泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第2章

雨は目隠しのように

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 修道院の裏でリナリアは深い溜め息をはいた。

「.......ここまでするなんて...」

 円形に造られた澄んだ池に沈んでいる教科書やノート、浮いている鞄にリナリアは疲れたように項垂れた。先ほどから降り始めた雨粒がぽつぽつと池に波紋を広げている。
 この数週間、クラスの中心にいるダイアナ達がリナリアを無視したり、からかっている様子を見ていたクラスメイト達は自分達に火の粉がかからないように遠巻きに見ているだけだ。
 普段話さなくても挨拶だけはしていたクラスメイトも、今は目さえ合わそうともしない。
 後ろの席のボブカットの生徒だけはなんでもないことのように「おはよー」と普段通りにしているが。
 日々確実に周りから浮いていく自分をリナリアはどんどん嫌いになっていく。

 池の柵に手を置いて、ぼんやりと水面を眺める。 
 ぽつぽつと降る雨がリナリアの体を冷やしていく。早く沈められたものを回収しなくてはいけないのだが、どうにも体が動かない。

「........疲れたな...」

 どうして私はここにいたいんだっけ?
 どうして無理して笑わなくてはいけないんだろう?

「それは、ここが私の居場所だから...」

 言葉にしたら胸が重く締め付けられた。
 柵を握る手に力が入る。

 ここにいる理由が分からない。
 ダイアナとも友達に戻れる気がしない。

 朝、重い体を無理矢理起こして、したくもない髪型にかけたくもない眼鏡。

 昼、独りになる休み時間がとても長く感じる。ダイアナ達の笑い声に肩がはねて、自分の机にいるのがしんどくて。

 夜、自分の何が悪かったのか、どうしたらもとに戻れるのか考える。朝が来なければいいのにと思う。進む時計の針が憎くて仕方がなくて。

 いじめられているなんて、父親に知られたらどれほど心配をかけてしまうだろう。
 それに、こんな小さな場所でまともな人間関係を築けないなんて、なんて情けない...。

 こんな格好悪いこと誰にも言えない。
 言いたくない。

 でも...。

 きしんで今にもちぎれそうな心が悲鳴をあげている。自分を抑えて、抑え続けた。
 私は死んでいるも同然だ。

 リナリアは額を柵に預けて肩を震わせた。

「.......だれか、たすけて......っ」


 バチャン!!

 水が弾ける音に驚き顔を上げたリナリアは池の中にいる人物に目を大きく開いた。

「アミナ!アホ!」

 沈んだ教科書やノートを一つ一つ抱えてびしょぬれになっているアミナに続いてシオンも池に飛び込んだ。リナリアの足元にどんどん重ねられていくびしょぬれのノートや教科書達。リナリアが口を開いて呆気にとられていると、ルカが柔らかな声で「風邪引くぜ?屋根のあるところに行こう」と優しく彼女の肩を抱き、渡り廊下へと導いた。
 渡り廊下の屋根はパタパタと音を鳴らして雨を防いでいる。リナリアはシオンに手を引かれて池から上がるアミナから目を離せないでいた。

 池から上がったアミナはしゃがんで草の上に重ねて置いたびしょぬれの教科書達を手に取る。水分を含んでずいぶん重くなったそれらに短い眉を下げたアミナは一冊を手に取ってそっと表紙を撫でた。

「....ひどい...」
「アミナ!さっさと運ぶで!」
「う、うん!」

 シオンが教科書を抱えて走る後を追ってアミナも残りの教科書や鞄を抱えて走った。渡り廊下へ着くと、リナリアがアミナの抱える教科書をじいっと見つめていた。

「....どうして...」

「リナリア!」

 リナリアの細い声を溌剌とした声が遮った。藍の布に金の装飾が施された見るからに高価そうな傘を差したアイザックが嬉々とした表情でリナリアに手を振っている。アイザックを目にしたリナリアは苦々しく眉をしかめた。駆け足で渡り廊下まで来たアイザックは傘を畳んで滴を飛ばすように振りながらリナリアに笑いかけた。

「どうしてここに...」
「やあリナリア。この前君に会ってからなぜか忘れられなくてね。また君に会いたくて来てしまったよ。おや?」

 リナリアの前に来て頬を染めて話すアイザックはびしょ濡れの彼女にようやく気がついたように肩に手を置いた。

「どうしたんだい?ずいぶんとびしょ濡れじゃないか...。......というか、全員......おや?」

 リナリア以外にも人がいたことに今気がついたように視線を巡らせたアイザックはアミナに目を止めた。
 濡れた短い前髪を髪留めで留め直していたアミナは視線に気がつき首を傾げた。アイザックはアミナを上から下に舐めるような視線で見ると、「こんな可愛い子がまだこの街にもいたなんてね」と笑顔を浮かべた。
 困惑の表情を浮かべるアミナの濡れた白いブラウスの胸元が張り付いて透けている。くっきりと顕になった下着の形から目をそらさないアイザックを不審に思ったリナリアはすぐにアミナの胸元に気がついた。リナリアは慌ててアミナの前に進み出てアイザックからアミナを隠す。

「あんたって、最低!!紳士を名乗る資格ないわ!」

 リナリアの剣幕にアイザックは視線を泳がせ「いや、あの...ちがうんだ!」と慌てて手を振った。自分の胸元に気がついたアミナは顔を真っ赤にして腕で隠そうとする。そして、目の前に立ってアイザックから隠してくれるリナリアにやはり彼女は優しい子なのだと改めて確信した。
 アミナの頭を何かが覆う。

「わ、わ!?なに」
「着とけや」

 頭に乗せられたものはシオンの黒色の半袖のシャツだった。

「あ、ありがとう...」

 視界がシャツで遮られていたアミナはシオンの声が聞こえた途端、強張っていた肩の力が抜けた。急に震えだした手でアミナはなんとかシャツを羽織る。
 アミナより少しだけしか高くない身長だが、肩や腕の周りがゆるかった。グレーのプリーツスカートに黒のシャツのボタンを閉めて身に付けると、どこかの学校の制服のようになった。アイザックに胸元を見られた時の嫌な気持ちはシオンの香りに包まれると守られているような気持ちになれて、安心へと変わった。
 手の震えもいつの間にか収まっていた。

「ぎゃん!!」

 鼻に石をぶつけられた犬のような声の発生源はアイザックだった。頬を抑えて尻餅をついている。

「なななな、なにをするんだ!」
「きっしょいんじゃあんた!平手やねんからええやろ!ホンマは拳でいきたかったところを眼鏡ババァの言い付け守って我慢したったんやで!」
「意味がわからないよ!いきなりぶつなんて酷いじゃないか!僕がいったいなにを....!あ、もしかして、君ら恋人だったのかい?」

 涙目になりながらアイザックはシオンからアミナへと人差し指を動かす。シオンが「はあ!?」と驚くのに対して、アミナは落ち着いていた。

「それは、ないよね」

 困ったように眉を下げて笑いかけるアミナの言葉にシオンの胸は嫌な痛みを感じた。

「........?」

 シオンは自分の胸に手を当てて首を傾げる。

 痛い....。なんや?これ...。

 アミナに服を着せようと自身のシャツに手をかけていたルカは素速い動きでアミナにシャツを投げたシオンを見留め、事の流れを見守っていた。黙り込むシオンにアミナがさらに眉を下げ焦りだしている。

「え、私変なこと言った?だってシオンには....」

 わたわたと落ち着きなく慌てるアミナにシオンは視線を投げる。紫の瞳は何かを語りたがっているようだった。

「あんたと俺は....友達、やねん...。種族が違う...俺には...」
「?うん。いるもんね...婚約者」
「ええ!?君婚約者いるのかい?だったら君、この子のなんなのさ!いきなり僕を殴ってさ!」

 アイザックはぷりぷりと怒りながら立ち上がり、尻についた汚れを払う。それにシオンがむっとした表情で腕を組んだ。

「友達や!!あんたは殴られてとーぜんや!」
「友達なら、僕が正式にこの子にお付き合いを申し込んで、この子がOKしたら何も言う権利ないんだからな!」
「なっ」

 シオンが目を見開き、ぎりっと目尻を上げてアイザックを睨むと騎士見習いは「ひえっ」と竦み上がった。話を聞いていたリナリアは血相を変えてアイザックの隊服の胸ぐらを掴んだ。

「ぐえ!」
「ちょっと!何よお付き合いを申し込むって!あんたにはダイアナがいるでしょう!?」
「ああ、ダイアナね...ははは...」

 アイザックは頬を人差し指で掻いて笑う。そしてその指をピンと立ててリナリアに言い聞かせるように真剣な表情を作る。

「婚約を決めたのは親同士さ。もしかしたら他に本当の運命の人がいるかもしれないというのに、探すこともしないなんて勿体ないじゃないか」
「勿体ない....?あんた、もしかしてそれダイアナに....?」

 リナリアの眉間にぎゅうっと皺が寄る。

「そうだよ!リナリア!もしかしたら僕の運命の人は君かもしれないんだ!」
「あんたごときにダイアナがお嫁に行くなんて、そっちの方が勿体ないわよ!!」

 怒りが頂点に達したリナリアは思いきり腕を振りかぶった。

「おお!拳か!行け!」

 シオンがリナリアの握られた拳に嬉しそうに囃し立てた。殴られる恐怖で顔を真っ青にしたアイザックの頬に拳が当たりそうに近づいた時、何かがリナリアを押した。

「きゃあ!」

 強い力で地面に倒されたリナリアは視界に入った人物に驚き目を見開いた。

「ダイアナ....!?」


 ザアザアと強くなった雨の中で傘もささずにダイアナはこちらをじいっと見ていた。淡藤色の瞳は暗く澱んでいる。

「やっぱあいつからやったか....」

 シオンが鼻を鳴らして顔をしかめた。アミナは雨で視界の悪い中、目をこらしてダイアナの首筋を見つめる。

 この前会った時にあんな痣あったかな...?
 なんだろう?あの形....。
 花のような......カミツレ....?

 憎しみの込められた低く暗い声がダイアナの唇から紡がれる。

「やっぱり、あなた邪魔よ」

 ダイアナは顔をくしゃりと歪めた。

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