていた。
「き、金ぴかやんけお前....!」
「ホウホウ!」
見たことのない梟に呆気に取られるシオンに、まるで付いてこいとでも言うように梟は首を回し、森の奥へと飛び立つ。
「おい!待てや!アミナに見せたい!」
梟の意図など理解していないシオンは、しかし思惑通りに後を追い始めた。
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