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第2章
稲穂は語る
しおりを挟む…北の国はさ、この東の国で生きていたらきっと想像もつかない程、貧富の差があるんだ。
王家や上流家系の支配層にいる奴らは自分達の私腹を肥やす為なら、労働階級にいる国民がどんなに腹を空かしていても、眠っていなくても、凍える風の中薄着で歩いていても、平気で鞭を打ってくる奴らばかりだった。
このイースト・サンライズ国みたいにすべての子供に平等な教育の機会なんて制度もなく、労働階級の家に生まれたら最後。
心身を削りながらでも上の奴らの為に働かなきゃ食っていけない。そんな国さ。
俺はそんな労働階級の家に生まれた。
父と母の記憶は朧気だけど、優しい人達だったと思う。
......ああ、そうだよ、アミナ。両親は俺が八歳の時に亡くなった。
過労による病気のせいだ。
当たり前だ。北国の冬は睫毛も凍る。そんな中、両親はペラペラのシャツに穴の空いたズボン。防雪の靴なんか買えやしないから、仕事から帰ってくるといつも少しの間だけつけていた暖炉の前に置いて乾かしていた。
休む間もなく、わずかでも反抗の意を示したら仕事がなくなってもいいのかと脅され、かじかむ手で貴族の為の薪を割り、洗濯をして。
そんなのもう、人間の扱いじゃない。
あの年の冬は、例年よりもさらに冷え込んだ。
まず母親が亡くなり、一月後に父親が亡くなった。
俺はぼうっとベットで眠る父親を眺めていた。
.......軽蔑されるかもしれないけど、俺はその時、これから飯をどうやって調達すればいいのかって、そんなことばかり考えていたよ。
両親の死を悲しむばかりか、少し恨んでもいた。
こんな国に一人で置いていかれて、どうしろと言うのか...なんてな。
力も学もない子供を雇う場所なんかない。
家賃を払えない俺はすぐに家を追い出され、あっという間に路上生活者になった。
周りには俺と同じように孤児になった子供達がわんさかいたよ。
協力して店からパンを盗む日もあれば、奪い合う日もあった。
生きることに必死なのは、大人も一緒さ。
盗みでへまやって、店主にぼこぼこにされた日もあるし、足を不自由にして仕事を解雇された大人の女に殴られて食料を奪われこともあった。
どいつもこいつも食べることしか考えていなかった。
飢えた獣だった。
両親が死んでから二年経ち、俺は十歳になっていた。
盗みもうまくできるようになって、賭けで儲ける日もあった。
ん?賭けっていうのはトランプだ。正攻法でやって負けるわけにはいかないから、ちょっとズルも入れたり....はは…ごめんアイリスさん。アミナ、今の話は忘れてくれ。いやいや、やり方なんか教えねーよシオン。
俺がこんななのは両親が死んだせいで、この国が悪いんだって、自分のやっていることを正当化していた。
......堕ちるのは簡単だったよ
俺をこんな目にあわせる世の中と人間をただ憎んで、そこから出ようともがくこともしなければあっという間に転がり堕ちる。
そして、楽だった。
金が入った日は嬉しくて笑ったさ。今日はあったかいスープが飲めるぜってな。
だけど、なんでかな…味なんかしない。
体は暖まっても、心が灰色だった。
ボロを身に付けた見るからに貧困層の家族連れが、どうしてかやけに眩しくてさ。
その日は酒が手に入った。
やったぜ。これで今日はあったまろう。上機嫌で瓶のまま飲んでいたら声をかけられた。
「なあ、それ分けてくれへん?」
赤い髪をした俺と同じ歳頃の子供だった。
「やだ」
断って酒を煽ろうとしたらそいつが俺に掴みかかってきた。俺はその辺の連中との喧嘩じゃ負け知らずになっててさ、すぐ応戦したよ。だがその時は俺が相手にしてきたそれまでの奴らと違ってなかなか決着がつかなかった。
「人間のくせにやるやん。お前、俺と一緒に来いや」
けけけ。と犬歯を見せて笑うそいつに、俺は一緒に行くメリットを聞いた。
「飯に困ることがなくなる」
即決だった。
連れていかれたのはかつては貴族のものだったのだろう、寂れた豪邸だった。
きちんと手入れすれば窓や門、扉に施されている細かい彫刻が映えそうな....。
けど、今のこの家の主はそんなこと興味もないような。
壁には蔦が絡み放題、荒れっぱなしの庭に咲く黒いカミツレが気味悪くて、ついてきたことをすぐに後悔した。
やばい場所に来ちまったって。
俺にあてがわれたのは本邸から離れた別邸で、いくつかある大部屋のうちの一つを他の七人と共同で使えと言われる。
肌に骨が浮き出ている様子から、こいつらも俺と同じ理由でここに来たんだな、とすぐに察しがついた。
「ベットなんちゅうもんはないし、毛布なんかももちろんない。欲しかったら自分らでなんとかしい」
赤髪の子供は扉にもたれて笑みを含んで俺らに言った。
先に部屋にいた七人の内の一人が震えながら言った。
「....め、めし、は...」
俺はその骸骨のように痩せた男を軽蔑した。
この敷地に入った瞬間から感じる異様な暗い雰囲気。
何をされるか分かったもんじゃないのに、こんな時に飯だと?
動物かよ。鼻で笑った。
けれど気がついたら用意されたパンとスープにむしゃぶりついていた。
食いながら涙が出たよ。
ろくに掃除もされていない床に放り出されたパンはすぐに埃まみれになったのに。
床にこぼしたスープを屈んで舐めている奴をおぞましいと思うのに。
ああ、俺って、こいつらと一緒なんだ。
所詮俺も食うことしか能がない家畜なんだ。
自分一人ではロクに飯も食っていけない。
俺は飼われる側なんだ。
すぐにここが闇の言望葉使いを集めた団体のアジトだと知った。
赤髪はそのアジトを≪ハデス≫と言った。
闇の言望葉使いが人間の心を蝕み、意のままに操るヤバイ連中だっていうのは、母親がよく俺に言い聞かせていた。
「だから、暗い場所では一人になってはいけないの。闇に連れていかれてしまうからね」
母さん、俺は捕まってしまったみたいだ。
それから飼われることになった俺達はふらっと現れては指示を残していく赤髪の指示通りに働いていた。
村の子供達を拐ったり、聖の言望葉使いを見つけたら襲撃して意識を失わせてから赤髪に手渡す。
赤髪に渡った人間達がどうなったかなんて、考えようともしなかったよ。
たぶん、本邸にいる[幹部]とか呼ばれてる奴らの所に連れていかれたのだろう。
飯さえあれば、なんだってよかった。
ある日、アジトで飼われている男二人が騒ぎながら一人の女を羽交い締めにしていた。
「大人しくしろ!」
「やっぱ女とはいえ力が強えなっ!」
男のうち一人が俺に気がつくと「ルカ!」と笑みを浮かべた。
「どうした?」
「いや、コイツなかなか力が強えでやんの。さっきまで気を失ってたんだが、気がついた途端に暴れやがって....」
「ふうん」
『ライト・ボム』
バチッと雷の粒が女に触れて弾けた。
「......!、がっ...うぅ...、...」
しぶてぇな。
感電してもまだ意識のある女に舌打ちをすると赤い髪が視界の端に見えた。男の手から女を引き抜き、嫌な笑いを浮かべる赤髪に突き放すように渡した。
「竜族の女や。けけっ...これは喜ばれるで」
「!!あんたまさか...!?なんでこんなとこに...!?...裏切り者!!!」
叫ぶ女の頬を思い切り叩き、赤髪は女を引きずるように歩きだした。
口から血を流しながら嫌だと首を振る女が俺にすがるように手を目一杯伸ばす。
俺は両手をポケットに入れ、恐怖でひきつった顔をただ眺めている。
「........ったすけてっ...!!」
女が視界に入らないように顔を背け、唇を噛んだ。
なんで俺に言うんだよ....!
「動くな。分かっとるやろ?」
赤髪の声にハッとする。いつの間にか半歩前に出ていた右足をもとの位置に戻した。
俺は一体なにを....。立ち尽くす俺を蔑んだ瞳で睨み、赤髪は女を連れていった。
腹が満たされる日々が続くと、人間というものは余計なことを考えるらしい。その日から必死に俺に助けを乞う女の顔が頭から離れなくなった。
別塔の屋根の上に寝転び月を眺めていた。低い気温と冷たい屋根の煉瓦が俺の体温を奪っていくが、それよりも女の恐怖でひきつった顔が気になって仕方がなかった。
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救うってなんだ!?俺のことは誰も助けてくれなかった....!
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それでいいじゃないか!!
ガジャッ!!
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「.....っ、クソッ....!!」
拳についた血をそのままに、顔を覆った。
「なんで動けなかった....!」
赤髪が発した制止の一言で俺の足はいとも簡単に止まりやがった。たったそれだけの出来事だけど、俺にとってはそれが酷く屈辱的だった。
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「そうさ。間違いないさ」
生きていくには飯を食わなきゃならない。今は家畜でいい。もっと強くなる為なら、なんだってやってやる。
生きてやる。
生きて、生きて、今度は俺があいつらを飼ってやる。
立ち上がり本邸を睨み付けた。寒風が俺の髪を耳がちぎれるような冷たさで過ぎていく。
「俺はここから這い上がってやる。絶対に」
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