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第3章
サンズ・ロイヤル城
しおりを挟む夜が深くなると海の動く音がよく聞こえる。ビオラは万年筆をガラス製のペン立てに置き、ふう、と息をついた。
国王である父親はほとんどの仕事を優秀な部下やビオラに押し付けて今夜もお気に入りの女と部屋に閉じ籠っている。
何年もこの状態だ。憤りよりも呆れが勝る。
彼女は人差し指と親指で目頭の内側をきゅうっと押し、数回瞬きをした。ドレスの胸元から取り出した長く華奢な銀の鎖の先には花の形を模したブローチがゆらゆらと揺れている。蝋燭にかざすと緋色の光が透明な花の中でチカチカと踊った。
しばらく眺め、深い深呼吸を一度すると机の書類を片付けようと手に取った。
「......」
ふいに違和感を感じ、手を止める。もう一度注意深く書類を眺め、彼女は席を立った。
「ビオラ様。どちらに?」
藍色の隊服を身に纏った城騎士が自室を出たビオラを追いかける。普段彼女の警護を担当しているクロノは最近頻発している子供の失踪事件の調査で街へ出ていた。
「資料室に」
「お供します」
ビオラは騎士の瞳を見て、ひそかに眉を寄せた。
この者も、危うい。
彼女は胸に手を翳し、集中力を高めた。
騎士は沈黙したビオラの目元に気がつき、「隈が....いえ、失礼いたしました。なんでもございません」と口をつぐんだ。
資料室の重い扉を騎士が開ける。
「ありがとうございます」
「では、ここでお待ちしております」
「はい」
廊下に騎士を残し、ビオラは資料室に入る。目当てのものがあるのは奥の棚だ。
シンプルな黒のブーティーの踵がコツ、コツ、と静かな部屋に響いた。灯りを最小限に留めたので視界はほの暗かった。
山と海が近いこの地域は初夏でも夜になると冷える。薄生地のワンピースだけを着ていた彼女の肩は冷たくなっていた。
目的の本棚から書類の纏められているファイルを取り出し、立ったまま中を読み込む。
「.....おかしい」
「何が、おかしいのですか?」
ビオラを覆うように彼女の背後から腕を伸ばした何者かは、本棚に手を付き、彼女の耳元で囁いた。
わずかな灯りが照らす壁に伸びた影はビオラの影にピタリと被さっている。
彼女は動揺をこらえ、冷静にその者の名を呟いた。
「エセルバート」
「こんな夜中まで仕事ですか?お体に障りますよ」
「........」
国王が最も信頼を寄せている人物。宰相エセルバート。この男が来てからすべてが歪み始めた。エセルバートはビオラの背を指でなぞる様に撫で、艶やかな髪を一房掬い鼻を寄せながら彼女の手元にある資料を眺めた。
「…ふむ。あの愚王の娘とは思えませんね」
『デプライブ』
「!!」
エセルバートの言望葉でふいをつかれたビオラの体がずしんと重くなる。
胸に手を当て、膝を着いたビオラは息を荒くしながらも、目の前の紳士と嘯く男を睨み付けた。王女の気迫に男は冷えた灰色の瞳を愉快そうに狐の形へと歪ませた。
「さすがです。結界を張り続け、限界も当に越しているだろう。夜も満足に眠れず、昼も警戒を怠らない。あなたの力を削るのにこんなに長い時間をかけてしまうなど、誰が予測できただろう?素晴らしい!それでこそ女王たる器!!」
パチパチと上品な所作で拍手をするエセルバートは片頬を上げ、ビオラを見下ろした。じっとりとした視線が彼女の表面を這う。
濡れたように艶めく青みがかった黒髪。奥深い海色の瞳。切れ長の大きな眦を囲む長い睫毛。噛み締められた潤いのある赤い唇は抜けるような白い肌に映え、太陽の女神の化身と謳われる容姿の女にエセルバートの目は釘付けになった。
「.....美しい」
膝を曲げビオラに触れようとしたエセルバートの動きをテノールの声が止めた。
「その子は僕のものだよ」
「!ああ!申し訳ありません。よくいらっしゃってくださりました」
エセルバートはどこからか聞こえた声に蕩けそうな笑みを浮かべると、ビオラの前から退き、何者かに彼女を差し出すように左手をかざした。
「久しぶりだね。今世の君もやっぱり綺麗だ。飾っておきたいくらいに」
コツ、コツ。暗闇から足音がこちらに向かって響き渡る。壁の照明がその者の形をおぼろ気に照らした。浮き上がった相貌にビオラは息を呑んだ。
「………っ」
「会いたかったよ....イヴ」
柔らかく微笑む瞳は澄みきった空色。そして、髪も同じ空を抱いていた。耳下でくるんと収まる髪は短いが、ふわりとした癖毛。短い眉。小さな鼻。薄い唇。
自分の義妹と瓜二つの顔を持つ少年をビオラは目を見開いて凝視した。
これは、一体....!?
ただのそっくりではない。似すぎている。
呆気にとられるビオラに少年は手のひらを見せ、言望葉を唱えた。
『デプライブ』
「っ!!」
混乱した状態でも、彼女は必死に理性を働かせ心を闇に囚われないように耐えた。心の端をするすると無数の黒い手が触れるような、気持ちの悪い感覚が彼女を襲う。今にも泣き出してしまいそうな、発狂してしまいそうな、すべて放り出して楽になれたら....そう思わせる負の感情が心を満たそうとする。
もう一度あれを受けたら、危ない。
ビオラはくっと少年を睨み付け、聖の言望葉を唱えるために唇を開いた。
「ああ。そうそう!」
ぽん、と両手のひらを合わせ少年は今思い出したと言わんばかりにとぼけた表情をつくった。
「僕が死ねば君の妹も死ぬ」
「....!...な...」
動きを止め、狼狽するビオラに少年は冷たい笑みを浮かべた。
『デプライブ』
「っ!!」
闇の言望葉を真っ向から三度も受け、彼女はついに崩れ落ちた。心が暗く侵食されていく。体から力が抜けていく。
こんな、ところで....!
ビオラは唇を噛み締め、拳を握りしめた。
絶対に、意識を手放してはならない!
そうしたら、この城は....この国が....!
『トワイライト・ムーン!!』
力強い声と共に三日月の光が少年とエセルバートに向かっていく。エセルバートは肩にかけていたマントを翻し、杖の形をした言身ですべてを薙ぎ払った。
「.....とっくに侵略されていたというわけか」
オリビアは扉の前に立ち、床に倒れているビオラを見て眉をしかめた。続けて宰相、少年と視線を移し、少年の顔をはっきり認識するとさらに眉根の皺を深くした。
「.....どういうことだ」
アミナとそっくりな顔を持つ少年は問いには答えず、薄く笑んだ。
ビオラは朦朧とした意識の中で、オリビアに向かって声をふり絞った。
「.....、逃げ、なさい...!あなたが敵う相手では、ありません」
「ほう。ずいぶんと見くびられたものだな」
「....逃げて、そして、国民を守って....」
今にも気を失いそうな自分を差し置いてでも国民を守ろうとする女王にオリビアは言葉を失う。
この国の女王は、こんな奴だったのか....。
城で仕事の話をする時はいつも淡々としていて、必要最低限の言葉しか交わしたことがなく。誰にも関心を持たない印象だった。
義妹を城から追い出し、アストライアへの入団にも反対の圧力をかける権力を笠に着た傲慢な人間なのかとも思っていた。
こいつは違う。
私は思い違いをしていた。
いや、させられていた?
誰に....?
オリビアは杖を片手に紳士らしく微笑んでいるエセルバートを見て、そしてビオラを見る。
瞬間、頭の中に一つの答えが浮かび上がった。
ビオラは肘で上半身を支え、オリビアに向かって叫んだ。
「アストライアの聖の使い手よ!この国を守るのです!!これは、女王命令です!!」
ビオラの右手には太陽を模した宝石が先端にある長細い黄金の杖が握られていた。
「行きなさい!!!!」
『サンシャイン・ファイア!!』
太陽の炎のような緋色の光が少年と宰相を襲う。
ビオラが言望葉を唱えるのと同時にオリビアは扉に向かって走った。扉の外側には騎士がもたれ掛かって眠っている。廊下を走る彼女の速く流れる景色の隅には城の使用人達が床にうつ伏せになったり、壁によりかかって深く眠っていた。
廊下の先に大きな窓を見つける。風が外から入り、レースのカーテンがふわりふわりと舞っていた。窓から外に出ようと更に足を速めると、外に黒い羽が落ちるのが見えた。
「....クソッ!!」
ぎゅっと足に力を込め、勢いを殺す。窓の縁に赤いヒールをかけ、ボリスラフが腰に手を当ててオリビアの進行を防いだ。後ろからはエセルバートがゆっくりと追ってくる。
二人に挟まれたオリビアは汗を浮かべ唇を舐めた。
「....まさか、まだ言望葉を使えるとは思っていなかったよ」
少年は空色の瞳で力尽きて倒れたビオラを見下ろし、そっと彼女の頭を撫でた。
「よく頑張ったね。いいこいいこ」
「さあ。お眠り。あとは僕に任せてよ」
ビオラは今にも落ちそうな瞼に懸命にあらがっていた。まだ光を失わない海の瞳は首元に付けた銀鎖の先に花のブローチを見つけた。
力の入らない指をわずかな気力を振り絞りなんとか動かそうとする。震える指がブローチに触れた途端、彼女は力尽き、眠るように気を失った。
.......アミナ.......決してここに近づいてはなりません....。
アミナ……私の…希望....。
足元に落ちた花のブローチに気づいたアミナは「あれっ!?」と驚きの声を上げ、慌てて拾った。
「ちゃんとポケットに閉まってたのに....」
眉をひそめ、アミナは手のひらにちょこんと乗る花に頬を緩めた。
「.....姉様」
時計の針はとっくに新しい日付の時を刻んでいた。今日、アミナはアストライアに入団できる。かもしれない。
まずはヴォルフガングの言ったように教会へ行ってみなければ。
姫ではなくなった私が姉様に会えるようになるには、それなりの立場が必要になる。
アストライアと城は闇の言望葉使いを捕らえる目的で密に繋がっている。私がアストライアの団員になれば、姉様に近づけるかもしれない。
知りたい。
涙の意味も。
後悔の眼差しの意味も。
ベランダに出てブローチを月にかざす。
思い出の花が何かを伝えるようにチカリと光った。
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