泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第2章

明日が来るからと君は

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 ダイアナは力無く膝をつき、両手が地面につくとぬかるんだ土に沈んだ。首はがくんと前に下がり、目は開いているのに意識があるのか傍目には分からない。
 後ろにいたアイザックは「ひゃ!!」と情けない声をあげてシオンの後ろに逃げこんだ。
 がちゃがちゃと腰にさげている剣を鳴らし震える姿にシオンはうざったそうに眉をしかめた。

「な、なんだったんだ...ダイアナは闇の言望葉使いだったのか...!?」
「....あんた今まであの女の何見とったんや?さっきの記憶の粒を見てなんとも思わんかったん?」

 アイザックはシオンの言葉に目を丸くする。

「....なにって...?」



 うずくまるダイアナの背中にリナリアがそっと手を添えた。
 ダイアナの手入れの行き届いたグレーの髪は傷み、淡藤の瞳はからっぽだった。
 ただ地面を見つめてうつ向く彼女は心が吸いとられてしまったようだった。
 ルカが片膝をついてダイアナの様子を伺う。

「闇の言望葉で操られていたから、心力が削られ、淀んだ状態になっているんだ。......大丈夫。手遅れになる前に呪いが解けたから、回復できる。癒し手の言望葉をかけるか、しばらく安静にしていたら元に戻るよ。」
「そう、ですか...。よかった...」

 リナリアはほっとしたように頷くと、無表情のダイアナの横顔を後悔と共に見つめた。

「.....あなたが、そんなに寂しい思いをしていたなんて.....」

 幼い頃からリナリアの手を引いて勝ち気に笑う彼女は無敵なのだと思っていた。
 引っ込み思案なリナリアは、どんな人が相手でも物怖じせず輪の中に溶け込めるダイアナが羨ましくて仕方がなかった。

「....馬鹿ね、私は。どんな人にも悩みがあって当然なのに...。どうしてあなたは大丈夫なんて思い込んでいたのかしら」

 空っぽの淡藤はなにも写さない。
「もう疲れたのだ」と言っているようで。

「いつから、私達お互いを見ていなかった...?」

 羨望や嫉妬から、いつしか虚像をつくりあげていたのではないか。

 我が儘で、いじわるで、自己中心的。
 けれど確かに優しさもあったはずなのに。

 あの頃の無邪気な笑顔を私達はどこで置いてきてしまったの?

 思考の波に捕らわれそうになるリナリアを柔らかな声が止めた。

「どんなに自分が傷ついていたとしても、友達を傷つけていい理由にはならないよ」

 アミナは弓を撫でながら「でも」と続けた。

「でも、やっぱり人って完璧じゃなくって、人のせいにしたくなる時もある...。時には、傷つけてしまうことも」

 不安を隠せない緑の瞳は、アミナを見つめた。
 空色の瞳は包みこむような温かさを湛えていた。

「見逃してしまった過去も、間違えてしまったかもしれないと思う言葉も、気づく為に今日があって、今日を終わらせない為に明日があって」

 アミナは自分の唇にそっと触れた。

「言葉が、あるんだと思う。......ダイアナさんにもちゃんと明日がくるよ。...リナリアにも、ちゃんと」

 アミナは微笑んだ。痛みを知る人間の優しい微笑みだった。

 リナリアは震える指でダイアナの手の甲に触れた。温かい、懐かしい彼女の感触だった。
 固く引き結んだ唇に塩辛い水が何筋も伝い落ちてくる。

 ダイアナに傷つけられた心はきっとそう簡単に癒えることはない。
 許せないと思う。
 昔の関係に戻ることは難しいだろう。
 でも...。

「......明日がある...わ。...私達には、明日がくるから...」

 眼鏡の内側に涙の水溜まりがいくつも浮いている。リナリアはダイアナに繰り返し呟いた。

「...明日が、くるから....っ」




 だから、話そう?

 このまま離れるなんて寂しすぎるから。


 空っぽの淡藤の瞳から一筋涙がこぼれ落ちた。リナリアの言葉が届いたかは分からない。
 けれど彼女は信じてその手を強く握り直した。

 二人を見守っていたアミナの横でシオンが八重歯を覗かせた。

「言望葉、使えたやん!やったな」
「うん!」

 アミナは弓を抱き締めて満面の笑みを浮かべた。 
 今日まで彼女がどれほど思い詰めていたかを見守り続けてきたシオンは衝動のままにその細い体を抱き上げた。

「きゃあ!?」

 地面から浮いた体に驚き、ぎゅうっと強い力で抱き締めながらくるくる回るシオンにアミナは悲鳴を上げる。
 やめて、乱暴なことしないで、と文句を言おうと口を開いたが、すぐに眉を下げてへらりと笑った。

「やったで!やった!」

 なぜなら言望葉をアミナが使えたことに自分よりも喜んでいるシオンの声が耳元で聞こえたから。明るく弾んで、嬉しさを全開にした彼の声はアミナにじわじわと実感と喜びを与えてくれた。

「えへへ...!やった...!」

 シオンがアミナを地面に下ろす。
 にまーっと顔を緩ませて幼い子供のように笑うシオンにアミナは思わず吹き出してしまう。
 二人は顔をくしゃつかせて笑い合った。


「おいおい。まだ終わってないだろ」
「オ、オリビアさん!?.....と?」

 明るい空気を壊すようにその場に現れたのはオリビアとディーノだった。その後ろからだるそうにのそのそ歩いてくる長身の男とは面識がなく、アミナは首を傾げた。
 オリビアは腰に手を当てると相変わらずの尊大な態度で笑った。

「まずは初の聖の言望葉を得たことを褒めてやろう。そして」

 オリビアは滑らかな手をかざし、美しく洗練された刀身の細い剣を出現させた。それを軽く握ると顎にかかった金の髪をさらりと耳にかけ、微笑を浮かべる。
 視線の先には敷地内に植えられた木々があるだけだ。

「第二回戦だ」
「え?」

 きょとん、とオリビアの横顔を見上げるアミナの腕をシオンが後ろに引っ張った。

「あの女についてた匂い...どうりでなんや嗅いだことあると思たわ。あんたやったんやな」

 警戒の色を濃く滲ませるシオンを嘲笑うようにその男は現れた。木の影にまぎれるようにゆっくりと。

「気づくの遅かったんちゃう?竜族の恥やでほんま」

 シオンがかっと目を開いて怒鳴った。

「あんたが竜族を名乗んなや!!裏切りもんが!俺達を狩る闇の言望葉使いの組織におる奴が...!」
「お前こそや」

 赤い髪の男はつり上がった赤目を歪ませて嫌悪を顕にする。

「竜族が今までどれほどの屈辱を人間から受けてきたか分かっとんのか?裏切りもんはお前や」
「悪いのは“人間”やない!俺は人間の中にもいろいろおることを知った!」
「はぁ?そんなわけないやん。諸悪の根元はすべて人間や。弱いからこそ強者に脅え、汚い手を使う」

 赤い目がアミナを睨み付ける。

「人間には必ず表と裏がある。綺麗事並べとるそいつも、裏では何考えとるか分かったもんやないで」

 己の考えこそが真実なのだと疑わない男の瞳が恐ろしい。この男からはグレイと同じ冷たさを感じた。
 蛇に睨まれた蛙のように硬直しているアミナの手をとり、シオンはぽつりと言った。

「俺は世界が広いことを知った」

 赤髪は「けけっ」と愉快そうに、けれどつまらなそうに笑った。

「言うとくけど、俺は竜族も人間も大嫌いや。……人間の仲間になったんやない。神の仲間になったんや」
「は?」

 怪訝に眉をしかめたシオンの横でオリビアやディーノ、そして一緒にいた男の顔が険しくなった。

「詳しいこと知りたいんやったら、そこにおる奴にでも聞けばええ」

 赤い視線の先にはルカがいた。槍を肩にかついで静観していた彼の表情は読めない。

「...え?どういう、こと?」
「......あんた、まさか..」

 不安そうにルカを見るアミナと眉をしかめるシオンに三つ編みを揺らして男がけたけたと笑った。

「けけけけけ!なーにが世界が広いことを知った!けけけけけけ!!こんなに近くにおる奴のことも知らんで!」

 男は笑いすぎて目尻に滲んだ涙を親指で払った。そしてシオンとルカへ順番に笑いかけた。

「な?単純バカを騙すのは楽しかったか?《ハデス》のルカ」


空はまだ晴れない。






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